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第一章

⑤守りたいもの

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「アンドレア、恋は頭で考えるものではない。気がついたときは、足元まですっぽりはまっているものだよ」

 兄にそう言われたとき、アンドレアはまたバカなことを言っていると、本を読みながら目線すら動かさなかった。

「俺はね、全身痺れて全てを投げたしてもいいと思えるような、そんな恋を探しているんだ」

「だったら、一人の女性と真摯に向き合ってお付き合いしてみたら?アルバートはとっかえひっかえし過ぎだよ」

「それがさー、世の中には魅力的な女性が多くて困るよね。それに俺、黙っていてもモテちゃうからさ」

 また兄のモテ自慢が始まったと、アンドレアはため息をつきながら、本のページをめくった。

「アンドレアだって俺と同じ顔だけど、ちゃんと女の子の顔しているんだよね。見る人が見れば分かるよ。すごく可愛いと思うよ。俺が言うから間違いない!」

 今日はやけに持ち上げてくるなと、気持ち悪さを感じながら、無視して読み進めていると、アルバートが近くに来たのが分かった。

「アンドレアがいつか好きな人が出来たときのために教えてあげる。戸惑ったり迷ったりすることもあるけど、大事なことは―――――」


 あのとき、アルバートはなんと言ったのか。
 それほど前のことではないのに、ずいぶんと懐かしく感じた。

 今アルバートはどこにいるのか、父と会えたのか、毎日確認しているが母からの手紙はまだ届かなかった。


 しばらく落ち着いていたイアンとの関係だったが、その日の午前中の移動教室でそれは起こってしまった。

 ルイスと歩いていたアンドレアが背後に気配を感じて振り向くと、イアンがすぐ後ろに立っていた。

「なんだよ、何か文句があるのか?」

 アンドレアが睨みながら言うと、イアンも負けじと睨み返した。

「ああ、あるよ。お前最近、ローレンス様とライオネル様に近づいているらしいな。権力に取り入ろうとしているのか?それとも女には飽きて男に変えるのか?この男女野郎!」

 カチンと来たが、ルイスに服の裾を引かれて止められた。

「俺がどうしようと、お前には関係ないよ。急ぐから構わないでくれ」

「なん……だと……」

 話は終わりだと背を向けて歩き出した。
 話し合っても通じない相手と、これ以上話しても無駄だと思ったのだ。

 背後で息を飲む音がした。その瞬間、ほんの少しの殺気を感じ取ったアンドレアは、体が反応して横に避けた。
 アンドレアを掴もうとした手はそのまま空をきって、イアンはバランスをくずした。

 一歩遅れてそれに気がついたルイスが、アンドレアを守ろうとタイミング悪く間に入ってしまい、バランスをくずしたイアンがルイスに勢いよく突っ込んで、ルイスは飛ばされてそのまま階段から落ちてしまった。

 一瞬の出来事だった。アンドレアは階下で転がっているルイスに駆け寄った。その時、上を見上げたがイアンの姿は消えていた。
 アンドレアの中で張り詰めていた糸がブチリと音を立てて切れたのが分かった。

 保健室に運ばれたルイスは、幸いなことにたいした怪我ではなかった。
 ただ、肩と腰を打撲して、その部分は痛そうに色が変わっていた。
 ベッドに横になり、一日安静にすることになった、

「冷やせば落ち着くっていうからさ、大丈夫だよ。俺も変な感じで間に入ってそれが悪かったから……」

「ルイス……、お前は悪くない、悪いのはイアンだろう」

「悪いが俺はもう動くことにする」

 決意を固めたアンドレアの瞳を見て、イアンは慌てだした。

「ちょっ………待って、荒立てたら後でアルバートが……」

「もうそんなことを言っている場合ではない。あいつが教師に相談しても変わらなかったんだろう。聞けばイアンの家は力のある貴族らしいじゃないか。本人とも話し合ったが、全くの平行線。それに、黙って耐えても、やることはどんどんエスカレートしている。ついに怪我人まで出てしまった」

「アンドレア………」

「あいつと交代した後、もっとひどいことになったら?そのベッドに次に寝ているのは、アルバートかもしれない」

 ルイスは目を伏せて、下を向いてしまった。ルイスもイアンをどうにか止めたいという気持ちは同じなのだろう。

「話し合っても無駄なら、俺がやることは一つだ。男と男として決着をつけてくる」

「へ?……まっ……さか!?」

「学園規則、第八十七条第一項、生徒同士の争いで許されている行為について、俺はここを熟読した!」

「いや、どこに書いてあるかまでは分からないけど、アンドレアはもしかして……」

 イアンの顔色は先程よりも青くなって、額から汗が垂れてきていた。

「心配するな、今俺はアルバートだ。絶対に負けない、負けるものか!」

 イアンが危ないとか、傷がついたらとか叫んでいたが、アンドレアは振り返らずにそのまま保健室を出た。

 まずは、職員室に行き教師に声をかけた。ちゃんと手順を踏まないといけないのが面倒だが、そこは従わないといけない。
 用紙を一枚書いて出すだけで申請が出来た。
 いつも見学組のお前が大丈夫かと教師は慌てていたが、やるだけやってみたいとゴリ押しして通した。

