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episode 23
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大きな石が埋め込まれ、その石が創る不規則な模様が、まるで石垣を想像させるような壁。
ひんやりとした空気。
部屋の中央にある机の上には、歴史民俗博物館くらいでしか見た事のないガラス製のアルコールランプに火が灯されている。
オレンジ色に小さく揺らめく炎は、薄暗い部屋をより一層、不気味な空間を演出しているように感じた。
机の向こう側には、こちらに背を向けて座る男性。
その後頭部も背中も、僕には見覚えがある。
けれど、何故、彼がここに?
紛争地域から帰って来たとしても、彼がいるべき場所は、ここでは無い。
きちんとした居住区がこの島にはある。
頭の中を一気に疑問が駆け巡る僕の背後で、痛ましい悲鳴のような軋む音と、重々しく扉が閉まる音に反応して、皆の注目を浴びている彼が、ゆっくりと椅子を回転させた。
白髪頭の穏やかな表情の男性。
鷹のような鋭さを持っているが、その奥には温かな光を湛えた瞳。
年の割には皺が少なく、肌にもハリがある健康そうな顏を見て、僕は柄にもなく、安心したのと再会の嬉しさとで、大きな声を上げて駆け寄った。
「龍平ジィッ!」
彼の年代にしては背が高い方だとは思うが、それでも、僕よりは小さい。
椅子から立ち上がった龍平ジィに抱き着くと、すっぽりと彼の身体は僕の腕の中に納まってしまう。
少し痩せたようだ。
「おお。洋一郎か。よくここまで無事に辿り着いたなぁ」
背中に回された彼の両手が、僕の背中をポンポンと叩く。
変わらない声と喋り方。
記憶も感情も、前と何ら変わりがない事に安心する。
「とりあえず座りなさい」
急ぎの話があるようで、感動の抱擁の余韻すらも味わうことなく直ぐに体を離した。
部屋の中にいる皆が、彼の指示に従う。
机の回りには、背もたれ付き回転椅子が各側面に一脚ずつセッティングされており、龍平ジィの両サイドに僕と本郷さんが顏を向かい合わせるように座ると、残りの一番下座の席に、龍平ジィを真正面に捉える形で日野浦さんが腰掛けた。
目の前に座る本郷さんの顏にも、驚きの色が伺える。
上田龍平という人物が、この島にとっても『paraíso』計画にとっても、どういう役目を果たしたのかは、米澤さん達ですら知っているのだから、当然、彼だって知っている筈。
しかし、七十歳を過ぎ、この島に収容された人間が、『paraíso』居住区ではなく、反逆軍のアジトに潜伏していた事。
それも、かなり重要な人物だとして丁重に扱われている事実にびっくりしているようだ。
「こちらは、政府広報部より依頼を受けて、この島のPR番組を作成する為に取材に来た大手テレビ局のNTBの本郷さん」
「あ……はじめまして」
挨拶は基本。
礼儀正しくをモットーに生きてきた僕としては、本題に入る前に、まず本郷さんのことを龍平ジィに紹介した。
いつどこでバレたのかは分からないが、日野浦さんには既に、彼が秘密特殊部隊の人間だということは知られている。
けれど、龍平ジィに彼のことを正直に秘密特殊部隊の人間だと紹介することで、政府側の人間だと勘違いされないよう、彼の表向きの『顏』だけを告げた。
すると、すかさず立ち上がり、頭を下げる本郷さんの姿を見て、この人も相手を選んで言葉遣いや態度を変えているんだなと、マナーとして当たり前の事をしただけなのに、妙に感心してしまった。
目の前に差し出された本郷さんの右手を見て、「おや?」という表情を見せた龍平ジィは、彼に倣って席を立ち、自分の右手を彼の手に重ねて力強く握手した。
「君は、本当に報道関係者かい? 手根部の痣だけを見ると、常にパソコンと向き合っているように感じるが、人差し指の変形を見ると、なんだか物騒な仕事をしているようにも思えるがね」
全てを見透かしているような目で本郷さんを捉える龍平ジィに、右手をしっかりと握られ、離すことの出来ない彼は瞼をピクリと動かした。
「上田リーダー。それは当然ですよ。彼は、政府機密システムのセキュリティ管理の担当者をしておりましたから。しかも、日本国防軍の秘密特殊部隊の人間です。人差し指の変形は当然でしょう」
二人のやり取りを見ていた日野浦さんが、本郷さんの経歴を説明した。
人差し指の変形はマウスの使い過ぎかと思っていたが、彼らの話を聞いていると、どうやらライフルや拳銃を常に扱っているからだというのが暗黙の了解のようである。
秘密特殊部隊という単語を聞いた龍平ジィは、「あの方が動き出したというわけか……」と小さく呟くと、一瞬だけ憂いに満ちた表情を覗かせたが、直ぐに口元を引き締め、「そうか。で、例の件は?」と、日野浦さんに向かって尋ねた。
いつの間にか日野浦さんにも自分の正体が露見していた事を思い出した本郷さんは、もう身元を隠す必要が無くなったせいか、開き直ったような態度で、「ええ。日野浦さんから協力を要請されましたよ」と、尋ねられた本人を差し置いて返事をした。
龍平ジィの視線と本郷さんの視線が絡み合い、そして、互いに目で会話を成り立たせているような、不思議な沈黙が僅かな時間、続いたのだった。
ひんやりとした空気。
部屋の中央にある机の上には、歴史民俗博物館くらいでしか見た事のないガラス製のアルコールランプに火が灯されている。
オレンジ色に小さく揺らめく炎は、薄暗い部屋をより一層、不気味な空間を演出しているように感じた。
机の向こう側には、こちらに背を向けて座る男性。
その後頭部も背中も、僕には見覚えがある。
けれど、何故、彼がここに?
