Parasite

壽帝旻 錦候

文字の大きさ
上 下
29 / 101
episode 10

しおりを挟む
 ピ――ッピッピッピッピッ
 パワースライドドアがゆっくりと開く。
 先に洋一郎や大介の家に寄って、彼らを拾ってきていると聞いている。
 多分、このドアの向こうには、いつでもどこでもハイテンションな――

「ウォンッ!」
「は?」
「おはよう。克也」
「かっつん、おっは~」
「ハッハッハッハッ」

 車内は座席が四列に配置された十人乗り。
 最後尾とその前の座席は、運転席寄りに二人分のシート。
 通路を挟んで、助手席側に一人用のシートが配置され、フロントシートのすぐ後ろの座席は、運転席側の二人分のシートのみ。
 ドアから顔を覗き込めば、最後尾には、真っ黒に日焼けしたスポーツマンタイプの男性が一人用の座席に座り、口ひげを生やしたチョイワル系のお洒落な格好をしたオッサン……いや、お兄さんが窓ガラスに背中を預け、長い脚を通路まで投げ出した格好で、二人掛け用の座席全部を占拠していた。
 ペコリと会釈をすれば、「おうっ」と片手を上げるチョイワルと、「やぁ。はじめまして」と無駄に爽やかな笑顔を振りまくスポーツマン。
 彼らの前の座席へと視線を移動させると、二人掛けのシートには、洋一郎と大介。
 通路を挟んで、プラチナブロンドに染めた、ベリーショートの女性が座っている。
 Tシャツにデニムといった、かなりボーイッシュな出で立ちで、某有名ヴィジュアル系バンドのヴォーカルのように大き目のサングラスをしているので、その表情や顔の造形は分からないが、俺の顔を真正面で捉えたであろう彼女は、口端を上げ「はよっ。晴香はるかだよ」と、右手を差し出した。
 見た目同様、ユニセックスなハスキーボイス。
 真夏でも黒の革手袋をしているところを見ても、バンドマンにしか見えない彼女は意外と人懐っこいらしい。

「上田克也です」

 彼女の手に自分の手を合わせ握手をすれば、思いのほか強い握力に顔を顰める。

「へぇ……結構力強い手してんじゃん」

 楽し気な声を上げる晴香さんは、どうやら挨拶代わりの握手が、彼女にとっては相手の力を見極めるテスト的な要素が含まれているらしい。
 ニヤリと笑う口元が意味するのは、合格なのか不合格なのかと言ったら、一応合格点を貰ったといっていいのだろう。
 だが、この力テストが意味するのが一体何なのかは分からないのだが……

 ってか。
 それよりもだ。
 そんなことよりも、俺には気になって気になって仕方がないものがある。
 晴香さんとガッチリ握手をしたまま、自分の首を動かし開いた扉から真っ直ぐ正面を向いた。

「ウォンッ!」

 ……だよな。
 やっぱり、空耳でも見間違いでもない。
 クリクリッとしたつぶらな瞳。
 ハッハッ言いながら、ピンク色の舌を出し、にっこり笑顔を作っているかのように口角を上げた開けた口。
 いつになったら自分を呼んでくれるのだろうと、期待に満ちた顔をして、しっかりお座りをキメこんだ、デカイ図体のモフモフ野郎。
 なんだよ。
 この可愛さは。
 オメェ、デカイくせに可愛すぎるんんじゃ、このやろうっ!

