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第三章

⑫恋のスパイス

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 会場から優雅な音楽が流れて、招待客は散らばって、ダンスを踊り始めた。

 ティファに連れてこられた部屋で、リリアンヌは次のドレスを着せられた。それは、最終チェックの時に着ていた、薄いブルーのシンプルなドレスで、てっきり用意されなかったのだと思っていた。

「リリアンヌ様、こちらのドレス、実は踊りやすいように、スカート部分に工夫がしてあるのです。なので、もともと、ダンス用に用意されたのですよ」

 立っている時は分からなかったが、くるりと回ってみると、広がったスカートの中に、隠れていたレースや刺繍が現れた。

「うわっ、すごい!」

 先程は下ろしていた髪の毛も、今度は高い位置で結んでまとめてある。
 こちらも、踊りやすいように変えたのだろう。なんだかんだ言っても、ティファの専属としての腕は確かだ。

「ありがとう、ティファ。色々と…迷惑をかけたわね」

「リリアンヌ様、ティファはリリアンヌ様のお世話が出来て、とても幸せです。どうか、楽しんできてください」

 ティファに送り出され、控室で待っていた、フェルナンドと合流した。
 リリアンヌが強打した顎は若干赤みが残っているが、本人は痛くも痒くもないと言った。

「私のことより、リリアンヌ、今度は夜の妖精のようだね。このまま、連れ去ってしまいたい」

「この後ダンスなんだけど、フェルナンド、足が上手く動かないの。どうしよう、私…」

 疲労からか、複雑なステップを踏むと、痛みが出て、もつれてしまうのだ。

「大丈夫。私を誰だと思っているのかな。全部任せて」

 見上げると、優しげな瞳が見えて、リリアンヌは落ち着いた気持ちで、フェルナンドの腕に手を乗せた。

 □□□□□□□

 既に盛り上がっている会場に、主役の二人が登場して、歓声と拍手で迎えられた。
 音楽が始まり、フェルナンドとリリアンヌが踊りだすと、周囲からは感嘆のため息がもれた。
 まず主役が一曲踊り、次の曲から、他の者も参加して、みんなで踊るのだ。
 フェルナンドのリードのおかげで、ステップをごまかしながら、負担が少なく踊れるようにしてくれた。

 主役二人のダンスが終わり、一応これで重用な任務は終了だ。
 ダンスパーティーは続くが、自由解散なので、適当に歓談して疲れたら休んで良いと言われていた。
 フェルナンドと一度別れてから、会場を見渡したリリアンヌは、ユージーンの姿を見つけて駆け寄った。

「姉様!やっとお話出来る!ビックリしたよ、ずいぶん綺麗になってしまったから。別の人かと思うくらい」

「ユージーンったら、大げさなんだから…」

「本当よ。ドレスの趣味もこちらの方が良いわ。よく似合っているわよ」

 ローリエが嬉しそうに近づいてきてくれた。学園でいつも会っていても、こうやって顔を合わせると、少し照れ臭い。

「陛下への報告も上手くいったようね。あなたの話題で持ちきりよ。息子さんをくださいって言ったみたいね。さすがリリアンヌ、恐れいったわ」

「それなのよ!誰も何も言ってくれなくて!まずかったのかな」

「良いんじゃないの。気持ちが伝わったなら、陛下は形式にこだわる方じゃないから。昔は激昂の虎とか呼ばれたけど、今は猫みたいなものよ」

「げっ…激昂の…虎」

 確かに凄みのある目をしていた。今更ながら、体が震えてきた。

「ところで、ひとつ気になることがあるのよ。陛下の前で告白はいいけど、お互いに二人はちゃんと告白はしているの?」

「へ?………ちゃんとというのは、どういう?」

「なんか、お互いに好きあってるのは分かるのよ。殿下は好き好きうるさいくらいだし、ただどこか齟齬があるというか。どうもバランス悪い気がして…、ほら!あなたのこういうところに惹かれてとか、どういう時に好きになったとか!面と向かって、そういった話は、ちゃんとしてる?」

