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episode 10
3
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不安気は母親の眼差しを受けて、俺は心に誓った。
“絶対に戻って来る”
強い意志を胸に秘めて俺は運転席のすぐ後ろの二人掛けのシートの一つに荷物を置き、窓側の席にドカリと座った。
「さ、とりあえず出発するわ」
シートベルトをするや否や車が急発進する。
窓ガラスの向こうに遠ざかっていく我が家を振り返ることなく、俺は背もたれにどっしりと身体を預けた。
「さてと。俺らの名前は――」
「本郷さん、タカシさん、晴香さんに米澤さんですよね? あとは、運転している方の名前がまだ呼ばれていなかったので分かりませんけど」
自分達の紹介をしようとする本郷さんの言葉を遮り、俺は数分前の会話から得た情報を披露するように一人一人名前を言い当てつつ顔を見ていく。
そして最後に運転席に座る、サラサラの黒髪に黒縁眼鏡の、メンバーの中では一番マトモそうな感じの人の後頭部を見つめる。
さっきから一言も話さないし、落ち着いた雰囲気ではあるが、運転させられているところを見ると、この中では下っ端なのかもしれない。
つい人を観察してしまうのは、いざという時のために、技術と体力を身に付けるだけでなく、動じない心、相手の心を見抜く洞察力、想像力、決断力といったものを習得しろと教え込まれて身に染み付いた、最早、癖だな。
無意識に人の力関係や性格を考えている自分に気付き、誰にも気づかれぬよう苦笑する。
「カーッ。おい、米澤。すっげぇインテリな賢いお坊ちゃまは一人だけじゃなかったのかよ!」
俺の推測ではあるが、横柄な態度にやたらと中心にいたがる本郷さんが、このメンバーのリーダー的な役割をしているようだが、やたら言動がガキっぽい。
今はまだ大人への敬意を表して敬語を使っているが、俺もそのうち地が出そうだ。
「克也には空手で培った洞察力がありますからね。インテリとは違いますよ。本郷さん」
俺だけでなく、洋一郎にまで冷静に切り返される本郷さんは、上半身を前に乗り出し、わしゃわしゃと大介の頭を撫で始めた。
「よぉ~し、よぉ~し。オマエだけだ。可愛いのは」
大昔のテレビで見た、某動物の王国創設者ム〇ゴロウさんのような本郷さんの姿に、大人一同唖然とする。
「あの本郷さんが……」
「高校生二人に言い負かされてるわね」
「松山だ」
「アハハハハッ。本郷っち、テンションが上がり過ぎて、バカにされてんじゃん」
「「「え?」」」
それぞれが本郷さんに対する反応を見せる中、ただ一人ボソリと名前を呟いたのが聞こえ、俺達若者三人が即座にそれに反応する。
運転をしながらバックミラー越しに、後ろにいる俺達をチラ見する彼は、再度、同じ単語を今度はしっかりとした口調で言った。
「松山だよ。覚えといて。それより皆、話しが脱線しすぎだろ。本郷さんもいい加減、遊んでないでさっさと状況説明してくださいよ。ヘリは国防軍の兵士が操縦するんですから、今話しておかないと――」
「わぁーってるって!」
大介の頭から手を離し、ふてぶてしく二人分のシートのど真ん中に腕を組み大股開きで腰を下ろす。
シートベルトをしたままの体勢では、身体を背後に捩るのも、首を後ろに捻るのにも限界がある。
本郷さんはワンクッション置いた後ろの席にいるのだから、前を向いたままでは、しっかり話しが聞けるかどうかも分からないし、相手に対しても失礼だ。
道路交通法的にはNGだが、俺はシートベルトを外して、シートに膝立ちし、ヘッドレストを両腕で抱えるような格好で後ろ向きになり、本郷さんの顔を捉えた。
「おうおう。聞く気満々じゃん」
目と目が合うと、ニヤリと口端を上げた。
「松山さんの言う通り、ここで話しを聞いておかないと、後は政府の監視の目があるようですし。自由な言動が出来無さそうなんで、早く説明してください」
「そうですよ。まずは、ボンの事。これは僕にも意味が分からない」
