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episode 12
2
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衝撃的な場面を目の当りにし、呆然と立ち尽くすことしか出来ない俺達の耳に、悲痛な声が届き、ビクリと肩を揺らす。
「小岐須(おぎす)二等空佐っ!」
「やめろぉぉっ! 川上ぃぃぃぃっ!」
小岐須というのが副操縦士の名前なのだろう。
ただ単に、俺達をここまで運ぶだけの任務だからと言って、馴れ合うつもりはないと名前すらも教えてくれなかった彼の名を知るのが、こんな場面だとは……
彼の声にならない悲鳴に弾かれるようにして、矢田さんが焦ったような声を出し、四人のうち、今まで一言も言葉を発していなかった男性が大声を上げて川上さんに向かって駆け出した。
「大東(だいどう)!」
ついさっき、器材庫に行こうとした矢田さんを止めた男性が、飛び出した男性を制止するよう叫ぶが、走り出した彼は止まらない。
「チッ! 大東のヤロウ。冷静さを欠きやがって……」
眉間に深く皺を刻み、苛立ちを露わにする男性は大きく息を吸い込むと、崩れるようにして倒れ込んだ小岐須さんを、ハイエナのように貪り食う川上さんの姿を凝視したまま一向にその場から逃げようとしない本郷さん達御一行様に向かって怒声を上げた。
「何ボケッと突っ立ってやがる! 平和ボケしたメディア連中はさっさとこっちに来いっ!」
口は悪いが、その必死の形相から彼の不安と心配が見て取れる。
恐怖というよりも、信じられないといった気持ちの方が強く、目の前の光景が現実のものだと解釈するのに時間がかかっていただけの本郷さんとタカシさん。
この二人は、こう言っては何だが、小岐須さんが食われているうちは自分達に危険は来ないと状況判断を下していたのか、男性の大声に我に返った彼らは、慌てる事なく荷物を持ち、こちらへ早歩きし出した。
晴香さんも落とした荷物を拾い上げ、男性でも重たいであろう荷物を担いで駆けだした。
問題はまだヘリの中にいると思われる米澤さんと松山さんだ。
いくら傍に機長がいるといえども、こんな所でミサイルやランチャをぶっ放すことなんて出来ない。
それに俺達が乗っていたヘリは攻撃メインではなく、救難任務や空中機動、航空輸送がメインの多用途ヘリ。
機長だって、戦う事を意識していないのだから、そんな装備などしてきていない筈だ。
安全が確保されているとは完全には言いきれてはいないが、それでも、今なお続けられている凄惨な出来事から少し離れた場所で俺達が何も出来ずに傍観している間にも、周りは慌ただしく動いている。
「神崎っ! 俺は大東を援護するから、お前はここで、少年たちや、未だにあそこでぐずぐずしているメディア連中がここに来たら、狂人と化した川上から狙われないよう警護に当たってくれ」
「ああ、分かった。荒川、油断するなよ」
「分かってる」
やはり二人は同期か同階級らしく、互いを呼び捨てにし合っている。
ぶっきらぼうな言い方の中にも、どこか温かみを感じさせる二人のやり取りを見て、かなり信頼し合っているのが感じられた。
「矢田、お前はいつでもココから脱出出来るよう、輸送車を回しておけっ」
「ハイッ!」
「輸送車のキーはいつのも場所にあると思うが……」
神崎さんはチラリと『人であったモノ』を横目で見て、生唾を飲み込んだ。
「警戒態勢を取りながら行け。もしもの時は発砲を許可する」
怖いほど真剣な顔をした上官の命令は、もしかしたら川上さん以外の人間も、あのような姿になってしまっている可能性を示している。
