リバランス

二見 遊

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第1章 春の裏側

第3話「冷え切ったコーヒーの香り」

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第3話「冷え切ったコーヒーの香り」

 「――以上の理由から、お前は内務調査室に配属となる。ここまでで質問はあるか」

タルシェド共和国に着任してすぐ、現地リーダーを務めるヴァルジンと落ち合った。何年も前から潜入しているベテランであり、帝国軍部でも中佐としての地位を得ている。
ヴィクターは表向き彼の推薦という形での着任だった。

分厚い資料から目を離し、ヴィクターは視線を上げる。
相対するヴァルジンは無言のままこちらを見つめていた。重いテーブルを挟んでも、金色の切れ長な目は内面と同じくきつい印象を相手に与えてくる。

 「質問はありません。軍内部への働きかけ、ありがとうございます」
 「君の出自は本部からの指令通りフェルザ自治区ということになっている。基本的には共通語で話して構わないが、稀に訛りを出すよう心がけるといい」
 「承知しました。我々の表向きの関係性については?」
 「遠縁の親戚だ。ただし私は生まれ自体がタルシェドという設定のため、君とは直接会ったことがほとんどない事になる。自治区での活躍を耳にしてという建前だ」

その返答にヴィクターは眉を上げて少し考え込んだ。

 「軍には同じ自治区の出身者はいないのでしょうか。実績どころか軍歴がないことは出身者であれば発覚しかねません」
 「出身者はいない。あそこは自治意識が高い。一部には未だ共和国への吸収に不満もあると聞くし、軍などの国家組織に所属するのはもってのほかだ」
 「それは……逆に浮くのでは?」
 「そうだ。逆境はあると思う。しかし一方で個人の強い意思で国家に仕えようとする堅い意志の表れとしてアピールできると踏んでのことだ」

ヴァルジンが言葉を切る。一呼吸おいて、ヴィクターは頷いた。

 「分かりました。では自治区から飛び出て国政を軍から変え、国をよくする志を持った青年ということにしておきます」
 「青年というには、少しばかりとうが立っているがな」

二人は顔を見合わせて軽く笑い声をあげた。ヴィクターは30代の扉を叩きかけている。元々が濃い顔立ちなので、そろそろ20代前半の設定で任地に赴くのは難しくなってきそうだ。
表情が固いとよくユリスから揶揄われるくらいだ。あまりとっつきづらすぎてもまずいので、意識して口角を上げる必要があるかもしれない。

 「伝達事項は以上だ。健闘を祈る、トゥラニ大尉」

和らいでいた表情を引き締め、ヴァルジンは当初と同じ、睨むような目つきを部下に向けた。

「了解しました、ヴァルジン中佐」

ヴィクターは短く敬礼し、扉に向かうと《アゼル・トゥラニ》としての顔になった。


ユリスがナディアと新聞について談笑していたころ、ヴィクターは内務調査室の執務室で大量の書類に囲まれていた。
配属当初、無駄に大きいと感じた机の色は最早見えない。

捌いても捌いても終わりの見えない仕事の量に辟易し、ヴィクターはコーヒーを飲む手が止まらない。
本当ならホイップクリームを山ほど乗せたかったが、そんな余裕もない。祖国でユリスと飲んだ紅茶とクッキーが無性に恋しかった。

 (またこの新聞社か……相変わらず政府批判すれすれのグレーゾーンをついてくるが、この程度では差し止めは難しいな。『監視継続』。こちらの本は発禁物だ。巧妙だが暗号文が隠されている。「真実は隠されている。立ち上がれ市民たち」、か。しかし理由はぼやかさないとまた言論統制と言われかねない……『印刷不備』と。)

忙殺されてはいるものの表向きの業務は順調だ。しかしなにより深刻なのは、この二カ月、本来の任務のための戦争回避に繋がる情報入手が全く進展していない事だった。

もちろんこの間に得た情報はある。
内務調査室は有り体にいえば政府方針に反感を持つ国民監視のために近年軍部内に設立された機関だ。そのため国内の裏情報が嫌というほど集まってくる。軍内部のきな臭い派閥争いも何となく掴めてきたので、そろそろ行動を起こしたいところだ。開戦派と穏健派のパワーバランスなども実際のところまだ分からない。

一方で軍部の開戦機運の高まりに反し、思いの外ここの所属員は穏健派が多いようだった。
唯一成果と言えるのは、調査室内で戦争反対の穏健派と見られる同僚の当たりをつけ、徐々に距離を詰めていることだ。これで仮に異動になっても情報入手の貴重な伝手が出来るはずだ。


しばらくは黙々と仕事をしていたが、一段落すると集中力も落ちてくる。出勤した頃はまだ暗かったが、窓のシェードに隙間を開ければ皮肉な位晴れ渡っていた。
冷たくなったコーヒーを口に含むと、その苦さに改めて眉をひそめる。

 (流石に休憩するか……)

目をつむって眉間をもみほぐしていると、隣のスペースにいる同僚達の声が聞こえてきた。

 「南地区で抗議デモをやってたらしい。鎮圧部隊が出てくる前に蜘蛛の子を散らすように解散したようだが、どうも統制が取れすぎている気がするな」
 「この間はゲリラ演説だろ? 逃げるのだけは上手い連中だよな」
 「ただでさえ帝国からの特使が来ているっていうのに、少しの間位おとなしくしててほしいもんだよ、全く」

この所街中はどうにも落ち着かない。いよいよ反政府運動の機運が高まっているようだ。
丁度グラディオールからの特使が訪れているタイミングであることに狙いがあるのかは不明だが、同盟を推進している開戦派の者たちは鎮圧に躍起になっているらしい。
国民には表向き経済抑制は国家の発展のためと称しているが、開戦に向けた準備なのではないかという噂がまことしやかに囁かれている。
注意深く街の様子を見る必要があるだろう。

 「昼休憩に出てきます」

それにもういい加減書類を睨み続けるのは限界だった。任務でもあり仕事でもあるので業務は滞りなく行うが、本来ヴィクターは現場仕事を好む。仮面付きの身とはいえ多少の息抜きもしたくなるというものだ。

隣の部屋で資料を手に議論を繰り広げていた同僚たちは、有無を言わせない勢いのヴィクターに呆気に取られたように黙り込み、一様に手を振って送り出した。
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