洋一郎にチロリと冷たい視線を投げかけられた大介は、肩身が狭そうに身を縮こめる。
「まったく。お前ら二人は堅物だなぁ~」
片手で頭をボリボリと掻き毟り、つまらなさそうに唇を尖らせる本郷さんは、「ま、仕方ねぇか。状況が状況だしなぁ……」と、一人でブツブツ言うと、急に真面目な顔をした。
隣に座るタカシさんも、そして、その前に座る晴香さんもいつの間にか緊張感漂う雰囲気を身に纏っていた。
「まずは、ソコのワンコ。米澤がこのワンコ系男子」
「佐々木大介君です。真面目な話しをする時はちゃんとした名前を使いましょう」
「……ッチ。大介の家族を説得しに行った時の条件が、梵天丸を連れて行かせるって事だったんだよ」
前方から米澤さんの鋭いツッコミを受け、恨めしそうに舌打ちしたが、ちゃんと名前で言い直すところを見ると、単なる俺様暴君的な独裁者タイプではなく、案外、周りの意見も聞き入れる愛されリーダーのようだ。
大人げなく舌打ちするところはいただけないが、ほんの少し見直したものの、それより気になる事がある。
「大介の両親がボンを連れて行けって? ディベート大会の合宿という名目なのに、ボンを連れて行けなんて、おかしくないです? 遊びでもサバイバルでもなく、合宿ですよ?」
「そんな事言われたって知らねぇよ」
荒っぽい返事をする彼自身、納得がいっていないようだ。
彼は身体を起こし、洋一郎と大介が座るシートの二つのヘッドレストに腕をかけ、その間から顔を覗かせる。
「だが、コイツのオヤジは、『どうせなら、島の健康に働く人達だけでなく、病院や介護ホームのような場所にも慰問してみては?』と、言ってきたんだってよ」
顎をしゃくり大介を指す。
その目は何か物言いたげに大介を見ているが、その顔を見ようともしない大介の気まずそうな態度からやはり鍵を握っているのはコイツだなと睨む。
「成程ね。大介が口を滑らせたのか」
「オンッ」
静かに話しを聞いていた洋一郎の一言にタイミングよくボンが吠える。
「げぇっ」
背を丸め小さくなっていた大介が大袈裟に跳び上がり窓にへばりつく。
松山さん以外の視線がコイツに釘付けだ。
「おおよそ、米澤さんは説得する前に大介がペラペラと話してしまったってトコじゃないか?」
バツの悪そうな顔をし口をへの字にしている大介を見れば答えは明らか。
間違いなく両親に、島へ行く理由を言っちまってるな。
呆れたように溜息をつけば、「でも、龍平ジィのことは言ってないもんねっ!」と大きな声で言い返す。
いやいやいや。
お前の両親だって、俺の祖父が七十歳を迎えたことは知っているし。
俺達の計画を話したところで、何の力も持たねぇ高校生の俺達が、ソコから祖父を救出するだの真実を明かすだの言ったって本気にするわきゃねーから、そこんとこは気にしてねぇし。
「龍平ジィのことは頭からスッポリ抜けてただけだろ? 大介のことだから、『出版社の人達の取材のお手伝いで『paraíso』に行くことになったぁ~』とか、旅行気分でウキウキ話したんだろう」
的確に言い当てられたらしい大介はぐうの音も出ずに、ますます口をひん曲げる。
「でも、うちの親は行ってもいいって言ってくれたもん!」
「「だからお前はここにいるんだろっ」」
息ピッタリの俺と洋一郎のツッコミに、周りは爆笑、大介涙目。
「そうだけどさぁ~……」
「ちなみに。今まで『paraíso』の報道でペットや島にいる動物の話題は一切出ていないわよ。そこの坊やの両親が言うように、犬を連れての慰問っていうのは、いい話題になるんじゃないかって、うちの大御所が話しを持って行ったら条件付きで許可が出たわ」
ボヤく大介をフォローするように晴香さんが話し出す。
「一つは、躾けがしっかりされてあること。もう一つは、リードは必ず着用。必ず主人の傍から離さない。ま、犬を飼う上で当たり前のことしか言われてないから、条件っていう条件じゃないけどさ」
「まさかっ! そんな易しい条件で政府は犬を連れて行くことを許可したんですか?」
驚いた顔をした洋一郎が怪しいとばかりに飛びついた。