自分の命の危険が差し迫った時は、自分の命を最優先にしろ。
彼はそう言っているのだ。
「ハイッ!」
緊張のあまり、上擦った声で返事をした矢田さんは、ライフルを構え前後左右を警戒しながら、急ぎ足で数十メートル後ろに横並びで建っている倉庫や寄宿舎といった雰囲気の建物ではなく、会社の事務所か会館といった感じを匂わせるコンクリート造りの建物へと向かっていった。
ガチャガチャガチャンッ
ドサリッ
どっしりとした重さを感じさせる荷物が大地におろされる。
振り向けば、本郷さんとタカシさんが無事にここまで辿り着いていた。
「ハァハァハァッ……よぉ。坊主たち」
「あの人、薬中ですか?」
大介と洋一郎の頭をワシャワシャと撫でまわし、肩で息をする本郷さんの言葉自体は余裕そうだが、その声質は戸惑いと混乱がアリアリとあらわれている。
自分が今見たものの整理がつかないのだろう。
かといって、俺達の不安を煽らないよう、配慮して落ち着いた雰囲気を崩さないようにしている。
本郷さんは、周りの状況をしっかり見て冷静に判断出来る人なのだと、改めて思う。
一緒にやってきたタカシさんは、見た目通り体力が有り余っているのか、息一つ乱さずに硬い表情で神崎さんに向かって尋ねた。
問い掛けられた彼の視線は、すぐ傍まで来ている晴香さんに照準を合わせたまま。
「そんな訳あるか。マーシャラーとはいえ、あいつだって日本国防軍の一員。国を守る埃を持っているんだ。薬なんかやっちゃいねぇ」
仲間であり部下でもある人間に『薬中』の疑いを持たれた彼は、悔しさで奥歯を噛みしめながらも、平静さを保って答える。
ガシャンッガシャンッガチャンッガシャンッ
鈍い金属音を鳴らしながら晴香さんが駆け寄ってくる。
もう、彼女は俺達の目前。
「私の後方に荷物を置いて待機してなさいっ」
神崎さんの指示に従って、彼女は俺達の裏側に荷物を降ろした。
パパパパパンッ
ライフル弾の擦過音が鳴り響く。
「キャァァァァッ」
遠くの方で女性の悲鳴。
これは間違いなく米澤さんのものだろう。
晴香さんに気を取られている間に、大東さんが川上さんの傍まで駆け寄り、小岐須さんであった肉の塊に夢中になってむしゃぶりついている彼の頭に銃口をつけたまま引き金を引いたのだ。
飛び散る血飛沫と肉片。
頭部の半分以上が失われた彼の身体は、真っ赤に染まり、ゆっくりと崩れるようにして倒れた。
後について走っていた荒川さんが声を張り上げた。
「鶴岡ぁぁっ! ソコにいるメディアの男女を連れてこっちに来るんだぁぁっ!」
「分かった!」
機長がすかさず大きな声で返事をし、ヘリの横で尻もちをついたまま、耳を塞いでいる米澤さんの両肩を支えて立ち上がらせる。
ヘリの奥からは荷物を抱えた松山さんが飛び出して来たのが確認出来た。
三人は顔を寄せ合い、話しをしだした。
多分、ここまで非難するルートと走り出す順番を鶴岡さんが指示しているのであろう。
ショッキングな出来事を目にして、足に力が入らないのか、鶴岡さんに支えられたままの米澤さん。
いくらマスコミの人間とはいえ、彼女は負けん気は強いが、兵士でもなければ殺人犯でもない、普通の女性。
気絶しなかっただけでも大したもんだ。
彼女達から大分手前にある双山の肉樷。
力なくライフルの銃口部分でその血濡れの肉体を突いたり、肉片を選り分けたりしながら、何かしら異常はないかを確認している。
「ダメダダメダダメダダメダ……」
「ん?」
唇をワナワナさせて、怯えた表情をしていた大介がブツブツと早口で何かを呟きだした。
「どうした?」
目ん玉が飛び出そうなくらい瞼を開け、瞬きをするのを忘れているかのように、真っ直ぐ大東さんを見つめたまま、ガクガクと全身を奮えさせ同じ言葉を繰り返す。