 教室へ向かっていると二年棟へ行く渡り廊下で、友人と歩いてくるイアンを見つけた。
 向こうもこちらに気がつき、ニヤニヤしながら近づいてきた。

「アルバートじゃないか。ルイスはどうだい?怪我でもしたのかな。言っておくけど、俺のせいじゃないよ。あのバカが勝手に落ちたんだから」

 体の血が燃えたぎるように熱くなっていく。アンドレアの曾祖父は、各国が領土を巡って争ったプレミカの戦いで、大活躍した人だ。戦場で一人の敵陣に突っ込んだ曾祖父のおかげで、ベイフェルムは小国ながら領土を守りきった。
 曾祖父のおかげでブラン伯爵家として貴族の称号を得た。祖父も軍人としてはなかなかだったらしいが、父は剣より商才に長けていて、資産を増やすことに注力した。

 今ではすっかり大人しくなったブラン家だが、アンドレアには確実に曾祖父の血が流れている。ここまで侮辱されて、友を傷つけられて、もう黙ってはいられない。

「イアン・ブルクジット、貴様が俺にした数々の侮辱行為、及び友人への危害について、俺は許すことが出来ない。学園規則、第八十七条第一項に則って、アルバート・ブランは、貴様に決闘を申し込む!」

 イアンは呆然として突っ立っていたが、周りの友人達がざわざわと騒ぎ出した。

「今日の放課後、剣技場に来い。分かっている思うが、学園の決闘は基本命までは奪わないことが条件だが、多少の怪我は黙認される。俺は本気で怒っている。無傷で帰れると思うなよ」

 いつの間にか騒ぎを聞きつけたのか、たくさんの生徒がわらわらと集まってきた。決闘は双方の負担が大きいので、一年あるかないかのものらしい。他の生徒にとっては、良い見せ物なのだろう。

「お前……、俺が去年、パド・ガレに出たことを知っているだろう?しかも俺は上位組だそ!授業は毎回見学のくせに……」

 アンドレアはおかしくて込み上げてきた笑いを止めることが出来なかった。今はブラン家の代表としてここに立っているのだ。

「それがどうした!俺はお前がキントメイアでも決闘を申し込む。絶対にお前を倒す!」

 アンドレアの堂々とした物言いに、周囲の生徒達から歓声が上がった。

「……分かった。本気でやるからな。どうなっても知らないぞ」

 イアンが了承して、周囲はますます白熱して歓声や怒号が飛び交い、すでに戦いが始まったような騒ぎとなった。
 興奮で収まらない事態になったが、一人の者が前に進み出て、パチパチと手を叩いたことで、辺りは一瞬にして静まり返った。

「こらこら、まだ始まってないのだから、ここで騒いでも仕方がないだろう」

「……ローレンス!?」

 銀髪をなびかせて、堂々と前に出てきたのは、ローレンスだった。いつもと変わらず、優雅で華のある佇まいだが、その目は強くアンドレアを見据えていた。

「アルバート、見事な宣言だった。私は君の勇気に感動したよ。今回の決闘の立会人は私が務めることにする」

 ローレンスの言葉に再び周囲はざわざわと声が上がりだした。

「という事で、本番は放課後だ。まだ午後の授業もあるのだから、皆大人しく教室へ戻るように!」

 突然の騒ぎに教師も何人か駆けつけて、生徒達を散らしていった。皆、興奮冷めやらぬようすで、喋りながら教室へ戻っていく。

「……全く、君は何て人なんですか。驚かされるし、本当に飽きないですね」

 すっかり人がいなくなった廊下に、アンドレアとローレンスだけが残った。

「ローレンス……、俺のことなのに、巻き込んでしまったみたいで……ごめんなさい」

「何か事情を抱えているようでしたが、相談してくれればこんなことにはならなかったのに。学園の決闘は命を奪うものではないですが、間違えて死んでしまっても文句は言えないのですよ」

 ローレンスの強い言葉が、アンドレアの胸に突き刺さった。髪で隠れた片方の瞳からも、怒気をはらんだ視線を感じた。

「………それでも。俺は守りたいんです」

 アンドレアは、アルバートやルイスのことを守りたかった。このまま放置して危険にさらすなら、自分が決着をつけようと思ったのだ。

「………そこまでプライドを守りたいのですか。君は無謀で気高い生き物のようですね。分かりました。それなら私も私のやり方でやらせてもらいます」

「……やり方?それはどういう?」

 何か含みのある言い方に、アンドレアはローレンスを見つめた。表情を読み取ろうとしたのだ。

 静かに怒っていたようなローレンスだが、その口許が綻んでいつもの優しい微笑みに変わった。

「放課後、剣技場で……」

 それだけ言って、背を向けてローレンスは行ってしまった。

 一人残されたアンドレアは、ローレンスが去っていった方向を見ながら立ち尽くしていた。
 最後に見た微笑みが頭から離れずに、なぜか収まらない鼓動を感じて、胸に手を当てたのだった。




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