愛を知らずに生きられない

朝顔

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(17)異国の空

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 格子のついた窓からは、遠くに海が見えた。
 鳥が気まぐれに羽を休めて、しばらく歌うように鳴いて飛び去っていく。

 空は赤くなり始めていた。ここに閉じ込められてから、ずっと空ばかり見ている。
 これなら、モデルじゃなくて気象予報士にでもなっておけば良かったと思いついて、異世界の天気はまた違うだろうと一人で突っ込んだ。

 そんなことをひたすら考えても時間はあまるくらいあったが、本当の意味でノエルに残されたあとわずかしかなかった。

 レティシア王女のパーティーで、黒衣の者に殴られたノエルは、気絶した後大きな袋に入れられたらしい。
 気がついたときは、縛られて口を開けない状態で、穀物と一緒に袋に入れられて、積み荷として荷馬車に乗せられていた。
 それからどのくらい時間が経ったかは分からないが、荷馬車から下ろされると持ち上げられて運ばれた。

 そうしてやっと袋を破られて顔を出すことができたのがこの部屋だった。

 石造りの建物で、ベッドと机しかない粗末な部屋だった。当然外に続く扉は常に施錠してあり、外に出ることはできない。

 窓から外を覗くと、地面からかなりの高さがあり、多分塔のような場所だと思われる。塔がある場所などノエルの記憶にはなかった。

 ノックの音が聞こえて、重い扉が開いた。濃いブラウンのウェーブがかかったロングヘアーの美しい女性が入っていた。

「ノエル、食器を下げに来たわ」

「アリーナ…」

 ここに部屋に来て、最初に会ったのが彼女だった。深いことは教えてくれないが、ノエルの身の回りの世話をしてくれている。

「まぁ、またスープを残したのね…。口に合わなかったかしら…」

「いや、美味しかったよ。でもあまり、食欲がなくて…、ごめんね」

 ノエルが微笑むと、アリーナは何か言いたげな目で見てきたが、何も言うことなく食器を片付け始めた。
 彼女も仕事としてやっているのだろうけど、それなりに会話もしてくれるし、色々と気も使ってくれて良い子だと思う。こういう関係でなければ、普通に仲良くなれたかもしれない。

「…ここに来てどのくらい経ったかな……」

「今日で3週間ね」

「そうか……」

 ノエルが寂しげな目をして窓の外を見ていると、アリーナが近づいてきて、ノエルの背中を慰めるように撫でた。

「1ヶ月よ。1ヶ月だけここで面倒を見るように言われているわ。レティシア様の婚約発表が終われば、ノエルを解放していいという話になっているから……。と言ってもあまり慰めにはならないかしら……ごめんなさい」

 ノエルは力なく微笑んでかぶりを振った。ここに連れてこられたときも同じ話をされた。
 そのときから、もうノエルの心は冷たく沈んでいる。あの時点で一ヶ月後というのはノエルの誕生日だった。
 つまりここで身動きがとれないまま、終わりを迎えることになるのだ。

「後で、兄も様子を見に来るから……」

 兄という言葉にノエルはよけいに心が沈んだ。兄とはアリーナの兄で、ノエルをここまで連れてきた人物。レティシアの側近で警護を担当しているらしく、あの日パーティー会場でノエルを殴った男だ。

 無愛想な男で、ほとんど喋らないくせに、レティシアに報告をしなければいけないのか、数日おきに訪れては、無言でノエルを眺めて部屋から出ていく。何を話すこともなく、非常に気まずい時間だ。

「あ…俺は元気だと伝えてくれるだけじゃ…だめ?」

 アリーナは苦笑しながら首を振った。軽く抵抗してみたが、気疲れする時間からは逃げられないようだ。

 掃除をしてくれてから、アリーナが出ていった。その間もノエルはずっと窓辺に座っていた。もはやこの部屋でそこはノエルの定位置でずっと外を眺めている。自分でも虚しいことだと分かっているが止められない。幻でもいいから彼の姿が見えるかもしれない。だから、ここから離れられないのだ。

 アリーナが出ていってから少しして、部屋の扉が鈍い音を立てて開いた。
 背の大きな男はたぶん小さな入り口を頭を下げながら入ってきただろう。
 ノエルはもう視線すら、そちらに向けることはなかった。