「何が駄目なんだよっ!」
何かに憑りつかれたかのような大介の言動は、俺達の不安を煽るだけ。
咄嗟に両肩を持ち、決して俺とは目を合わせようとしない大介の顔を見据えて何度も何度も体を揺さぶる。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ……」
「もう川上さんは死んだんだっ! 大丈夫だって! しっかりしろよぉ!」
平和に過ごしてきた俺達が、島に着いた途端に目にした惨憺たる出来事。
それが大事な親友を狂わしてしまったのかと、俺は嘆き、必死になって大介の意識……いいや、壊れてしまいそうな心を取り戻そうと呼び掛けた。
「ヤバイ――」
足元からゾゾゾッと這い上がってくるような鳥肌が立つ。
今の声は俺の顔を避けるようにして首を伸ばして惨たらしい現場を凝視する大介のものではなく、横にいる洋一郎のもの。
彼の目も大介と同じモノを見ていた。
「え?」
胸がザワつく。
ガバッと後ろを振り向こうとした瞬間。
「うわぁぁぁっ」
「ぎゃぁぁぁっ」
パパパパパンッ
心臓を射抜くような鋭い叫び声が同時に二つ。
それと、離れた場所から聞こえる渇いた音がこだました。
乾いた音と一つの叫び声は俺が見ようとしている方向とは真逆から。
既に首を動かそうとしていた俺は、その流れに任せたまま最初に見ようとした方へと顔を向けてしまった事を後悔した。
目に飛び込んで来たのは、常識では到底考える事の出来ないもの。
俺だけじゃなく、この場に居た全ての『人間』の脳ミソでも処理しきれないもの。
頭部の殆どを失い、二度と息を吹き返す事のない川上さんが突如として起き上がり、大東さんに襲い掛かっていた。
「やめでぐれぇぇぇぇっ」
悲痛な声を上げる大東さんの首は血だるまになって息絶えた男の両手で絞められていた。
かなりの怪力の持ち主なのか、大東さんが両手て彼の腕を解こうとするのも虚しく、川上さんのパワーに押されて徐々に仰け反り、膝を折っていく。
目も鼻もないというのに、大東さんの立っている位置や、首の場所を的確に狙った川上さんは、とうとうコンクリートに膝をつき、首も上体も後ろに曲げたような姿勢になってしまった大東さんに覆いかぶさるような格好で、“何も無い”自分の顔面を彼の顔面へと押し付けた。
「――――っ!」
両手で何度も何度も彼の腕や体を叩き、自身の体を揺さぶって、首を掴む両腕から懸命になって逃げようと抵抗するが、ドクドクと滴り落ちているであろう血液が、大東さんの鼻や口へと流れ込み、時折、「ゲフッゴフッ」という、苦しそうな咳が微かに聞こえた。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ――ここから逃げないとっ!」
「早くっ! 皆、早くここから逃げましょうっ!」
呪文のようにブツブツと「ヤバイ」を繰り返していた大介が、正気を取り戻したのか、肩に置いた俺の両腕を握り締め、余裕の無い声を出した直後、さっき響いた悲鳴と乾いた音のした方角から、一刻の猶予もないといった危機感溢れる声と足音が近付いてきた。
「どうしたっ?」
「何があったんだ?」
「一体、ここで何が起こっているのよ?」
現実に起こりうる筈のない情景を目の当たりにして、ホラー映画のワンシーンを見ているように自分達とは切り離し、身動きすることすら忘れて見ているだけであった周りの大人達が矢田さんの声を聞いて、催眠術か何かから解き放たれたかのように、我に返って騒めきだした。
「もう、あの人も無理です。あちらに走って行った上官の荒川さん。あの人を助けに行こうなんていう馬鹿な正義感で無茶する前に、無傷の三人と共に、さっさとこっちに戻って来るよう――」
