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後編
しおりを挟む「涼介、聞いてる?」
「ああ、ごめん。何の話だっけ?」
「週末の話よ、手伝いに来てくれる約束でしょう」
結菜と二人で駅に向かって歩いていたが、すっかり考え込んでいて話を聞いていなかった。
週末、と聞いてこのところずっと俺の週末を独占してきた男の顔を思い出してしまった。
大企業の経営者一族、絶対忙しいはずだが、この二ヶ月、毎週末は俺を迎えに来て連れ回していた。
女装している時もあったし、普段の格好の日もあったが、あいつはどちらでもお構いなしに俺を抱いた。
この関係を何と言うのかは知っている。
いわゆる、セフレと言うやつだ。
正直なところ、奏とのセックスは最高に相性がいい。
肌が合う、と言うのはこういうことなのだと初めて感じた。
指一本触れただけで、アソコが熱くなる時もあるし、トロンと頭が溶けて眠くなるくらい癒される時もある。
とにかく、ずっと触れていたい。
こんな気持ち初めてだし、会えば体でぶつけてしまうけど、この関係を言葉にして確認することができない。
俺はセフレだからと言葉にして言われたら、ハイそうですかと受け入れられるような割り切った考えの人間じゃない。
はっきりそう告げられたら、もう終わりだと思っている。
だから、甘い雰囲気になるとわざと突き放して、明確にしないようにして、ずるずると関係を続けてきた。
奏はどうやら、セフレにもまめな男で、毎日のようにくだらない連絡をしてきた。
返事をしなくても、何度も送ってくるので、うるさいと返したほどだった。
しかし、この二週間、奏からの連絡が途絶えた。
毎日うるさいくらい連絡してきたくせに、パタリとそれが無くなった。
そして、週末も姿を見せなかった。
気になって仕方がない。けれど自分からメッセージを送ることができない。
もし、既読にすらならなかったら……。
怖くて手が震えて文字が打てないのだ。
これが何を意味しているのか、大人なら分かるのだろうか。
俺は子供だからと目を瞑ってしまいたいけれど、目を瞑ったとしてもハッキリと見えてしまう。
だって、毎週約束なんてしていない。
いつもアイツがフラっと来るだけでお互いの部屋に寄ったこともない。
体だけの関係。
そんなもの、求めてなんかいなかったはずなのに……。
気がつけばもう戻れなくなっていた。
「ああ…、確か道具は全部揃ってるんだったよな」
「そう、普段着で身一つで来てくれればいいから。美味しいものもたくさん出るみたいだし、涼介も楽しんで行ってよ」
よろしくと言いながら結菜は足取り軽く手を振って走っていった。
結菜は両親との交渉を重ねてついに恋人との交際を認めてもらった。
父親の会社が出資する事業のパーティーで恋人を婚約者としてお披露目する予定になっていた。
俺はそのパーティーで結菜のメイクを担当するために呼ばれていた。結菜は俺の手であれば触れられても大丈夫になっていた。
ついでに結菜の女友達のメイクもやって欲しいと頼まれていて、裏方として忙しくなりそうだった。
少しは気が紛れるだろうと思いながら、メッセージが途絶えたスマホの画面を見続けた。
パーティー当日、朝から控え室に入り、バタバタとレディー達の準備が始まった。
「ねぇ、これじゃ派手すぎない?」
「可愛いって、こんなに目が大きくなるの? 凄い感動!」
「えっ、すごい合ってるよ。涼介くん、すごいね。プロじゃないんでしょう、上手すぎる」
結菜のお嬢様友達は、ただの素人の俺がメイクをすると聞いて最初は嫌そうな顔をしていたが、実際完成したらたいそう喜んでくれた。
「凄いでしょう! 私がメイク上手くなったのも涼介のおかげなんだ。私にとっては魔法使いみたいな人」
そんな風に褒められたら嬉しいけど恥ずかしくなって、顔が熱くなってしまった。
「えっ…、ていうかさ、涼介くん、男の人に言うのも変だけど…美人?可愛すぎない?」
「分かる! 色白だしお肌ぷるぷるだし、涼しげな目元に、薄いけどふっくらした唇とか反則なんだけど」
結菜の女友達がぐいぐいと寄ってきてしまい、顔を解説されるなんて恥ずかしすぎてもっと真っ赤になった。
趣味が女装ですなんて言ったら、この場で着ているものを脱がされてドレスを着せられそうな勢いだ。
「はいはいそこまでー。今日は涼介にも楽しんでもらおうと思って、スーツを用意してあるから」
このまま女子に押し倒されそうな勢いだったが、結菜の助けが入ってホッとした。
