24 / 27
第二十一章
しおりを挟む
金色の狼に先導され、家路を辿る。狼は何度もこちらを振り返り、俺の様子を気にしてくれているようだった。
玄関口でふと後ろを振り返ると、狼はもうそこにはいなかった。ノエルもおそらく、倉橋が無事家に送り届けたことだろう。
真っ暗な中、手探りで電気を付けた。父さんはまた出張で、帰りは明日になるらしい。こんな顔を見られたら、きっと心配させてしまうだろう。そうならなかったことに、少しだけ安堵する。
ベッドに腰かけ、ため息をつく。ふと顔を上げると、机の上にヘッドホンが出しっぱなしになっていた。
脳裏に浮かんだ、彼女の笑顔。振り払うように頭を振り、うなだれる。電気も消さないまま、目を閉じて横になった。
土曜日の朝。一睡もできないまま起き上がり、窓の外を眺めてみた。昇りはじめたはずの朝日は分厚い雲に隠れ、激しく吹きすさぶ風が雨粒を窓に叩きつける音だけが、部屋に響いている。それを聞きながら、そのまま、また寝転がった。
玄関の開く音で目が覚めた。父さんが帰ってきたんだろう。相変わらずの天候で、窓の外は夕方とは思えぬほど真っ暗だった。
無駄な心配をかけないよう、シャワーを浴びはじめたのを見計らって声をかけた。この隙に夕食も済ませようと、キッチンに向かった。
コップを取ろうと戸棚に手をかけたとき、また、彼女の笑顔が脳裏に浮かんだ。食欲もないまま無理やり詰め込み、急いでその場を離れた。
部屋に戻りスマホを見ると、見知らぬ番号からのメッセージが届いていた。不審に思いつつ内容を確認してみると、送り主が倉橋になっている。どうやって俺の番号を調べたのか不思議ではあるが、まあ、どうでもいいだろう。
メッセージには、昨日の件を口外しないよう誓約書を書いてもらいたいということが、丁寧な文面で書かれていた。そして明日の朝、駅前の喫茶店で待っている、とも。事務的な返事を送り、横になる。
ベッドの上で眠っては覚めてを何度か繰り返すうち、ゆっくりと夜は更けていった。
日曜日の朝。雲は厚いが雨は弱く、風もほとんどない。起こした体に少しの倦怠感を覚え、ため息をついた。
靴を履き、ドアに手を伸ばすと同時に、また思い出してしまった。ほんの短い間しかいなかったはずなのに、家の中は彼女との思い出で溢れている。
思い出したってつらいだけなのに。もう二度と、会えやしないのに。忘れたくても忘れられない不器用な自分に、うんざりしたまま家を出た。
止みそうで止まない雨の中を、傘を片手に歩く。歩道上では昨日の大雨が残した水溜まりが、あちこちで波紋を作っていた。
ふと見下ろすと、左の靴紐が緩んでいるのが見えた。垂れた先が地面を擦り、泥に塗れている。それなのに結びなおす気も起きず、ため息とともに目を逸らした。
平日の喧騒とは打って変わって、日曜の駅前は人影もまばらだ。雨の影響もあるだろう。歩道がいつもより広く感じた。
指定された喫茶店は、道路を挟んで向こう側に見えている。信号待ちで取り出したスマホに表示された時間は、予定より五分も遅れていた。それでも急ぐ気にはなれず、横断歩道を歩いて渡った。
店の入り口にかけられた札には、『臨時休業』と書かれていた。待ち合わせ場所変更の連絡も来ていないということは、向こうも遅れているんだろう。大人しく待つしかない、そう思いながら辺りを見渡したそのとき、道路脇に一台のタクシーが停まった。
「ごめんごめん! ちょっと遅れちゃったかな?」
聞こえてきたのは倉橋の声だったが、彼はなぜか向こう側の後部座席から降りていた。トランク側をぐるっと回り込み、俺に笑顔を見せると、彼は持っていた傘を開いた。
「桝原くんは……まだ来てないか。……というか、ひどい顔だね、寝不足かい? まあ、無理もないか」
倉橋は俺の顔を見るなり、顔をしかめてそう言った。自分では気付かなかったが、この体調の悪さは顔色にも出ているらしい。
その後ろで、降りた運転手が後部座席を開け、なぜか中に乗り込んだ。
「そんな君に、一つサプライズを用意したんだ。喜んでくれるといいな」
運転手が後ろ向きに、車椅子らしきものを引きながら降りてくるのを、倉橋は傘を掲げて迎えた。そして引き手を交代すると、傘を片手にゆっくりとこちらを振り返る。
……が、車椅子から伸びた手が倉橋の傘を奪い取り、『そいつ』は傘の中に隠れてしまった。
「ははっ。ほら、ちょうど雨も上がったし、恥ずかしがってないで出てきなよ」
彼の言葉に、傘が少し跳ねた。ほんの少しの沈黙のあと、恐る恐るといったスピードで、傘が閉じられていく。
――その瞬間、雲間を裂いて落ちた光が、『彼女』を鮮やかに照らし出した――。
「……え、えっと~……。ただいま……で、合ってる……?」
恥ずかしそうに何度も目を逸らしながら、車椅子姿の『彼女』が、俺を見上げている。あの日いなくなってしまったはずの、『彼女』が。
その光景が、どこか夢のように思えて、何が起きたのかわからないまま、ただじっと眺めていた。
「ちょっ、なんか言ってくんない!? ふつーに恥ずいんだけど!」
真っ赤になってしまった顔を、慌てて腕で隠しながら彼女は言った。
「あい、る……?」
これが夢だとしたら、これまで見たどんな悪夢よりも悪趣味だ。もう二度と会えない人間に会わせて、ぬか喜びさせようだなんて。そうじゃなければ、幻覚か何かか。なんにせよありえない。なぜなら、死人は生き返ったりはしないのだから。