 抱き締めて、その真っ白な毛むくじゃらにモフりたくなる衝動を抑え、あくまでも平常心を保って口を開いた。

「なんでコイツがここに居るんだ?」

 右手の人差し指でソイツを指差しながら、大介に向かって問い掛ける。

「オンオンッ」

 自分に注目してくれたことが嬉しいのか、弾むような吠え方をし、俺のご機嫌を取るかのようにベロベロと人差し指を舐めるボン。

 そうなのだ。
 何故か島へ向かう筈の車の中に、大介んちの番犬ボンがお利口さんに座っていたのだ。

 秋田犬――というよりも、和犬全般に言えることだが、基本的な性質は、主人に対しては極めて忠実ですが、見知らぬ人に対しては警戒心が強く、時には攻撃的になる場合もある。
 だが、子犬の頃から俺達と遊び、佐々木家の皆から厳しい躾をされ、それ以上に充分な愛情を注がれて育ったボンは、頭が良く、命令には忠実ではあるが、人見知りのしない穏やかな性質に育った。
 お陰で今も俺に頭を撫でろと催促するようにうるうるした目で見上げている。
 柔らかな毛質に手を伸ばし、優しく撫でてやれば、気持ちよさそうに目を細める。
 こんなに素直で可愛いボンを、いくら沈静化しているとはいえ、変なウィルスが蔓延していた土地に連れて行くなんて可哀想だろ。
 しかも、今はまだ車だからいいが、島に行くには船か飛行機、もしくはヘリコプターでの移動が必須。
 ボンを連れてなんて行けないだろう。

 責めるような目で大介を見る。
 叱られるのが分かっているワンコが耳を下げ、ご主人にお伺いをたてるように上目遣いで俺を見つめて肩を窄める大介は、口の中でモニョモニョを何かを呟いている。

「聞こえんなぁ~」

 わざと声を低くして芝居がかった物言いをすれば、最後尾から、「こわっ! あのコ、こわっ!」と、両腕で自分自身を抱きしめるような格好をしたチョイワルが、そんなこと微塵にも思っていないのがモロバレな棒読みをかます。

 横目でチラリと彼の姿を盗み見れば、「ほら、本郷さん。あのコがボスザルだから、怒られますって」と、本人は小声で話しているつもりのスポーツマン。
 無駄にデカイ声だっていうのを本人が気付いていないのだからタチが悪い。
 彼の「ボスザル」発言に、フロント二名と晴香さんが吹きだす。
 洋一郎は泰然自若として後ろを振り向き、「サルかもしれませんが、ボスではありませんよ」と静かに言い放った。
 その途端、車内の大人連中がドッと沸く。

「ぎゃははははっ! タカシ、高校生に怒られてやんのっ」
「しかも、ボスザル呼ばわりされた本人じゃなく、インテリくんからのクールな切り返し」
「やっぱりタカシは、どこいってもウザキャラなんだねぇ」

 年下に塩対応され、仲間に大笑いされる無駄に爽やか、無駄に声デカ、無駄にウザキャラ……ムダムダムダだらけのタカシさんね。
 自己紹介は後々してくれるだろうが、会話の端々で出て来る名前を頭に叩き込みながら、彼らの顔を名前を一致させていく。
 洋一郎のお陰で、笑いの標的がタカシさんとやらに変わった事で、イラッとした気持ちも吹っ飛んだ。
 問題は、話しが脱線しすぎて、緊張と反省の色が消えた大介だ。

「で。大介。コイツの説明はどうなった?」

 静かな怒りを含んだような声に、ボンが不安そうな俺を見上げる。

“お前は悪くないんだよ”

 そんな気持ちが伝わるように優しく撫でてやる。
 そもそも、単なる旅行なら俺だってボンを連れて来ても怒らない。
 だが、今から俺達が向かう場所は遊びで行く訳じゃない。
 下手したら命の危険にだって晒されるかもしれない。
 そんな場所にボンを連れて行こうだなんて、どんだけ島へ行く目的を軽んじているんだっつーの。

 睨みつける訳でもなく、ただジッと大介が答えるのを待つ。
 主従関係のような雰囲気を醸し出す俺ら二人を興味津々といった面持ちで、いつの間にか静まり返って見守る面々。
 沈黙に耐えきれず、かといって、俺に怒られることを予想して口をモニョモニョさせる大介は、助けを求めて隣に座る幼馴染であり親友でもあるクール男子を肘でつつく。
 当然のことながら洋一郎は面倒事は御免だと知らん顔。
 困り顔で目をウルウルさせる大介は、どうも庇護欲をかきたてさせるのか、様子を見ていた米澤さんが見るに見かねて説明役を買って出た。

