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episode 12
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俺達が嫌な予感に顔を青ざめさせ、絶望的な意識に陥いりそうになっている中でも、化け物と対峙し、必死の攻防を行っている彼らはまだまだ勝利を諦めてはいなかった。
反対方向に向かって走っていたタカシさんが、荒川さんの危機を察知し、二体が彼に追いつきそうになる度に、ライフルを撃って邪魔をしながら駆け戻って来る。
その間に本郷さんは、この広大な駐車場を建物に向かって一気に駆け抜けようとしていたのだが、微かに聞こえた鶏が喉を潰して数回鳴いた後、地団駄を踏むような低い唸り声のようなものが地面に響き、足を止めた。
追い掛け、追い掛けられ、そして、追い掛けているモノを阻止しようとする者。
彼らは喰うか喰われるかの瀬戸際で、互いに死に物狂いの為、その音が全く耳に入っていない。
「あれは、軽装甲機動車のエンジン音? いや、まさか」
聞き慣れないネーミングを口にする鶴岡さんに対し、驚いたように振り向く洋一郎。
「えぇ? ヘリでこの島に来たメンバーは亡くなった人以外、全員、この敷地内にいるんですよ?」
その通り。
本郷さんは、今まさに、俺達全員をここから運び出せる輸送車――厳密に言えば、高機動車の鍵を取りに向かっていた。
そして化け物を相手している二人も、当初の目的はソレだ。
じゃぁ、一体誰が軽装甲機動車のエンジンをかけたというのか?
ヘリで上空から見下ろした時、この辺り周辺には街や工場等、人が住んだり働いたりするような場所はここ以外無かった。
島の中にある他の地区からの応援であれば、車やバイクに乗ってやってくるしか方法はないのだから、ここの敷地内のどこかにある軽装甲機動車のエンジンをかける必要などない。
元からこの飛行場に配置されていたと思われる軍の人間達は、皆、化け物になってしまっていたが、あの二体の姿形を見ると、到底運転など出来るようなものではない。
しかし、あの二体ですら考える頭があるのだから、脳がしっかり残ったままの人間の姿のままであったとしたら、もしかしたら、例え人間を喰らうゾンビだとしても、運転くらい出来るのかもしれない。
敵なのか味方なのか。
化け物なのか人間なのか。
グランドの隅から綺麗に整列駐車された輸送車があるが、音の出所はそこではなく、建物が建ち並ぶ奥の方から聞こえて来た。
その姿をいつ現すのかと、神経を音のした方へと集中した時、脳天から太い針を突き刺すような鋭い高音が俺の体を貫いた。
「っ!」
電流が一気に体を駆け巡るような感覚に襲われ、寸秒たらず目を瞑っていた間に、事態は急変した。
真っ赤に染まった跳ねる肉弾丸が、急に方向転換していたのだ。
追われる荒川さんを助ける事が先決とばかりに、化け物の動きを止めようとして、追い掛けながらライフル攻撃に集中し過ぎたあまり、ヤツらに近付きすぎた。
最初に狙っていた獲物が、自ら捕らえられる範囲に入って来たのを見逃す馬鹿はいない。
疲れを知らない化け物とは違い、タフなタカシさんだって人間だ。
息が荒くなり、足の運びの微妙な遅れをとりだした事をアイツらは感じ取っているのだろう。
興奮し、海象のような重低音を響かせる鳴き声は、まだ得てもいない勝利を過信し、一足早い勝ち鬨を上げているようにも見える。
急に標的を変えた魔獣に対し、ワンテンポ反応が遅れたタカシさんには、「逃げる」という選択肢は無くなった。
ここでヤツに背を向けて走り出したところで、すぐに喰らいつかれるのがオチ。
彼は、半端な足の蜘蛛と化した異形に追われる荒川さんを心配しつつも、ライフルを構えるのではなく、両手で自分の体を防御するように構えた。
バッファローの頭突きの如く彼の体に体当たりをかます化け物。
吹っ飛ばされる事なく、足を踏ん張るタカシさんに向かって、ヤツが再び跳び上がる。
最初の一撃で上半身の重心が少し後ろにかかっていたところへ、再び重量級のタックルをされたら、ひとたまりもない。
化け物に押し倒されるような形で、地面に強く背をぶつけた。
「だめだっ!」
「ヤバイッ! やられっちまう!」
「きゃぁぁっ」
俺達全員の絶望に満ちた叫びが上がった。
荒川さんの背に、邪悪な手が今にも届きそうになる。
タカシさんの方は、腹の上に乗る全身を赤黒く染めたクリーチャーが、彼の顔面に襲い掛かっていた。
両手で横向きに持ったライフルでヤツの攻撃を防いでいれば、その大きな口からドロドロとした液体が滴り落ちて、彼の顔面を汚す。
見殺しにするわけにはいかないと、とうとう神崎さんまでもが、助けに出ようと足を踏み出した時、格納庫らしき大きな建物の横にある、鉄骨造りのガレージか整備工場のような場所から、オリーブドライブ一色に塗装された大型車両が工事現場で聞くような駆動音を出しながら飛び出してきた。
軍事車両が唸りを上げて暴走するのを誰が想像しただろうか?