――それでも、一縷の望みに縋るように、無意識のうちに名前を呼んでいた。
「……うん、アタシ。……かおるんに逢いたくて、戻ってきちゃった」
頬を真っ赤に染めながら、彼女は無邪気に笑った。何度も見たはずなのに、変わらず跳ね上がる鼓動が、これは夢なんかじゃないと教えてくれた。
「も~……泣かないでよ……。こっちまで泣けてきちゃうじゃん……!」
滲んでいく景色の中、小さく呟いた彼女の笑顔は、降りそそぐ陽の光すら霞んでしまうほどに、眩しく輝いて見えた。
玄関口でふと後ろを振り返ると、狼はもうそこにはいなかった。ノエルもおそらく、倉橋が無事家に送り届けたことだろう。
真っ暗な中、手探りで電気を付けた。父さんはまた出張で、帰りは明日になるらしい。こんな顔を見られたら、きっと心配させてしまうだろう。そうならなかったことに、少しだけ安堵する。
ベッドに腰かけ、ため息をつく。ふと顔を上げると、机の上にヘッドホンが出しっぱなしになっていた。
脳裏に浮かんだ、彼女の笑顔。振り払うように頭を振り、うなだれる。電気も消さないまま、目を閉じて横になった。
土曜日の朝。一睡もできないまま起き上がり、窓の外を眺めてみた。昇りはじめたはずの朝日は分厚い雲に隠れ、激しく吹きすさぶ風が雨粒を窓に叩きつける音だけが、部屋に響いている。それを聞きながら、そのまま、また寝転がった。
玄関の開く音で目が覚めた。父さんが帰ってきたんだろう。相変わらずの天候で、窓の外は夕方とは思えぬほど真っ暗だった。
無駄な心配をかけないよう、シャワーを浴びはじめたのを見計らって声をかけた。この隙に夕食も済ませようと、キッチンに向かった。
コップを取ろうと戸棚に手をかけたとき、また、彼女の笑顔が脳裏に浮かんだ。食欲もないまま無理やり詰め込み、急いでその場を離れた。
部屋に戻りスマホを見ると、見知らぬ番号からのメッセージが届いていた。不審に思いつつ内容を確認してみると、送り主が倉橋になっている。どうやって俺の番号を調べたのか不思議ではあるが、まあ、どうでもいいだろう。
メッセージには、昨日の件を口外しないよう誓約書を書いてもらいたいということが、丁寧な文面で書かれていた。そして明日の朝、駅前の喫茶店で待っている、とも。事務的な返事を送り、横になる。
ベッドの上で眠っては覚めてを何度か繰り返すうち、ゆっくりと夜は更けていった。
日曜日の朝。雲は厚いが雨は弱く、風もほとんどない。起こした体に少しの倦怠感を覚え、ため息をついた。
靴を履き、ドアに手を伸ばすと同時に、また思い出してしまった。ほんの短い間しかいなかったはずなのに、家の中は彼女との思い出で溢れている。
思い出したってつらいだけなのに。もう二度と、会えやしないのに。忘れたくても忘れられない不器用な自分に、うんざりしたまま家を出た。
止みそうで止まない雨の中を、傘を片手に歩く。歩道上では昨日の大雨が残した水溜まりが、あちこちで波紋を作っていた。
ふと見下ろすと、左の靴紐が緩んでいるのが見えた。垂れた先が地面を擦り、泥に塗れている。それなのに結びなおす気も起きず、ため息とともに目を逸らした。
平日の喧騒とは打って変わって、日曜の駅前は人影もまばらだ。雨の影響もあるだろう。歩道がいつもより広く感じた。
指定された喫茶店は、道路を挟んで向こう側に見えている。信号待ちで取り出したスマホに表示された時間は、予定より五分も遅れていた。それでも急ぐ気にはなれず、横断歩道を歩いて渡った。
店の入り口にかけられた札には、『臨時休業』と書かれていた。待ち合わせ場所変更の連絡も来ていないということは、向こうも遅れているんだろう。大人しく待つしかない、そう思いながら辺りを見渡したそのとき、道路脇に一台のタクシーが停まった。
「ごめんごめん! ちょっと遅れちゃったかな?」
聞こえてきたのは倉橋の声だったが、彼はなぜか向こう側の後部座席から降りていた。トランク側をぐるっと回り込み、俺に笑顔を見せると、彼は持っていた傘を開いた。
「桝原くんは……まだ来てないか。……というか、ひどい顔だね、寝不足かい? まあ、無理もないか」
倉橋は俺の顔を見るなり、顔をしかめてそう言った。自分では気付かなかったが、この体調の悪さは顔色にも出ているらしい。
その後ろで、降りた運転手が後部座席を開け、なぜか中に乗り込んだ。
「そんな君に、一つサプライズを用意したんだ。喜んでくれるといいな」
運転手が後ろ向きに、車椅子らしきものを引きながら降りてくるのを、倉橋は傘を掲げて迎えた。そして引き手を交代すると、傘を片手にゆっくりとこちらを振り返る。
……が、車椅子から伸びた手が倉橋の傘を奪い取り、『そいつ』は傘の中に隠れてしまった。
「ははっ。ほら、ちょうど雨も上がったし、恥ずかしがってないで出てきなよ」
彼の言葉に、傘が少し跳ねた。ほんの少しの沈黙のあと、恐る恐るといったスピードで、傘が閉じられていく。
――その瞬間、雲間を裂いて落ちた光が、『彼女』を鮮やかに照らし出した――。
「……え、えっと~……。ただいま……で、合ってる……?」
恥ずかしそうに何度も目を逸らしながら、車椅子姿の『彼女』が、俺を見上げている。あの日いなくなってしまったはずの、『彼女』が。
