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第一部
⓴ 契り
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嵐というのは、突然やってくるものだが、予想できる嵐というのもある。
カイエンの鍵を掛ける宣言はこのことだったのかと、物音がして飛び起きたレアンは寝ぼけた頭で気がついた。
「カイーー!! 開けろっ! お前! 何をしたのか、分かっているのか!!」
ドスの効いた声が邸内に響き渡り、寝ていたレアンは目を覚ました。
ランプを手に持って廊下に出ると、灯りに照らされて、カイエンの部屋のドアを蹴っているシエルの姿が浮かんできて、驚いて一気に目が覚めてしまった。
シエルは所属している声楽団の合宿で、今日は教会に泊まるはずだった。
レアンは一人で早めにベッドに入って寝ていたのだが、まさかこれは夢なのかと、自分の頭を疑ってしまった。
「カイ!! 許さないぞ! 出てこい!!」
恐る恐るレアンが近づいていくと、暗がりの中で灯りに照らされたシエルが、壊れた人形のように顔を向けてきたので、レアンは悲鳴を上げそうになった。
レアンと目が合うと、泣きそうな顔になったシエルが、レアと名前を呼んで飛びついてきた。
あまりの勢いで、持っていたランプが揺れてぐわんぐわんと灯りが揺れた。
「楽団仲間から噂を聞いたんだ。その子の姉が、カイエンのことが好きで毎日練習を見に行っていたらしい。それで今日、カイエンが、顔に傷のある男の子と交際宣言をして、大勢の前で抱きしめてキスをして……猛獣のように襲いかかった……」
「ちょっと待てーー!!」
今まで蹴られても、びくとも動かなかったドアが、勢いよく開いて寝巻き姿のカイエンが飛び出してきた。
「話が誇張されている! そこまではしていない! おでこにチューしただけだ! そんなの親しい間柄なら挨拶みたいなものだろう」
「はぁ!? おでこに……だって……、ふざけんな! 俺だって……していないのにーー!!」
狭い廊下でカイエンに殴りかかりそうになったシエルを寸前で止めたのは、エドワードだった。
こちらも寝巻き姿で、三角の帽子をかぶったまま、機嫌の悪そうな顔で、夜中にいい加減にしろと低い声を出した。
ちなみにロックは一度寝ると、何が起きても朝まで起きない人なので、ここに来ることはなさそうだ。
「とりあえず、カイ、経緯を説明しろ! だから言っただろう。俺はどうなっても知らないって」
エドワードの言葉でシエルはやっと落ち着いたらしい。
深夜だが、みんなで居間で話し合うことになった。
ムッとした顔のシエルを中心に、その隣にレアン、対面のソファーにエドワードとカイエンが座った。
カイエンは女性関係で揉め事が起きて、レアンに助けてもらったと説明したが、シエルは納得しなかった。
目を引く美貌は二年経ってますます磨きがかかっている。
極寒の地に咲く、氷の花ような目で睨みつけられたら、さすがのカイエンもブルッと震えてエドワードの腕を掴んだ。
「だから、どうしてカイの尻拭いを、レアにさせるの? そんなの、その辺の女に頼めば、喜んで尻尾を振ってやるよ」
「いやぁ……さ、ほら、また勘違いさせたり、傷つけちゃったりしたら……」
「どーでもいいね。他の女なんて、どうだっていい。それよりも大事なのはレアだよ。レアが悪く言われたらどうするの?」
強い口調でシエルが言い放つと、カイエンは何も言えなくなり、ごもっともですと言って頭を下げた。
小説では暗黒の二年間の影響があってか、シエルは大人しくて臆病、常に主人公二人の側にいなければ震えてしまうくらいの設定だった。
それをすっ飛ばしたおかげか、ずいぶんとタフで、一人でどこへでも行ってしまうし、年上のカイエンとエドワードにも言いたいことは遠慮なく言う子になった。
