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第二章
ご家族様と昼食を
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カーテンを開ける音と共に、眩しい光が飛び込んでくる。ベッドで寝返りを打ったステファンは、枕に顔をうずめた。
「うっ、うううっ……まぶし……頼む、もう少し……」
「もうお昼になります。そろそろ起きていただかないと困ります……」
もう少しだけ寝かせてくれ。同室の騎士に頼んだつもりが、帰ってきたのは甘く可愛らしい声だった。一気に眠気が消え、ステファンは息を吸い込んで飛び起きる。
見慣れない豪華な部屋、大人が何人も寝られる、大きなベッドに寝ていた自分。昨夜の記憶が上から降ってきたが、隣にリュシアンの姿はなかった。
「わぁっ! いっ……つっ、頭が……」
頭を鷲掴みにされ揺さぶられているような感覚、胸がムカムカとして気持ちが悪い。完全に二日酔いの症状で、ステファンは頭に手を当てる。
「初めまして。私、ヘイズ様の担当となりました。新人メイドのガブリエラと申します。エラとお呼びください」
赤い髪を頭上で丸く結い上げたシニヨン。可愛らしいカーテシーでふわりと揺れるスカート。顔を上げたのは、どこかアナスタシアを思わせる大きな瞳をした甘い雰囲気の若い女性だ。
「ああ……うう、ええと……よろしく」
「こちらをお飲みください」
ずっと地面が揺れているような感覚で、上手く返事ができないでいると、ステファンの前にさっと飲み物が差し出された。
「……これは?」
「北部地域の薬草で作られた二日酔いに効くお茶です。一気に飲んでください。すぐに治りますから」
不気味な紫色をした液体を前に、ステファンは尻込みをする。液体から所々飛び出た草に、謎の実がぷかぷかと浮いている。
「え……本当に?」
「ええ、もちろんです。伝統の薬茶です」
いつまでも持たせるのは可哀想なので、受け取ってはみたが、唾を飲み込むのが精一杯で、踏ん切りがつかない。早くしろという視線を受け、ステファンは覚悟を決めてグラスを口へ運んだ。
「ゔゔっ――!」
恐ろしく苦い味が口内を駆け巡る。思わず吐きそうになるが何とか我慢して飲み込んだ。すると、一飲みするごとに、頭痛が和らいでいき、全部飲み干す頃には胸焼けがスッキリと消え去っていた。
「な、なんか不味いけど、すごい効果が……」
「それは当然です! 二日酔いにはコレって、この地方じゃみんな言いますから」
ガブリエラはドンと胸を叩き、嬉しそうに笑う。
はにかむ顔がやけに幼く見えて気になった。ムキムキの逞しい女性達が多いと思ったが、エラは細身でスラっとしている。
「ええと、エラの歳はいくつなの?」
「今年十五になりました。第二次成長がまだなので、お恥ずかしいです」
「第二次成長?」
「ええ、北部の人間はだいたい二十歳前後で急速に体が大きくなるのです。私はまだまだですが、重い物を持つのは得意なので、何でも言いつけてください」
そう言ったガブリエラは、腕まくりをした。細身ながらすでに盛り上がった立派な力こぶができており、成長の兆しを十分に感じる。
「た……頼もしいね。ありがとう」
どことなくアナスタシアに似ていることもあり、ガブリエラとは仲良くなれそうな気がした。ステファンが笑いかけると、ガブリエラの頬が赤く染まる。その顔を見て、自分の恰好を思い出した。フリルが派手なネグリジェは大いにはだけており、胸元が全開だった。
「おっと、これはひどいな。着替えたいから、服を用意してもらえるかな?」
「もちろんです。こちらにお立ちください。お着替えを手伝います。その……私のことは空気だと思っていただいて構いません」
真っ赤な顔のまま、いそいそと支度を始めるガブリエラを見て、ステファンはクスリと笑った。