「そりゃぁ、安心、安全、平和な楽園をうたっている島なんだ。たかが犬一匹上陸させるのを渋ってたら怪しまれるからな。それに、高校生が島の介護ホームに愛犬と慰問してアニマルテラピーなんて言えば物凄い島のPRになる」
もっともな意見を述べる彼は、更に、伝染病の一件が明るみに出た時の対処としても役立つと付け加える。
たとえば、世間が「記者達はワクチンでも打って上陸したんだろう」とか、「一般高校生をウィルスが残っているかもしれない場所に連れて行くなんて非常識だ」などと言われても、「安全だという確証があるからこそ、犬の上陸も許可した。その証拠に犬は未だ元気であり、本土で伝染病は発症していない」と堂々と言えば政府への批判は収まる。
むしろ政府としては、それこそ伝染病すらも恐れることのない、完全に国の保護の下で安心が保障された楽園だと国民にアピールできるのだ。
要するに、犬一匹で一石二鳥も三鳥にもなるということだ。
「だがな、こんだけ厳しい入島規制を設けているのに、頭でっかちの政治家達が、そこまで自分達で考えられたかと聞かれたら、そうじゃないと思っている。この提案のメリット、そして提案を受け入れなかった時のデメリット。これを政府に持ちかけたのは……。大介。オメェのオヤジが絡んでると俺は睨んでいる」
「はぁ? そんな訳ないっすよ! オレのオヤジにそんな権限なんかあるわきゃない!」
両手を胸の前で高速で振り続け「ムリムリムリムリッ! オヤジにはムリ!」と慌てふためく大介だが、そうは言っても、明和製薬がワクチン開発に携わっている今、あながち無いとは言い切れない。
「大体、うちのオヤジ。くたびれたオッサンが飲むような栄養ドリンク作ってるような部署っすよ? しがないサラリーマンですもん。ナイナイナイナイ」
大介が必死になって否定している理由は、この話しの流れからすると、自分の父親である善市さんが、自分とボンを『paraíso』PRの為に差し出したように捉えられるからだ。
そんなコイツの気持ちを汲み取ったのか、後ろからワシャワシャと大きな手で大介の頭を撫でる本郷さん。
その瞳は優しさを含んでいた。
「そんなに否定すんな。お前の考えていることとは逆の意味でオヤジさんは梵天丸を連れて行く事を条件にしたんだと思うぜ? 政府への表向きの理由と違ってな」
「ナイナイナイナイ……って、え?」
手どころか、首まで振り出してた大介の言動がピタリと止まる。
「表向きはさっき話した通りで間違いないと俺は睨んでいる。で、だ。お前のオヤジは開発部門は違えど、臨床開発のチーム長をしているんだったなぁ?」
「え、あ、そう……だけど……」
「なかなか重要なポストについているわけだ。政府が明和製薬に何かの開発を依頼したことぐらいは知っているだろう。もし、島で伝染病が流行していたとしたら、いくら沈静化しているとはいえ、そんなところに息子を行かせる親はいない」
「確かに……」
深刻な顔をして唸る大介に、本郷さんは更に続ける。
「ということは、島では伝染病なんて流行していないと考えるべきだ。で、政府が開発を依頼したものはもっと別のもの。伝染病が流行っていたという情報をここぞというタイミングで流した後、それを逆手にとって島の宣伝材料にし、国民の目を欺く。そうまでして進めようとするものと言えば……」
「やっぱり、明和製薬が開発を依頼されたものも軍事兵器関係ってことですか?」
洋一郎が酷く乾いた声を出す。
深く息を吸い込み瞼を閉じた本郷さんは、少し溜めた後、「生物兵器のような物騒なものでは無いにしろ、本当の意味での『paraíso』計画の一端を担う何かだろう」と彼自身、それが何かが分からないのを悔しがるような、それでいて何かを考えあぐねているような小難しい表情をしていた。
だが、俺としては伝染病よりも、軍事開発が行われている場所だと善市さんが知っている事の方が衝撃的だった。
“そこまで知っているのなら、正常な精神を持った親なら大介が島に行くのを止めるだろ”
喉元まで出かかった言葉よりも先に本郷さんはそのまま流れるように、誰も口を挟む隙を与えず話しを続けた。