特にレアンのことになると、過剰なくらい頑固で強気になって立ち向かう性格になっていた。
「エドワードを見習いなよ。誰にでもいい顔をしているからこういうことになるんだ」
「はい」
「……レアの件は、あまり触れてほしくないから、とりあえず様子をみて、変なやつが出てきたら、すぐに対応するように!」
「はい……レア、すまない。迷惑をかけた」
レアンはにっこりと笑ってから、大丈夫と首を振った。
先ほどまで、ピリピリした空気が流れていたが、やっと少し和らいだものになった。
こんな時、レアンはシエルがすごいと思ってしまう。
一番年下なのに、言うことはちゃんと言って、レアンのことを守りつつ、ただ責めるだけでなく、カイエンにもちゃんと逃げ道を残してあげることができる。
シエルは母親の背中を見て大きくなった。
子供を抱えた母親が一人で町を渡り歩けば、人と揉めることはたくさんあっただろう。
どんな風に揉めごとが起きて、どうやって解決して、ということを肌で感じて覚えているのかもしれないと思った。
レアンは手を伸ばして、隣に座るシエルの頭を撫でた。
カイエンを睨んで気を張っている様子だったシエルは、レアンに頭を撫でられたら、途端に子供の顔に戻って、レアと言って抱きついてきた。
レアンは人差し指を立てて、シエルの顎をトントンと軽く叩いた。
これが二人で決めた、ありがとうの意味だ。
いちいち紙で書くのが大変なので、簡単なことは合図で決めようということになった。
それで、最初に決めたのが、ありがとうだった。
「レアー、心配だよ。可愛くて優しくて……、カイエンなんかに騙されるし、この先どこかで変なやつに捕まったら……」
レアンの胸でシエルが頭をぐりぐり動かしてくるのを、くすぐったいとレアンが笑っていたら、ドンっと音がして、テーブルの上にビンが載せられた。
「この先のことを心配してもしょうがないだろう。こんな時間に起こされたから、頭が冴えて眠れない。飲むぞ!」
「ちょっ、エド。ここにいるみんな未成人だけど」
「あ? これは酒じゃない。高いからロックがちびちび飲んでる、花の蜜ジュースだ」
「なるほど、四人で共犯になるってのも、悪くないね」
エドワードのおふざけに乗ったのはシエルだった。
ガラステーブルの下からグラスを取り出して、四人の前に並べた。
「何に乾杯する? 友情?」
「俺達が? お友達って間柄じゃないだろう。ほら、カイ、お前が決めろ。一番年長なんだから」
「……ったく、こういう時だけ、年上扱いなんだから。そうだな……」
トクトクとグラスにジュースが注がれた。
様々な花の蜜から作られたとい花の蜜ジュースは、透明だが光に当たると虹色に輝く。
綺麗だなと思いながら、レアンがグラスの中を覗いていたら、カイエンが息を吸う音が聞こえた。
「ここに集う四人、俺達は兄弟だ。血の繋がりなんてなくてもいい。兄弟の契りを結ぼう。この先、どんなことがあっても、それぞれの力となり、笑って暮らせる未来に必ず、誰一人、欠けることなく立つこと」
「俺も誓う、兄弟として、全員を守る。俺が道を踏み外しそうになったら、誰か引っ叩いてくれ」
「はははっ、その役目になりそう。今から、腕を鍛えておこうかな。誓うよ、この先も変わらない気持ちでいる」
シエルが誓ったあと、微笑んでレアンを見てきた。
レアンの心も同じだ。
カイエンもエドワードも、まだ自分の全てを明かしてはいない。
レアンとシエルに、危害が及ぶのを恐れているからだろう。
自分がこの輪に加わることで何が起きるのか、それを考えると不安がないと言えば嘘になる。
だけど、レアンはとっくに誓っていた。
全員が悲劇の死を迎える未来など、絶対に阻止すると。
力強く頷いたレアンを見て、全員がグラスを掲げた。