「上田君。そんなに佐々木君を責めないであげて。このコを連れて行くのを許可したのは私なの」

 助手席から首を捻って顔を覗かせた彼女が自分のせいだと言うのであれば、大介ではなく彼女に理由を聞く方が早い。

「米澤さん。今回、島に行く目的はこの車内にいる人全員、同じですよね?」

 俺の予想では、ここにいるメンバーは俺達以外全員が上段社の人間かといえば、そうではないと思われる。
 政府としても、小さな出版社一社だけに記事を任せるメリットはない筈だからだ。
 なんとなくではあるが、最後尾の二名はテレビ局関係の人間だろう。
 荷室スペースにある大き目な機材がそれを物語っている。
 単に雑誌紙面に飾る写真であれば、あんなにも大きな機材など使わずに、一眼レフで充分だ。
 そうなると、晴香さんも彼らと同じ会社の人間という事になるが……果たして、三人体制でロケが出来るものなのかが疑問でもある。
 現場監督、インタビュアー、音声、カメラマン、AD。
 最低でも五名は必要じゃないかと思う。
 そこまで考えると、上段社の人間も彼らの仕事を手伝うといった感じだろうか?
 いいや。
 元々、彼らも政府から依頼された島のアピールなどするつもりはなく、真実を暴く為に例の裏社会にも顔が利くという社長さんが、大手テレビ局に潜り込ませておいた手下なのかもしれない。
 探るような目つきで目を右へ左へと動かせば、本郷さんとやらが肩を竦めて「こいつら、可愛くねぇ~。いや。このワンコロ男子は可愛いが、この二人、可愛くねぇ~」と口を尖らせた。

「ったく。オマエ……カツヤだっけ?」
「上田です」
「ちげぇよ。下の名前。ファーストネーム! Do you understand?」

 言い方を変えて、何度も同じ事を言われなくても分かりますってーの。
 相手は俺よりも一回り近く年上であろう大人だけに、舌打ちするのは流石にマズイと思い、面倒臭さを全面に出した表情で「ええ。カツヤですよ」と答える。

「ま、米澤の言う通り、このワンコチャンの大事な愛犬ちゃんを島に連れて行くことに賛成したのは、彼女であり俺達もそうだ」

 ワンコチャンの愛犬?
 ……大介め。どこにいっても、誰に対しても、馬鹿犬のように愛想を振りまいてやがるな。
 小さく息をつくが、別に大介の性格は否定しない。
 むしろ、これから一緒に行動を共にする人達と仲良くし、可愛がられることに越したことはない。

「お前、俺達が何者か気になっているんだろう? いいや。むしろ、取材班なのかも怪しんでいる。さっきからその三白眼で俺らの後ろや俺達に向けた視線が何よりの証拠だろ?」

 三白眼とはこれまた酷い言われ方だな。
 目つきが悪いのは生まれつきだ。
 デリカシーの欠片もないチョビ髭め。
 腹の中で悪態をついて、表面上は平静を装う。

「そうですね。気になりますよ。皆さんがどういった関係なのか。何でボンも連れて行くのかもね」

 反抗的な言い方ではなく、あくまでも落ち着いた声で素直に自分の気持ちを述べれば、「とりあえず乗って。お母様が不思議そうな顔でずっとこっちを伺っているわ」と、米澤さんに急かされる。
 振り向けば、何かトラブルでもあったのかと心配そうに立ち尽くす母親の姿。

「ごめん。母さん。ちょっと席が狭すぎて荷物をどかしてもらってた」

 何でも無いように声をかけ、「今度こそ、行ってきます」と返事を待たずに車に乗り込む。
 パワースライドでゆっくりとドアが閉まっていく中、窓ガラス越しみ見える母親の顔は、いかにも作り笑いなのが、彼女の不安を表しているようだった。
しおりを挟む

処理中です...