「そんなことは、君達に言われなくても分かっている!」
洋一郎の言い方も悪いが、苛立ちをぶつけるように怒鳴った神崎さんの表情を見れば、彼自身、この状況が予想だにしていないものであり、相当な焦りを感じているのが分かる。
「ちょっと! マズいわよっ!」
前方で起こっている化け物と化した川上さんの蛮行ばかりに気を取られていた俺達は、矢田さんの声のする方にいち早く目を向けた晴香さんの声に驚いた。
シュッ
カランカランカランッ…………
ボンッ
空気が抜けるような音と金属音。
空き缶のような軽いものではなく、もっと重たい鉄の缶でも落としたような音がしたかと思えば、鈍く響く爆発音が轟いた。
咄嗟に頭を抱えるようにして身を屈める俺達。
「ごらぁぁぁっ! 矢田ぁっ! 何をやっ……」
神崎さんの怒号が途中で途切れる。
自分達が見ていた惨劇とは逆方向。
まさに真後ろへと振り向くと、ここから建物の間にある、学校のグラウンドのように綺麗に均された広々とした駐車敷地の中で、背後を気にしながら走って来たと思われる矢田さんが、手榴弾を後方に投げたまま立ち竦んでいた。
建物手前で立ち上がっている煙はテレビのニュースやドキュメンタリー番組で見た、戦争やテロの映像とは違い、意外と小さい。
何かの番組で、一般的に使われる手榴弾は、大きな破片が発生して遠くまで飛び、広範囲の敵を殺傷するメリットと、使用者自身や味方まで被害を受ける事があると言っていた。
今投げた手榴弾はどうやら、そういった手榴弾とは違い、ピンポイントに狙った所だけに爆発の圧力のみで敵を殺傷し、破片での被害を極力抑えているタイプのようだ。
矢田さんが一体、何に向かって投げつけたのか。
それは直ぐに姿を現した。
しかも。
煙の向こうから、新たなる『仲間達』を引き連れて。
左半身に爆発の圧がかかったのだろう。
ガクンッガクンッと右足だけで歩く彼の左足は、太ももからズルズルに引き裂かれたボロ布のように皮膚と肉を垂れさせ、膝から下は失っている。
左腕は原型を留めておらず、服は裂け散り、肉片は吹っ飛ばされ、ところどころ骨が剥き出しになっている、
筋肉も繊維も破壊され、機能しなくなったその腕をダラリと引っ提げ、手榴弾の破片を受けた顔半分の損傷は酷いもの。
それでも『生きている』右目は虚ろに濁っているというのに、その照準はピッタリと獲物と決めた矢田さんに合わさったまま、不自然な動きで彼に向かって一歩一歩足を踏み出す。
人間。
あんなにも大怪我をして、悲鳴一つ上げずにいられるものなのか?
ゆっくりと着実に。
ただただ矢田さんに向かって進む男の姿は、身体能力的には間違いなく自分達の方が上であり、男からは簡単に逃げられることは分かっていても、恐れを抱かずにはいられない。
「お、お前は……嘉島(かしま)か? 矢田……あいつ、何を血迷って……」
カラカラに乾いた喉から絞り出すように、掠れた声を出す。
血で汚れ、ボロボロになった服を見れば、上は金色と紺色の肩章が付けられた白いシャツ。
胸ポケットの上には羽型の台座をした部隊章を付けている。
下は濃紺のスラックス。
あれは日本国防空軍の制服だ。
だとすれば、矢田さんは自分の仲間に向かって手榴弾を投げつけたのか?
人間、恐怖が自分の許容範囲を越えてしまうと、パニックに陥って何をしでかすか分からないものだが、建物の中にいた仲間でさえも、バケモノに見えてしまっているのだろうか?
――――いいや。
違うっ!
違うじゃねぇかっ!
どう考えたって、普通の人間があんな状態で声も出さずに、平然と歩こうとする筈がねぇっ!
