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第一部
⑨ 作戦
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龍の涙が流れる時。
この小説には、主人公が二人いる。
一人はカイエン・ゴールディ、兄から命を狙われる弟王子。
もう一人は、エドワード・ブラハイム、亡国の王子。
二つの異なる国の王子が、密かに逃れてきたソードスリムで出会い、お互いに切磋琢磨して成長し、それぞれが国の王として立つことになる。
しかし、それが悲劇の始まりだった……
熱い友情が描かれた成長物語であり、そこに兄弟対決や、復讐といった展開が絡んでくる。
物語は、彼らがそれぞれ国を追われた後から始まる。
二人は逃亡の中で、剣の師匠として影響を与えてくれた、ロックという男を探すことになる。
始めはカイエンが、そして程なくしてエドワードが、かつて師匠だったロックを頼りに、身を隠してもらうために彼の家を訪れるのだ。
そのロック邸こそが、チューベット邸の隣家になる、というわけだ。
もちろん男爵邸は広大な敷地で、周りを取り囲むように森が広がっていて、お隣さんと言っても、地図上はと行った方が近いかもしれない。
物語の始まりの時点で、彼らの年齢はカイエンが十九、エドワードが十八だった。
その時にシエルが助け出されるわけなので、二年前の今の二人は、十七と十六というわけだ。
狭い倉庫の中で、腰を曲げて床に座りながら、レアンは蝋燭の灯りを頼りに、一人で作戦会議を開いていた。
彼らは後にお互いを憎しみ合い戦うことになるが、それまでは悪者を許さない正義の主人公だった。
助けて欲しいと願い出れば、おそらく話を聞いてくれるだろう。
チューベット男爵の悪事を伝えて、今も地下に監禁されている子供達がいると言えば、助けに来てくれるはずだ。
大きな問題はどうやって、ロック邸まで行くことができるか、だ。
夜中になると聞こえてくる犬の遠吠えが耳から離れない。
何とかして邸から抜け出したとして、最大の難関はチューベット男爵の飼い犬である猟犬だ。
実際にその姿を見たことはないが、メイド達は、黒くて大きな犬が数匹と言っていた。
チューベット男爵にだけ懐くように躾けられていて、側近二人ですら、襲われる可能性があると聞いた。
食事は日に二度、森に向かって肉を投げ入れる。
投げ入れたらすぐに戻るようにと言われているので、担当はバラバラだが、レアンの時も逃げるのに必死で目にする暇もなかった。
そこにガラガラと馬車が帰ってくる音が聞こえてきた。
一瞬、チューベット男爵がもう戻ったのかと青くなったが、側近の二人が外へ出ていたのを思い出した。
倉庫から出て、廊下の窓から外の様子を見ると、側近の一人が荷物を抱えて馬車から降りた。
どうやら、買い出しに行っていたらしい。
もう一人は馬を厩舎へ移動させていた。
その様子を眺めながら、ふと疑問に思ったのは、側近の二人はなぜ猟犬に襲われないのかということだ。
命令を聞くのはチューベット男爵だけと聞いていたが、レアンとシエルを連れてきた時もそうであったし、日常的に二人は外出をしている。
犬達に邸の周りには近づかないようにと、躾けているのかもしれない。
そう考えて思い出したのは、ここに到着してすぐの時、レアンとシエルはしばらく荷台に入れられたまま放置されたことだ。
あの時、彼らが何か準備をしていたとしたら何だろう。
優秀な番犬の気をそらせるための何か……
あるとすればそれはきっと……犬の性質を利用した何か……
もしかしたら、匂いかもしれないと気がついたレアンは、ポンと手を打った。
声が使えない分、レアンは別の感覚が鋭かった。
聴覚、味覚、そして嗅覚だ。
チューベット男爵と対面した時に、香ったムスク。
最初に連れて来られた時は、疲れ切っていて余裕がなかったが、仕事を始めたら邸の中でも感じる時があった。
匂いが移ったのかと思ったが、男爵が出掛けた後も、側近の二人とすれ違うと、ほのかに香ったのを思い出した。
男爵の香水、それをつけた者は襲わないように訓練されていたとしたら説明がつく。
チューベット男爵の帰りが早まって、明日戻ってくる可能性だってある。
彼が帰って来たら、シエルに恐ろしいことをするのは間違いない。
