Parasite

壽帝旻 錦候

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episode 12

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 誰しもが、荒川さんの死を覚悟した時だった。

「うあがぁあ……」

 突然、頭の中で不快な高音が鳴りだし、俺は耳を塞いだが、それでも、一向に鳴りやまない。
 耳鳴りのような、超音波のような……とにかく音が脳を直接刺激する。
 ガンガンと頭が割れるように痛み、立っていられなくなった俺は、その場にうずくまる。

 顰めた顔で、僅かに右目瞼を開けて他の人の様子を見れば、洋一郎は同じように耳を押さえ、脂汗を滲ませながら堪えるように膝をつき、腰を丸めている。 
 大介は、耐えきれないのか同じく耳を押さえのたうち回っていた。
 俺達高校生三人組が、同じタイミングで耳を押さえて苦しみだしたのだから、周りにいた大人達は慌て出す。

 とは言っても、松山さんに関して言えば、未だに気絶したままなので、当て嵌まらないが、俺達を守ろうと警戒している神崎さんは、その場を離れる事は出来ないが、必死の形相で俺達に向かって何かを叫んでいるように見えた。
 嘔吐を繰り返していた米澤さんも、自分がしんどい時だというのに、晴香さんや鶴岡さんが駆け寄って来た後を、這うようにして俺達の傍まで来てくれ、三人で俺達一人一人の顔を覗き込むようにして何か言葉を発している。
 ただ、彼や彼女らの声すら聞こえなくするくらい、奇妙な音は、頭蓋骨の中で大きく反響している。

「うぐぅおぅ――」

 激しい頭痛は吐き気を催す。
 たった数秒とはいえ、聞いた事も感じた事もない音に歯を食いしばって堪えれば、その力みが頭の血管を締め付け、脳圧を上げるような痛みを伴った。
 その間に何が起きていたのかは分からない。
 けれど、飛行機に乗った時に気圧の差で起きる耳の痛みや耳が詰まったように感じる違和感を残して嫌な音は突如として止んだ。

 その直後、痛む頭を手で抑え、薄ら目を開けた時に飛び込んで来たのは、心配そうに顔を覗き込む鶴岡さんと、彼の肩越しに見える嫌な光景。
 強く瞼を閉じていたせいで、眼球に多少の圧がかかっていたのか、少し霞んだ視界の中で、既に三人が散り散りに走り出しており、その後ろでタッグ契約を結んだ悪役レスラーのように、たった一人に向かって二体が同時に動き出した。

「あ、ぶない」

 顔を顰めたまま引き攣ったような声を零せば、振り返る彼。

「な、なにぃっ!」
「荒川ぁぁっ! 振り返るなっ! そのまま倉庫まで突っ走れぇぇっ」

 奴らは脳が破壊されているというのに、頭が使えるようだ。
 三人を相手にしていれば、自分達の体にもダメージが増える。
 しかも、下手したら、どちらかは二人を同時に相手にしなければならない。

 そこで考えたのだろう。
 二体で一人を分け合えば、量は少なくなるが獲物を仕留める確率が上がる。
 ならば、一番、捕食しやすい者は誰だと相談し合った。

 武器だけを見れば、荒川さんとタカシさんのライフルの方が本郷さんの持つ拳銃よりも大きいし、威力もある、
 生命力や体力、肉体的強度は、二人よりも全体的に一回り大きく筋肉質なタカシさんがダントツトップだと判断出来る。
 年齢的には荒川さんが一番年長者に見えるが、常日頃行っているトレーニングや訓練によって形成された肉体を考えると、本郷さんの方が狙いやすいと感じるのだが、奴らが荒川さんにターゲットを絞り込んだというのなら、肉体的要素よりも、もっと重要な弱味が彼にあるという事だ。

《さっきまでの、あの超音波のような奇妙な音。あれで化け物同士はコミュニケーションを取っていたに違いない》

 あの音を解明出来れば、あいつらの戦略が分かるのにと、苦々しく思い下唇を噛み、目線を荒川さんに向ける。
 彼は神崎さんの大声が聞こえているようで、後ろに迫りくる狂気を背に感じている筈に、少しも振り向こうとすることなく、全力疾走で走っている。

 キィーーーーーーッ

「うぅっ」

 今度は頭蓋骨にガラスを張りつけ、内側から爪で引っ掻いているような例えようもない嫌な音が響いた。
 今回も、俺達高校生三人だけに聞こえているようで、他の人達は顔色一つ変えない。

 そして、次の瞬間、荒川さんの背後を追い掛けていた二体のうち、蜘蛛の妖怪のような形態を成した嘉島モドキが、いきなりもう一体の化け物の背に駆け上り、三本の足と化した手足の関節を曲げ、上体を低くしたかと思えば、勢いよく跳び上がった。
 重量感溢れる身体を跳ねるようにして前へ前へと進んでいた化け物の推力と、自分自身が生み出した跳躍力によって荒川さんの頭上を越えた。

「まずいっ!」

 鶴岡さんが必死の形相で叫んだ。

 そりゃそうだ。
 アイツらは、荒川さんを前後で挟み撃ちにしようとしているのだから。

 前方に着地した嘉島モドキが勢い余って足を土の上に滑らせる。
 立ち上がる土煙。
 嘉島モドキが身構えを整えるほんの少しのモタつきが、荒川さんに進行方向を変える隙を与え、彼の命を紙一重のところで救った。

 とはいえ、絶体絶命のピンチから脱した訳ではない。
 右へと方向転換し駆けだすが、いくら訓練を受けているとはいえ、人間が全速力で走るのには限界がある。
 少しずつ足の動きが遅くなる。
 敵との距離はほんの数メートル。
走りながらでもいいからライフルを向け、どちらか片方だけでも足止めすべきなのだが、彼は構える姿勢すらしない。

「もしかして……あいつ……」

 同じことを思っていたのか、神崎さんが乾ききった喉から絞り出すように呟いた。

 そうか。
 そういう事なのか。

 深刻な面持ちの彼を見て、漸く理解した。
 荒川さんは、攻撃を仕掛けないのではなく、攻撃出来ない状況下に置かれているんだ。
 要するに、弾切れ。
 本郷さんと彼。
 どちらを狙うか相談していた二体は、きっと、その事を知っていたんだろう。
 ただの食い意地のはった、欲求に忠実に動いているだけではなく、元は人間だけあって色々な事を計算して動く部分が残っている。

《物凄く厄介だ》

 単なる食い気に忠実な体力バカではない『敵』に対して、心底寒気がたった瞬間であった。
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