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年越しの儀
大晦《おおつごもり》(1)
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「……か、はる、か……」
肩を揺すられて起こされた。重い瞼を何とか開ける。
「やっと起きたか」
隆人が苦笑していた。上目に見つめる。
「おはよ」
「おはよう。さ、お務めの始まりだぞ」
起きあがりベッドを出た遥の肩に隆人がガウンを掛けてくれた。
まだ外は夜が明け切ってはいないようだ。今が一日のうちで最も寒い時間帯なのは間違いない。しかし部屋はエアコンによって調整されているので、寒さがどれほどのものなのかわからない。
「どうせまた単衣に着替えるんだろう? どこで?」
「禊ぎの場への出口の小部屋だ。そこに桜木も行かせてある」
遥が寝ている間に隆人はいろいろ手配をすませてくれたようだ。
「ついてこい」
隆人に従い部屋を出る。
一族全体が関わる披露目や、地元の者や加賀谷精機が関わる捧実の儀と違い、年越しの儀は夏鎮めの儀同様、加賀谷本家の行事とのことだった。その内容は秘事とされ、分家を含めた外部の者には隠されている。関わる者は全員が鳳によってその忠誠を認められた者ばかりで、更にこの儀式についていっさい他言しないと誓わされる。遥の世話係として今回から関わることになった桜木も到着時に誓約書を書いたと則之が言っていた。
廊下を進むにつれ徐々に瀧の水音が聞こえてくる。それだけで震えが来そうだ。
隆人が禊ぎの場へ続く戸口のすぐそばにある部屋のドアを開けた。中へ入った隆人に続こうとして、遥は室内のむっとするような熱気に一瞬息が止まった。
隆人は小部屋と言ったが、十畳以上はありそうな部屋だ。全体が暖められ、そこに袴姿の則之・諒・基と、樺沢碧と紫がいつもどおり着物で控えていた。樺沢は隆人の仕度を、桜木は遥の仕度をそれぞれ手伝うのが決まりだ。
着替え前にまず茶を勧められた。一口飲んで遥はむせた。濃い緑茶だと思って口をつけたら、異常に甘かったのだ。咳きこみながら茶碗を掲げた。
「な、何だこれ」
「茶だ」
さっさと飲み終えた隆人が茶碗を紫に渡している。
「茶はわかってる。どうして甘いんだよ」
「食事の代わりだ。こういう形で糖分を補給しておかないと、本当に倒れるからな」
遥は再びこわごわ茶碗に唇をつける。隆人はもうパジャマを脱ぎはじめている。
「紅茶に砂糖を入れるだろう? 緑茶もまた茶だからな、甘みを足したところでおかしくあるまい。抹茶のアイスクリームも甘いぞ」
言われればその通りだ。おいしいとは言わないが、まずくもない。遥は残りを一気に飲み干した。
室内の極端な暖かさと、茶のお陰で体は温まった。そこでパジャマを脱ぐと、真っ白な浴衣を着せつけられる。既に浴衣姿の隆人が遥を見つめている。浴衣を腰紐で押さえるだけの簡単な着替えだ。すぐに終わる。
「凰様のお仕度調いましてございます」
則之が碧に告げる。
「承りました」
そう答えた碧が隆人に向かって知らせる。
「鳳様、凰様のお仕度すべて調いましてございます」
隆人がうなずいた。
諒に促され、遥はその場に正座し、隆人に対して頭を下げる。定めにある作法だ。
凰にはさまざまな定めが文書としてまとめられている。それらには様々な儀式の細かい手順や作法が書かれており、それらを覚えなくてはならない。遥も凰になって以来、さまざまな定めを読まされてきたが、実のところあまり身についてはいない。学生時代古典が苦手なのを放置し特に力を入れなかった自分を遥は恨んだ。
「では、これより年越しの儀に入る」
隆人がきっぱりとした口調で宣言した。
「面を上げよ、わが凰」
顔をおこすと隆人が前に片膝をついた。
「ともに参ろうぞ」
差し出された手に手を重ねる。促され隆人と呼吸を合わせて立ちあがる。
紫と基が既に部屋を出ていた。部屋の入り口では則之が開けた戸の側で控えている。
凰になったばかりの頃はこのような儀式張ったやりとりを馬鹿馬鹿しいと考えていた。だが、これに乗ると決めてしまった限りは従うしかない。諺にも「郷に入っては郷に従え」とある。遥が加賀谷の風習に抵抗がなくなってきたのは、環境に慣れてきたせいかもしれない。
隆人の後について部屋を出た。体を包む温度がぐっと下がる。隆人はその寒暖差を何も感じていないかのように、真っ直ぐ出入り口に向かっていく。その後ろで遥は顔が強ばるのを感じていた。不意に隆人が振りむいて遥に微笑んだ。遥は見られた恥ずかしさと労るような笑みにぎこちなく笑いかえした。
戸口に着いた隆人が遥の肩に手を置いた。その手は温かい。
「体に不要な力を入れれば、よけいに身がこわばる。そうするとなぜか寒さになじめない。腹で呼吸をして、体の力を抜け。その方が楽だ」
言われたとおり、深く呼吸を繰り返す。
「行くぞ」
隆人に手を握られた。
「開けよ」
戸が左右から引き開けられた。
寒さが一気に流れこみ、建物内の暖かさを散らした。