「空気だなんて、こんな可愛らしいお嬢さんに、そんなひどい事は思えないよ」
用意してくれたシャツに袖を通していると、さっきまで頬を染めていたガブリエラが、今度は頬を膨らませてステファンをじっと見てきた。
「ヘイズ様って、女泣かせって言われたことないですか? メイドをからかうなんて、ダメですよ。もう大公殿下の夫になったのですから」
「女泣かせ? はははっ、まさか。女性とは縁がなかった。毎日剣の訓練に明け暮れていたし、平民出身の男など、貴族令嬢は目も合わせてくれなかったよ」
「まぁ、帝国の女性はなんて贅沢なのかしら」
くるくると表情が変わるガブリエラを見ていると妹を眺める兄のような気持ちになる。頭を撫でたい衝動を抑えていると、いつの間にかベストを着せられ、厚手のコートを羽織っていた。
「エラに聞きたいことがあるんだけど」
「もちろん、私に分かることならなんでも聞いてください」
「リュシアン様の結婚相手が帝国の騎士だなんて……。驚いた、というか、不快になるようなことはなかったの?」
「そんなことはありません。大公殿下のお考えはいつも正しいです。殿下が決めたことなら、私は自分の力を最大限に尽くすつもりです」
ガブリエラが瞳を輝かせ、祈るように手を重ねる。またこれかとステファンは思った。リュシアンを崇拝する独特な空気、北部の誰を見てもそう感じる。
「大公殿下は神の子なのです。北部には年に二回、大規模な魔獣討伐があります。長年、その度に大きな被害があり、たくさんの民を亡くしていました。殿下が戦いに参加してからは、ほとんどの魔獣をお一人で倒してくださるのです。そのおかげで、どれだけ国民が救われたか。私の父も殿下に命を救われた一人です」
ガブリエラの話を聞いて、なるほどとステファンは納得する。北部地域では、人々が恐れる魔獣との戦いが避けられない。多くの犠牲を伴う魔獣討伐を、一手に引き受けてくれる頼もしい存在がいたら、それは感謝して尊敬するようになるだろうと思った。
「すごいお方なんだね……」
「それはもう! あっ、でも、ヘイズ様も立派な騎士だと伺いました。とても、お似合いだと思いますよ」
ステファンはありがとうと言って小さく笑ったが、昨夜の会話を思い出し、スッと頭が冷える。
結婚と言っても契約的な関係に近いと思う。リュシアンは周囲に結婚を求められたから。ステファンは助けてもらった恩から。そこに特別な感情などなく、もしリュシアンから愛する人ができたと言われたら、潔くただの護衛騎士に戻るつもりだ。
それでいいと思ったが、曖昧な関係を続けることに、ステファンの胸は小さく痛んだ。
「この後、昼食会がございます。大公殿下、姉君のエリザベス様と、ご子息マクシミル様もご出席されます」
ドキッと心臓が鳴り、背筋に緊張が走る。結婚式では緊張で下を向いたまま、参列者の方をきちんと見ることができなかった。ようやく静かな場で、アドラー家の面々とご対面というわけだ。
いくら民から絶大な支持を受けていても、家族となればまた違うだろう。出自について触れられ、相応しくないと拒否される可能性が高い。どんな言葉をかけられるか、これは覚悟しておく必要があるだろう。
緊張で落ち着かない様子のステファンを見て、ガブリエラはニコリと笑う。
「大公殿下とエリザベス様は別々に暮らしてきました。エリザベス様は離縁がきっかけで、この城で住まわれるように……。お二人の中は良好ですし、優しいお方ですし、きっとヘイズ様のことを気に入られると思います」
「そう……かな。そうだといいけど」
「でもマクシミル様は……その……少し大人しい方なので……」
息子のマクシミルの話になると、ガブリエラの言葉が濁った。五歳と聞いていたが、幼なくとも難しい年頃なのかもしれない。自分がヘイズ家に引き取られた時期と同じくらいだ。
「少し早いですが、向かいましょう」