頭を振りぶり、現実を直視しようと立ち竦む矢田さんを見る。
未だに動けずにいる彼と、彼にジワリジワリと近づく崩れかけた肉体を持つ男。
だが、恐るべきはそれだけじゃない。
立ち上がる土埃が薄くなってきた時、連中は建物の奥から現れた。
「小岐須(おぎす)二等空佐っ!」
「やめろぉぉっ! 川上ぃぃぃぃっ!」
小岐須というのが副操縦士の名前なのだろう。
ただ単に、俺達をここまで運ぶだけの任務だからと言って、馴れ合うつもりはないと名前すらも教えてくれなかった彼の名を知るのが、こんな場面だとは……
彼の声にならない悲鳴に弾かれるようにして、矢田さんが焦ったような声を出し、四人のうち、今まで一言も言葉を発していなかった男性が大声を上げて川上さんに向かって駆け出した。
「大東(だいどう)!」
ついさっき、器材庫に行こうとした矢田さんを止めた男性が、飛び出した男性を制止するよう叫ぶが、走り出した彼は止まらない。
「チッ! 大東のヤロウ。冷静さを欠きやがって……」
眉間に深く皺を刻み、苛立ちを露わにする男性は大きく息を吸い込むと、崩れるようにして倒れ込んだ小岐須さんを、ハイエナのように貪り食う川上さんの姿を凝視したまま一向にその場から逃げようとしない本郷さん達御一行様に向かって怒声を上げた。
「何ボケッと突っ立ってやがる! 平和ボケしたメディア連中はさっさとこっちに来いっ!」
口は悪いが、その必死の形相から彼の不安と心配が見て取れる。
恐怖というよりも、信じられないといった気持ちの方が強く、目の前の光景が現実のものだと解釈するのに時間がかかっていただけの本郷さんとタカシさん。
この二人は、こう言っては何だが、小岐須さんが食われているうちは自分達に危険は来ないと状況判断を下していたのか、男性の大声に我に返った彼らは、慌てる事なく荷物を持ち、こちらへ早歩きし出した。
晴香さんも落とした荷物を拾い上げ、男性でも重たいであろう荷物を担いで駆けだした。
問題はまだヘリの中にいると思われる米澤さんと松山さんだ。
いくら傍に機長がいるといえども、こんな所でミサイルやランチャをぶっ放すことなんて出来ない。
それに俺達が乗っていたヘリは攻撃メインではなく、救難任務や空中機動、航空輸送がメインの多用途ヘリ。
機長だって、戦う事を意識していないのだから、そんな装備などしてきていない筈だ。
安全が確保されているとは完全には言いきれてはいないが、それでも、今なお続けられている凄惨な出来事から少し離れた場所で俺達が何も出来ずに傍観している間にも、周りは慌ただしく動いている。
「神崎っ! 俺は大東を援護するから、お前はここで、少年たちや、未だにあそこでぐずぐずしているメディア連中がここに来たら、狂人と化した川上から狙われないよう警護に当たってくれ」
「ああ、分かった。荒川、油断するなよ」
「分かってる」
やはり二人は同期か同階級らしく、互いを呼び捨てにし合っている。
ぶっきらぼうな言い方の中にも、どこか温かみを感じさせる二人のやり取りを見て、かなり信頼し合っているのが感じられた。
「矢田、お前はいつでもココから脱出出来るよう、輸送車を回しておけっ」
「ハイッ!」
「輸送車のキーはいつのも場所にあると思うが……」
神崎さんはチラリと『人であったモノ』を横目で見て、生唾を飲み込んだ。
「警戒態勢を取りながら行け。もしもの時は発砲を許可する」
怖いほど真剣な顔をした上官の命令は、もしかしたら川上さん以外の人間も、あのような姿になってしまっている可能性を示している。
自分の命の危険が差し迫った時は、自分の命を最優先にしろ。
彼はそう言っているのだ。
「ハイッ!」
緊張のあまり、上擦った声で返事をした矢田さんは、ライフルを構え前後左右を警戒しながら、急ぎ足で数十メートル後ろに横並びで建っている倉庫や寄宿舎といった雰囲気の建物ではなく、会社の事務所か会館といった感じを匂わせるコンクリート造りの建物へと向かっていった。
ガチャガチャガチャンッ