結菜が壁に掛かった男物のスーツを指差して、あれだとウィンクしてきた。さすがにここで女装は勘弁して欲しかったので、助かったと安堵しながらスーツに着替えることにした。
「やば……。私ヤバい扉を開けてしまったかも」
「な…なんだよ、俺…そんなにおかしいの?」
スーツに着替えてパーティー会場へ向かうと、結菜がお嬢様らしからぬ大口を開けて、驚いた顔で出迎えてくれた。
よく考えたら、男物のスーツで正装をしたのなんてしたのは初めてだ。
結菜が選んだのはブラックの光沢のあるスーツだが、中のベストに鮮やかな紫色が入っていて、着こなせるか心配になるような艶のあるデザインだった。
さすがにルージュを乗せるわけにもいなかったので、軽く眉だけ整えて、長めの髪は後ろに流しただけだ。
一般人の場違い感が出てしまっているのだろうか。
「いやいやいや…、まずいね。いや、涼介が美人顔なのは知っていたのよ。化粧映えするってそもそも綺麗な顔じゃないと無理だし。女装はもちろん完璧なんだけど……、スーツって……ヤバい……色気ありすぎ」
「いっ……! やめろよ、変なこと言うの」
「ちょっと、今日気をつけてよ。隣の会場、なんかチャラそうな人来てたし、私がずっと付いていられるわけじゃないからさ。マジで涼介の彼氏さんに怒られちゃう」
「は!? かか…彼氏って……」
「あっ、前に二人で歩いているところ見ちゃってさ。後ろ姿だけだけど、めちゃくちゃお似合いだったし、大切そうにされていたじゃん」
色々と誤解や訂正がありすぎてどこから手をつけたらいいのか分からない。
男を恋愛対象にしている話なんて一度もしたことがなかったのに、どういうことなのか頭が追いつかない。
「そういえば、前にお見合いを頼んだ黒崎社長、今日招待されているみたいよ。今忙しいらしいから来られるか分からないみたいだけど、女装じゃないし大丈夫よね」
唖然としたまま言葉が出なくなって固まっていたら、友人に呼ばれた結菜はさっさと行ってしまった。
とにかく冷静になろうと、飲み物コーナーにふらふらと歩き出したのだった。
「はぁ…はぁ……死ぬ……」
洗面所の水で顔を洗って、目眩がしそうな頭を冷やしたが全然落ち着かなかった。
こんな事になるなんて、さっさと帰りたかったが、奏が来るかもと聞いたので少しだけでも会いたかった。
ちょうどいいと思った。
こんなモヤモヤした気持ちを抱えて過ごすなんて辛すぎる。
飽きたと、あの言葉をまた聞かされたとしても、こんな苦しい思いを抱えているよりはマシだ。
だから、来るか分からない奏を待っていたが、こんなことならもう帰った方がいいかもしれない。トイレの個室にこもってため息をついた。
初めは何と言ったかマスコミ関係の男で、モデルに興味はないかと話しかけられた。結構ですと突っぱねたら、その後ろからレストランを経営しているナントカさんが来て、一緒に飲まないかと言ってきた。それも断っていたら、ベンチャー企業やってる社長だかなんかが来て………。
会場を逃げても逃げても追いかけてきて、とにかく次々と男に話しかられて、ついには男同士揉めだしたりして会場が大変なことになってしまった。
まずいと背を低くして走ってトイレに逃げ込んだところだった。
スマホの画面を覗いても奏からのメッセージは来ていない。
だんだん腹が立ってきて、俺はついに文字を打った。
どこにいるんだと、シンプルな一文だった。
すると速効で既読になって、いきなり着信の画面になってしまった。
なぜ電話と思いながら、通話のボタンを押した。
「ベストタイミングだ」
「はぁ!?」
「今日本に着いたところだ。帰りのフライトだけで二日もかかったひどい時差ボケだ」
「はい!? なっ…なんだって?」
「悪かったな、しばらく連絡できなくて。社の水道プロジェクトで急に呼び出されて、アフリカのジャングルの奥地にいたんだ。電波は通じないしまいったよ」
「し…仕事……?」
「当たり前だ。観光で行くならせめて電波が入るところだ。それよりどこにいる? 会いたい、お前のことばかり考えていた」
「っっ………!!」
声が聞こえただけでもうダメだった。胸が熱くなって感情が爆発しそうだったのに、そんなことを言うなんて反則だ。
ひどい反則だ。
嬉しくて、嬉しくてたまらない。
俺だって会いたくなる。
いや、会いたくてたまらなかった。
ただ体が、セックスが気に入ったからだと思い込んで自分を防御してきたけれど、気づいてしまった。
マイペースで自分勝手で俺様だけど、甘すぎるくらい優しく俺を包んでくれる男。
押し切られるように溺れさせられたわけじゃない。
どろどろの沼にハマっていた俺を、強引に引っ張り出して抱きしめてくれた。