まるでドリフト走行のように、建物のある場所の道から、グランドへと急ハンドルを切り、タイヤを滑らせて入って来た物騒な形態をした車は、何が起きたのか分からず立ち尽くしている本郷さんの真横を滑り抜けていくと、さらに速度を上げる。
「え? ちょっと、そっちは――」
命の危機が背後に迫る荒川さんにとっては、突如として現れた、敵か味方かも分からない車両の事など気にする余裕も無い。
荒々しい運転でけたたましく軋みを立てて、風を切るように走る重量車両は、遠くから見ている俺達ですらも迫力を感じる程で、このままの勢いで真っ直ぐ走ると、嘉島モドキと共に荒川さんも一緒に牽いてしまう。
「危ないっ! 逃げろぉっ!」
「荒川ぁっ!」
独特の重低音に打ち消され、本人の耳には聞こえなくても、無我夢中で大声を上げる俺達。
何も出来ないという事が、これ程までにキツいなんて思いもしなかった。
あと十メートル。
九、八、七――――
誰もが皆、そこから顔を背け、両手で顔を覆った。
何秒待っても止まる事のない激しい轟音は、未だくすんだ緑色のモンスターカーが動き回っている事を意味している。
恐る恐る指の隙間からグランドを覗き見ると、そこには轢死したと思われる嘉島モドキと、その横では、荒川さんが無傷でしゃがみこんだまま、肩で大きく息をしていた。
前進、バックと、何度も何度もタイヤで轢かれたらしく、地面に真っ赤な血溜まりをつくってペシャンコになっており、赤黒いタイヤ痕が遠目からでも確認出来た。
「え?」
「どういう……」
目の前の光景が信じられず、皆、困惑した声を出すが、とりあえず、あの車両が狙っていたのは、人間ではないものだけ。
という事は、この時点では味方だと見て間違いない。
この後どう転がるかは分からないが、それでも、助けられた事には変わりはない。
荒川さんの無事が保障された今、問題なのはあっちだ。
さっきは、化け物同士でコミュニケーションを取っていたというのに、その死に関しては、悲しむ事も関心を抱く事もないのだろうか?