ドサリッ
どっしりとした重さを感じさせる荷物が大地におろされる。
振り向けば、本郷さんとタカシさんが無事にここまで辿り着いていた。
「ハァハァハァッ……よぉ。坊主たち」
「あの人、薬中ですか?」
大介と洋一郎の頭をワシャワシャと撫でまわし、肩で息をする本郷さんの言葉自体は余裕そうだが、その声質は戸惑いと混乱がアリアリとあらわれている。
自分が今見たものの整理がつかないのだろう。
かといって、俺達の不安を煽らないよう、配慮して落ち着いた雰囲気を崩さないようにしている。
本郷さんは、周りの状況をしっかり見て冷静に判断出来る人なのだと、改めて思う。
一緒にやってきたタカシさんは、見た目通り体力が有り余っているのか、息一つ乱さずに硬い表情で神崎さんに向かって尋ねた。
問い掛けられた彼の視線は、すぐ傍まで来ている晴香さんに照準を合わせたまま。
「そんな訳あるか。マーシャラーとはいえ、あいつだって日本国防軍の一員。国を守る埃を持っているんだ。薬なんかやっちゃいねぇ」
仲間であり部下でもある人間に『薬中』の疑いを持たれた彼は、悔しさで奥歯を噛みしめながらも、平静さを保って答える。
ガシャンッガシャンッガチャンッガシャンッ
鈍い金属音を鳴らしながら晴香さんが駆け寄ってくる。
もう、彼女は俺達の目前。
「私の後方に荷物を置いて待機してなさいっ」
神崎さんの指示に従って、彼女は俺達の裏側に荷物を降ろした。
パパパパパンッ
ライフル弾の擦過音が鳴り響く。
「キャァァァァッ」
遠くの方で女性の悲鳴。
これは間違いなく米澤さんのものだろう。
晴香さんに気を取られている間に、大東さんが川上さんの傍まで駆け寄り、小岐須さんであった肉の塊に夢中になってむしゃぶりついている彼の頭に銃口をつけたまま引き金を引いたのだ。
飛び散る血飛沫と肉片。
頭部の半分以上が失われた彼の身体は、真っ赤に染まり、ゆっくりと崩れるようにして倒れた。
後について走っていた荒川さんが声を張り上げた。
「鶴岡ぁぁっ! ソコにいるメディアの男女を連れてこっちに来るんだぁぁっ!」
「分かった!」
機長がすかさず大きな声で返事をし、ヘリの横で尻もちをついたまま、耳を塞いでいる米澤さんの両肩を支えて立ち上がらせる。
ヘリの奥からは荷物を抱えた松山さんが飛び出して来たのが確認出来た。
三人は顔を寄せ合い、話しをしだした。
多分、ここまで非難するルートと走り出す順番を鶴岡さんが指示しているのであろう。
ショッキングな出来事を目にして、足に力が入らないのか、鶴岡さんに支えられたままの米澤さん。
いくらマスコミの人間とはいえ、彼女は負けん気は強いが、兵士でもなければ殺人犯でもない、普通の女性。
気絶しなかっただけでも大したもんだ。
彼女達から大分手前にある双山の肉樷。
力なくライフルの銃口部分でその血濡れの肉体を突いたり、肉片を選り分けたりしながら、何かしら異常はないかを確認している。
「ダメダダメダダメダダメダ……」
「ん?」
唇をワナワナさせて、怯えた表情をしていた大介がブツブツと早口で何かを呟きだした。
「どうした?」
目ん玉が飛び出そうなくらい瞼を開け、瞬きをするのを忘れているかのように、真っ直ぐ大東さんを見つめたまま、ガクガクと全身を奮えさせ同じ言葉を繰り返す。
「何が駄目なんだよっ!」
何かに憑りつかれたかのような大介の言動は、俺達の不安を煽るだけ。
咄嗟に両肩を持ち、決して俺とは目を合わせようとしない大介の顔を見据えて何度も何度も体を揺さぶる。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ……」
「もう川上さんは死んだんだっ! 大丈夫だって! しっかりしろよぉ!」
平和に過ごしてきた俺達が、島に着いた途端に目にした惨憺たる出来事。
それが大事な親友を狂わしてしまったのかと、俺は嘆き、必死になって大介の意識……いいや、壊れてしまいそうな心を取り戻そうと呼び掛けた。
「ヤバイ――」