乾杯、という声が響いて、カチンとグラスが合わさる音が響いた。
この先の未来が幸せであるように。
その願いを込めた乾杯の音は、この邸だけではなく、世界全体に響き渡ったように聞こえた。
「ああっ、そうだ!」
兄弟の契りを結んだ後、全員でジュースを飲み干して、二杯目に突入したら、シエルが声を上げたので、何かあったのかとみんなが手を止めた。
「カイはレアの額にキスしたんだろう! ズルいよ、カイばっかりズルい! 俺だって……俺だって!」
頬を膨らませて何を言うかと思ったら、可愛らしい嫉妬だったので、レアンはクスクスと笑ってしまった。
家にいた頃、レアンを取り合って、弟や妹がずるいずるいと駄々をこねて喧嘩をしていたのを思い出した。
そういう時は、順番に抱っこしてあげたのだが、さすがに自分と同じくらいのシエルを持ち上げることは難しい。
それなら、と思ってレアンはシエルに顔を近づけた。
シエルの丸いおでこにチュッと口付けると、シエルは見る見るうちに真っ赤になった。
可愛い可愛いシエル。
本当の弟ではないけれど、弟みたいに、必ず守ってみせる。
「おーい、俺だけ何もないけど。レア、ほら、こっちこっち……って、あたっ」
なんだか変な空気になってしまったが、エドワードが前髪を上げてレアンにおでこを見せてきた。
そこに調子に乗るなとシエルが丸めた紙を投げたら、しっかりと当たってしまった。
「早く寝ちゃえ、エド」
「おっ、生意気だなシエル。このジュース、睡眠効果があるらしいが、どっちが眠らないでたくさん飲めるか、勝負するか? レアからの勝者の祝福をかけて」
「はぁ? の、望むところだよ。エドになんて負けない!」
なんの勝負をしているのか分からないが、今度はシエルとエドワードが睨み合って、グラスになみなみとジュースを注いで、対決を始めてしまった。
深夜だというのに、全員で飲んで歌って大騒ぎをすることになった。最後の方は、シエルが踊っているのをぼんやりと見ていたが、レアンはうとうとしてしまい、そこで目を閉じた。
「おーまーえーたーちー!! よくもーーーー!」
カンカンと鍋底をお玉で叩く音が聞こえて、ハッとしたレアンは飛び起きた。
どうやらソファーで眠ってしまったらしい。
同じソファーで、シエルが後ろから抱きつくように眠っていて、カイエンとエドワードは床に転がって寝ていた。
空瓶が散乱していて、これはマズいことになったと、寝起きで早々、たらりと汗が流れた。
「俺の蜜ジュースがぁぁ! お前ら、何本飲んだんだ!? 夜中に酒盛りみたいなことをしやがってーー! ガキのくせに十年早いわ!」
ロックが大きな体を丸めて、大騒ぎでカンカン鍋を鳴らすので、やっとみんな目を擦ってむくりと起きがった。
「カイエン! エドワード! お前達は武具磨きと訓練場百周! 素振り千回!」
「うえっ」
「げっ」
「レア、シエルは、この部屋の片付けと、新作ドレスのモデルをやってもらう!」
「げぇー」
全員ロックに怒られながら、お玉でお尻を叩かれて、あくびをしながら立ち上がり、渋々取り掛かることになった。
楽しかった昨夜の記憶を思い出して、全員で目が合って笑い合った。
遊んでないでさっさとやる! と、また怒られて、慌てて言われたことをやるために、全員走り出した。
窓から朝の光が差し込んで、温かい風が吹いてきた。
大きな変化の波は、必ず来る。
その時も、変わらぬ心でお互いに助け合いたい。
昨夜、おでこにキスをしたら、真っ赤になっていたシエルの顔を思い出して、レアンは嬉しいという気持ちと共に、胸が高鳴るような不思議な気持ちを感じた。
一年後も二年後も……そしていつか嵐が来る時も……
シエルと一緒に……
あの日の約束を胸に、ずっと一緒に……
温かい風が吹き抜けた後、次に吹いてきた風は冷たかった。