「ああ、そうだね。私が先の方がいいだろう」
支度を終えると、ガブリエラに促され、ステファンは寝室を出た。
螺旋階段を下り、長い廊下を突き進む。
途中何人か使用人にすれ違ったが、みんな丁寧に頭を下げ挨拶してくれた。北部人らしく、男女とも体格がよく背が高い。みんな自分より頭ひとつ分くらい背が高いので、急に身長が縮んだような気持ちになる。
しばらく歩くと食堂の前に到着した。明るい木材で作られ、草木の彫刻が施された大きな扉が開けられる。明るい日差しとともに、アドラー家専用の食堂が目の前に広がった。中には誰もおらず、ステファンが最初に到着したようだ。
食堂の床は艶よく磨き抜かれている。壁も余計な装飾がなくシンプルな造りだが、広々として開放感がある。開けられた窓から、爽やかな風が吹き込んできた。
長方形のテーブルには食事の用意が整えられており、どこに座ればいいのか、ステファンは腕を組み頭を悩ませる。
その時、ガチャリと音がして扉が開けられた。誰が入って来たのか、一気に緊張したステファンは、護衛任務のように壁際に立った。ゆっくり開かれた扉から見えたのは、アドラー大公家の軍服だった。一瞬、リュシアンかと思ったが、目線を上げると、鮮やかな赤い長髪が目に入る。健康的な肌の色、キリっとした眉、大きな目に高い鼻が印象的なエキゾチックな顔立ちの人だ。見上げるほど背が高く、ガッチリとした体つきだが胸元の膨らみを見て、誰なのか察したステファンは、ハッと息を呑んだ。
目が合うと目が大きく開かれ、金色の瞳がキラリと輝く。
「ステファン・ヘイズだね!」
力強い足取りで近づいてきたその人は、ステファンの名を呼び、手をガッチリと掴んできた。
「エリザベス様、昨日はちゃんとご挨拶できずに申し訳ございません」
「構わない。到着と式が同日など、ありえない状況だったから。こうやって、落ち着いて話ができて嬉しい」
そう言ってエリザベスが大きな口を開けて豪快に笑った。なんとも迫力のある美人に圧倒されてしまう。
「帝国では皇女の騎士をしていたと聞いた。婿に来てくれてありがとう」
「あ……あの……。私は男ですし身分も低く、てっきり結婚には反対されていらっしゃるのかと……」
「反対? 私が?」
思っていたより好反応だったため、つい聞いてしまったが、エリザベスはしばらく目を丸くして黙った後、堪えきれないようにプッと噴き出して笑った。
「ふっ、ははっ、失礼。反対なんかしない。私はただの面食いなんだ」
「は……? めん……?」
困惑するステファンにぐっと距離を詰めたエリザベスは、両肩に手を置いてきた。
「金糸のような髪に、ブルーの瞳、まるで宝石じゃないか! 目や鼻の位置もいい、どちらも大きすぎず、完璧な配置。血色のいい唇も美しい形、おっと、頬骨もいいな。目が少し垂れ気味なのもまたいい! こんな美しい男を毎日眺められるなんて、最高だわ! あの服もいいな、あれも着せたい、いやネックレスはあれにして、髪にはあれを……」
両肩を力強く掴まれ、エリザベスの目はギラギラと光り出す。逃げたいのに逃げられず、ステファンは視線を泳がせて助けを求める。
「エリー、いい加減にしろ」
スッと腰に手が差し込まれ、背後に引き寄せられた。ふわりと香ってきた匂いで、昨夜を思い出す。
「俺の結婚相手だぞ。勝手に触るな」
「はいはい、少しくらいいいじゃない。歓迎の挨拶だよ」
エリザベスが両手を上げると、ステファンはもっと深く引かれて、厚い胸板に背中を預ける。
首だけ回して振り返ると、すぐ近くにリュシアンの顔があった。
「驚かせて悪いな。エリーは顔のいいやつに目がないんだ。元夫も吟遊詩人でとにかく顔のいい男だが、とんでもない浮気症だった。懲りたと思ったがすぐコレだ」
「懲りないよ。いい男はどれだけ眺めても飽きない。私の活力だよ」