「政府は決して『paraíso』計画の本当の内容を漏らさない。その一部を知る人間に対しても徹底的に管理し監視する。そんな中で、お前のオヤジが『島は危険だから行くのを止めなさい』なんて言えると思うか?」
――そういう事か。
洋一郎が俺の顔を見て頷く。
俺よりも頭のいいコイツのことだ。
ここまで聞いて分からない筈がない。
要するに、俺の祖父と一緒だ。
自分が『paraíso』に関する言動をしてしまえば、家族全員が危険にさらされる。
だから敢えて、大介が島へ行くことを許可したんだ。
そして、ボンを連れて行けと言う条件はつまり……
「このワンコロは、お前を守る為。そして、お前がムチャな行動をしない為の制約になるから連れて行くよう条件を出したんだ」
彼の言っている事は理に適っている。
大介はボンを物凄く大事に可愛がっている。
同じようにボンも大介を大事に思っている。
単なるペットと飼い主といった関係ではなく、互いに信頼関係も愛情もある家族だといって過言ではない。
ボンが傍にいれば、大介はボンを危険な目に遭わせたく無いから、絶対に無茶な行動は慎むだろう。
更に付け加えるのならば、大介が危険な目に遭いそうになれば、ボンが身を挺して守るだろう。
善市さんは、島で安全に過ごさせる為に『paraíso』の核となる施設に近付かせず、島の中でも安全圏である介護施設や老人ホームのような場所での取材をメインにさせようとしたのだ。
そして政府にも、明和製薬の上層部を通して、『福祉施設』を重点的に報道させるように進言した。
一番免疫力も体力も弱い人達にスポットを当て、自分の最期の時まで穏やかに過ごせる場所。
まさに『楽園』を印象づけるのにうってつけだ。
そりゃぁ、政府も嫌と言う筈が無い。
「そういうことか……」
いつの間にか床に伏せをし、瞼を閉じているボンは、パッと見は寝ているように見えるが、耳をピンピンに立たせて話しを聞いている。
基本的に常に警戒心のある賢い犬なのだ。
そう思えば大介や俺達のボディガード役にももってこいという訳だ。
ようやく合点がいった。
自分の為を思って善市さんがボンを連れて行くことを条件にしたと知って、大介も胸をなでおろしたようだ。
“絶対に戻って来る”
強い意志を胸に秘めて俺は運転席のすぐ後ろの二人掛けのシートの一つに荷物を置き、窓側の席にドカリと座った。
「さ、とりあえず出発するわ」
シートベルトをするや否や車が急発進する。
窓ガラスの向こうに遠ざかっていく我が家を振り返ることなく、俺は背もたれにどっしりと身体を預けた。
「さてと。俺らの名前は――」
「本郷さん、タカシさん、晴香さんに米澤さんですよね? あとは、運転している方の名前がまだ呼ばれていなかったので分かりませんけど」
自分達の紹介をしようとする本郷さんの言葉を遮り、俺は数分前の会話から得た情報を披露するように一人一人名前を言い当てつつ顔を見ていく。
そして最後に運転席に座る、サラサラの黒髪に黒縁眼鏡の、メンバーの中では一番マトモそうな感じの人の後頭部を見つめる。
さっきから一言も話さないし、落ち着いた雰囲気ではあるが、運転させられているところを見ると、この中では下っ端なのかもしれない。
つい人を観察してしまうのは、いざという時のために、技術と体力を身に付けるだけでなく、動じない心、相手の心を見抜く洞察力、想像力、決断力といったものを習得しろと教え込まれて身に染み付いた、最早、癖だな。
無意識に人の力関係や性格を考えている自分に気付き、誰にも気づかれぬよう苦笑する。
「カーッ。おい、米澤。すっげぇインテリな賢いお坊ちゃまは一人だけじゃなかったのかよ!」
俺の推測ではあるが、横柄な態度にやたらと中心にいたがる本郷さんが、このメンバーのリーダー的な役割をしているようだが、やたら言動がガキっぽい。
今はまだ大人への敬意を表して敬語を使っているが、俺もそのうち地が出そうだ。
「克也には空手で培った洞察力がありますからね。インテリとは違いますよ。本郷さん」
俺だけでなく、洋一郎にまで冷静に切り返される本郷さんは、上半身を前に乗り出し、わしゃわしゃと大介の頭を撫で始めた。