レアンは大丈夫だと頭の中で繰り返して、自分の心が迷って消えてしまわないように、手に力を込めた。
(第一部 完)
カイエンの鍵を掛ける宣言はこのことだったのかと、物音がして飛び起きたレアンは寝ぼけた頭で気がついた。
「カイーー!! 開けろっ! お前! 何をしたのか、分かっているのか!!」
ドスの効いた声が邸内に響き渡り、寝ていたレアンは目を覚ました。
ランプを手に持って廊下に出ると、灯りに照らされて、カイエンの部屋のドアを蹴っているシエルの姿が浮かんできて、驚いて一気に目が覚めてしまった。
シエルは所属している声楽団の合宿で、今日は教会に泊まるはずだった。
レアンは一人で早めにベッドに入って寝ていたのだが、まさかこれは夢なのかと、自分の頭を疑ってしまった。
「カイ!! 許さないぞ! 出てこい!!」
恐る恐るレアンが近づいていくと、暗がりの中で灯りに照らされたシエルが、壊れた人形のように顔を向けてきたので、レアンは悲鳴を上げそうになった。
レアンと目が合うと、泣きそうな顔になったシエルが、レアと名前を呼んで飛びついてきた。
あまりの勢いで、持っていたランプが揺れてぐわんぐわんと灯りが揺れた。
「楽団仲間から噂を聞いたんだ。その子の姉が、カイエンのことが好きで毎日練習を見に行っていたらしい。それで今日、カイエンが、顔に傷のある男の子と交際宣言をして、大勢の前で抱きしめてキスをして……猛獣のように襲いかかった……」
「ちょっと待てーー!!」
今まで蹴られても、びくとも動かなかったドアが、勢いよく開いて寝巻き姿のカイエンが飛び出してきた。
「話が誇張されている! そこまではしていない! おでこにチューしただけだ! そんなの親しい間柄なら挨拶みたいなものだろう」
「はぁ!? おでこに……だって……、ふざけんな! 俺だって……していないのにーー!!」
狭い廊下でカイエンに殴りかかりそうになったシエルを寸前で止めたのは、エドワードだった。
こちらも寝巻き姿で、三角の帽子をかぶったまま、機嫌の悪そうな顔で、夜中にいい加減にしろと低い声を出した。
ちなみにロックは一度寝ると、何が起きても朝まで起きない人なので、ここに来ることはなさそうだ。
「とりあえず、カイ、経緯を説明しろ! だから言っただろう。俺はどうなっても知らないって」
エドワードの言葉でシエルはやっと落ち着いたらしい。
深夜だが、みんなで居間で話し合うことになった。
ムッとした顔のシエルを中心に、その隣にレアン、対面のソファーにエドワードとカイエンが座った。
カイエンは女性関係で揉め事が起きて、レアンに助けてもらったと説明したが、シエルは納得しなかった。
目を引く美貌は二年経ってますます磨きがかかっている。
極寒の地に咲く、氷の花ような目で睨みつけられたら、さすがのカイエンもブルッと震えてエドワードの腕を掴んだ。
「だから、どうしてカイの尻拭いを、レアにさせるの? そんなの、その辺の女に頼めば、喜んで尻尾を振ってやるよ」
「いやぁ……さ、ほら、また勘違いさせたり、傷つけちゃったりしたら……」
「どーでもいいね。他の女なんて、どうだっていい。それよりも大事なのはレアだよ。レアが悪く言われたらどうするの?」
強い口調でシエルが言い放つと、カイエンは何も言えなくなり、ごもっともですと言って頭を下げた。
小説では暗黒の二年間の影響があってか、シエルは大人しくて臆病、常に主人公二人の側にいなければ震えてしまうくらいの設定だった。
それをすっ飛ばしたおかげか、ずいぶんとタフで、一人でどこへでも行ってしまうし、年上のカイエンとエドワードにも言いたいことは遠慮なく言う子になった。
特にレアンのことになると、過剰なくらい頑固で強気になって立ち向かう性格になっていた。
「エドワードを見習いなよ。誰にでもいい顔をしているからこういうことになるんだ」