近くの椅子にドカリと座ったエリザベスは、長い髪を靡かせ、優雅に足を組んだ。女性らしくもありながら、カッコいいという言葉がこれほど似合う人は見たことがない。
思わず魅入っていると、リュシアンに腕を引かれた。
「ステファン、こっちだ。俺の隣に座ってくれ」
「は、はい」
リュシアンは端の席に座り、その横にステファンを座らせた。エリザベスから一番遠い席になった。
そういえば、エリザベスの息子マクシミルがまだ来ていない。ステファンが視線を前に向けると、いつの間にか前の席に誰か座っていた。少しも気配もなかったので、驚いてしまう。
銀髪に赤い目をした男の子、マクシミルに間違いないだろう。マクシミルはリュシアンにそっくりだった。リュシアンの子供時代を目にしているようで胸が高鳴る。金糸の刺繍が入った上等な服を身につけており、大人しく座って本を読んでいた。
小さな手でしっかりと厚い本を持ち、真剣に読んでいる姿がなんとも可愛らしい。
「マクシミル、食事の時間だ。本は置きなさい」
エリザベスの言葉にマクシミルは手を止め、近づいてきたメイドに本を渡した。五歳と聞いたが、素直に言うことを聞くいい子だと思った。ステファンは子供が好きそうな笑顔を作り、話しかけてみることにした。
「マクシミル殿下、ちゃんとお話しするのは初めてですね。私はステファン•ヘイズと申します。どうぞよろしくお願いします」
ステファンの言葉が部屋に響き、なんとも言えない沈黙が流れる。マクシミルは返事はおろか、ステファンの方を見ようともせず、目の前にある料理を食べ始めた。
母親とは違い、明らかに歓迎されていないようだ。どうしたものかと考えていると、隣に座っているリュシアンが軽く肘をついてきた。
「少し事情がある。後で話すから」
小声でリュシアンが話しかけてきたので、ステファンは軽く頷き、わかったと目で合図をした。母親であるエリザベスの方は、先ほどの堂々とした姿とは違い、暗い雰囲気になり複雑な表情をしている。
これはどう見ても何かある。
仲良し家族とまでは聞いていなかったが、いきなり壁に突き当たった気がした。
「うっ、うううっ……まぶし……頼む、もう少し……」
「もうお昼になります。そろそろ起きていただかないと困ります……」
もう少しだけ寝かせてくれ。同室の騎士に頼んだつもりが、帰ってきたのは甘く可愛らしい声だった。一気に眠気が消え、ステファンは息を吸い込んで飛び起きる。
見慣れない豪華な部屋、大人が何人も寝られる、大きなベッドに寝ていた自分。昨夜の記憶が上から降ってきたが、隣にリュシアンの姿はなかった。
「わぁっ! いっ……つっ、頭が……」
頭を鷲掴みにされ揺さぶられているような感覚、胸がムカムカとして気持ちが悪い。完全に二日酔いの症状で、ステファンは頭に手を当てる。
「初めまして。私、ヘイズ様の担当となりました。新人メイドのガブリエラと申します。エラとお呼びください」
赤い髪を頭上で丸く結い上げたシニヨン。可愛らしいカーテシーでふわりと揺れるスカート。顔を上げたのは、どこかアナスタシアを思わせる大きな瞳をした甘い雰囲気の若い女性だ。
「ああ……うう、ええと……よろしく」
「こちらをお飲みください」
ずっと地面が揺れているような感覚で、上手く返事ができないでいると、ステファンの前にさっと飲み物が差し出された。
「……これは?」
「北部地域の薬草で作られた二日酔いに効くお茶です。一気に飲んでください。すぐに治りますから」
不気味な紫色をした液体を前に、ステファンは尻込みをする。液体から所々飛び出た草に、謎の実がぷかぷかと浮いている。
「え……本当に?」
「ええ、もちろんです。伝統の薬茶です」
いつまでも持たせるのは可哀想なので、受け取ってはみたが、唾を飲み込むのが精一杯で、踏ん切りがつかない。早くしろという視線を受け、ステファンは覚悟を決めてグラスを口へ運んだ。
「ゔゔっ――!」