人買いに襲われた時のように止めに入ったとしても、側近の二人に捕まって、その後はどうなるか分からない。
とにかく急いで香水を手に入れて、まずは本当に犬達が襲って来ないか確かめる必要がある。
蝋燭の火を吹き消したレアンは眠りについた。
側近の二人が外出する時を狙おうとしていたら、チャンスは次の日にすぐ訪れた。
朝起きて顔を洗った後、キッチンに向かうと、メイドの二人が朝食を作っていた。
いつもなら、食堂の大きなテーブルで、偉そうに食事をしている二人がいなかったので、レアンは首を振って探してしまった。
それを見たメイドの一人が、イワンさん達なら早くからいないわよと言った。
詳しいことは分からないが、帰りは夜になるという話だった。
そうと決まればやることは決まっている。
清掃するふりをして、男爵の部屋に侵入し、香水の瓶を盗むことにした。
男爵の部屋はほとんど何も置かれておらず、寝床だけが整えられていて、後はがらんとしていた。
大事なものや、見られて困るようなものは、地下に隠してあるようだ。
掃除はしなくていいと言われているので、中まで入ったことがなかったが、何が置かれているのかは外から覗いて見ていた。
周囲を見て誰もいないことを確認したレアンは、そっと部屋の中へ足を踏み入れた。
チューベット男爵は香水のコレクターとしても有名らしい。
ガラスが張られた香水棚には、所狭しと様々な香水の瓶が飾られていた。
棚の前に立ったレアンは困ってしまった。
全部試している時間はないし、こんなにたくさんの匂いを嗅いだら、鼻がおかしくなってしまう。
しばらくその場でウロウロとしてしまったが、側近の二人が普段外出時に使うとしたら、一瓶では足りないはずだと気がついた。
その線で見ると、棚の中央に置かれた大きな瓶が目に入った。
中の液体は、紫色の怪しい色をしていた。
瓶の形は違うがその横に、同じ液体が入った小瓶が数本置かれていた。
これだと目を光らせたレアンは、小瓶を一つ取り出して、自分に振りかけてみた。
ふわりと香る濃厚な甘い匂いに、これで間違いないと分かった。
レアンは小瓶を一つ拝借して、音を立てないように、男爵の部屋から出た。
胸に小瓶を抱いたまま、廊下の隅に腰を下ろしたレアンは、はぁはぁと息を吸い込んで、緊張の汗を拭った。
後は頃合いをみて、この香水が実際に効果があるのか、試してみる必要がある。
しかし、そこまで考えて、そんな悠長なことをしていて大丈夫なのか、冷静に問いかける自分がいた。
今は二人が出掛けていて絶好のチャンスだ。
厩舎の掃除をすると行って外へ出たらどうだろう。
臭いのが苦手だというメイド二人は厩舎までは来ない。
ゲイルは一応、レアンの監視役らしく午前中は目を凝らしてレアンのことを見ているが、午後はだいたい厩舎の椅子に座って寝てしまう。
大型猟犬の回避策を思いついたが、確かなわけじゃない。
だけど、もたもたしていたら、シエルを助け出すのが遅くなってしまう。
村育ちのレアンにとって、森は得意な場所だった。
登りやすい木を見つけるのも、走った勢いそのままに飛びついて登ることもできる。
そう考えるといざという時の自信もついてきた。
人形薬に即効性はないが、それでも毎日摂取したら、危険なものには変わりない。そんなものを飲まされ続けるシエルのことを思い浮かべたら、もう待っていられなくなった。
意を決してレアンは自分の部屋に戻り、用意していたものを服の中に隠して、素知らぬ顔で厩舎に入った。
ゲイルは無言でレアンのことを一瞥したが、すぐに自分の仕事に戻った。
床掃除に水の交換、馬達への餌やりが終わって汗を拭った時、太陽は一番高い位置にあった。
ゲイルは椅子に座ってパンを食べていたが、食べかけたパンを片手にすっかり寝入っていた。
こうなると、数時間は寝てしまう。
レアンはいつも先に邸に戻っていたので、今しかないと、持っていた箒をそっと下ろした。
ズボンの中から、香水の瓶を取り出したレアンは、自分に振りかけた。
そろりそろりと、足を動かして、厩舎の外へ出たら、一気に加速して走り出した。
邸の前を通り、馬車回しの横を抜けて、森へ飛び込んだ。
方向は地図で確認していたので間違いない。
頭の中で何度もイメージしていた通り、全速力で走ると、遠くに聳え立つ高い塀が見えた。
あの向こうに主人公達がいる。
なんとかあそこまで行かなければ……
犬達の息遣いと、土を蹴る音が今にも聞こえてきそうだ。