紛争地域から帰って来たとしても、彼がいるべき場所は、ここでは無い。
きちんとした居住区がこの島にはある。
頭の中を一気に疑問が駆け巡る僕の背後で、痛ましい悲鳴のような軋む音と、重々しく扉が閉まる音に反応して、皆の注目を浴びている彼が、ゆっくりと椅子を回転させた。
白髪頭の穏やかな表情の男性。
鷹のような鋭さを持っているが、その奥には温かな光を湛えた瞳。
年の割には皺が少なく、肌にもハリがある健康そうな顏を見て、僕は柄にもなく、安心したのと再会の嬉しさとで、大きな声を上げて駆け寄った。
「龍平ジィッ!」
彼の年代にしては背が高い方だとは思うが、それでも、僕よりは小さい。
椅子から立ち上がった龍平ジィに抱き着くと、すっぽりと彼の身体は僕の腕の中に納まってしまう。
少し痩せたようだ。
「おお。洋一郎か。よくここまで無事に辿り着いたなぁ」
背中に回された彼の両手が、僕の背中をポンポンと叩く。
変わらない声と喋り方。
記憶も感情も、前と何ら変わりがない事に安心する。
「とりあえず座りなさい」
急ぎの話があるようで、感動の抱擁の余韻すらも味わうことなく直ぐに体を離した。
部屋の中にいる皆が、彼の指示に従う。
机の回りには、背もたれ付き回転椅子が各側面に一脚ずつセッティングされており、龍平ジィの両サイドに僕と本郷さんが顏を向かい合わせるように座ると、残りの一番下座の席に、龍平ジィを真正面に捉える形で日野浦さんが腰掛けた。
目の前に座る本郷さんの顏にも、驚きの色が伺える。
上田龍平という人物が、この島にとっても『paraíso』計画にとっても、どういう役目を果たしたのかは、米澤さん達ですら知っているのだから、当然、彼だって知っている筈。
しかし、七十歳を過ぎ、この島に収容された人間が、『paraíso』居住区ではなく、反逆軍のアジトに潜伏していた事。
それも、かなり重要な人物だとして丁重に扱われている事実にびっくりしているようだ。
「こちらは、政府広報部より依頼を受けて、この島のPR番組を作成する為に取材に来た大手テレビ局のNTBの本郷さん」
「あ……はじめまして」
挨拶は基本。
礼儀正しくをモットーに生きてきた僕としては、本題に入る前に、まず本郷さんのことを龍平ジィに紹介した。
いつどこでバレたのかは分からないが、日野浦さんには既に、彼が秘密特殊部隊の人間だということは知られている。
けれど、龍平ジィに彼のことを正直に秘密特殊部隊の人間だと紹介することで、政府側の人間だと勘違いされないよう、彼の表向きの『顏』だけを告げた。
すると、すかさず立ち上がり、頭を下げる本郷さんの姿を見て、この人も相手を選んで言葉遣いや態度を変えているんだなと、マナーとして当たり前の事をしただけなのに、妙に感心してしまった。
目の前に差し出された本郷さんの右手を見て、「おや?」という表情を見せた龍平ジィは、彼に倣って席を立ち、自分の右手を彼の手に重ねて力強く握手した。
「君は、本当に報道関係者かい? 手根部の痣だけを見ると、常にパソコンと向き合っているように感じるが、人差し指の変形を見ると、なんだか物騒な仕事をしているようにも思えるがね」
全てを見透かしているような目で本郷さんを捉える龍平ジィに、右手をしっかりと握られ、離すことの出来ない彼は瞼をピクリと動かした。
「上田リーダー。それは当然ですよ。彼は、政府機密システムのセキュリティ管理の担当者をしておりましたから。しかも、日本国防軍の秘密特殊部隊の人間です。人差し指の変形は当然でしょう」
二人のやり取りを見ていた日野浦さんが、本郷さんの経歴を説明した。
人差し指の変形はマウスの使い過ぎかと思っていたが、彼らの話を聞いていると、どうやらライフルや拳銃を常に扱っているからだというのが暗黙の了解のようである。
秘密特殊部隊という単語を聞いた龍平ジィは、「あの方が動き出したというわけか……」と小さく呟くと、一瞬だけ憂いに満ちた表情を覗かせたが、直ぐに口元を引き締め、「そうか。で、例の件は?」と、日野浦さんに向かって尋ねた。
いつの間にか日野浦さんにも自分の正体が露見していた事を思い出した本郷さんは、もう身元を隠す必要が無くなったせいか、開き直ったような態度で、「ええ。日野浦さんから協力を要請されましたよ」と、尋ねられた本人を差し置いて返事をした。
龍平ジィの視線と本郷さんの視線が絡み合い、そして、互いに目で会話を成り立たせているような、不思議な沈黙が僅かな時間、続いたのだった。
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