「よぉ~し、よぉ~し。オマエだけだ。可愛いのは」
大昔のテレビで見た、某動物の王国創設者ム〇ゴロウさんのような本郷さんの姿に、大人一同唖然とする。
「あの本郷さんが……」
「高校生二人に言い負かされてるわね」
「松山だ」
「アハハハハッ。本郷っち、テンションが上がり過ぎて、バカにされてんじゃん」
「「「え?」」」
それぞれが本郷さんに対する反応を見せる中、ただ一人ボソリと名前を呟いたのが聞こえ、俺達若者三人が即座にそれに反応する。
運転をしながらバックミラー越しに、後ろにいる俺達をチラ見する彼は、再度、同じ単語を今度はしっかりとした口調で言った。
「松山だよ。覚えといて。それより皆、話しが脱線しすぎだろ。本郷さんもいい加減、遊んでないでさっさと状況説明してくださいよ。ヘリは国防軍の兵士が操縦するんですから、今話しておかないと――」
「わぁーってるって!」
大介の頭から手を離し、ふてぶてしく二人分のシートのど真ん中に腕を組み大股開きで腰を下ろす。
シートベルトをしたままの体勢では、身体を背後に捩るのも、首を後ろに捻るのにも限界がある。
本郷さんはワンクッション置いた後ろの席にいるのだから、前を向いたままでは、しっかり話しが聞けるかどうかも分からないし、相手に対しても失礼だ。
道路交通法的にはNGだが、俺はシートベルトを外して、シートに膝立ちし、ヘッドレストを両腕で抱えるような格好で後ろ向きになり、本郷さんの顔を捉えた。
「おうおう。聞く気満々じゃん」
目と目が合うと、ニヤリと口端を上げた。
「松山さんの言う通り、ここで話しを聞いておかないと、後は政府の監視の目があるようですし。自由な言動が出来無さそうなんで、早く説明してください」
「そうですよ。まずは、ボンの事。これは僕にも意味が分からない」
洋一郎にチロリと冷たい視線を投げかけられた大介は、肩身が狭そうに身を縮こめる。
「まったく。お前ら二人は堅物だなぁ~」
片手で頭をボリボリと掻き毟り、つまらなさそうに唇を尖らせる本郷さんは、「ま、仕方ねぇか。状況が状況だしなぁ……」と、一人でブツブツ言うと、急に真面目な顔をした。
隣に座るタカシさんも、そして、その前に座る晴香さんもいつの間にか緊張感漂う雰囲気を身に纏っていた。
「まずは、ソコのワンコ。米澤がこのワンコ系男子」
「佐々木大介君です。真面目な話しをする時はちゃんとした名前を使いましょう」
「……ッチ。大介の家族を説得しに行った時の条件が、梵天丸を連れて行かせるって事だったんだよ」
前方から米澤さんの鋭いツッコミを受け、恨めしそうに舌打ちしたが、ちゃんと名前で言い直すところを見ると、単なる俺様暴君的な独裁者タイプではなく、案外、周りの意見も聞き入れる愛されリーダーのようだ。
大人げなく舌打ちするところはいただけないが、ほんの少し見直したものの、それより気になる事がある。
「大介の両親がボンを連れて行けって? ディベート大会の合宿という名目なのに、ボンを連れて行けなんて、おかしくないです? 遊びでもサバイバルでもなく、合宿ですよ?」
「そんな事言われたって知らねぇよ」
荒っぽい返事をする彼自身、納得がいっていないようだ。
彼は身体を起こし、洋一郎と大介が座るシートの二つのヘッドレストに腕をかけ、その間から顔を覗かせる。
「だが、コイツのオヤジは、『どうせなら、島の健康に働く人達だけでなく、病院や介護ホームのような場所にも慰問してみては?』と、言ってきたんだってよ」
顎をしゃくり大介を指す。
その目は何か物言いたげに大介を見ているが、その顔を見ようともしない大介の気まずそうな態度からやはり鍵を握っているのはコイツだなと睨む。
「成程ね。大介が口を滑らせたのか」
「オンッ」
静かに話しを聞いていた洋一郎の一言にタイミングよくボンが吠える。
「げぇっ」
背を丸め小さくなっていた大介が大袈裟に跳び上がり窓にへばりつく。
松山さん以外の視線がコイツに釘付けだ。
「おおよそ、米澤さんは説得する前に大介がペラペラと話してしまったってトコじゃないか?」
バツの悪そうな顔をし口をへの字にしている大介を見れば答えは明らか。