身をすくむ。息ができない。
隆人の腕が肩に回され、抱きかかえられるように、草履をはいて外へ出た。
肩を揺すられて起こされた。重い瞼を何とか開ける。
「やっと起きたか」
隆人が苦笑していた。上目に見つめる。
「おはよ」
「おはよう。さ、お務めの始まりだぞ」
起きあがりベッドを出た遥の肩に隆人がガウンを掛けてくれた。
まだ外は夜が明け切ってはいないようだ。今が一日のうちで最も寒い時間帯なのは間違いない。しかし部屋はエアコンによって調整されているので、寒さがどれほどのものなのかわからない。
「どうせまた単衣に着替えるんだろう? どこで?」
「禊ぎの場への出口の小部屋だ。そこに桜木も行かせてある」
遥が寝ている間に隆人はいろいろ手配をすませてくれたようだ。
「ついてこい」
隆人に従い部屋を出る。
一族全体が関わる披露目や、地元の者や加賀谷精機が関わる捧実の儀と違い、年越しの儀は夏鎮めの儀同様、加賀谷本家の行事とのことだった。その内容は秘事とされ、分家を含めた外部の者には隠されている。関わる者は全員が鳳によってその忠誠を認められた者ばかりで、更にこの儀式についていっさい他言しないと誓わされる。遥の世話係として今回から関わることになった桜木も到着時に誓約書を書いたと則之が言っていた。
廊下を進むにつれ徐々に瀧の水音が聞こえてくる。それだけで震えが来そうだ。
隆人が禊ぎの場へ続く戸口のすぐそばにある部屋のドアを開けた。中へ入った隆人に続こうとして、遥は室内のむっとするような熱気に一瞬息が止まった。
隆人は小部屋と言ったが、十畳以上はありそうな部屋だ。全体が暖められ、そこに袴姿の則之・諒・基と、樺沢碧と紫がいつもどおり着物で控えていた。樺沢は隆人の仕度を、桜木は遥の仕度をそれぞれ手伝うのが決まりだ。
着替え前にまず茶を勧められた。一口飲んで遥はむせた。濃い緑茶だと思って口をつけたら、異常に甘かったのだ。咳きこみながら茶碗を掲げた。
「な、何だこれ」
「茶だ」
さっさと飲み終えた隆人が茶碗を紫に渡している。
「茶はわかってる。どうして甘いんだよ」
「食事の代わりだ。こういう形で糖分を補給しておかないと、本当に倒れるからな」
遥は再びこわごわ茶碗に唇をつける。隆人はもうパジャマを脱ぎはじめている。
「紅茶に砂糖を入れるだろう? 緑茶もまた茶だからな、甘みを足したところでおかしくあるまい。抹茶のアイスクリームも甘いぞ」
言われればその通りだ。おいしいとは言わないが、まずくもない。遥は残りを一気に飲み干した。
室内の極端な暖かさと、茶のお陰で体は温まった。そこでパジャマを脱ぐと、真っ白な浴衣を着せつけられる。既に浴衣姿の隆人が遥を見つめている。浴衣を腰紐で押さえるだけの簡単な着替えだ。すぐに終わる。
「凰様のお仕度調いましてございます」
則之が碧に告げる。
「承りました」
そう答えた碧が隆人に向かって知らせる。
「鳳様、凰様のお仕度すべて調いましてございます」
隆人がうなずいた。
諒に促され、遥はその場に正座し、隆人に対して頭を下げる。定めにある作法だ。
凰にはさまざまな定めが文書としてまとめられている。それらには様々な儀式の細かい手順や作法が書かれており、それらを覚えなくてはならない。遥も凰になって以来、さまざまな定めを読まされてきたが、実のところあまり身についてはいない。学生時代古典が苦手なのを放置し特に力を入れなかった自分を遥は恨んだ。
「では、これより年越しの儀に入る」
隆人がきっぱりとした口調で宣言した。
「面を上げよ、わが凰」
顔をおこすと隆人が前に片膝をついた。
「ともに参ろうぞ」
差し出された手に手を重ねる。促され隆人と呼吸を合わせて立ちあがる。
紫と基が既に部屋を出ていた。部屋の入り口では則之が開けた戸の側で控えている。
凰になったばかりの頃はこのような儀式張ったやりとりを馬鹿馬鹿しいと考えていた。だが、これに乗ると決めてしまった限りは従うしかない。諺にも「郷に入っては郷に従え」とある。遥が加賀谷の風習に抵抗がなくなってきたのは、環境に慣れてきたせいかもしれない。
隆人の後について部屋を出た。体を包む温度がぐっと下がる。隆人はその寒暖差を何も感じていないかのように、真っ直ぐ出入り口に向かっていく。その後ろで遥は顔が強ばるのを感じていた。不意に隆人が振りむいて遥に微笑んだ。遥は見られた恥ずかしさと労るような笑みにぎこちなく笑いかえした。
戸口に着いた隆人が遥の肩に手を置いた。その手は温かい。
「体に不要な力を入れれば、よけいに身がこわばる。そうするとなぜか寒さになじめない。腹で呼吸をして、体の力を抜け。その方が楽だ」
言われたとおり、深く呼吸を繰り返す。
「行くぞ」
隆人に手を握られた。
「開けよ」
戸が左右から引き開けられた。
寒さが一気に流れこみ、建物内の暖かさを散らした。
身をすくむ。息ができない。
隆人の腕が肩に回され、抱きかかえられるように、草履をはいて外へ出た。
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