Parasite

壽帝旻 錦候

文字の大きさ
上 下
58 / 101
episode 18

しおりを挟む
 十五分程度歩いたであろうか。
 毛穴という毛穴から汗が噴き出し、暑さと日焼けで皮膚が真っ赤になったところで、足を止めた鶴岡さんが振り返った。

「さぁ。ここが君達が本土に帰るまで滞在する宿泊施設だ」

 彼の声と共に、皆も立ち止まる。
 生まれは違うが、寒い地域のDNAが流れるボンは、舌をダラリと垂れて、しんどそうに激しい息遣いを繰り返している。
 松山さんは、体力があまりないらしく、糸が切れた操り人形のように、ペタリとその場に腰を落とす。
 スポーツ馬鹿の大介は、もとより心配などしていなかったが、驚くべきは、女性二人が、意外とタフで平然な顏をいたことである。
 晴香さんは、特殊な訓練を受けていたと聞いていたので、体力には自信があるとは思っていたが、あの特殊で大きな荷物も運ばなくてはならない。
 こちらが手伝うと言っても、一人で運ぶと言って聞かず、結局、一人で担いで歩いて来たのだが、少しも呼吸を乱していないし、米澤さんも、自分の荷物は自分で持ってきたのだが、多少疲れは見えるものの、松山さんのように崩れ落ちるような、みっともない格好はせず、姿勢よく立ち止まった。

 恐るべきは、その体力だけでなく、こんだけ男性陣が汗だくだと言うのに、女性二人は殆ど汗をかかず、涼しい顏をしているところだ。
 どういう体の構造をしているんだ?
 いいや。
 Tシャツの背中は汗で濡れているし、首筋にだって、雫が流れている。
 女というのは、化粧が崩れないよう、人間の生理現象である汗すらもコントロール出来る、ある種化け物だと思ったのは、ここだけの話だ。

 そんなことよりも、俺達の真横に堂々と建っている、スタイリッシュな建物は、一見すると、高級リゾートホテルを小振りにしたような外観。
 国防軍の人達と一緒に、テントで寝るか、小さな小屋か、ウィークリーアパートのようなところで宿泊するもんだとばかり思っていたから、こんなに立派なところで寝泊まりできるのは有難いことだが、昔から税金の無駄遣いだと騒がれ、住んでいる人が殆どいない議員公舎のように、後々、問題になるんじゃないかと心配になる。
 どうせなら、たまにしか来ないような、本土からやってきた人達だけでなく、島民達にも開放すればいいのにとも思った。
 皆も同じような感想を抱いているのか、ポカンとした表情で建物を見上げていると、いつの間にか、大きな門を通り抜け、少し離れたエントランス前まで進んでいた鶴岡さんが、大きな声で呼びかけた。

「中は、エアコンも効いていて快適ですよ。さ、入りましょう」

 確かに、この暑さの中、ボケ~っと突っ立っていたら、それだけで熱中症や熱射病で倒れてしまう。
 俺達は、荷物を担ぎ直して、あと数メートルを足早に歩いた。

「あ……。でも、ボンが……」

 俺達全員が来るのを待って、鶴岡さんが玄関の自動ドアを通ろうとした時、大介が眉を下げ、悲しそうな顏をしてボンを見下ろした。
 ボンも、自分の立場が分かっているのか、耳を下げて「クゥン」と、小さく鳴く。
 そんな一人と一匹の姿を見ると、どうも、庇護欲というのか、何とかしてあげたいと思ってしまうのは、俺だけじゃないらしく、米澤さんや晴香さんの女性陣を筆頭に、鶴岡さんに、「ボンちゃん、何とかならないの?」と、詰め寄る。

 いやいや。
 鶴岡さんが勝手に決められる事ではないのだから、そんなに責めちゃ可哀想だよとは思うけれど、俺もぶっちゃけボンが可愛い。
 困ったように、ボンの頭を撫でて、「この子、賢いし綺麗にしてるよなぁ……」と呟く鶴岡さんに、すかさず、「昨日、洗濯したばっかなんです!」と、ボンに抱き着いて、必死で懇願するような目をする。