レアンは息を切らしながら、前だけを見て必死に走り続けた。
(続)
この小説には、主人公が二人いる。
一人はカイエン・ゴールディ、兄から命を狙われる弟王子。
もう一人は、エドワード・ブラハイム、亡国の王子。
二つの異なる国の王子が、密かに逃れてきたソードスリムで出会い、お互いに切磋琢磨して成長し、それぞれが国の王として立つことになる。
しかし、それが悲劇の始まりだった……
熱い友情が描かれた成長物語であり、そこに兄弟対決や、復讐といった展開が絡んでくる。
物語は、彼らがそれぞれ国を追われた後から始まる。
二人は逃亡の中で、剣の師匠として影響を与えてくれた、ロックという男を探すことになる。
始めはカイエンが、そして程なくしてエドワードが、かつて師匠だったロックを頼りに、身を隠してもらうために彼の家を訪れるのだ。
そのロック邸こそが、チューベット邸の隣家になる、というわけだ。
もちろん男爵邸は広大な敷地で、周りを取り囲むように森が広がっていて、お隣さんと言っても、地図上はと行った方が近いかもしれない。
物語の始まりの時点で、彼らの年齢はカイエンが十九、エドワードが十八だった。
その時にシエルが助け出されるわけなので、二年前の今の二人は、十七と十六というわけだ。
狭い倉庫の中で、腰を曲げて床に座りながら、レアンは蝋燭の灯りを頼りに、一人で作戦会議を開いていた。
彼らは後にお互いを憎しみ合い戦うことになるが、それまでは悪者を許さない正義の主人公だった。
助けて欲しいと願い出れば、おそらく話を聞いてくれるだろう。
チューベット男爵の悪事を伝えて、今も地下に監禁されている子供達がいると言えば、助けに来てくれるはずだ。
大きな問題はどうやって、ロック邸まで行くことができるか、だ。
夜中になると聞こえてくる犬の遠吠えが耳から離れない。
何とかして邸から抜け出したとして、最大の難関はチューベット男爵の飼い犬である猟犬だ。
実際にその姿を見たことはないが、メイド達は、黒くて大きな犬が数匹と言っていた。
チューベット男爵にだけ懐くように躾けられていて、側近二人ですら、襲われる可能性があると聞いた。
食事は日に二度、森に向かって肉を投げ入れる。
投げ入れたらすぐに戻るようにと言われているので、担当はバラバラだが、レアンの時も逃げるのに必死で目にする暇もなかった。
そこにガラガラと馬車が帰ってくる音が聞こえてきた。
一瞬、チューベット男爵がもう戻ったのかと青くなったが、側近の二人が外へ出ていたのを思い出した。
倉庫から出て、廊下の窓から外の様子を見ると、側近の一人が荷物を抱えて馬車から降りた。
どうやら、買い出しに行っていたらしい。
もう一人は馬を厩舎へ移動させていた。
その様子を眺めながら、ふと疑問に思ったのは、側近の二人はなぜ猟犬に襲われないのかということだ。
命令を聞くのはチューベット男爵だけと聞いていたが、レアンとシエルを連れてきた時もそうであったし、日常的に二人は外出をしている。
犬達に邸の周りには近づかないようにと、躾けているのかもしれない。
そう考えて思い出したのは、ここに到着してすぐの時、レアンとシエルはしばらく荷台に入れられたまま放置されたことだ。
あの時、彼らが何か準備をしていたとしたら何だろう。
優秀な番犬の気をそらせるための何か……
あるとすればそれはきっと……犬の性質を利用した何か……
もしかしたら、匂いかもしれないと気がついたレアンは、ポンと手を打った。
声が使えない分、レアンは別の感覚が鋭かった。
聴覚、味覚、そして嗅覚だ。
チューベット男爵と対面した時に、香ったムスク。
最初に連れて来られた時は、疲れ切っていて余裕がなかったが、仕事を始めたら邸の中でも感じる時があった。
匂いが移ったのかと思ったが、男爵が出掛けた後も、側近の二人とすれ違うと、ほのかに香ったのを思い出した。
男爵の香水、それをつけた者は襲わないように訓練されていたとしたら説明がつく。
チューベット男爵の帰りが早まって、明日戻ってくる可能性だってある。
彼が帰って来たら、シエルに恐ろしいことをするのは間違いない。
人買いに襲われた時のように止めに入ったとしても、側近の二人に捕まって、その後はどうなるか分からない。
とにかく急いで香水を手に入れて、まずは本当に犬達が襲って来ないか確かめる必要がある。
蝋燭の火を吹き消したレアンは眠りについた。