「はい」
「……レアの件は、あまり触れてほしくないから、とりあえず様子をみて、変なやつが出てきたら、すぐに対応するように!」
「はい……レア、すまない。迷惑をかけた」
レアンはにっこりと笑ってから、大丈夫と首を振った。
先ほどまで、ピリピリした空気が流れていたが、やっと少し和らいだものになった。
こんな時、レアンはシエルがすごいと思ってしまう。
一番年下なのに、言うことはちゃんと言って、レアンのことを守りつつ、ただ責めるだけでなく、カイエンにもちゃんと逃げ道を残してあげることができる。
シエルは母親の背中を見て大きくなった。
子供を抱えた母親が一人で町を渡り歩けば、人と揉めることはたくさんあっただろう。
どんな風に揉めごとが起きて、どうやって解決して、ということを肌で感じて覚えているのかもしれないと思った。
レアンは手を伸ばして、隣に座るシエルの頭を撫でた。
カイエンを睨んで気を張っている様子だったシエルは、レアンに頭を撫でられたら、途端に子供の顔に戻って、レアと言って抱きついてきた。
レアンは人差し指を立てて、シエルの顎をトントンと軽く叩いた。
これが二人で決めた、ありがとうの意味だ。
いちいち紙で書くのが大変なので、簡単なことは合図で決めようということになった。
それで、最初に決めたのが、ありがとうだった。
「レアー、心配だよ。可愛くて優しくて……、カイエンなんかに騙されるし、この先どこかで変なやつに捕まったら……」
レアンの胸でシエルが頭をぐりぐり動かしてくるのを、くすぐったいとレアンが笑っていたら、ドンっと音がして、テーブルの上にビンが載せられた。
「この先のことを心配してもしょうがないだろう。こんな時間に起こされたから、頭が冴えて眠れない。飲むぞ!」
「ちょっ、エド。ここにいるみんな未成人だけど」
「あ? これは酒じゃない。高いからロックがちびちび飲んでる、花の蜜ジュースだ」
「なるほど、四人で共犯になるってのも、悪くないね」
エドワードのおふざけに乗ったのはシエルだった。
ガラステーブルの下からグラスを取り出して、四人の前に並べた。
「何に乾杯する? 友情?」
「俺達が? お友達って間柄じゃないだろう。ほら、カイ、お前が決めろ。一番年長なんだから」
「……ったく、こういう時だけ、年上扱いなんだから。そうだな……」
トクトクとグラスにジュースが注がれた。
様々な花の蜜から作られたとい花の蜜ジュースは、透明だが光に当たると虹色に輝く。
綺麗だなと思いながら、レアンがグラスの中を覗いていたら、カイエンが息を吸う音が聞こえた。
「ここに集う四人、俺達は兄弟だ。血の繋がりなんてなくてもいい。兄弟の契りを結ぼう。この先、どんなことがあっても、それぞれの力となり、笑って暮らせる未来に必ず、誰一人、欠けることなく立つこと」
「俺も誓う、兄弟として、全員を守る。俺が道を踏み外しそうになったら、誰か引っ叩いてくれ」
「はははっ、その役目になりそう。今から、腕を鍛えておこうかな。誓うよ、この先も変わらない気持ちでいる」
シエルが誓ったあと、微笑んでレアンを見てきた。
レアンの心も同じだ。
カイエンもエドワードも、まだ自分の全てを明かしてはいない。
レアンとシエルに、危害が及ぶのを恐れているからだろう。
自分がこの輪に加わることで何が起きるのか、それを考えると不安がないと言えば嘘になる。
だけど、レアンはとっくに誓っていた。
全員が悲劇の死を迎える未来など、絶対に阻止すると。
力強く頷いたレアンを見て、全員がグラスを掲げた。
乾杯、という声が響いて、カチンとグラスが合わさる音が響いた。
この先の未来が幸せであるように。
その願いを込めた乾杯の音は、この邸だけではなく、世界全体に響き渡ったように聞こえた。
「ああっ、そうだ!」