恐ろしく苦い味が口内を駆け巡る。思わず吐きそうになるが何とか我慢して飲み込んだ。すると、一飲みするごとに、頭痛が和らいでいき、全部飲み干す頃には胸焼けがスッキリと消え去っていた。
「な、なんか不味いけど、すごい効果が……」
「それは当然です! 二日酔いにはコレって、この地方じゃみんな言いますから」
ガブリエラはドンと胸を叩き、嬉しそうに笑う。
はにかむ顔がやけに幼く見えて気になった。ムキムキの逞しい女性達が多いと思ったが、エラは細身でスラっとしている。
「ええと、エラの歳はいくつなの?」
「今年十五になりました。第二次成長がまだなので、お恥ずかしいです」
「第二次成長?」
「ええ、北部の人間はだいたい二十歳前後で急速に体が大きくなるのです。私はまだまだですが、重い物を持つのは得意なので、何でも言いつけてください」
そう言ったガブリエラは、腕まくりをした。細身ながらすでに盛り上がった立派な力こぶができており、成長の兆しを十分に感じる。
「た……頼もしいね。ありがとう」
どことなくアナスタシアに似ていることもあり、ガブリエラとは仲良くなれそうな気がした。ステファンが笑いかけると、ガブリエラの頬が赤く染まる。その顔を見て、自分の恰好を思い出した。フリルが派手なネグリジェは大いにはだけており、胸元が全開だった。
「おっと、これはひどいな。着替えたいから、服を用意してもらえるかな?」
「もちろんです。こちらにお立ちください。お着替えを手伝います。その……私のことは空気だと思っていただいて構いません」
真っ赤な顔のまま、いそいそと支度を始めるガブリエラを見て、ステファンはクスリと笑った。
「空気だなんて、こんな可愛らしいお嬢さんに、そんなひどい事は思えないよ」
用意してくれたシャツに袖を通していると、さっきまで頬を染めていたガブリエラが、今度は頬を膨らませてステファンをじっと見てきた。
「ヘイズ様って、女泣かせって言われたことないですか? メイドをからかうなんて、ダメですよ。もう大公殿下の夫になったのですから」
「女泣かせ? はははっ、まさか。女性とは縁がなかった。毎日剣の訓練に明け暮れていたし、平民出身の男など、貴族令嬢は目も合わせてくれなかったよ」
「まぁ、帝国の女性はなんて贅沢なのかしら」
くるくると表情が変わるガブリエラを見ていると妹を眺める兄のような気持ちになる。頭を撫でたい衝動を抑えていると、いつの間にかベストを着せられ、厚手のコートを羽織っていた。
「エラに聞きたいことがあるんだけど」
「もちろん、私に分かることならなんでも聞いてください」
「リュシアン様の結婚相手が帝国の騎士だなんて……。驚いた、というか、不快になるようなことはなかったの?」
「そんなことはありません。大公殿下のお考えはいつも正しいです。殿下が決めたことなら、私は自分の力を最大限に尽くすつもりです」
ガブリエラが瞳を輝かせ、祈るように手を重ねる。またこれかとステファンは思った。リュシアンを崇拝する独特な空気、北部の誰を見てもそう感じる。
「大公殿下は神の子なのです。北部には年に二回、大規模な魔獣討伐があります。長年、その度に大きな被害があり、たくさんの民を亡くしていました。殿下が戦いに参加してからは、ほとんどの魔獣をお一人で倒してくださるのです。そのおかげで、どれだけ国民が救われたか。私の父も殿下に命を救われた一人です」
ガブリエラの話を聞いて、なるほどとステファンは納得する。北部地域では、人々が恐れる魔獣との戦いが避けられない。多くの犠牲を伴う魔獣討伐を、一手に引き受けてくれる頼もしい存在がいたら、それは感謝して尊敬するようになるだろうと思った。
「すごいお方なんだね……」
「それはもう! あっ、でも、ヘイズ様も立派な騎士だと伺いました。とても、お似合いだと思いますよ」
