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第一章
⑧隠された誘惑の色
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今日も雲一つない快晴だった。
あの空の青さはどこまで続いているのだろうと、アンドレアは目を細めながら見つめた。
この空の下のどこかにアルバートはいる。父はアルバートを探していて、母も帰りを待っている。
突然探してくれるなといなくなって、巻き込まれて大変なことになったが、この騒動がどう落ち着くのか、アンドレアはちゃんと考えていなかった。
貴族のお坊っちゃまと、平民の子持ちの人妻。
二人が行き着く先に、とても幸せがあるとは思えない。
お互い冷静になってくれればいいが、もう戻れないと悲観的になってしまったらと、アンドレアは嫌な想像をしてしまい、急いで頭を振ってそれをはらった。
幼い頃から何をやってもアンドレアはアルバートより上手く出来てしまった。
上手く出来るからといって良いことはない。
特にアンドレアは女であったために、兄より目立つなと叱られたし、褒めてもらいたくとも、必ず最初には女の身でそんなに出来ても、という言葉がついた。
そのうち、お前はしっかりしているから大丈夫だねと言われるようになった。出来ることが当たり前になってしまったので、驚かれることも褒められることも、なくなってしまった。
いつだって、周囲の目を集めるのはアルバート。愛らしくて天真爛漫で、少しくらい出来なくても、周りがついつい手伝ってしまう。
兄だけずるいと憎めたら楽だったのだろう。
でも、アンドレアはアルバートが大好きだった。自分勝手で周りを振り回す嵐みたいな人で、顔を合わせれば文句ばかり言ってしまった。だけど本当はアルバートの自由な話を聞くのが好きだった。いつも輝いていて生きているように見えて、アルバートに自分の夢を重ねていた。
だから、突然アルバートがいなくなって、放り出されたように不安に感じるのだ。
もしこのまま、アルバートが帰ってこなければ、自分はどうなるのか。だれに夢を託せばいいのか。
どこからか飛んで来た小さな白い鳥が、アンドレアの腕にとまった。
縦に入った黒いラインが美しい。長旅で疲れてちょっと休んでいるのだろうかと思って、アンドレアは微笑んだ。
「どうした?空を飛ぶのはお前の役目だろう。私には無理だ。地上でお前が美しく飛ぶ姿を眺めるしか出来ない。私は……飛べないから」
「アルバート?」
突然後ろから掛けられた声に体が揺れて、白い鳥はパタパタと飛んで行ってしまった。
「鳥と遊んでいたのですか?アルバートは鳥にも好かれるみたいですね。きっと心が綺麗なのでしょうね」
今日は週末。ローレンスとの約束の日だ。早く起きてしまったアンドレアは、だいぶ時間が早かったので、先に剣技場で自主練習をして一息ついていたところだった。
「俺の心がですか?綺麗だなんて……、怒ったり恨んだり羨んだり、とても綺麗な色をしているとは思えません。あいつはちょっと良さそうな場所があったから、休憩していったんですよ」
まさか聖人のように思われていたら申し訳ないので、一生懸命否定して振り向いたら、クスリと愉しそうな顔で笑うローレンスの姿があった。
「どれも、当たり前のように人にある感情ですよ。それを私は汚いとは思いません。むしろ、君のように素直に透けて見える人は、やはり心が綺麗だと思うのですよ」
まさか否定を否定されると思わなかった。これ以上違うと言っても恥ずかしくなるので、そうですかねと曖昧に受けとるしかなかった。
「少し早いですけど、始めますか?アルバートはちょうどよく体が温まっているみたいですから」
「はい!よろしくお願いします!」
ローレンスが手を差し出してくれたので、アンドレアは素直にその手に引いてもらって立ち上がった。
ローレンスの手は大きくてしっかりしていた。初めて触れたその肌をなぜだか急に意識してしまい、顔が熱くなってしまったを慌てて後ろを向いて隠した。
アンドレアは、なんとか浮わついたような気持ちを切り替えて、剣を握ったのだった。
キントメイアは、一番強いものという意味らしいが、毎年与えられるわけではないそうだ。その年の大会で優勝し、尚且つ相応しいほどの技術を持っていると判断された者に与えられる。
それを一年の時に与えられたローレンスは、あの方の再来と呼ばれているらしい。
あの方というのは、伝説になっている大会を取り止めにした先輩のことだ。
その強さは向かい合う前、剣を手に取った瞬間から分かった。