兄弟の契りを結んだ後、全員でジュースを飲み干して、二杯目に突入したら、シエルが声を上げたので、何かあったのかとみんなが手を止めた。
「カイはレアの額にキスしたんだろう! ズルいよ、カイばっかりズルい! 俺だって……俺だって!」
頬を膨らませて何を言うかと思ったら、可愛らしい嫉妬だったので、レアンはクスクスと笑ってしまった。
家にいた頃、レアンを取り合って、弟や妹がずるいずるいと駄々をこねて喧嘩をしていたのを思い出した。
そういう時は、順番に抱っこしてあげたのだが、さすがに自分と同じくらいのシエルを持ち上げることは難しい。
それなら、と思ってレアンはシエルに顔を近づけた。
シエルの丸いおでこにチュッと口付けると、シエルは見る見るうちに真っ赤になった。
可愛い可愛いシエル。
本当の弟ではないけれど、弟みたいに、必ず守ってみせる。
「おーい、俺だけ何もないけど。レア、ほら、こっちこっち……って、あたっ」
なんだか変な空気になってしまったが、エドワードが前髪を上げてレアンにおでこを見せてきた。
そこに調子に乗るなとシエルが丸めた紙を投げたら、しっかりと当たってしまった。
「早く寝ちゃえ、エド」
「おっ、生意気だなシエル。このジュース、睡眠効果があるらしいが、どっちが眠らないでたくさん飲めるか、勝負するか? レアからの勝者の祝福をかけて」
「はぁ? の、望むところだよ。エドになんて負けない!」
なんの勝負をしているのか分からないが、今度はシエルとエドワードが睨み合って、グラスになみなみとジュースを注いで、対決を始めてしまった。
深夜だというのに、全員で飲んで歌って大騒ぎをすることになった。最後の方は、シエルが踊っているのをぼんやりと見ていたが、レアンはうとうとしてしまい、そこで目を閉じた。
「おーまーえーたーちー!! よくもーーーー!」
カンカンと鍋底をお玉で叩く音が聞こえて、ハッとしたレアンは飛び起きた。
どうやらソファーで眠ってしまったらしい。
同じソファーで、シエルが後ろから抱きつくように眠っていて、カイエンとエドワードは床に転がって寝ていた。
空瓶が散乱していて、これはマズいことになったと、寝起きで早々、たらりと汗が流れた。
「俺の蜜ジュースがぁぁ! お前ら、何本飲んだんだ!? 夜中に酒盛りみたいなことをしやがってーー! ガキのくせに十年早いわ!」
ロックが大きな体を丸めて、大騒ぎでカンカン鍋を鳴らすので、やっとみんな目を擦ってむくりと起きがった。
「カイエン! エドワード! お前達は武具磨きと訓練場百周! 素振り千回!」
「うえっ」
「げっ」
「レア、シエルは、この部屋の片付けと、新作ドレスのモデルをやってもらう!」
「げぇー」
全員ロックに怒られながら、お玉でお尻を叩かれて、あくびをしながら立ち上がり、渋々取り掛かることになった。
楽しかった昨夜の記憶を思い出して、全員で目が合って笑い合った。
遊んでないでさっさとやる! と、また怒られて、慌てて言われたことをやるために、全員走り出した。
窓から朝の光が差し込んで、温かい風が吹いてきた。
大きな変化の波は、必ず来る。
その時も、変わらぬ心でお互いに助け合いたい。
昨夜、おでこにキスをしたら、真っ赤になっていたシエルの顔を思い出して、レアンは嬉しいという気持ちと共に、胸が高鳴るような不思議な気持ちを感じた。
一年後も二年後も……そしていつか嵐が来る時も……
シエルと一緒に……
あの日の約束を胸に、ずっと一緒に……
温かい風が吹き抜けた後、次に吹いてきた風は冷たかった。
レアンは大丈夫だと頭の中で繰り返して、自分の心が迷って消えてしまわないように、手に力を込めた。
(第一部 完)
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