足元からゾゾゾッと這い上がってくるような鳥肌が立つ。
今の声は俺の顔を避けるようにして首を伸ばして惨たらしい現場を凝視する大介のものではなく、横にいる洋一郎のもの。
彼の目も大介と同じモノを見ていた。
「え?」
胸がザワつく。
ガバッと後ろを振り向こうとした瞬間。
「うわぁぁぁっ」
「ぎゃぁぁぁっ」
パパパパパンッ
心臓を射抜くような鋭い叫び声が同時に二つ。
それと、離れた場所から聞こえる渇いた音がこだました。
乾いた音と一つの叫び声は俺が見ようとしている方向とは真逆から。
既に首を動かそうとしていた俺は、その流れに任せたまま最初に見ようとした方へと顔を向けてしまった事を後悔した。
目に飛び込んで来たのは、常識では到底考える事の出来ないもの。
俺だけじゃなく、この場に居た全ての『人間』の脳ミソでも処理しきれないもの。
頭部の殆どを失い、二度と息を吹き返す事のない川上さんが突如として起き上がり、大東さんに襲い掛かっていた。
「やめでぐれぇぇぇぇっ」
悲痛な声を上げる大東さんの首は血だるまになって息絶えた男の両手で絞められていた。
かなりの怪力の持ち主なのか、大東さんが両手て彼の腕を解こうとするのも虚しく、川上さんのパワーに押されて徐々に仰け反り、膝を折っていく。
目も鼻もないというのに、大東さんの立っている位置や、首の場所を的確に狙った川上さんは、とうとうコンクリートに膝をつき、首も上体も後ろに曲げたような姿勢になってしまった大東さんに覆いかぶさるような格好で、“何も無い”自分の顔面を彼の顔面へと押し付けた。
「――――っ!」
両手で何度も何度も彼の腕や体を叩き、自身の体を揺さぶって、首を掴む両腕から懸命になって逃げようと抵抗するが、ドクドクと滴り落ちているであろう血液が、大東さんの鼻や口へと流れ込み、時折、「ゲフッゴフッ」という、苦しそうな咳が微かに聞こえた。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ――ここから逃げないとっ!」
「早くっ! 皆、早くここから逃げましょうっ!」
呪文のようにブツブツと「ヤバイ」を繰り返していた大介が、正気を取り戻したのか、肩に置いた俺の両腕を握り締め、余裕の無い声を出した直後、さっき響いた悲鳴と乾いた音のした方角から、一刻の猶予もないといった危機感溢れる声と足音が近付いてきた。
「どうしたっ?」
「何があったんだ?」
「一体、ここで何が起こっているのよ?」
現実に起こりうる筈のない情景を目の当たりにして、ホラー映画のワンシーンを見ているように自分達とは切り離し、身動きすることすら忘れて見ているだけであった周りの大人達が矢田さんの声を聞いて、催眠術か何かから解き放たれたかのように、我に返って騒めきだした。
「もう、あの人も無理です。あちらに走って行った上官の荒川さん。あの人を助けに行こうなんていう馬鹿な正義感で無茶する前に、無傷の三人と共に、さっさとこっちに戻って来るよう――」
「そんなことは、君達に言われなくても分かっている!」
洋一郎の言い方も悪いが、苛立ちをぶつけるように怒鳴った神崎さんの表情を見れば、彼自身、この状況が予想だにしていないものであり、相当な焦りを感じているのが分かる。
「ちょっと! マズいわよっ!」
前方で起こっている化け物と化した川上さんの蛮行ばかりに気を取られていた俺達は、矢田さんの声のする方にいち早く目を向けた晴香さんの声に驚いた。
シュッ
カランカランカランッ…………
ボンッ
空気が抜けるような音と金属音。
空き缶のような軽いものではなく、もっと重たい鉄の缶でも落としたような音がしたかと思えば、鈍く響く爆発音が轟いた。
咄嗟に頭を抱えるようにして身を屈める俺達。
「ごらぁぁぁっ! 矢田ぁっ! 何をやっ……」
神崎さんの怒号が途中で途切れる。
自分達が見ていた惨劇とは逆方向。