その光景が、どこか夢のように思えて、何が起きたのかわからないまま、ただじっと眺めていた。
「ちょっ、なんか言ってくんない!? ふつーに恥ずいんだけど!」
真っ赤になってしまった顔を、慌てて腕で隠しながら彼女は言った。
「あい、る……?」
これが夢だとしたら、これまで見たどんな悪夢よりも悪趣味だ。もう二度と会えない人間に会わせて、ぬか喜びさせようだなんて。そうじゃなければ、幻覚か何かか。なんにせよありえない。なぜなら、死人は生き返ったりはしないのだから。
――それでも、一縷の望みに縋るように、無意識のうちに名前を呼んでいた。
「……うん、アタシ。……かおるんに逢いたくて、戻ってきちゃった」
頬を真っ赤に染めながら、彼女は無邪気に笑った。何度も見たはずなのに、変わらず跳ね上がる鼓動が、これは夢なんかじゃないと教えてくれた。
「も~……泣かないでよ……。こっちまで泣けてきちゃうじゃん……!」
滲んでいく景色の中、小さく呟いた彼女の笑顔は、降りそそぐ陽の光すら霞んでしまうほどに、眩しく輝いて見えた。
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド
まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。
事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。
一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。
その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。
そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。
ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。
そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。
第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。
表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。
視える僕らのシェアハウス
橘しづき
ホラー
安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。
電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。
ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。
『月乃庭 管理人 竜崎奏多』
不思議なルームシェアが、始まる。
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2026/2/26:『てがみ』の章を追加。2026/3/5の朝頃より公開開始予定。
2026/2/25:『くもりのゆうがた』の章を追加。2026/3/4の朝頃より公開開始予定。
2026/2/24:『ぬかるみ』の章を追加。2026/3/3の朝頃より公開開始予定。
2026/2/23:『かぜ』の章を追加。2026/3/2の朝頃より公開開始予定。
2026/2/22:『まどのそと』の章を追加。2026/3/1の朝頃より公開開始予定。
2026/2/21:『おとどけもの』の章を追加。2026/2/28の朝頃より公開開始予定。
2026/2/20:『くりかえし』の章を追加。2026/2/27の朝頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
霊和怪異譚 野花と野薔薇[改稿前]
野花マリオ
ホラー
その“語り”が始まったとき、世界に異変が芽吹く。
静かな町、ふとした日常、どこにでもあるはずの風景に咲きはじめる、奇妙な花々――。
『霊和怪異譚 野花と野薔薇』は、不思議な力を持つ語り部・八木楓と鐘技友紀以下彼女達が語る怪異を描く、短編連作形式の怪異譚シリーズ。
一話ごとに異なる舞台、異なる登場人物、異なる恐怖。それでも、語りが始まるたび、必ず“何か”が咲く――。
語られる怪談はただの物語ではない。
それを「聞いた者」に忍び寄る異変、染みわたる不安。
やがて読者自身の身にも、“あの花”が咲くかもしれない。
日常にひっそりと紛れ込む、静かで妖しいホラー。
あなたも一席、語りを聞いてみませんか?
完結いたしました。
タイトル変更しました。
旧 彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる
※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。
本作は改稿前/改稿後の複数バージョンが存在します
掲載媒体ごとに内容が異なる場合があります。
改稿後小説作品はカイタとネオページで見られます
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる