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壽帝旻 錦候

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PSYCHIC 13

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 荒々しい息遣い。
 激しく打ち鳴らされる鼓動。
 草叢を掻き分け、落ちている木の葉や小枝を踏み鳴らして走る音が森林の中に響き渡る。
 背後を気にしながら走るには、あちこちに剥き出しになった木の根や、小石があるだけでなく、滑りやすくなっているので足元があまりにもよろしくない。
 中山は後方から迫りくる者から必死で逃げている間、どうしてこんなことになってしまったのかを考えていた。

 どこでどう間違えた?
 私は彼に忠実に従っていたはず。
 ううん。
 私は彼を愛していた。
 そして、彼だって、誰よりも私を大事にしてくれていたはずよ。
 今日だって、彼は私のことを心配してくれたからこそ、傍に来てくれたはずなのに――――

 いつもと変わらない口づけ。
 私の身体を撫でまわす大きな手の平だって、彼の吐息だって熱を帯びていた。

 なのに。
 なんで?
 どこがいけなかったの?
 どうしてどうしてどうして――――

 滲み出る汗。
 振り乱した髪の毛。
 自分を追う者は、まるで獲物を追い詰めるのを楽しんでいるかのように、一定の距離を保って追い掛けて来る。
 それがまた、彼女の気持ちを焦らし、小さなミスを誘いだす。

「きゃぁっ!」

 足元を滑らせ勢いよく転がった。

「いたっ」

 足首からイヤな音がした。
 折ってはいないようだが、どうやら捻挫したらしい。
 彼女の異変を感じ取った迫りくる者の足音も止まる。
 元々男女という体格差や体力の違いからでも、彼女が捕まるのは時間の問題ではあったのだが、転んでケガをしたとなれば、急がなくても簡単に彼女を仕留められる。
 彼女を狙う者は、邪魔となる存在が当分この林には来ないことは分かっていた。
 もし来たとしても、奥へ奥へと逃げ込んだ彼女を探し当てるまでには相当な時間がかかる。
 陽は傾きだしている。
 このままいけば、捜索はきっと明日になるだろう。
 ならば、慌てなくてもいい。
 息を整えゆっくりと彼女へと近づく影は、彼女に気付かれぬようほくそ笑んだ。

 倒れ込み、自分の足首をさすって状態を確認した彼女は、腫れ上がる患部よりも、自らの命の危機を回避することで頭が一杯だ。
 近くにある木を支えにして立ち上がると、くじいた左足を引き摺りながらも、必死で逃げようとする。

「なんで逃げるんだい? 僕が君を殺す筈はないだろ?」

 怯える背中に向けて放たれる言葉。
 その低く優しく鼓膜を響かせる声は、紛れもなく愛する彼の声。

 そうだ。
 そうだった。
 彼が私を裏切るわけがないじゃない。
 だって、私達は愛し合っているんだもの。
 これまでだって、誰にもバレないように彼と付き合ってきたし、尽くして来たんだもの。
 そんな私を彼が襲うだなんて。
 有り得ない。
 何をこんなに怯えていたのかしら。

 逃げるのを止めて恐る恐る振り返る。
 そこには狂気に満ちた目をした殺人鬼ではなく、優しい笑顔を浮かべた愛しい彼の姿。

「ごめんごめん。悪ふざけしすぎたようだね」

 困ったように頭をかく彼。
 常に自信に満ち溢れたワンマンさのある彼が、自分にだけ見せる可愛らしい表情にホッとするものの、視線をズラして「ヒッ」と息を呑んだ。
 その右手は革のグローブをはめ、小さな斧を持っている。
 彼女の視線に気が付いた男は、「あぁ」と呟くと、手にしていた斧をその場に落とした。

「驚いた?」

 舌をペロリと出し、お茶目な仕草をする彼は言葉を続ける。

「いくら僕が指示した事とはいえさぁ。やっぱり目の前で他の男とシて乱れている君の姿を見たらさぁ、嫉妬するだろぉ?」

 口を尖らせ、拗ねている彼の様子に胸を撫でおろす。

「この斧だって、普通の山道を通ったら、誰かとハチ会う可能性だってあるだろ? だから雑木林の中をわざわざ歩いて来たんだよ?」

 額に汗を滲ませる彼が言いたいことは、『雑木林の中だと、枝に邪魔されて中々先に進めないから、斧を使って枝を切って進んで来た』ということなのだろう。
 けれど中山は、その斧を見ただけで、自分に後ろ暗いところがあり、更には、相手の冷酷な部分を知っているが為に、もしかしたら殺されるのではという被害妄想に駆られ、駆け出したのだ。
 よくよく考えてみたら、そんなワケがないのに。
 自分と彼とは、切っても切れない間柄なのだから。

 中山は何で、彼の事を一瞬でも『怖い』と思ってしまったのかと苦笑しながら、ついさっきまでの事を思い出した。
 林に来てから直ぐに取り掛かったのは、本当の心霊現象が撮れなかった場合の保険映像。
 まともにロケをしても、面白い映像が撮れなかった時の為のいわゆるヤラセ映像を、彼に指示されたように撮影をした。
 その後、彼との内緒の打ち合わせ通り、本番の映像を撮る前に彼らを誘った。
 場所が場所なだけに皆、難色を示したけれど、ここでスルことに意味があると言った彼の命令は絶対。
 全員が運命共同体だっていうのに、色ボケした馬鹿二人が、こんな大事な時に限ってキャンプか何かと勘違いしているのか、手を取り合ってどこかにシケ込んでしまったことで、どこか結束力が欠け、浮足立っているような感じがした。

 気持ちの緩みが大きな惨事を招く。

 一人でも馬鹿な事を口走ってもらっては困るし、弱気になってもらっても困る。
 誰一人裏切らないようにするのが私の役目。
 私が誘えば、断ることは許されない。
 自らの身体を使って、彼らにはしっかり「あの時」のことを忘れないよう刻み込むのも今回が初めてのことではない。
 私達は何度も何度も、こうやって罪悪感を共有し合い、仲間意識を強めてきた。

 ただ、今回違ったこと。

 それは、彼らから見えない位置にスマホを設置し、情事中の全てを録画しておいたこと。
 その映像を、私がロケ中に男達に犯されているように上手く編集すれば、彼らは私の言いなり。
 今まで以上に、彼らを監視し、利用しなくてはならないのだから。
 頭のキレる敏腕アナウンサーの私が、男達との乱交だなんて、逆に強請りのネタにされるんじゃないかって?

 そんなことは有り得ない。

 合意の上での行為だと彼らが主張しても、複数の男に女が一人。
 そのうち既婚者もいれば、人気商売の男もいる。
 それに、私には彼がいる。
 どう考えたって、私よりも彼らの方がリスクは高い。
 より一層、彼らを太い鎖に繋ぐことに成功した後、このロケの責任者である田口に怪しまれぬよう、ロケ本番の撮影準備へと各々取り掛かった。

 周りが機材確認や、ある程度の『仕込み』『演技』に集中している間、やることがなく林の中をぶらぶらしている時、ここに居る筈のない彼が、木陰に隠れて手招きしているのを見た時は、思わず声を出して喜びそうになったが、すぐに人差し指を口にあてて周りを見渡す彼の仕草に、自分だけに秘密の用事があるのだと察知して両手で自分の口を押えた。
 こちらに向けて手招きする彼に対し静かに頷くと、誰にも気付かれないように駆け付けた。
 近付く度に、奥へ奥へと誘い込む彼。
 きっと内緒の指令があるだけでなく、数分でも恋人との逢瀬を楽しみたいと思ってくれているのだろう。
 数分前まで好きでもない男達から快楽を与えられていた体は、彼を欲して火照りだす。
 ロケ隊のメンバーの姿が見えない、かなり離れたところでようやく足を止めた彼。
 昨日会ったばかりだというのに、もう何日も何カ月も離れていたような気がして、その背中に飛びつくと、冷たく振り払われてその場に尻もちをついた。

「え?」

 大きく目を見開く私に向けられたのは小型の斧。
 彼は何も言葉を発しない。
 ただ、何の色も宿さない冷めた目で見つめるだけ。
 それがかえって恐ろしくて。
 足が震え出す前に、脳が『逃げろ』と命令した。
 跳ね上がるようにして立ち上がると、方向も気にせず、兎に角、彼から離れようと、一気に駆け出した。
 突然の行動に呆気にとられた彼は、少しの間、ポカンと突っ立っていたものの、その後、「待て」とも「逃げるな」とも叫ぶわけでもなく、斧を振りかざすわけでもなく、ただ、自分の後を追いかけて来た。

 そして今。

 慣れない山道を走り、お互い肩で息をしている状態で対面しているのだが、彼からは殺気など一切感じることはなかった。

『こんな場所にいるから色々な面で疑心暗鬼になり、最愛の人のことまで疑ってしまうなんて、どうかしてる』

 傲慢で、強気の彼が、自分にだけにしか見せない困ったような表情を見て、ほんの僅かでも、彼の目に殺気が宿っていたように感じてしまった自分自身を反省するように頭を小さく振り、「ごめんね。嫉妬で怒っていたから、あんな顔していたんだね」と彼に向けて手を伸ばした。

「あぁ。そうだよ。僕が頼んだこととはいえ、流石に目撃しちゃうと……ね」

 力なく首を垂れる彼の腰に両手を巻き付ける。

「でも、ちゃぁんと上手いアングルで撮ったから」

 彼の肩に顔を埋め、そう小さく呟いた。
 髪の毛を優しく撫でる彼の手に安心感を抱きつつ、「あまり長い間ロケ隊から離れてたら、皆心配して、探しにくるわ」と言いながらも、せめて、口づけぐらいはしたいと思い顔を上げる。
 頭一つ分高いところにある彼の顔は自分を見てはいなかった。
 空虚な目はどこか遠くを見ているようで、何となくゾクリとするようなものを感じた。

「何を見ているの?」

 普通に言葉を発したつもりが、彼の異変を感じたせいか、声が掠れた。
 視線はそのままで、彼は口を動かした。

「こんな偶然ってあるんだな」

 抑揚のない声に、ドキリと心臓が嫌な音を立てた。
 彼の手に力がこもり、頭が胸に押し付けられる。

「え、ちょっと痛いよ……」

 非難めいた声を上げるものの、彼の耳には届いていないのか、独り言のように彼は続けた。

「お前、まさかこの場所を狙って走っていたわけじゃないよな」

 低く唸るような声に、昔の記憶が蘇った。
「まさか」と思い、思わず彼の手を振り払うと、彼が見ていた視線の先を目にした。

「え――――あががぁっ! ごふぅっ」

 驚きのあまり、大きく目を見開いた瞬間、首に今まで感じたことのない鋭く重い衝撃と共に熱く激しい痛みを感じた。
 喉元からせり上がってくる鉄の味。
 生温かな液体が口内に溢れかえる。
 いっそ一気に刺したものを抜いてくれれば、間欠泉のように噴き出す血液によって、意識を失うことだって出来るのに、彼女のせめてもの願いも虚しく、頸動脈を突き刺している鋭いものは、更に奥へ奥へと捻りこまれていく。

「うぐぅ……あがっ」

 目の奥が真っ赤になり、細かな光がチカチカと飛び交う。
 頭が正常に働かない。
 背後にいる者の手が、自分の手を取り、そのまま彼が首に突き刺したままの何か――ナイフであろうものの柄を握らせた。
 彼の手の感触はいつもとは違う。
 手袋の革一枚。
 たったそれだけでも、二人にとっては永遠に重なり合うことのない体温を意味していた。

「抜き取るのも、そのままでいるのも君次第だよ」

 温かな息を耳に吹きかけながら呟く彼の声。
 その熱すらも感じる余裕もなく、じわりじわりと喉から口へと溢れだす血液によって増していく息苦しさと、傷口から広がる熱と痛み。
 ゆっくりと離される手。
 背後に感じていた体温も遠のいていく。
 葉音を立てて去っていく足音も、徐々に感覚が麻痺していく彼女の耳には聞こえない。

「な……んで」

 それが彼女の最後の言葉であった。
 
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