ステファンはありがとうと言って小さく笑ったが、昨夜の会話を思い出し、スッと頭が冷える。
結婚と言っても契約的な関係に近いと思う。リュシアンは周囲に結婚を求められたから。ステファンは助けてもらった恩から。そこに特別な感情などなく、もしリュシアンから愛する人ができたと言われたら、潔くただの護衛騎士に戻るつもりだ。
それでいいと思ったが、曖昧な関係を続けることに、ステファンの胸は小さく痛んだ。
「この後、昼食会がございます。大公殿下、姉君のエリザベス様と、ご子息マクシミル様もご出席されます」
ドキッと心臓が鳴り、背筋に緊張が走る。結婚式では緊張で下を向いたまま、参列者の方をきちんと見ることができなかった。ようやく静かな場で、アドラー家の面々とご対面というわけだ。
いくら民から絶大な支持を受けていても、家族となればまた違うだろう。出自について触れられ、相応しくないと拒否される可能性が高い。どんな言葉をかけられるか、これは覚悟しておく必要があるだろう。
緊張で落ち着かない様子のステファンを見て、ガブリエラはニコリと笑う。
「大公殿下とエリザベス様は別々に暮らしてきました。エリザベス様は離縁がきっかけで、この城で住まわれるように……。お二人の中は良好ですし、優しいお方ですし、きっとヘイズ様のことを気に入られると思います」
「そう……かな。そうだといいけど」
「でもマクシミル様は……その……少し大人しい方なので……」
息子のマクシミルの話になると、ガブリエラの言葉が濁った。五歳と聞いていたが、幼なくとも難しい年頃なのかもしれない。自分がヘイズ家に引き取られた時期と同じくらいだ。
「少し早いですが、向かいましょう」
「ああ、そうだね。私が先の方がいいだろう」
支度を終えると、ガブリエラに促され、ステファンは寝室を出た。
螺旋階段を下り、長い廊下を突き進む。
途中何人か使用人にすれ違ったが、みんな丁寧に頭を下げ挨拶してくれた。北部人らしく、男女とも体格がよく背が高い。みんな自分より頭ひとつ分くらい背が高いので、急に身長が縮んだような気持ちになる。
しばらく歩くと食堂の前に到着した。明るい木材で作られ、草木の彫刻が施された大きな扉が開けられる。明るい日差しとともに、アドラー家専用の食堂が目の前に広がった。中には誰もおらず、ステファンが最初に到着したようだ。
食堂の床は艶よく磨き抜かれている。壁も余計な装飾がなくシンプルな造りだが、広々として開放感がある。開けられた窓から、爽やかな風が吹き込んできた。
長方形のテーブルには食事の用意が整えられており、どこに座ればいいのか、ステファンは腕を組み頭を悩ませる。
その時、ガチャリと音がして扉が開けられた。誰が入って来たのか、一気に緊張したステファンは、護衛任務のように壁際に立った。ゆっくり開かれた扉から見えたのは、アドラー大公家の軍服だった。一瞬、リュシアンかと思ったが、目線を上げると、鮮やかな赤い長髪が目に入る。健康的な肌の色、キリっとした眉、大きな目に高い鼻が印象的なエキゾチックな顔立ちの人だ。見上げるほど背が高く、ガッチリとした体つきだが胸元の膨らみを見て、誰なのか察したステファンは、ハッと息を呑んだ。
目が合うと目が大きく開かれ、金色の瞳がキラリと輝く。
「ステファン・ヘイズだね!」
力強い足取りで近づいてきたその人は、ステファンの名を呼び、手をガッチリと掴んできた。
「エリザベス様、昨日はちゃんとご挨拶できずに申し訳ございません」
「構わない。到着と式が同日など、ありえない状況だったから。こうやって、落ち着いて話ができて嬉しい」
そう言ってエリザベスが大きな口を開けて豪快に笑った。なんとも迫力のある美人に圧倒されてしまう。
「帝国では皇女の騎士をしていたと聞いた。婿に来てくれてありがとう」
「あ……あの……。私は男ですし身分も低く、てっきり結婚には反対されていらっしゃるのかと……」