仲間を殺した鉄の塊など全く見向きもせず、タカシさんの上に馬乗りになっているケダモノは、凶悪そうな歯をむき出しにし、全体重をかけて彼の顔面へと自分の顔を近づけているが、バレル(銃身)を咥え込むようにされて、力いっぱい押し戻されてる。
一見、互いに一歩も譲らぬ攻防戦のように見えるが、顔を真っ赤にして、上腕二頭筋をパンパンに張らせたタカシさんを見れば、彼の方に限界が差し迫っているのが分かる。
地響きを鳴らすような力強い爆音を上げる鉄塊も、俺達と同じように上下でせめぎ合う二人(一人と一体)を見つめ、どうするべきか悩んでいる様子。
さっきは、ドライバーの見事なハンドルさばきによって、ギリギリのところで荒川さんを避ける事に成功し、嘉島モドキだけを轢き殺す事が出来た。
だが、あれは荒川さんと嘉島モドキとの間に僅かでも距離があったことと、真横からスピードを緩める事なく、自分の体に突っ込んで来る鼻息荒いイカツイボディを目の端に捉えていたであろう荒川さんも、車道に飛び出し、車に怯えてその場に身を竦める猫とは違い、迷うことも戸惑う事もなく、真っ直ぐ前に走る事にだけ集中したからこそ上手くいっただけ。
運やタイミングを味方につけたと言っても過言じゃない。
今回は運は別として、二人の間に全く隙間が無いのだから同じ手は使えない。
それなのに、本郷さんが放心状態から意識を取り戻して駆け付けようとするのを、制止させるように、不機嫌そうな音をたてて走り、彼の前をゴツゴツしい車体で塞いだ。
「なんだあいつはっ! 何で邪魔するんだっ」
「早く行かなきゃ、タカシがもたないっ!」
血気盛んなタイプの神崎さんと晴香さんは、ヒステリックに喚くものの、二人も、相手は化け物と何が運転しているのかも分からない動く凶器なのだから、助けに飛び出したところで犬死する可能性が高い事を分かっている。
忸怩たる思いで奥歯を噛みしめるのは、彼らだけじゃない。
長年、空手を習っていたというのに、大事なところで役に立たない俺や、人並み外れた頭脳を持つ洋一郎だって、この状況下では、その知識を活用出来ずにいる。
大介だって、鶴岡さんだって、米澤さんだって、松山さ――いや、一人別世界に飛んでいる松山さんは、これまた別だが、皆、同じ気持ちだ。
《もう、タカシさんを救えない》
敗北感にも似た、諦めの気持ちが脳裏を横切ろうとした時、本郷さんの前に立ちはだかった屈強なマシーンは、その場で力強く鳴動すると、タイヤを軋ませ風塵を巻き上げ発進した。
「えぇっ?」
「何をするつもりなの?」
「窓が開いたわっ!」
防弾ガラスがはめ込まれた車窓が、外側に向かって跳ね上げられた。
生憎、普通の車とは違い、敵からの攻撃を防ぐ為に、防弾ガラスがはめ込まれているのは勿論のこと、窓自体が小さい為、中にいる人間の姿を確認する事は出来ない。
マウントを取られているタカシさんの元へ、あっという間に辿り着いた軽装甲機動車は、その小窓から先端が尖った何かが顔を出したかと思えば、彼の腹上で暴れる獣へ向けて、すぐさま放たれた。
唸るエンジン音で打ち消された音でも、視覚から感じ取れる。
肉を突き刺す鋭い音が脳内で自動再生され、赤黒い飛沫が飛ぶ。
それと同時に、化け物の背が仰け反ったのも一瞬のこと。
背中に命中した槍のような物につけられたロープによって、速度を緩める事の無い暴走車と繋がられてしまったが為に、あと少しで得られることの出来た食事から、ひっぺがされた挙句、中世ヨーロッパで行われていた拷問よろしく、グランド内を引きずり回される。
重みが取り除かれたタカシさんは、ゆっくりと上体を起こし、ライフルを横に置いた。
唾液や血液。
あらゆる体液を浴びた顔面を両手で拭い、口の中に入った赤黒い液体を唾液と共に何度か吐き出した後、更に頭を振って自分の頭部についた汁を飛ばした彼は、クリアになったであろう視界で、自分を喰らおうとしていたもの末路を見た。
小さな窓から出された何かが、太陽の光に反射する。
《サバイバルナイフ?》
そう思った刹那、小窓の中から伸びたロープが切られた。
巨大なゴム毬のように体をバウンドさせ、勢いよく回転する肉ダルマは、徐々に速度を落として数十メートル程転がったところで止まった。
それを見計らったかのように、横たわったまま、ピクリとも動かないヤツの上を、かなりのスピードで通過すると、一旦停止し、今度はバックでゆっくりと轢いていく。
前へ後ろへと。
5t以上ある鉄の塊によって、数回踏み潰されたようなものなのだから、当然のことながら、元は人間の体だったとは到底思えないほど、激しく圧縮されていた。
島に上陸した途端、予想だにしなかった惨劇に襲われた俺達。
多くの犠牲者を出し、絶体絶命のピンチという所で、軽装甲機動車に乗る正体不明の謎の人物に助けられた。
敵なのか?
味方なのか?
もし敵だとするなら、俺達を助けた目的は一体何なのか?
