悪魔のささやき

大家一元

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序章

自罰の夜

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 川越邸は広大な敷地を持つ和風の邸宅で、数人の養子たちは男女それぞれ一軒ずつ与えられた離れに住んでいる。養子同士は、特に男女は互いに遠慮して深く干渉しないので、それぞれの過去の事情はミツルとノリコしか知らない。

 中庭の池を眺めながら、ケントは物思いに耽る。養父母しか知らないアヤカの過去について。

 もしかして……

「ただいま、ケンちゃん」

 ケントは大きく肩を震わせ、背後を振り返る。そこにいたのは、仕事を終えて帰宅してきたノリコだった。夫に負けず劣らずの優しげな微笑を浮かべながら、こちらに歩み寄ってくる。

「ノリコさん……お疲れ様です」
「ん。ふふっ、そのコート、まだ暑いでしょ。家にいる時ぐらい脱いだら?」
「あー……そうですね」
「どうしたの、黄昏ちゃってぇ。恋?」
「まさか」

 ノリコはケントの隣にある置石に腰を下ろす。彼女は、人と話す時にじっと目を見つめてくる。ケントは思わずぷい、と目を逸らし、また池に視線を落とした。

「あーっ、まさか図星?」
「違いますよ」
「アヤちゃん? ねぇ違う?」
「あー、しつこいなぁ、もう……戻りますよ」
「ちょっと待った」

 うんざりして立ち去ろうとしたケントを、ノリコが袖を引っ張って止める。

「手首見せなさい」

 ぎくりとして、黙り込むケント。ノリコは立ち上がり、ケントの肩を掴みさらに言った。

「見せなさい」
「……はい」

 ケントは明らかに狼狽して目を泳がせながらも、素直に袖を捲り上げ手首を見せた。古傷の上に刻まれた新しい傷跡をノリコはしっかりと見た。
 そして、それを片手で優しく撫で、囁いた。

「付いといで」

 ケントは黙って頷き、まるで叱られる前の子供のようにバツの悪そうな表情でノリコの後を歩いた。


 ♦︎


 ノリコの部屋は、男子用離れと女子用離れの間にある本邸の一階だ。二つの寮の渡り廊下を通ってすぐ辿り着く縁側に面した大部屋。誰でも気軽に来て話せるよう、部屋の戸は常に開け放たれている。
 そこに通されたケントは、横目で本邸前にある中庭をぼんやりと見る。男子用離れの前のそれより規模は小さく池もないが、ミツル自ら手を入れていることもあって非常に美しい。

「綺麗でしょ」
「はい」
「凝り性だからねぇ、あの人」

 ケントは小さく微笑み、視線をノリコが入れてくれた茶に移した。

「……俺なんかがここにいていいのかなって、いつも思います」

 ぽつり、ぽつりと呟くように語るケントの言葉を、ノリコは一言も聴き逃すまいと耳を澄ませた。

「みんな苦しい環境で頑張ってるんです。俺だけ働きもしないで、こんな綺麗な家でぼんやりしてていいのかって」
「ここはケンちゃんの家なんだから、ここにいていいの。大体働こうにも……病気治してからじゃないと働けないでしょ」
「……俺、世間的には病人なんでしょうけど、自分が病気だなんて全然思えないんですよね」

 ノリコは何度も聞いたこの言葉が、結局のところケントの言いたいことなのだろうと思った。
 だがこの言葉、ノザキには一度も伝えたことがないと言う。ノリコは考えた。自分とノザキの違いは一体何なのか。

「うん、そうね」

 そして、何度も口にした言葉を変わらず伝える。すると、ケントは不思議とこちらを見てくれるのだ。

「私もケンちゃんが病気だなんて、全然思わないよ。病気の基準なんて、医者がそう言うかどうかでしかないじゃんね」

 ケントの虚ろな目の奥に微かに輝きが宿る。ノリコは胸が苦しくなった。この目をノザキは未だに見ていない。ちゃんと欲しがっている言葉をかけてやれば、この子はこんなに綺麗な目を見せてくれるのに、と。

「私はケンちゃんがそうしたくなる理由を知りたいだけ……恥ずかしがらなくていい。どんな理由だって受け入れるわ」

 ケントは再び目を伏せ、暫く考えた。ノリコは黙って、その様子を見守った。やがてケントは、目を伏せたまま淡々と語り出した。

「俺……」


 ♦︎


 ケントはノリコとの会話を終えてすぐ自室に戻り、敷かれたままの布団にその身を投げ出した。頭に浮かぶのはやはりアヤカのこと。あと一瞬遅ければ、あの三人組の欲望の餌食になっていた彼女。なぜ彼女がそのような目に遭うのか。

 小柄で愛らしい容姿が男たちの支配欲を掻き立て、また俯き気味でオドオドした仕草が、彼らに彼女の気弱で与し易い性質を容易に見抜かせる……

 簡単に想像がついてしまう。自分が呪わしくて眠れない。ケントは目を見開き跳ね起きた。

 洗面台に置かれたカミソリを手首に当て、一気にかき切った。バタバタと落ちる鮮血を生気のない目でぼんやりと見ながら、ノガミ医師の言葉を思い出した。
 己の生を確かめたい、だと? 違う。そんなくだらない理由でやっているのではない。寧ろその逆だ。自分自身を見たくないのだ。

 またアヤカの顔がよぎる。彼女に迫る男たちの目も。ケントは歯噛みし、もう一度手首を切り裂いた。
 街の其処彼処に蠢く、欲望を剥き出しにした、穢らわしい、人の皮を被った悪魔ども。それと何ら変わらぬ己の本性を殺すために。

 死ね、死ね。悪魔め。なぜ死んでくれない。駄目だ、駄目だ駄目だ……

 痛みと失血に意識が一瞬遠のき、思考が途切れる。ケントはやっと正気を取り戻し、一心不乱に蛇口をひねった。
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