「反対? 私が?」
思っていたより好反応だったため、つい聞いてしまったが、エリザベスはしばらく目を丸くして黙った後、堪えきれないようにプッと噴き出して笑った。
「ふっ、ははっ、失礼。反対なんかしない。私はただの面食いなんだ」
「は……? めん……?」
困惑するステファンにぐっと距離を詰めたエリザベスは、両肩に手を置いてきた。
「金糸のような髪に、ブルーの瞳、まるで宝石じゃないか! 目や鼻の位置もいい、どちらも大きすぎず、完璧な配置。血色のいい唇も美しい形、おっと、頬骨もいいな。目が少し垂れ気味なのもまたいい! こんな美しい男を毎日眺められるなんて、最高だわ! あの服もいいな、あれも着せたい、いやネックレスはあれにして、髪にはあれを……」
両肩を力強く掴まれ、エリザベスの目はギラギラと光り出す。逃げたいのに逃げられず、ステファンは視線を泳がせて助けを求める。
「エリー、いい加減にしろ」
スッと腰に手が差し込まれ、背後に引き寄せられた。ふわりと香ってきた匂いで、昨夜を思い出す。
「俺の結婚相手だぞ。勝手に触るな」
「はいはい、少しくらいいいじゃない。歓迎の挨拶だよ」
エリザベスが両手を上げると、ステファンはもっと深く引かれて、厚い胸板に背中を預ける。
首だけ回して振り返ると、すぐ近くにリュシアンの顔があった。
「驚かせて悪いな。エリーは顔のいいやつに目がないんだ。元夫も吟遊詩人でとにかく顔のいい男だが、とんでもない浮気症だった。懲りたと思ったがすぐコレだ」
「懲りないよ。いい男はどれだけ眺めても飽きない。私の活力だよ」
近くの椅子にドカリと座ったエリザベスは、長い髪を靡かせ、優雅に足を組んだ。女性らしくもありながら、カッコいいという言葉がこれほど似合う人は見たことがない。
思わず魅入っていると、リュシアンに腕を引かれた。
「ステファン、こっちだ。俺の隣に座ってくれ」
「は、はい」
リュシアンは端の席に座り、その横にステファンを座らせた。エリザベスから一番遠い席になった。
そういえば、エリザベスの息子マクシミルがまだ来ていない。ステファンが視線を前に向けると、いつの間にか前の席に誰か座っていた。少しも気配もなかったので、驚いてしまう。
銀髪に赤い目をした男の子、マクシミルに間違いないだろう。マクシミルはリュシアンにそっくりだった。リュシアンの子供時代を目にしているようで胸が高鳴る。金糸の刺繍が入った上等な服を身につけており、大人しく座って本を読んでいた。
小さな手でしっかりと厚い本を持ち、真剣に読んでいる姿がなんとも可愛らしい。
「マクシミル、食事の時間だ。本は置きなさい」
エリザベスの言葉にマクシミルは手を止め、近づいてきたメイドに本を渡した。五歳と聞いたが、素直に言うことを聞くいい子だと思った。ステファンは子供が好きそうな笑顔を作り、話しかけてみることにした。
「マクシミル殿下、ちゃんとお話しするのは初めてですね。私はステファン•ヘイズと申します。どうぞよろしくお願いします」
ステファンの言葉が部屋に響き、なんとも言えない沈黙が流れる。マクシミルは返事はおろか、ステファンの方を見ようともせず、目の前にある料理を食べ始めた。
母親とは違い、明らかに歓迎されていないようだ。どうしたものかと考えていると、隣に座っているリュシアンが軽く肘をついてきた。
「少し事情がある。後で話すから」
小声でリュシアンが話しかけてきたので、ステファンは軽く頷き、わかったと目で合図をした。母親であるエリザベスの方は、先ほどの堂々とした姿とは違い、暗い雰囲気になり複雑な表情をしている。
これはどう見ても何かある。
仲良し家族とまでは聞いていなかったが、いきなり壁に突き当たった気がした。
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