今はただ、タカシさんや荒川さんが助かって歓声を上げるような気持ちの余裕はなく、ただ、呆然と立ち尽くすだけが精一杯であった。
反対方向に向かって走っていたタカシさんが、荒川さんの危機を察知し、二体が彼に追いつきそうになる度に、ライフルを撃って邪魔をしながら駆け戻って来る。
その間に本郷さんは、この広大な駐車場を建物に向かって一気に駆け抜けようとしていたのだが、微かに聞こえた鶏が喉を潰して数回鳴いた後、地団駄を踏むような低い唸り声のようなものが地面に響き、足を止めた。
追い掛け、追い掛けられ、そして、追い掛けているモノを阻止しようとする者。
彼らは喰うか喰われるかの瀬戸際で、互いに死に物狂いの為、その音が全く耳に入っていない。
「あれは、軽装甲機動車のエンジン音? いや、まさか」
聞き慣れないネーミングを口にする鶴岡さんに対し、驚いたように振り向く洋一郎。
「えぇ? ヘリでこの島に来たメンバーは亡くなった人以外、全員、この敷地内にいるんですよ?」
その通り。
本郷さんは、今まさに、俺達全員をここから運び出せる輸送車――厳密に言えば、高機動車の鍵を取りに向かっていた。
そして化け物を相手している二人も、当初の目的はソレだ。
じゃぁ、一体誰が軽装甲機動車のエンジンをかけたというのか?
ヘリで上空から見下ろした時、この辺り周辺には街や工場等、人が住んだり働いたりするような場所はここ以外無かった。
島の中にある他の地区からの応援であれば、車やバイクに乗ってやってくるしか方法はないのだから、ここの敷地内のどこかにある軽装甲機動車のエンジンをかける必要などない。
元からこの飛行場に配置されていたと思われる軍の人間達は、皆、化け物になってしまっていたが、あの二体の姿形を見ると、到底運転など出来るようなものではない。
しかし、あの二体ですら考える頭があるのだから、脳がしっかり残ったままの人間の姿のままであったとしたら、もしかしたら、例え人間を喰らうゾンビだとしても、運転くらい出来るのかもしれない。
敵なのか味方なのか。
化け物なのか人間なのか。
グランドの隅から綺麗に整列駐車された輸送車があるが、音の出所はそこではなく、建物が建ち並ぶ奥の方から聞こえて来た。
その姿をいつ現すのかと、神経を音のした方へと集中した時、脳天から太い針を突き刺すような鋭い高音が俺の体を貫いた。
「っ!」
電流が一気に体を駆け巡るような感覚に襲われ、寸秒たらず目を瞑っていた間に、事態は急変した。
真っ赤に染まった跳ねる肉弾丸が、急に方向転換していたのだ。
追われる荒川さんを助ける事が先決とばかりに、化け物の動きを止めようとして、追い掛けながらライフル攻撃に集中し過ぎたあまり、ヤツらに近付きすぎた。
最初に狙っていた獲物が、自ら捕らえられる範囲に入って来たのを見逃す馬鹿はいない。
疲れを知らない化け物とは違い、タフなタカシさんだって人間だ。
息が荒くなり、足の運びの微妙な遅れをとりだした事をアイツらは感じ取っているのだろう。
興奮し、海象のような重低音を響かせる鳴き声は、まだ得てもいない勝利を過信し、一足早い勝ち鬨を上げているようにも見える。
急に標的を変えた魔獣に対し、ワンテンポ反応が遅れたタカシさんには、「逃げる」という選択肢は無くなった。
ここでヤツに背を向けて走り出したところで、すぐに喰らいつかれるのがオチ。
彼は、半端な足の蜘蛛と化した異形に追われる荒川さんを心配しつつも、ライフルを構えるのではなく、両手で自分の体を防御するように構えた。
バッファローの頭突きの如く彼の体に体当たりをかます化け物。
吹っ飛ばされる事なく、足を踏ん張るタカシさんに向かって、ヤツが再び跳び上がる。
最初の一撃で上半身の重心が少し後ろにかかっていたところへ、再び重量級のタックルをされたら、ひとたまりもない。
化け物に押し倒されるような形で、地面に強く背をぶつけた。
「だめだっ!」
「ヤバイッ! やられっちまう!」
「きゃぁぁっ」
俺達全員の絶望に満ちた叫びが上がった。
荒川さんの背に、邪悪な手が今にも届きそうになる。
タカシさんの方は、腹の上に乗る全身を赤黒く染めたクリーチャーが、彼の顔面に襲い掛かっていた。
両手で横向きに持ったライフルでヤツの攻撃を防いでいれば、その大きな口からドロドロとした液体が滴り落ちて、彼の顔面を汚す。
見殺しにするわけにはいかないと、とうとう神崎さんまでもが、助けに出ようと足を踏み出した時、格納庫らしき大きな建物の横にある、鉄骨造りのガレージか整備工場のような場所から、オリーブドライブ一色に塗装された大型車両が工事現場で聞くような駆動音を出しながら飛び出してきた。
軍事車両が唸りを上げて暴走するのを誰が想像しただろうか?