まさに真後ろへと振り向くと、ここから建物の間にある、学校のグラウンドのように綺麗に均された広々とした駐車敷地の中で、背後を気にしながら走って来たと思われる矢田さんが、手榴弾を後方に投げたまま立ち竦んでいた。
建物手前で立ち上がっている煙はテレビのニュースやドキュメンタリー番組で見た、戦争やテロの映像とは違い、意外と小さい。
何かの番組で、一般的に使われる手榴弾は、大きな破片が発生して遠くまで飛び、広範囲の敵を殺傷するメリットと、使用者自身や味方まで被害を受ける事があると言っていた。
今投げた手榴弾はどうやら、そういった手榴弾とは違い、ピンポイントに狙った所だけに爆発の圧力のみで敵を殺傷し、破片での被害を極力抑えているタイプのようだ。
矢田さんが一体、何に向かって投げつけたのか。
それは直ぐに姿を現した。
しかも。
煙の向こうから、新たなる『仲間達』を引き連れて。
左半身に爆発の圧がかかったのだろう。
ガクンッガクンッと右足だけで歩く彼の左足は、太ももからズルズルに引き裂かれたボロ布のように皮膚と肉を垂れさせ、膝から下は失っている。
左腕は原型を留めておらず、服は裂け散り、肉片は吹っ飛ばされ、ところどころ骨が剥き出しになっている、
筋肉も繊維も破壊され、機能しなくなったその腕をダラリと引っ提げ、手榴弾の破片を受けた顔半分の損傷は酷いもの。
それでも『生きている』右目は虚ろに濁っているというのに、その照準はピッタリと獲物と決めた矢田さんに合わさったまま、不自然な動きで彼に向かって一歩一歩足を踏み出す。
人間。
あんなにも大怪我をして、悲鳴一つ上げずにいられるものなのか?
ゆっくりと着実に。
ただただ矢田さんに向かって進む男の姿は、身体能力的には間違いなく自分達の方が上であり、男からは簡単に逃げられることは分かっていても、恐れを抱かずにはいられない。
「お、お前は……嘉島(かしま)か? 矢田……あいつ、何を血迷って……」
カラカラに乾いた喉から絞り出すように、掠れた声を出す。
血で汚れ、ボロボロになった服を見れば、上は金色と紺色の肩章が付けられた白いシャツ。
胸ポケットの上には羽型の台座をした部隊章を付けている。
下は濃紺のスラックス。
あれは日本国防空軍の制服だ。
だとすれば、矢田さんは自分の仲間に向かって手榴弾を投げつけたのか?
人間、恐怖が自分の許容範囲を越えてしまうと、パニックに陥って何をしでかすか分からないものだが、建物の中にいた仲間でさえも、バケモノに見えてしまっているのだろうか?
――――いいや。
違うっ!
違うじゃねぇかっ!
どう考えたって、普通の人間があんな状態で声も出さずに、平然と歩こうとする筈がねぇっ!
頭を振りぶり、現実を直視しようと立ち竦む矢田さんを見る。
未だに動けずにいる彼と、彼にジワリジワリと近づく崩れかけた肉体を持つ男。
だが、恐るべきはそれだけじゃない。
立ち上がる土埃が薄くなってきた時、連中は建物の奥から現れた。
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だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
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支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
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「Orvelly(オルヴェリィ)」とは——
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すべてが巡り巡って、再び出会う場所。
始まりは終わりであり、
終わりは新たな始まりである。
それがOrvelly——
円を描いて巡る、永遠の夢想。
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