側近の二人が外出する時を狙おうとしていたら、チャンスは次の日にすぐ訪れた。
朝起きて顔を洗った後、キッチンに向かうと、メイドの二人が朝食を作っていた。
いつもなら、食堂の大きなテーブルで、偉そうに食事をしている二人がいなかったので、レアンは首を振って探してしまった。
それを見たメイドの一人が、イワンさん達なら早くからいないわよと言った。
詳しいことは分からないが、帰りは夜になるという話だった。
そうと決まればやることは決まっている。
清掃するふりをして、男爵の部屋に侵入し、香水の瓶を盗むことにした。
男爵の部屋はほとんど何も置かれておらず、寝床だけが整えられていて、後はがらんとしていた。
大事なものや、見られて困るようなものは、地下に隠してあるようだ。
掃除はしなくていいと言われているので、中まで入ったことがなかったが、何が置かれているのかは外から覗いて見ていた。
周囲を見て誰もいないことを確認したレアンは、そっと部屋の中へ足を踏み入れた。
チューベット男爵は香水のコレクターとしても有名らしい。
ガラスが張られた香水棚には、所狭しと様々な香水の瓶が飾られていた。
棚の前に立ったレアンは困ってしまった。
全部試している時間はないし、こんなにたくさんの匂いを嗅いだら、鼻がおかしくなってしまう。
しばらくその場でウロウロとしてしまったが、側近の二人が普段外出時に使うとしたら、一瓶では足りないはずだと気がついた。
その線で見ると、棚の中央に置かれた大きな瓶が目に入った。
中の液体は、紫色の怪しい色をしていた。
瓶の形は違うがその横に、同じ液体が入った小瓶が数本置かれていた。
これだと目を光らせたレアンは、小瓶を一つ取り出して、自分に振りかけてみた。
ふわりと香る濃厚な甘い匂いに、これで間違いないと分かった。
レアンは小瓶を一つ拝借して、音を立てないように、男爵の部屋から出た。
胸に小瓶を抱いたまま、廊下の隅に腰を下ろしたレアンは、はぁはぁと息を吸い込んで、緊張の汗を拭った。
後は頃合いをみて、この香水が実際に効果があるのか、試してみる必要がある。
しかし、そこまで考えて、そんな悠長なことをしていて大丈夫なのか、冷静に問いかける自分がいた。
今は二人が出掛けていて絶好のチャンスだ。
厩舎の掃除をすると行って外へ出たらどうだろう。
臭いのが苦手だというメイド二人は厩舎までは来ない。
ゲイルは一応、レアンの監視役らしく午前中は目を凝らしてレアンのことを見ているが、午後はだいたい厩舎の椅子に座って寝てしまう。
大型猟犬の回避策を思いついたが、確かなわけじゃない。
だけど、もたもたしていたら、シエルを助け出すのが遅くなってしまう。
村育ちのレアンにとって、森は得意な場所だった。
登りやすい木を見つけるのも、走った勢いそのままに飛びついて登ることもできる。
そう考えるといざという時の自信もついてきた。
人形薬に即効性はないが、それでも毎日摂取したら、危険なものには変わりない。そんなものを飲まされ続けるシエルのことを思い浮かべたら、もう待っていられなくなった。
意を決してレアンは自分の部屋に戻り、用意していたものを服の中に隠して、素知らぬ顔で厩舎に入った。
ゲイルは無言でレアンのことを一瞥したが、すぐに自分の仕事に戻った。
床掃除に水の交換、馬達への餌やりが終わって汗を拭った時、太陽は一番高い位置にあった。
ゲイルは椅子に座ってパンを食べていたが、食べかけたパンを片手にすっかり寝入っていた。
こうなると、数時間は寝てしまう。
レアンはいつも先に邸に戻っていたので、今しかないと、持っていた箒をそっと下ろした。
ズボンの中から、香水の瓶を取り出したレアンは、自分に振りかけた。
そろりそろりと、足を動かして、厩舎の外へ出たら、一気に加速して走り出した。
邸の前を通り、馬車回しの横を抜けて、森へ飛び込んだ。
方向は地図で確認していたので間違いない。
頭の中で何度もイメージしていた通り、全速力で走ると、遠くに聳え立つ高い塀が見えた。
あの向こうに主人公達がいる。
なんとかあそこまで行かなければ……
犬達の息遣いと、土を蹴る音が今にも聞こえてきそうだ。
レアンは息を切らしながら、前だけを見て必死に走り続けた。
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