全身をまとうオーラが違った。静かな色であるが、全くの隙を感じさせない。それでいて自分の考えは全て筒抜けで、どう動いても負けることしか思い浮かべることが出来ないという、圧倒的な敗北感が体を包んだ。
アンドレアにとってその敗北感は、高揚感に似ている。圧倒的な差があるほど、力がみなぎってくるのだ。
勢いよく飛び出したアンドレアの攻撃を、ローレンスはいとも簡単にかわしていく、その身のこなしはさすがだ。そして押して引いてを繰り返して指導してくれた。
ライオネルのように重い攻撃を、遊びのようにどんどん打たれるよりは、ローレンスはちゃんと導いてくれて、その場で良い悪いを教えてくれるので、無理に振り回されて疲れすぎることもないので指導はかなり優秀だった。
「今日はここまでにしようか」
疲れて座り込んだアンドレアの横に、ローレンスも座ってきた。
気がつけば、高いところにあった太陽が、ずいぶんと落ちていて、空が赤く染まり始めていた。こんなに集中していたのかと、アンドレアは驚きで疲れも飛んでいくようだった。
「ありがとうございます。こんなにしっかり指導していただけるなんて、俺……本当に嬉しいです」
興奮冷めやらぬ勢いでローレンスを見つめながらお礼を言うと、ローレンスは困ったような顔をして笑った。
「あの?何か、失礼なことでも……」
まさか、礼を欠いた振る舞いでもしてしまったのかとアンドレアは慌てた。
「そうですね……、君のせいと言えばそうでもあるし、そうでないとも言えますね」
ローレンスにしては珍しく不明瞭な答えだった。完璧に見えるローレンスでも、悩みがあるのかと、思わず悩みがあれば力になりますと意気込んで伝えてしまった。
「そう悩みですね……、最近自分のことが分からないのですよ」
「大丈夫です!俺なんてそれ、よくありますから」
なんて簡単な悩みかと同調したら、またローレンスにふわりと笑われた。
「自分はずっとノーマルだと思ってきたのですが、ここに来てそれを疑うような相手に出会ってしまって困っているんです」
「ノーマル?疑う?なんですかそれ?」
アンドレアがわけが分からないと混乱していると、ローレンスはますます複雑そうな表情になった。
「初めはちょっと可愛い程度の気持ちだったのですが、気がつくと一緒にいるととても心地よくて、その姿を見るたびに癒されて引き込まれていきました。そしてついに決定的なことがあって、もう認めるしかなくて、でも相手は全然別の方向を見ていて、別のことで頭がいっぱいらしくて……」
ローレンスの話を聞いていて、真っ先に思い浮かんだのは、アルバートの話だった。あの恋に生きる男が普段悩み話していたことと、同じようなことをローレンスが言っていると気づいたのだった。
「ローレンス!分かりました。それは恋ですね」
「…………」
ひどく優しい笑顔のまま、ローレンスはアンドレアを見ていた。なにも言わないということは肯定だと思った。
完璧に見えるローレンスが恋に悩んでいるなんて新鮮な驚きだった、と同時に、アンドレアの心に小さく突き刺さるものがあった。それは、ローレンスの心の中に誰かがいるのだと意識すると、チクチクとした痛みに変わっていった。
「………ローレンスは、好きな人が…いるの?」
「どうして君がそんな顔をするのですか?」
夕日を背にして、アルバートの顔が近づいてきた。近づいたことで、普段横に流した長い前髪で隠れている片方の瞳が見えてアンドレアは驚きで目を大きく開けた。
「目の色が違うんですね」
普段見えている方は紫の瞳で、髪で隠れていた瞳は青い色をしていた。
「そうですね。珍しくて目立つのですよ。それでなくとも立場上視線を集めるので、変に注目されないように隠しているんです。まぁ、近づいてしまえば見えてしまいますけど」
「もったいない。両方とも、とても綺麗な色をしているのに……。この青い瞳は空の青より美しいです。あっ……でも、私だけが知っているのも特別みたいで嬉しい」
ローレンスの瞳が大きく開かれて、アンドレアはハッと気がついた。
その瞳に魅了されて、アンドレアは完全に素に戻ってしまったのだ。口に出してから、やってしまったと気がついて、青くなって慌てて立ち上がった。
「あああ、あの!俺、帰ります!今日はありがとうございました!」
背中でアルバートと呼ぶ声を聞いた気がするけれど、一目散に走ったのでそれが本当なのか願望なのか分からなかった。
部屋に戻っても、チクチクとした胸の痛みは消えなかった。それに一瞬アンドレアに戻ってしまったことがショックで信じられなかった。
辺りは暗くなって、空には月が浮かんでいた。