間違いなく両親に、島へ行く理由を言っちまってるな。
呆れたように溜息をつけば、「でも、龍平ジィのことは言ってないもんねっ!」と大きな声で言い返す。
いやいやいや。
お前の両親だって、俺の祖父が七十歳を迎えたことは知っているし。
俺達の計画を話したところで、何の力も持たねぇ高校生の俺達が、ソコから祖父を救出するだの真実を明かすだの言ったって本気にするわきゃねーから、そこんとこは気にしてねぇし。
「龍平ジィのことは頭からスッポリ抜けてただけだろ? 大介のことだから、『出版社の人達の取材のお手伝いで『paraíso』に行くことになったぁ~』とか、旅行気分でウキウキ話したんだろう」
的確に言い当てられたらしい大介はぐうの音も出ずに、ますます口をひん曲げる。
「でも、うちの親は行ってもいいって言ってくれたもん!」
「「だからお前はここにいるんだろっ」」
息ピッタリの俺と洋一郎のツッコミに、周りは爆笑、大介涙目。
「そうだけどさぁ~……」
「ちなみに。今まで『paraíso』の報道でペットや島にいる動物の話題は一切出ていないわよ。そこの坊やの両親が言うように、犬を連れての慰問っていうのは、いい話題になるんじゃないかって、うちの大御所が話しを持って行ったら条件付きで許可が出たわ」
ボヤく大介をフォローするように晴香さんが話し出す。
「一つは、躾けがしっかりされてあること。もう一つは、リードは必ず着用。必ず主人の傍から離さない。ま、犬を飼う上で当たり前のことしか言われてないから、条件っていう条件じゃないけどさ」
「まさかっ! そんな易しい条件で政府は犬を連れて行くことを許可したんですか?」
驚いた顔をした洋一郎が怪しいとばかりに飛びついた。
「そりゃぁ、安心、安全、平和な楽園をうたっている島なんだ。たかが犬一匹上陸させるのを渋ってたら怪しまれるからな。それに、高校生が島の介護ホームに愛犬と慰問してアニマルテラピーなんて言えば物凄い島のPRになる」
もっともな意見を述べる彼は、更に、伝染病の一件が明るみに出た時の対処としても役立つと付け加える。
たとえば、世間が「記者達はワクチンでも打って上陸したんだろう」とか、「一般高校生をウィルスが残っているかもしれない場所に連れて行くなんて非常識だ」などと言われても、「安全だという確証があるからこそ、犬の上陸も許可した。その証拠に犬は未だ元気であり、本土で伝染病は発症していない」と堂々と言えば政府への批判は収まる。
むしろ政府としては、それこそ伝染病すらも恐れることのない、完全に国の保護の下で安心が保障された楽園だと国民にアピールできるのだ。
要するに、犬一匹で一石二鳥も三鳥にもなるということだ。
「だがな、こんだけ厳しい入島規制を設けているのに、頭でっかちの政治家達が、そこまで自分達で考えられたかと聞かれたら、そうじゃないと思っている。この提案のメリット、そして提案を受け入れなかった時のデメリット。これを政府に持ちかけたのは……。大介。オメェのオヤジが絡んでると俺は睨んでいる」
「はぁ? そんな訳ないっすよ! オレのオヤジにそんな権限なんかあるわきゃない!」
両手を胸の前で高速で振り続け「ムリムリムリムリッ! オヤジにはムリ!」と慌てふためく大介だが、そうは言っても、明和製薬がワクチン開発に携わっている今、あながち無いとは言い切れない。
「大体、うちのオヤジ。くたびれたオッサンが飲むような栄養ドリンク作ってるような部署っすよ? しがないサラリーマンですもん。ナイナイナイナイ」
大介が必死になって否定している理由は、この話しの流れからすると、自分の父親である善市さんが、自分とボンを『paraíso』PRの為に差し出したように捉えられるからだ。
そんなコイツの気持ちを汲み取ったのか、後ろからワシャワシャと大きな手で大介の頭を撫でる本郷さん。
その瞳は優しさを含んでいた。
「そんなに否定すんな。お前の考えていることとは逆の意味でオヤジさんは梵天丸を連れて行く事を条件にしたんだと思うぜ? 政府への表向きの理由と違ってな」
「ナイナイナイナイ……って、え?」