 そうなんだよね。
 俺も洋一郎も手伝わされて、ボンをシャンプーしたんだよなぁ。
 綺麗は綺麗だけど、その変わり、シャンプーした後の秋田犬のフワフワ毛の抜けようといったら……夏でも庭が、津軽海峡冬景色になっちまうんだよなぁ。
 ほら、鶴岡さんが頭を撫でるそばから、綿毛のような毛がホワホワと宙に舞っている。
 口をへの字に曲げて、少し考え込んだ鶴岡さんは、「こんなところで、私達が悩んでいても仕方がありません。ちょっと、管理人に確認してきます」と言って、フロントへ走って行った。

 支配人やマネージャーではなく、管理人。

 その言葉を聞いて、ここがようやく、ホテルではなく、あくまでも研修施設だというのが実感できたような気がした。
 エントランス部分の屋根のお陰で、日差しが入って来ないだけでも、だいぶ体感気温が違う。
 鶴岡さんが中に入って、まだ5分も経っていないが、太陽の下で待っていたら、とっくの昔に誰かが倒れていただろう。
 たまに通り抜ける海風も心地よく、俺達は静かに鶴岡さんの戻りを待っていた。
 ウィーンという自動ドアの開閉音と共に、鶴岡さんが、スーツを着た初老の男性を引き連れて戻って来た。

「このコですかな?」

 一歩離れた場所から、ボンに視線を送る男性。
 髪の毛は染めているのか、顏に深く刻まれた皺とはアンバランスなほど、真っ黒な髪の毛を、整髪料を使ってきっちりオールバックにした男性は、見た目以上に年齢を重ねているようで、皺がれた声を発した。
 眉を寄せる仕草から、こちらの要望をスンナリ受け入れる気はなさそうである。
 少々神経質な雰囲気を出しているところから、政府から雇われている身だから、あまり厄介事を持ち込まないで欲しいといった感じだ。
 ここは慎重に言葉を選んで答えなくてはと思った矢先に、彼の問い掛けに答えたのは、俺でも鶴岡さんでもなく、飼い主の大介。

「はい。梵天丸って言うんです。普段は庭で飼っていますが、基本的な躾やトイレに関しては、絶対に問題はありません」

 ボンを一匹にさせたくないという一心で、かえって必死になりすぎて、余計なことまで話してしまう大介。
 そんな言い方をしてしまったら、間違いなく外に繋がれてしまう。

「いつもは庭で? それなら、このエントランスの奥にでも……」

 案の定、管理人は、奥の駐車スペースにある柱を指差し、そこに繋いでおけばいいと言おうとしたが、こちらもそうはいかない。
 いくらこの場所が安全だとはいえ、普通の人間だけが住んでいるのなら別に問題はないが、他の区域では化け物のような感染者がいるような島だ。
 セキュリティが万全だとはいえ、万が一ってこともある。
 対普通の人間であれば、ボンなら上手く対処するだろうと思うが、対化け物となったら、そうはいかない。
 これ以上口を開けば、下手なことしか言わない大介に変わって俺が口を挟んだ。

「すみません。ボンは、秋田犬という犬種で、寒い土地で生活する犬種なので、夏場はエアコンの効いた室内で飼っているんですよ。それに、アジリティー競技(犬の障害物競争のようなもの)で、何度も優勝している賢い子です。爪も切ってありますし、トイレの躾も出来ています。足の裏もきちんと拭きますので、何とかなりませんか? もしも、粗相をしてしまった場合は、勿論弁償します」

 最後の『弁償します』という台詞はとても重要。

 学校でも会社でも、社会全般の殆どで言えることだが、規律やルールに反することや、前例のない事に関しては、誰かが何かしらの責任や保証を負わなければ、話しが進まない。
 けれど、誰かが責任や保証を請け負ってくれた時には、大概、話しは進むもの。
 しかも、鶴岡さんが、「今から、NNW2地区の警護にあたってる部隊から、大き目のシートを取り寄せる。それを室内に敷けば、問題ないだろう」という援護射撃をしてくれた。

 こうなれば、もうこっちのもの。

 コロリと態度を変えて、満面の笑みを見せる管理人は、「それでしたら、そちらのお坊ちゃんとワンチャンがお泊りになられる部屋と、皆さんがお話合いや打ち合わせ等でお使いになられる会議室は、フローリングになってる部屋に致しましょう。では、案内いたしますので。こちらへどうぞ」と、ワンオクターブ声を高くして、俺達を施設内へと招き入れた。
しおりを挟む

処理中です...