「……食事をあまり取っていないらしいな」

 珍しく男が声を出した。連れてこられた日以来だ。確かこんな声だったなとぼんやりと思い出した。

「……体も動かしてないのに、そんなに食べられないよ」

 顔を向けることなくノエルが話すと、男が近くまで来た気配がした。いつも入り口に突っ立って動かないのに、なにか嫌な予感がした。

「なにか……あったの?」

 ノエルが男を見上げた。あの日はフードを被っていて顔は見えなかったが、ここでは何もつけていない。アリーナと同じブラウンの髪に黒い瞳が見えた。それなりに整ってはいるが、表情の乏しい強面なので威圧感しかない。

「カイン王子がエジリンを訪問することになった。正式に回答されたわけではないが、わざわざ本人が来るということは、レティシア様との婚約を了承したものとして国内では受け止められている」

「………そう」

 やっと顔を向けたノエルがまた窓の方に向いてしまったからか、背後で男が椅子に腰を下ろした音がした。どうやら、まだ帰るつもりはないらしい。

 ノエルは男の名前がなんだったか思い出そうとした。

「ヴァレリー……」

 ノエルがそう呟くと、男がなんだと応えた。うろ覚えだったが、どうやら合っていたらしい。

「レティシア王女はまだ、カインと…そのずっと一緒にいるのかな?」

「……カイン様はお前がいなくなってからは、誰ともお会いにならずに王宮にこもっているそうだ。レティシア様はすでに帰国されている」

「え……?てっきり、婚約が決まるまで、レティシア王女は戻らないと思ったけど……」

「レティシア様が本気であると知った王が、今までは打診程度だったが、王の名で婚約の申し込みの使者を送った。一度こちらでも協議をする必要があって戻られたのだ」

 国王が動いたとなれば、カインが受け入れるしかない状況だと思われた。エジリンは大国で資源が多くあり、手を結びたいと思う国はたくさんあるのだ。

 ノエルはため息をついて目を伏せた。すぐに解放されたとして、もう戻る場所はないかもしれない。このまま、カインと再び会えることなく、消えてしまうのだろうかと気持ちはずっと地を這うように落ちていった。

「………俺は、レティシア様からお前の相手をしろと言われている」

 用意周到なレティシアのことだ。ノエルを解放した後、カインに近づかないように、誰かしらを送り込んで、そういった行為を強いてくるだろうというのは、なんとなく予想がついていた。

「心配するな。嫌がる相手をどうにかするつもりはない。必要とあらば、行ったことにして報告するつもりだ」

「命令通り俺を殴った人にしては、そこまで忠実ではないんだね」

「お前を殴ったのも本意ではなかった。怯えた丸腰の相手を倒すなど気分の良いものではない。父の時代の恩があって、エジリン国に仕えているが、レティシア様の言うことに全て従うことはできない。あっちは俺を犬だと思っているが、俺は犬のつもりはない、ということだ」

 何やら、ヴァレリーの複雑な事情に踏み込んでしまった気がするが、ノエルからしてみれば、もうどうでもいいことだった。
 ヴァレリーが忠実にレティシアの命令を実行したとしても、もうなくすものなどなかった。

 言葉をなくしたまま窓の外を見続けるノエルを見て、ヴァレリーが飽きずに声をかけてきた。

「そうやって、ずっと眺めているな。待っているのか?」

「……………」

「ここが、エジリン国内だということは、薄々気がついているだろう。他国の者がそう簡単に来られるところではない」

「……ヴァレリー、今日はよく喋るね」

「あまり早く戻ってはお前の相手をしていないとバレるからな」

 今までずっと黙っていたくせに、急に喋り出すと、それもそれで疲れるとノエルは思った。

「……待っているんじゃないよ」

「ん?あぁ…先ほどの……」

「探しているんだ。どこかにいるカインが、なにかをしているところを。見えないけど、ずっと見てる。そうしてるとさ、見えてくる気がするんだ…。はいた息や、こぼした言葉のかけら、なんでもいい、なんでもいいから……会いたい……会いたいからさ……カインが少しでも感じられるものを、ずっと探している……」

 言いながらノエルはポロポロと涙をこぼしていた。こんなところで涙をこぼしても、愛しい人が現れてくれるわけではない。
 けれど、ずっと我慢していて溢れでた涙は、しばらく止まることはなかった。

 ヴァレリーはもう何も言わずに、ノエルと一緒に窓の外を見ていた。
 すっかり暗くなった空には、黄色い月が見えた。カインも同じ月を見ていてくれるならいいと思ってノエルは滲んだ月をずっと眺めていたのであった。




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