まるでドリフト走行のように、建物のある場所の道から、グランドへと急ハンドルを切り、タイヤを滑らせて入って来た物騒な形態をした車は、何が起きたのか分からず立ち尽くしている本郷さんの真横を滑り抜けていくと、さらに速度を上げる。
「え? ちょっと、そっちは――」
命の危機が背後に迫る荒川さんにとっては、突如として現れた、敵か味方かも分からない車両の事など気にする余裕も無い。
荒々しい運転でけたたましく軋みを立てて、風を切るように走る重量車両は、遠くから見ている俺達ですらも迫力を感じる程で、このままの勢いで真っ直ぐ走ると、嘉島モドキと共に荒川さんも一緒に牽いてしまう。
「危ないっ! 逃げろぉっ!」
「荒川ぁっ!」
独特の重低音に打ち消され、本人の耳には聞こえなくても、無我夢中で大声を上げる俺達。
何も出来ないという事が、これ程までにキツいなんて思いもしなかった。
あと十メートル。
九、八、七――――
誰もが皆、そこから顔を背け、両手で顔を覆った。
何秒待っても止まる事のない激しい轟音は、未だくすんだ緑色のモンスターカーが動き回っている事を意味している。
恐る恐る指の隙間からグランドを覗き見ると、そこには轢死したと思われる嘉島モドキと、その横では、荒川さんが無傷でしゃがみこんだまま、肩で大きく息をしていた。
前進、バックと、何度も何度もタイヤで轢かれたらしく、地面に真っ赤な血溜まりをつくってペシャンコになっており、赤黒いタイヤ痕が遠目からでも確認出来た。
「え?」
「どういう……」
目の前の光景が信じられず、皆、困惑した声を出すが、とりあえず、あの車両が狙っていたのは、人間ではないものだけ。
という事は、この時点では味方だと見て間違いない。
この後どう転がるかは分からないが、それでも、助けられた事には変わりはない。
荒川さんの無事が保障された今、問題なのはあっちだ。
さっきは、化け物同士でコミュニケーションを取っていたというのに、その死に関しては、悲しむ事も関心を抱く事もないのだろうか?
