Parasite

壽帝旻 錦候

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episode 25

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 開かれた扉から晴香さんが、疾風の如く飛び出した。
 薄暗い室内に突如差し込む太陽の日差しが逆光となり外の景色がはっきりと見えない。
 あまりの眩しさに目を細め、光に目が慣れるのを待つ。

 晴香さんの怒声。
 耳を劈くような咆哮。
 徐々にクリアになっていく視界の中で見たものは、一般的男性の三倍……いや、四倍はあるだろう真っ黒な獣。

 毛は全く生えていないが、口は大きく裂け、目玉はやけにギョロギョロとしている。
身体は、肩や腕だけでなく、全体の筋肉が異常に発達しており、筋骨隆々という表現では言い表せられないほど。
 右肩に肉が破裂したというべきか、もがれたというべきか。
 大きな怪我をしているのを見ると、どうやら鶴岡さんが発射したミサイルの一つが化け物の肩を掠めていたようだ。

 しかし、獰猛な牙を剥き出しにし、低く地の底から響いてくるような吠え方をする化け物の動きは、その巨体に似合わず素早い。
 そういえば、ヒグマやグリズリーは足が速く、しかも持久力も半端ないと聞いた事がある。
 あんな野獣に狙われたら最後。
 生きて研究所まで辿り着ける気がしない。
 俺は生まれて初めて、足がすくむという感覚を経験し、その場から動けなくなった。

 足の感覚が無くなった分、視覚に神経が集中したのか、俺の目に飛び込んできたのは、化け物の四肢にある大きな切り傷。
 肩の大怪我。
 それらをものともせずに、目の前で両手で刀を構える晴香さんに襲い掛かる化け物は、怪我をしているとは到底思えないほどの俊敏さ。

 だが、晴香さんも負けてはいない。
 闘牛士のように、自分に突進してくる獣をヒラリと交わし、左手の刀で右前脚についている傷をピンポイントで狙い、その傷の上から更に切りつけると、右手に持った刀を、肉が剥き出しになった右肩に突き刺した。

 悲鳴とも怒声ともつかない哮けりが辺りに響き渡る。
 これを見る限り、四肢につけられた切り傷も晴香さんの攻撃によるものだと理解した。
 大型の獣であれば、痛覚が鈍いと聞くが、刃物が深々と肉体に突き刺されば、流石に鋭い痛みが走ったようで、何度か大地に転げ回った後、自ら左手で刀を抜き取り、遠くへ放り投げた。

 あの手の使い方。
 熊ではない。
 だが、大きさから言えば、他に思いつくのはゴリラぐらいだ。
 毛の無いゴリラ。
 あれも生物兵器の一部だというのか?

 そういえば……飛行場でも、人間の姿から異形のものへと変化した人がいた。
 つい自分の思考の中に入り込みそうになった時、化け物が体勢を整えた。
 真っ赤にさせた目をギラリと光らせ、化け物の注意が完全に晴香さんに向かった。

「行くわよっ!」

 拳銃を片手に扉から飛び降りた米澤さんに続いて、ライフルを構えながら飛び出す松山さん。
 振り返ると、顎で先に行けと促す鶴岡さんの腕に、無線機と冷たく黒光りする武器を目の端に捉えた俺は、晴香さんの雄姿を目にして、こんな所で怖気づくわけにはいかないと、覚悟を決めて車内から飛び降りた。
 既に何十メートルも先まで全力疾走している二人は、決して後ろを振り向く事はなく、言われた通り、一直線に研究所へ向かっている。

「かっつん!」

 大介とボンが車内から降りて来たのを確認する時に目に入ったのは、左手に持った刀を捨て去り、背後に固定した鞘から、また新たに両手で刀を抜く晴香さん。
 刃物は脂がつくと切れ味が悪くなる。
 時代劇では、よく、何人もの侍をバッタバッタと斬り捨てていくシーンが描かれているが、実際はそうはいかない。
 あの化け物の四肢を何度も切りつけた後だ。
 切れ味の悪くなった刀を捨てて、ダメージの大きい右前足をとことん攻めて、動きを封じる作戦なのだと思う。

 華奢な女性一人に任せるのは忍びないが、ここで俺達が手出しをしても、むしろ足手まといになるだけ。
 鶴岡さんも、車内から降りてきたところで、一気に走り出した。

 500キロは余裕であるだろう大きな体を激しく動かしているせいか、地響きが足元から伝わって来るような気がする。
 背筋が凍り付くような野性味溢れる雄叫びと、それに怯むことなく立ち向かう晴香さんの気合いの入った掛け声を背中で受け止め、ひたすら前へ前へと走る。
 先に走っていた二人の姿が段々近付く。
 負けん気が強いとはいえ、米澤さんはやはり普通の女性。
 体力的には一番劣る。

 彼女達の荒くなった呼吸音が耳に入る距離にまで迫った。
 目指している建物は、高くそびえ立ちパッと見はかなり近くに見えるが、実際には遠い。
 3キロと言えば、あっという間に辿り着けると思っていたが、そんな事は無い。
 二人に追いつき横に並ぶと、額に汗を滲ませ顏を歪める米澤さんが脇腹を押さえだした。
 首を思いっきり後ろに回すと、数百メートルくらい後方になった二つの影が激しいバトルを繰り広げているのが遠目でも分かる。
 小さな影は晴香さん。
 動きが鈍くなった大きな黒い影に、俊敏な動作で挑んでいる姿を見ると、形勢は晴香さんが有利なように見える。

「少しペースを落としましょう」

 現状、彼女が走っているペースはプロのマラソン選手と変わらない。
 常に長距離を走っているアスリートなら話しは別だが、一般人のロクにトレーニングも何もしていない米澤さんが、このままのペースで走り続けられるとは到底思えない。
 それどころか、途中で倒れたり、動けない状態になる方が問題だ。
 彼女の隣を走る松山さんが、米澤さんの肩を叩き、「上田君の言う通りだ。このままじゃ、俺の方が辿り着く前にくたばっちまう」と息を切らせながら言葉をかけた。
 負けず嫌いの彼女のことだ。
 松山さんが、自分自身がしんどいと言わない限りは、皆の足手まといになりたくないと思って無理にでも走り続けただろう。
 彼女は松山さんの顏を横目で見ると、観念したように小さく頷き、ゆっくりと速度を落とし、駆け足程度のペースを保った。

「道を見ずに、上だけ見てればこんなにも近くに見えるのにね」

 自分達が走っている道を見ると、まだまだ先は長い。
 けれど、確かに建物だけに注目すれば、本当に近く見える。
 その事が余計、体を疲れさせる原因でもあるのだが、そんな事、後方で俺達を先に行かせる為に一人で奮闘している晴香さんの比べたら屁でもない。
 全力疾走ではなく、軽い駆け足程度のペースになり、幾分、体力的な余裕が出た俺は、再び、思考を張り巡らせた。

 あの化け物。
 パッと見の印象は、体の大きさといい、筋肉質な感じといい、熊かゴリラを改良したような感じだった。
 大型動物を生物兵器に品種改良したのかと思ったが、本当に俺達を狙った刺客だとしたら、一番厄介な晴香さんに構い続けることはせず、ヤレるものからヤルのが普通。
 それは知性があるなしに関わらず、野生の世界だって同じ事。

 だが、アイツは自分に抵抗するだけでなく、攻撃を仕掛けてきた晴香さんだけに今は的を絞っている。
 まるで飛行場の時と同じだ。

 それに、あの体には毛が生えていない。
 もしかして、アイツも研究所が開発した寄生虫に寄生された人間だったモノだというのか?

 拳銃を握る右手に力が篭る。
 生物兵器にされた挙句、姿形まであんな醜くされても、元は人間。
 いざという時、俺はアレを撃てるだろうか?

 いいや。
 案外、人間は残酷な生き物だ。

 見た目が『人』ではないのだから、自分や仲間の命が危険にさらされてしまえば、簡単に撃ち殺してしまうものなのかもしれない。
 後に、『人殺し』という自責の念に駆られたとしても、その場ではきっと、躊躇なく引き金を引くんだろう。
 非人道的な政府の計画をぶち壊そうだとか、人体実験にされそうな人達を助けようだとか、大きな事を言っている割に、俺自身だって自分勝手で汚い奴だと認識させられ、奥歯を噛みしめていると、急に大介が皆に話しかけた。

「みんな、走りながら聞いてー」

 運動神経抜群の大介は、息一つ乱す事なく、大きな声を上げた。
 その声に、皆は振り向きもせず、返事をすることもないが、ちゃんと耳だけは大介の方に集中しているようだ。

「晴香さんが闘っている獣は、オレの予想だと、寄生虫による突然変異っぽい。条虫(サナダムシ)が人間に寄生した場合、免疫力の弱っている人間の体内ではまれにリンパ系への侵入を許して、癌細胞を作り増加させる場合があるって聞いた事があるんだ」

 人間の体内に入り込み、病気の元となる虫やウィルスなんて何万といるだろう。
 今更、そんな話しを聞いても驚きもしないが、それが、あの化け物とどう結びつくのかが分からない。

「癌細胞は遺伝子を傷つけるって言うでしょ? それと同じで、宿主と上手く適合しなかった寄生虫は、宿主の体内組織や細胞を傷つける。癌細胞を作ってしまう寄生虫がいるのであれば、遺伝子を何等かの方法で傷つけてしまう寄生虫だっているんじゃないかなって思うんだ」
「ハァハァ……そ、そういう……こ、とね」

 息切れをしながら何とか返事をする米澤さんに、「あ、そのまんま聞いてるだけでいいですよぉ」と、余裕な喋りで応答する大介は、自分なりに考えた答えを続けた。

「世界中で筋肉隆々の突然変異の動物っているじゃん? あれって、体内にあるミオスタチンっていう筋肉の成長抑制遺伝子に異変があって、タンパク質をうまく分解出来ていないんだ。ってことはさ、何らかの理由で、ミオスタチン遺伝子が寄生虫によって壊されてしまえば?」
「成長抑制遺伝子が少なくなるってことは、どんどん増加するって事か」
「せーいかーい!」

 そうだよな。
 例えがおかしいかもしれないけれど、インフルエンザや風邪だって、密室で同じ空気を吸っていたって、感染する人もいれば感染しない人だっている。
 だったら寄生虫が体内に入ったからと言って、脳まで辿り着けるヤツばかりじゃない。
 体内の免疫システムに阻まれたり、逆に、他の主要器官の中で居心地のいい場所を見つけてそこに寄生する場合は大いに考えられる。
 けれど、人間社会においても常識に捉われない自由人や、個性的な人というのは、集団行動の枠には当てはまらないし、誰かの命令を聞くようなタイプではない。

 寄生虫にしたって同じではないか?

 蟻も蜂も、人間と同じような社会性を持っていても、その枠に捉われないタイプもいるだろうし、社会性を持って生まれて来ないものだっているだろう。
 しかも、異形化や形成異常を齎すような寄生虫は、軍事機密研究所や政府の人間にだって予測不可能で、尚且つイレギュラーな存在。
 強大な力を持っていても、政府や研究所の人間ですら、扱いきれていないとしたら?
 ブレーキの利かない暴走トラックのように、制御が出来ず、自分の行く手を阻むもの全てをなぎ倒し破壊しつくしてしまうのではないか?
 何故か言い知れぬ不安と恐怖が沸き起こり、ドクンドクンッと心臓の音が大きく打ち鳴らされているような気がしたが、それに気付かぬフリをして、考えを深めていく。

 火事場の馬鹿力と言うが、脳のリミッターが外れ、時としてとんでもない力を発揮することがある。
 だが、それは一瞬のこと。
 その一瞬でさえも、器(体)がその力についてこられずに、壊れてしまう事があるのだから、リミッターもストッパーも外れたものは、最終的には自らを滅ぼすと考えていいのだろうが、あの獣と化した人間は、寄生虫によって体までもが変化していた。

 だとすれば――――

 恐ろしい考えが頭を覆い尽くしていく中、背後で爆発音がし、その思考を一旦途切れさせた。
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