Mag Mell -喜びの国-

二見 遊

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第2章 魂に触れる熱

第23話

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保健室に着くなり、ルプスは何も言わずに壁際に背を預けて様子を見始めた。それに不思議に思う間もなく、クルスに促されてレナードが泥や血を洗い流せば、傷は浅いと確認ができた。彼の示す椅子に座るものの、消毒液の用意などはない。レナードは不思議に思って彼らに目を向けるが、何か言う前にクルスが彼の腕を取った。

 「動かないで下さいね」

よくわからないまま返事をする。すると驚いたことに、クルスの手から光が溢れだし、見る間にレナードの傷が塞がっていった。

 「すごい……」
 「私は治癒の能力を授かったんです。違和感はありませんか?」

レナードは手をにぎにぎと開閉し、腕の裏側も覗いてみる。無数にあった擦り傷は跡形もなく消え、当然ながら痛みもまるで感じなかった。

 「こんな能力もあるんですね」
 「能力は本当に千差万別ですから。普段は私よりももっと治療に特化した方がここにいらっしゃるんですが、夜勤はしていませんからね」


そんな会話をした後、三人は一段落ついた所でクルスが入れてくれたホットミルクを冷ましながら飲む。

 「一体、あの化け物は何だったんでしょう」

外に出たせいで体が冷えてしまったが、これからまた就寝するのでコーヒーでは眠れなくなるという配慮だろう。大きめのカップを両手で支え、波打つ液体の表面を見つめながらレナードはぽつりと言った。

 「さっきは怒鳴って悪かった。森に何がいるか、校内案内で詳しく説明されてはいないだろうな」
 「そうですね、野生動物がいるとは聞いていましたし、夜に近寄るべきではないと理解はできるんですが……まさかあんな風に引きずり込まれると思わなくて」

ルプスは厳しい表情で頷き、ただ一人自分用にいれたブラックコーヒーを啜る。昼間と変わらぬ恰好を見るに、夜勤中なのだろうか。先生にもそんな制度があるのだなと、レナードは妙な所で関心を覚えた。クルスは何も言わずに、こちらもまたぼんやりとカップを眺めている。

 「あそこの森にはな、お前が化け物と呼んだ蔦以外にも、わんさか異形の生物がいる。その総数は最早俺たちも把握できていない位にな」
 「動物とは違うんですよね?」

化け物蔦の存在からして異常なので、明らかに違うと分かりながらもレナードの常識は今夜の異様さを否定したがっていた。

 「そうだな。俺たちは便宜上魔物と呼んでいる。動植物との違いは、特殊な能力を有しているかどうかだ。例えばあの蔦は恐らく本来単なるモウセンゴケか何かなんだろうが、どういう訳か巨大化して蔦を自ら動かせるようになり、あろうことか虫ではなく俺たち人間を狙っているらしい」
 「おかしな話ですよね。元々は動かないはずの植物なのに。進化したってことなんですか?」
 「それにしては進化のスピードが早すぎる。魔物の出現についても文献がそう多く残っているわけではないが、100年程前かららしい。それまで大きな環境変化が起こっているわけじゃないしな」

素人目から見ても異様な生物の出現に、教師たちも困っているようだ。どうして教えてくれなかったのか。喉元まで出かかった言葉を、レナードは呑み込んだ。恐らく実際に見るまでは信じなかっただろうし、信じても今回のような油断はあったかもしれない。

 「こういうのも何ですが、よくこんな所で村を存続していますね」

住み慣れた故郷を捨てるのは大きな決断だが、命の危機にさらされるとなれば別ではないだろうか。

 「まあ、結界から出なければ問題はないからな」

ルプスは若干気まずそうに目を逸らし、それ以上答えたくないようだった。懸念はあってもすぐに重大な問題がないから動けないということなのだろうか。

 「不安に思うのも無理はありませんが、これで森に入らないよう口を酸っぱくして言っていた理由も分かってくれたと思います。今後は、なるべく夜間の外出も避けて下さい」

これにはレナードも頷くしかなかった。今回は助けが入ったからいいものの、下手をすれば帰らぬ人となっていただろう。暖かい飲み物の効果もあって、安心した途端眠気が襲ってくる。丁度飲み干したカップを置き、レナードは伸びをしてから立ち上がる。

 「それでは寮まで一緒に行きましょうか」
 「俺はまだ見廻りがあるからここで別れる。カップは片しとくから気にするな」

クルスとレナードはその言葉に素直に頷き、暗い校内を2人で並んで歩きだす。窓の外から差し込む月の光だけが彼らの足元を照らしている。

 「出来ればのお願いなんですが、今夜のことは口外しないで貰えませんか?」

寮への道すがら、クルスが廊下の先をぼんやりと見ながらぽつりと言った。

 「神域にいるものについて、実は真実を知る者は限られているんです。生徒達には余計な不安を与えたくない。今回はそのために貴方に怪我をさせてしまったのは本当に申し訳なかったのですが……」
 「いくら子供とはいえ、疑問に思う子もいるんじゃないですか?」
 「そうですね、聡い子は知っています。ただ知るのがいいことばかりではないんです。事実を知ったことで、恐怖であまり眠れなくなってしまった子や、どうにも出来ない現状に苦しさを抱えこんでいる子もいるんです」
 「本当にどうにもならないんでしょうか」

レナードの頭に疑問がよぎる。これほどの事態、国は知らないのだろうか。

 「なりません。魔物はこの村の大人たちの間では神の遣いとも呼ばれ、討伐自体も許されない存在です。ただ外部に知られれば騒ぎになりますから、どこにも情報を漏らしていないんです」
 「よく周辺の町が魔物被害にあいませんね」
 「魔物は不思議と森の外には一切出ないんです。何故かは解明されていませんがね」

そんな話が終わる頃、2人は寮の入り口に辿り着いた。もうすっかり夜も更け、温まった体が夜の風に晒され一気に体温が奪われている。同じ寮で暮らしているというクルスと一階で分かれ、レナードは三階の自室に向かう。
あれほど眠れなかったというのに、やはり一連の騒ぎで疲れていたのだろう。彼はどうにか部屋着に着替えると、限界を超えてベッドに倒れ込むようにして寝息を立て始めた。実に長い一日の終わりだった。
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