仲間を殺した鉄の塊など全く見向きもせず、タカシさんの上に馬乗りになっているケダモノは、凶悪そうな歯をむき出しにし、全体重をかけて彼の顔面へと自分の顔を近づけているが、バレル(銃身)を咥え込むようにされて、力いっぱい押し戻されてる。
一見、互いに一歩も譲らぬ攻防戦のように見えるが、顔を真っ赤にして、上腕二頭筋をパンパンに張らせたタカシさんを見れば、彼の方に限界が差し迫っているのが分かる。
地響きを鳴らすような力強い爆音を上げる鉄塊も、俺達と同じように上下でせめぎ合う二人(一人と一体)を見つめ、どうするべきか悩んでいる様子。
さっきは、ドライバーの見事なハンドルさばきによって、ギリギリのところで荒川さんを避ける事に成功し、嘉島モドキだけを轢き殺す事が出来た。
だが、あれは荒川さんと嘉島モドキとの間に僅かでも距離があったことと、真横からスピードを緩める事なく、自分の体に突っ込んで来る鼻息荒いイカツイボディを目の端に捉えていたであろう荒川さんも、車道に飛び出し、車に怯えてその場に身を竦める猫とは違い、迷うことも戸惑う事もなく、真っ直ぐ前に走る事にだけ集中したからこそ上手くいっただけ。
運やタイミングを味方につけたと言っても過言じゃない。
今回は運は別として、二人の間に全く隙間が無いのだから同じ手は使えない。
それなのに、本郷さんが放心状態から意識を取り戻して駆け付けようとするのを、制止させるように、不機嫌そうな音をたてて走り、彼の前をゴツゴツしい車体で塞いだ。
「なんだあいつはっ! 何で邪魔するんだっ」
「早く行かなきゃ、タカシがもたないっ!」
血気盛んなタイプの神崎さんと晴香さんは、ヒステリックに喚くものの、二人も、相手は化け物と何が運転しているのかも分からない動く凶器なのだから、助けに飛び出したところで犬死する可能性が高い事を分かっている。
忸怩たる思いで奥歯を噛みしめるのは、彼らだけじゃない。
長年、空手を習っていたというのに、大事なところで役に立たない俺や、人並み外れた頭脳を持つ洋一郎だって、この状況下では、その知識を活用出来ずにいる。
大介だって、鶴岡さんだって、米澤さんだって、松山さ――いや、一人別世界に飛んでいる松山さんは、これまた別だが、皆、同じ気持ちだ。
《もう、タカシさんを救えない》
敗北感にも似た、諦めの気持ちが脳裏を横切ろうとした時、本郷さんの前に立ちはだかった屈強なマシーンは、その場で力強く鳴動すると、タイヤを軋ませ風塵を巻き上げ発進した。
「えぇっ?」
「何をするつもりなの?」
「窓が開いたわっ!」
防弾ガラスがはめ込まれた車窓が、外側に向かって跳ね上げられた。
生憎、普通の車とは違い、敵からの攻撃を防ぐ為に、防弾ガラスがはめ込まれているのは勿論のこと、窓自体が小さい為、中にいる人間の姿を確認する事は出来ない。
マウントを取られているタカシさんの元へ、あっという間に辿り着いた軽装甲機動車は、その小窓から先端が尖った何かが顔を出したかと思えば、彼の腹上で暴れる獣へ向けて、すぐさま放たれた。
唸るエンジン音で打ち消された音でも、視覚から感じ取れる。
肉を突き刺す鋭い音が脳内で自動再生され、赤黒い飛沫が飛ぶ。
それと同時に、化け物の背が仰け反ったのも一瞬のこと。
背中に命中した槍のような物につけられたロープによって、速度を緩める事の無い暴走車と繋がられてしまったが為に、あと少しで得られることの出来た食事から、ひっぺがされた挙句、中世ヨーロッパで行われていた拷問よろしく、グランド内を引きずり回される。
重みが取り除かれたタカシさんは、ゆっくりと上体を起こし、ライフルを横に置いた。
唾液や血液。
あらゆる体液を浴びた顔面を両手で拭い、口の中に入った赤黒い液体を唾液と共に何度か吐き出した後、更に頭を振って自分の頭部についた汁を飛ばした彼は、クリアになったであろう視界で、自分を喰らおうとしていたもの末路を見た。
小さな窓から出された何かが、太陽の光に反射する。
《サバイバルナイフ?》
そう思った刹那、小窓の中から伸びたロープが切られた。
巨大なゴム毬のように体をバウンドさせ、勢いよく回転する肉ダルマは、徐々に速度を落として数十メートル程転がったところで止まった。
それを見計らったかのように、横たわったまま、ピクリとも動かないヤツの上を、かなりのスピードで通過すると、一旦停止し、今度はバックでゆっくりと轢いていく。
前へ後ろへと。
5t以上ある鉄の塊によって、数回踏み潰されたようなものなのだから、当然のことながら、元は人間の体だったとは到底思えないほど、激しく圧縮されていた。
島に上陸した途端、予想だにしなかった惨劇に襲われた俺達。
多くの犠牲者を出し、絶体絶命のピンチという所で、軽装甲機動車に乗る正体不明の謎の人物に助けられた。
敵なのか?
味方なのか?
もし敵だとするなら、俺達を助けた目的は一体何なのか?
今はただ、タカシさんや荒川さんが助かって歓声を上げるような気持ちの余裕はなく、ただ、呆然と立ち尽くすだけが精一杯であった。
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