「いないと寂しいくらいは好きって言ったけど…」

 リリアンヌの答えに、ローリエは、令嬢らしからぬ大口を開けたまま、目を白黒させていた。

「それだけ?」

「…そうだよ」

 ローリエは、大きなため息をついた。

「リリアンヌ、殿下はすごーくモテるのよ。あなたがいつまでも煮えきらずに、殿下を待たせていたら、ほら見てごらんなさい」

 ローリエに指された方向を見ると、殿下はたくさんの令嬢達に囲まれていた。

「あの子達にとって、婚約など意味はないのよ。まだチャンスはあると思っているわ。魅力的でしょ、完璧な令嬢達よ。このままでいたら、いつ心が変わってしまうか分からないわね」

 ローリエがとびきり怪しい声で、耳許で囁いてきた。

 フェルナンドは、令嬢達と話ながら、優しく笑っていた。彼女達の手はさりげなく、フェルナンドの腕に添えられれていた。

 今まで、そんな風に意識して見たことがなかった。安心しきっていた。フェルナンドは自分を思ってくれていて、それは変わらないと。しかし、それに甘えて、自分はちゃんと答えも気持ちも本人に伝えてないし、前世の事も言えていない。

(こんなことでは、フェルナンドはいつか…いつか…)

 心臓がバクバクと鳴って、不安で押し潰されそうになった。

「どうしよう、ローリエ…心臓が痛い…、もう見ていられないよ」

「少し外へ出て空気を吸って来たら?落ち着くわよ。二階には大きなバルコニーがあって、星が良く見えるから…」

 リリアンヌが分かったといって、二階に上がっていくのを、ローリエはしっかり確認した。

「僕は、ローリエ様の言っていることが理解できません。姉様、とても苦しそうな顔をしていて…」

「ユージーン、私はどうやら、二人のキューピッドなのよ。ちゃんと最後まで責任を持つわ。リリアンヌには、ちょっとスパイスを加えただけよ。恋愛において、このスパイスはとっても役に立つわ」

 強すぎたら危険だけどと、ローリエは笑った。

「二人の婚約パーティーだもの。とっておきの舞台を用意したわ。あの子が殿下を好きなことは分かるわ。でも、理解しているのは、上部だけ。恋とはどういうものなのか、全く自覚していないのよ!良い機会だわ!リリアンヌ、ここを乗り越えないと…二人は本当の意味で結ばれないわ…」

 ユージーンは、バルコニーを見つめるローリエを見て、自分が愛を理解するのは、当分無理だなと思った。


 □□□□□□

 ローリエから教えられた通り、バルコニーからは、星をたくさん見ることができた。
 ひとつ、ふたつと数えていると、胸のざわざわした気持ちは収まってきた。
 自分の中にこんな苦い感情があったことに、軽くショックを受けた。
 フェルナンドが他の令嬢と踊っていても、今まで気にもとめなかったけれど、この感情を知ってからは、もう普通に見ることが出来ない。

「いやだ…いやだ…、俺、…俺の」

「リリアンヌ?」

 突然名前を呼ばれて、勢いよく振り返った。
 バルコニーの入り口にフェルナンドが立っていた。ローリエに聞いて来てくれたのだろう。

「リリアンヌ…?泣いているの?」

 フェルナンドが近づいてきて、リリアンヌの隣に並んだ。
 そして、目尻にたまった滴を指ですくい取った。

「こんなところで、一人で泣いているなんて…、どうして私を呼んでくれないの?」

 何か言わないといけない。
 でも口を開けば、この黒い感情が悟られてしまいそうで怖かった。

 沈黙をどう取ったのか分からないが、フェルナンドが口を開いた。

「ずっと聞きたかったことがあるんだ。あのジェイドにリリアンヌが捕まった時、最後あいつがリリアンヌを引き寄せて、¨トーヤ¨と言っただろう。あれはどういう意味なのかな?」

 心臓がドキリと跳ねた。フェルナンドには聞こえていないだろうと思っていた。
 ジェイドに知られるのはどうでもいいが、フェルナンドに知られることは怖かった。もし、透哉のことを知って、気持ちが悪いと言われたら、心が離れてしまったら…。
 それが怖くてずっと言えなかった。
 しかも、今は、黒くてモヤモヤの汚ない感情が心を支配していた。