ルイスに話すわけにもいかず、どうしようも出来ない小さな痛みを忘れるように、アンドレアは月を見ながらため息をついたのだった。
□□□
あの空の青さはどこまで続いているのだろうと、アンドレアは目を細めながら見つめた。
この空の下のどこかにアルバートはいる。父はアルバートを探していて、母も帰りを待っている。
突然探してくれるなといなくなって、巻き込まれて大変なことになったが、この騒動がどう落ち着くのか、アンドレアはちゃんと考えていなかった。
貴族のお坊っちゃまと、平民の子持ちの人妻。
二人が行き着く先に、とても幸せがあるとは思えない。
お互い冷静になってくれればいいが、もう戻れないと悲観的になってしまったらと、アンドレアは嫌な想像をしてしまい、急いで頭を振ってそれをはらった。
幼い頃から何をやってもアンドレアはアルバートより上手く出来てしまった。
上手く出来るからといって良いことはない。
特にアンドレアは女であったために、兄より目立つなと叱られたし、褒めてもらいたくとも、必ず最初には女の身でそんなに出来ても、という言葉がついた。
そのうち、お前はしっかりしているから大丈夫だねと言われるようになった。出来ることが当たり前になってしまったので、驚かれることも褒められることも、なくなってしまった。
いつだって、周囲の目を集めるのはアルバート。愛らしくて天真爛漫で、少しくらい出来なくても、周りがついつい手伝ってしまう。
兄だけずるいと憎めたら楽だったのだろう。
でも、アンドレアはアルバートが大好きだった。自分勝手で周りを振り回す嵐みたいな人で、顔を合わせれば文句ばかり言ってしまった。だけど本当はアルバートの自由な話を聞くのが好きだった。いつも輝いていて生きているように見えて、アルバートに自分の夢を重ねていた。
だから、突然アルバートがいなくなって、放り出されたように不安に感じるのだ。
もしこのまま、アルバートが帰ってこなければ、自分はどうなるのか。だれに夢を託せばいいのか。
どこからか飛んで来た小さな白い鳥が、アンドレアの腕にとまった。
縦に入った黒いラインが美しい。長旅で疲れてちょっと休んでいるのだろうかと思って、アンドレアは微笑んだ。
「どうした?空を飛ぶのはお前の役目だろう。私には無理だ。地上でお前が美しく飛ぶ姿を眺めるしか出来ない。私は……飛べないから」
「アルバート?」
突然後ろから掛けられた声に体が揺れて、白い鳥はパタパタと飛んで行ってしまった。
「鳥と遊んでいたのですか?アルバートは鳥にも好かれるみたいですね。きっと心が綺麗なのでしょうね」
今日は週末。ローレンスとの約束の日だ。早く起きてしまったアンドレアは、だいぶ時間が早かったので、先に剣技場で自主練習をして一息ついていたところだった。
「俺の心がですか?綺麗だなんて……、怒ったり恨んだり羨んだり、とても綺麗な色をしているとは思えません。あいつはちょっと良さそうな場所があったから、休憩していったんですよ」
まさか聖人のように思われていたら申し訳ないので、一生懸命否定して振り向いたら、クスリと愉しそうな顔で笑うローレンスの姿があった。
「どれも、当たり前のように人にある感情ですよ。それを私は汚いとは思いません。むしろ、君のように素直に透けて見える人は、やはり心が綺麗だと思うのですよ」
まさか否定を否定されると思わなかった。これ以上違うと言っても恥ずかしくなるので、そうですかねと曖昧に受けとるしかなかった。
「少し早いですけど、始めますか?アルバートはちょうどよく体が温まっているみたいですから」
「はい!よろしくお願いします!」
ローレンスが手を差し出してくれたので、アンドレアは素直にその手に引いてもらって立ち上がった。
ローレンスの手は大きくてしっかりしていた。初めて触れたその肌をなぜだか急に意識してしまい、顔が熱くなってしまったを慌てて後ろを向いて隠した。
アンドレアは、なんとか浮わついたような気持ちを切り替えて、剣を握ったのだった。
キントメイアは、一番強いものという意味らしいが、毎年与えられるわけではないそうだ。その年の大会で優勝し、尚且つ相応しいほどの技術を持っていると判断された者に与えられる。
それを一年の時に与えられたローレンスは、あの方の再来と呼ばれているらしい。
あの方というのは、伝説になっている大会を取り止めにした先輩のことだ。
その強さは向かい合う前、剣を手に取った瞬間から分かった。
全身をまとうオーラが違った。静かな色であるが、全くの隙を感じさせない。それでいて自分の考えは全て筒抜けで、どう動いても負けることしか思い浮かべることが出来ないという、圧倒的な敗北感が体を包んだ。
