幽かな君に捧ぐ奇譚

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第二十一章

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 金色の狼に先導され、家路を辿る。狼は何度もこちらを振り返り、俺の様子を気にしてくれているようだった。
 玄関口でふと後ろを振り返ると、狼はもうそこにはいなかった。ノエルもおそらく、倉橋が無事家に送り届けたことだろう。
 真っ暗な中、手探りで電気を付けた。父さんはまた出張で、帰りは明日になるらしい。こんな顔を見られたら、きっと心配させてしまうだろう。そうならなかったことに、少しだけ安堵する。
 ベッドに腰かけ、ため息をつく。ふと顔を上げると、机の上にヘッドホンが出しっぱなしになっていた。
 脳裏に浮かんだ、彼女の笑顔。振り払うように頭を振り、うなだれる。電気も消さないまま、目を閉じて横になった。

 土曜日の朝。一睡もできないまま起き上がり、窓の外を眺めてみた。昇りはじめたはずの朝日は分厚い雲に隠れ、激しく吹きすさぶ風が雨粒を窓に叩きつける音だけが、部屋に響いている。それを聞きながら、そのまま、また寝転がった。
 玄関の開く音で目が覚めた。父さんが帰ってきたんだろう。相変わらずの天候で、窓の外は夕方とは思えぬほど真っ暗だった。
 無駄な心配をかけないよう、シャワーを浴びはじめたのを見計らって声をかけた。この隙に夕食も済ませようと、キッチンに向かった。
 コップを取ろうと戸棚に手をかけたとき、また、彼女の笑顔が脳裏に浮かんだ。食欲もないまま無理やり詰め込み、急いでその場を離れた。
 部屋に戻りスマホを見ると、見知らぬ番号からのメッセージが届いていた。不審に思いつつ内容を確認してみると、送り主が倉橋になっている。どうやって俺の番号を調べたのか不思議ではあるが、まあ、どうでもいいだろう。
 メッセージには、昨日の件を口外しないよう誓約書を書いてもらいたいということが、丁寧な文面で書かれていた。そして明日の朝、駅前の喫茶店で待っている、とも。事務的な返事を送り、横になる。
 ベッドの上で眠っては覚めてを何度か繰り返すうち、ゆっくりと夜は更けていった。

 日曜日の朝。雲は厚いが雨は弱く、風もほとんどない。起こした体に少しの倦怠感を覚え、ため息をついた。
 靴を履き、ドアに手を伸ばすと同時に、また思い出してしまった。ほんの短い間しかいなかったはずなのに、家の中は彼女との思い出で溢れている。
 思い出したってつらいだけなのに。もう二度と、会えやしないのに。忘れたくても忘れられない不器用な自分に、うんざりしたまま家を出た。

 止みそうで止まない雨の中を、傘を片手に歩く。歩道上では昨日の大雨が残した水溜まりが、あちこちで波紋を作っていた。
 ふと見下ろすと、左の靴紐が緩んでいるのが見えた。垂れた先が地面を擦り、泥に塗れている。それなのに結びなおす気も起きず、ため息とともに目を逸らした。

 平日の喧騒とは打って変わって、日曜の駅前は人影もまばらだ。雨の影響もあるだろう。歩道がいつもより広く感じた。
 指定された喫茶店は、道路を挟んで向こう側に見えている。信号待ちで取り出したスマホに表示された時間は、予定より五分も遅れていた。それでも急ぐ気にはなれず、横断歩道を歩いて渡った。
 店の入り口にかけられた札には、『臨時休業』と書かれていた。待ち合わせ場所変更の連絡も来ていないということは、向こうも遅れているんだろう。大人しく待つしかない、そう思いながら辺りを見渡したそのとき、道路脇に一台のタクシーが停まった。
「ごめんごめん! ちょっと遅れちゃったかな?」
 聞こえてきたのは倉橋の声だったが、彼はなぜか向こう側の後部座席から降りていた。トランク側をぐるっと回り込み、俺に笑顔を見せると、彼は持っていた傘を開いた。
「桝原くんは……まだ来てないか。……というか、ひどい顔だね、寝不足かい? まあ、無理もないか」
 倉橋は俺の顔を見るなり、顔をしかめてそう言った。自分では気付かなかったが、この体調の悪さは顔色にも出ているらしい。
 その後ろで、降りた運転手が後部座席を開け、なぜか中に乗り込んだ。
「そんな君に、一つサプライズを用意したんだ。喜んでくれるといいな」
 運転手が後ろ向きに、車椅子らしきものを引きながら降りてくるのを、倉橋は傘を掲げて迎えた。そして引き手を交代すると、傘を片手にゆっくりとこちらを振り返る。
 ……が、車椅子から伸びた手が倉橋の傘を奪い取り、『そいつ』は傘の中に隠れてしまった。
「ははっ。ほら、ちょうど雨も上がったし、恥ずかしがってないで出てきなよ」
 彼の言葉に、傘が少し跳ねた。ほんの少しの沈黙のあと、恐る恐るといったスピードで、傘が閉じられていく。

 ――その瞬間、雲間を裂いて落ちた光が、『彼女』を鮮やかに照らし出した――。

「……え、えっと~……。ただいま……で、合ってる……?」
 恥ずかしそうに何度も目を逸らしながら、車椅子姿の『彼女』が、俺を見上げている。あの日いなくなってしまったはずの、『彼女』が。
 その光景が、どこか夢のように思えて、何が起きたのかわからないまま、ただじっと眺めていた。
「ちょっ、なんか言ってくんない!? ふつーに恥ずいんだけど!」
 真っ赤になってしまった顔を、慌てて腕で隠しながら彼女は言った。
「あい、る……?」
 これが夢だとしたら、これまで見たどんな悪夢よりも悪趣味だ。もう二度と会えない人間に会わせて、ぬか喜びさせようだなんて。そうじゃなければ、幻覚か何かか。なんにせよありえない。なぜなら、死人は生き返ったりはしないのだから。
 ――それでも、一縷の望みに縋るように、無意識のうちに名前を呼んでいた。
「……うん、アタシ。……かおるんに逢いたくて、戻ってきちゃった」
 頬を真っ赤に染めながら、彼女は無邪気に笑った。何度も見たはずなのに、変わらず跳ね上がる鼓動が、これは夢なんかじゃないと教えてくれた。
「も~……泣かないでよ……。こっちまで泣けてきちゃうじゃん……!」
 滲んでいく景色の中、小さく呟いた彼女の笑顔は、降りそそぐ陽の光すら霞んでしまうほどに、眩しく輝いて見えた。
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