「…だめ」

「リリアンヌ?」

「ごめんなさい、私…私…やっぱりだめ!」

「え?あっ………」

 フェルナンドの言葉を聞く前に、リリアンヌは走ってバルコニーから中へ戻りそのまま外へ出て、中央の自室へ戻った。

 何度か扉がノックされフェルナンドに、声をかけられたけれど、一人にして欲しいと答えた。

 そして、フェルナンドは、急遽生徒会の仕事が入り、先に学園に帰ることになったからと言って、次の日王宮を出てしまった。

 リリアンヌは、扉の下に伸びた影が消えていくのを、ただ眺めるしかなかった。


 やがて夏期休暇は終わり、生徒達は学園へと戻っていった。

 リリアンヌは婚約パーティー以来、ずっと落ち込んだままで、遠くばかり見ていた。
 フェルナンドが先に出ていった後は、ロロルコット邸へ戻り、自室にこもる日々を送った。
 学園へ向かう馬車の中でも、窓から外を見て沈黙していた。

「僕が思うに、スパイスが強すぎたんじゃないですかね」

 ユージーンがローリエに小声で話しかけた。

「私の責任ね。てっきり、スパイスが効いてお互いちゃんと気持ちを伝えって仲良くなれる作戦だったのに…こんなはずじゃなかったのよ」

 ローリエは頭を抱えた。自慢ではないが、幼い頃からたくさんの書物を読みあさり、大人達と対等に会話をして処世術を学んできた。それもこれも、身分差の恋を成就させるため。色々と人脈を使い、念願かなって、この夏、父の承諾をもらい婚約することが出来た。

 リリアンヌには、一番に知って欲しかった。
 しかし、自分の手助けで上手くいくはずの二人が、悲しいことに距離が出来てしまったことを知って後悔した。とても、報告できるはずがない。

「……だめよ、ローリエ!しっかりするのよ!私が得てきた知識は決して裏切らない!最後まで責任持つのだから、腹を決めたわ!」

 ローリエは自分に言い聞かせるように言って、リリアンヌの方を見た。

「リリアンヌ!!」

「えっ…」

「さぁ!白状してもらおうじゃない、あの日何があったのか!あん?私に黙りは許さないからね!」

 怒気のオーラを全身から放ち、リリアンヌにせまるローリエに、ユージーンは脅えて両手で自分を抱えた。

「…悪いのは私なのよ。あの日、他の令嬢達と楽しげにしていたフェルナンドを見て、誰にも渡したくないって思っちゃったのー!!」

「え!?」

 最後は大きな声を上げた、リリアンヌの告白に、ユージーンもローリエも目を開いたまま固まった。

「自分だけのもので、誰にも触られたくないとか、私だけ見て笑って欲しいとか…、もうそういう気持ちが次から次へとわいてきて、こんな黒くて汚ない気持ちになってしまって…、こんな考えがフェルナンドに知られたら、きっと…きっと…」

「喜ぶわね」

「そう!喜ぶ…って!え!?なっなんでよ!嫌われるの間違いでしょ」

「あーー!リリアンヌはリリアンヌだったのよー。大事なところが抜けてるのよ。お子様レベルからヨイショする必要があったんだわ。完全に私のミス」

「姉様、これは僕にも分かりますよ。スパイスが効きすぎたのではなく、そもそもスパイスを知らなかったんですよ。姉様が」

「え……どういう…」

「姉様、あんなに大騒ぎして、殿下にも迷惑かけて!独占欲に嫉妬だよ!そんなの好きなんだったら当たり前でしょう」

「そう、私はリリアンヌを煽って、殿下ともっと仲良くなってもらうようにと考えたの」

 青白い顔で思い悩んでいたリリアンヌは、今度は真っ赤になって小さく縮んでしまった。

「このままだと、到着は夜になりそうだけど、着いたらちゃんと殿下と仲直りしなさい」

「…分かった。それに言わなきゃいけない事があるんだ」

「大丈夫よ、さっき私達に話してくれたみたいに、自分の気持ちを素直にぶつけてみなさい」

 ローリエとユージーンが背中を押してくれた。
 リリアンヌは、今度こそと決意を込めて、手を強く握った。

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