アンドレアにとってその敗北感は、高揚感に似ている。圧倒的な差があるほど、力がみなぎってくるのだ。
勢いよく飛び出したアンドレアの攻撃を、ローレンスはいとも簡単にかわしていく、その身のこなしはさすがだ。そして押して引いてを繰り返して指導してくれた。
ライオネルのように重い攻撃を、遊びのようにどんどん打たれるよりは、ローレンスはちゃんと導いてくれて、その場で良い悪いを教えてくれるので、無理に振り回されて疲れすぎることもないので指導はかなり優秀だった。
「今日はここまでにしようか」
疲れて座り込んだアンドレアの横に、ローレンスも座ってきた。
気がつけば、高いところにあった太陽が、ずいぶんと落ちていて、空が赤く染まり始めていた。こんなに集中していたのかと、アンドレアは驚きで疲れも飛んでいくようだった。
「ありがとうございます。こんなにしっかり指導していただけるなんて、俺……本当に嬉しいです」
興奮冷めやらぬ勢いでローレンスを見つめながらお礼を言うと、ローレンスは困ったような顔をして笑った。
「あの?何か、失礼なことでも……」
まさか、礼を欠いた振る舞いでもしてしまったのかとアンドレアは慌てた。
「そうですね……、君のせいと言えばそうでもあるし、そうでないとも言えますね」
ローレンスにしては珍しく不明瞭な答えだった。完璧に見えるローレンスでも、悩みがあるのかと、思わず悩みがあれば力になりますと意気込んで伝えてしまった。
「そう悩みですね……、最近自分のことが分からないのですよ」
「大丈夫です!俺なんてそれ、よくありますから」
なんて簡単な悩みかと同調したら、またローレンスにふわりと笑われた。
「自分はずっとノーマルだと思ってきたのですが、ここに来てそれを疑うような相手に出会ってしまって困っているんです」
「ノーマル?疑う?なんですかそれ?」
アンドレアがわけが分からないと混乱していると、ローレンスはますます複雑そうな表情になった。
「初めはちょっと可愛い程度の気持ちだったのですが、気がつくと一緒にいるととても心地よくて、その姿を見るたびに癒されて引き込まれていきました。そしてついに決定的なことがあって、もう認めるしかなくて、でも相手は全然別の方向を見ていて、別のことで頭がいっぱいらしくて……」
ローレンスの話を聞いていて、真っ先に思い浮かんだのは、アルバートの話だった。あの恋に生きる男が普段悩み話していたことと、同じようなことをローレンスが言っていると気づいたのだった。
「ローレンス!分かりました。それは恋ですね」
「…………」
ひどく優しい笑顔のまま、ローレンスはアンドレアを見ていた。なにも言わないということは肯定だと思った。
完璧に見えるローレンスが恋に悩んでいるなんて新鮮な驚きだった、と同時に、アンドレアの心に小さく突き刺さるものがあった。それは、ローレンスの心の中に誰かがいるのだと意識すると、チクチクとした痛みに変わっていった。
「………ローレンスは、好きな人が…いるの?」
「どうして君がそんな顔をするのですか?」
夕日を背にして、アルバートの顔が近づいてきた。近づいたことで、普段横に流した長い前髪で隠れている片方の瞳が見えてアンドレアは驚きで目を大きく開けた。
「目の色が違うんですね」
普段見えている方は紫の瞳で、髪で隠れていた瞳は青い色をしていた。
「そうですね。珍しくて目立つのですよ。それでなくとも立場上視線を集めるので、変に注目されないように隠しているんです。まぁ、近づいてしまえば見えてしまいますけど」
「もったいない。両方とも、とても綺麗な色をしているのに……。この青い瞳は空の青より美しいです。あっ……でも、私だけが知っているのも特別みたいで嬉しい」
ローレンスの瞳が大きく開かれて、アンドレアはハッと気がついた。
その瞳に魅了されて、アンドレアは完全に素に戻ってしまったのだ。口に出してから、やってしまったと気がついて、青くなって慌てて立ち上がった。
「あああ、あの!俺、帰ります!今日はありがとうございました!」
背中でアルバートと呼ぶ声を聞いた気がするけれど、一目散に走ったのでそれが本当なのか願望なのか分からなかった。
部屋に戻っても、チクチクとした胸の痛みは消えなかった。それに一瞬アンドレアに戻ってしまったことがショックで信じられなかった。
辺りは暗くなって、空には月が浮かんでいた。
ルイスに話すわけにもいかず、どうしようも出来ない小さな痛みを忘れるように、アンドレアは月を見ながらため息をついたのだった。
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