手どころか、首まで振り出してた大介の言動がピタリと止まる。
「表向きはさっき話した通りで間違いないと俺は睨んでいる。で、だ。お前のオヤジは開発部門は違えど、臨床開発のチーム長をしているんだったなぁ?」
「え、あ、そう……だけど……」
「なかなか重要なポストについているわけだ。政府が明和製薬に何かの開発を依頼したことぐらいは知っているだろう。もし、島で伝染病が流行していたとしたら、いくら沈静化しているとはいえ、そんなところに息子を行かせる親はいない」
「確かに……」
深刻な顔をして唸る大介に、本郷さんは更に続ける。
「ということは、島では伝染病なんて流行していないと考えるべきだ。で、政府が開発を依頼したものはもっと別のもの。伝染病が流行っていたという情報をここぞというタイミングで流した後、それを逆手にとって島の宣伝材料にし、国民の目を欺く。そうまでして進めようとするものと言えば……」
「やっぱり、明和製薬が開発を依頼されたものも軍事兵器関係ってことですか?」
洋一郎が酷く乾いた声を出す。
深く息を吸い込み瞼を閉じた本郷さんは、少し溜めた後、「生物兵器のような物騒なものでは無いにしろ、本当の意味での『paraíso』計画の一端を担う何かだろう」と彼自身、それが何かが分からないのを悔しがるような、それでいて何かを考えあぐねているような小難しい表情をしていた。
だが、俺としては伝染病よりも、軍事開発が行われている場所だと善市さんが知っている事の方が衝撃的だった。
“そこまで知っているのなら、正常な精神を持った親なら大介が島に行くのを止めるだろ”
喉元まで出かかった言葉よりも先に本郷さんはそのまま流れるように、誰も口を挟む隙を与えず話しを続けた。
「政府は決して『paraíso』計画の本当の内容を漏らさない。その一部を知る人間に対しても徹底的に管理し監視する。そんな中で、お前のオヤジが『島は危険だから行くのを止めなさい』なんて言えると思うか?」
――そういう事か。
洋一郎が俺の顔を見て頷く。
俺よりも頭のいいコイツのことだ。
ここまで聞いて分からない筈がない。
要するに、俺の祖父と一緒だ。
自分が『paraíso』に関する言動をしてしまえば、家族全員が危険にさらされる。
だから敢えて、大介が島へ行くことを許可したんだ。
そして、ボンを連れて行けと言う条件はつまり……
「このワンコロは、お前を守る為。そして、お前がムチャな行動をしない為の制約になるから連れて行くよう条件を出したんだ」
彼の言っている事は理に適っている。
大介はボンを物凄く大事に可愛がっている。
同じようにボンも大介を大事に思っている。
単なるペットと飼い主といった関係ではなく、互いに信頼関係も愛情もある家族だといって過言ではない。
ボンが傍にいれば、大介はボンを危険な目に遭わせたく無いから、絶対に無茶な行動は慎むだろう。
更に付け加えるのならば、大介が危険な目に遭いそうになれば、ボンが身を挺して守るだろう。
善市さんは、島で安全に過ごさせる為に『paraíso』の核となる施設に近付かせず、島の中でも安全圏である介護施設や老人ホームのような場所での取材をメインにさせようとしたのだ。
そして政府にも、明和製薬の上層部を通して、『福祉施設』を重点的に報道させるように進言した。
一番免疫力も体力も弱い人達にスポットを当て、自分の最期の時まで穏やかに過ごせる場所。
まさに『楽園』を印象づけるのにうってつけだ。
そりゃぁ、政府も嫌と言う筈が無い。
「そういうことか……」
いつの間にか床に伏せをし、瞼を閉じているボンは、パッと見は寝ているように見えるが、耳をピンピンに立たせて話しを聞いている。
基本的に常に警戒心のある賢い犬なのだ。
そう思えば大介や俺達のボディガード役にももってこいという訳だ。
ようやく合点がいった。
自分の為を思って善市さんがボンを連れて行くことを条件にしたと知って、大介も胸をなでおろしたようだ。
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