どこへ連れて行かれるのも嬉しくて楽しかったし、セックスをしてもしなくても幸せを感じてしまった。
こんな気持ち知らなかったし知りたくなかった。
だって俺は手を伸ばしても抱きしめてもらえなくて、偽りの愛に溺れて傷ついて飽きたと言われて捨てられる。
この先もずっと、そういう運命なのだと思ってきた。
ああ。そうだよ。
今俺はこいつなら捨てられてもいいなんて思ってる。
奏が好きだ……奏を好きになってしまった。
「結菜の親父の会社のパーティーに来てる。奏も招待されているって……」
「ああ、あそこのホテルのやつか。そこはなんだ?ずいぶん声がこもっているな」
「トイレから出られないんだよ……。今日はスーツなのに、やけに話しかけられて……」
「ちょっと待て! 涼介、スーツを着ているのか?」
「え? そりゃ、仮装パーティーじゃないんだし、正装だろ」
「………そこから、絶対動くな!」
ブチっといきなり電話が切られてしまった。言われなくても動けないと思いながら、またため息をついた。
奏が来てくれたらそれだけで泣いてしまいそうだ。
バカみたいで単純な自分が心底嫌になった。
ずっとこもっていようとしたが、ドンドンとドアを叩かれて出るしかなかった。
考えてみたら、このホテルのトイレの個室は三つで、二つの会場でパーティーをやっているらしい。
ずっと、開かずの奥の個室についに列が出来てしまい、まだですかと怒鳴られて出るしかなかった。
仕方なく隣の会場の前をうろうろしていた。入り口には出店記念パーティーと書かれていた。でかでかと掲げられていたのは、流行りの美容室の名前だった。
そこで俺は気づいてしまった、その全国展開している美容室は確か……。
「あれ? 涼介…?」
ずっと忘れたことなどなかった。
毎夜毎夜夢に出てきて、俺をいつまでも苦しませてくれた男。
夢の中で何度も殴ろうとして、結局足に縋り付いて泣いた。
俺を捨てないでと。
「久しぶりじゃん…」
その男、圭吾が目の前に立っていた。
あの頃と変わらず、いや、もっとピアスがついて派手になっていた。
圭吾の親は全国展開しているこのパーティーの美容室の経営者だった。
そのうち継ぐつもりだけど、今は適当に遊んでんだなんて言っていたのを思い出した。
「ちょうどいいわ、お前に会いたかったんだよ。ちょっとこっちに来いよ」
「は? なんで……行くかよ」
二年ぶりに会ったくせに、昨日今日別れたばかりのように当たり前に接してきて吐き気がした。
「あれ? そんなことを言っていいの? コレ、業界でも話題になってるユーキってやつの投稿なんだけど……。すぐ分かったよ。俺が教えてやったんだし。コレ、お前だろう」
圭吾はスマホの画面を俺の目の前に掲げた。
相変わらず、悪趣味なヤツだと俺は睨みつけた。
圭吾はあの頃と変わらない、陰気でふざけた目をしてニヤリと笑った。
「まだ女装を続けていたなんてな。お前、嫌がっていたくせに最後は喜んでやってたからな。目覚めちゃったってヤツ?」
会場横の使われていない控え室に圭吾は俺を連れてきた。
こんなヤツに会うなんて最悪だけど、俺はどこかでケジメをつける必要があると考えていた。これはいい機会かもしれないと大人しく従ったのだ。
「なんとでも言えよ。お前と俺はもうなんでもない」
「あれぇ、いつも大人しく尻尾振っていたくせに、ずいぶん生意気になっちゃって…。それに凄い淫乱みたいな顔になったな。今のオトコに仕込まれてんのか?」
「用件を言え、お前となんて同じ空気も吸いたくない」
「へぇ……本当に生意気だ。俺に突っ込まれないとイケなかったくせに」
クソみたいな挑発にのるほどバカじゃない。俺は無言で圭吾を睨みつけた。
「SNSの件は好きにしろ。男が投稿していたってバラしてくれて構わない。話は以上か?だったら俺はもう行かせてもらう」
「ツレないね。俺のこと思い出さなかったの? 俺はたまに思い出したよ。涼介のアソコ結構気に入っていたからさ」
プチンと張っていた糸が切れた。頭に血が上って気が狂いそうだった。
「ああ、思い出したよ。毎晩俺の夢に出てきて俺を苦しめ続けたんだ! 女装をし続けたらまたお前が会いに来てくれるかもしれないなんて思っていた時もある! でも、もう全部消えた! お前への気持ちも何もかも! 女装は俺の生きていくための手段だ! お前には関係ない! 嫌いだ嫌いだ、大嫌いだ! 消えてくれ! もう、解放してくれ!」
言いたいことを全部言ってやった。
何度も夢の中で叫んだ台詞だ。
好きで好きで溺れていたけれど、本当は嫌で嫌でたまらなかった。
自分を押し込めて無理して付き合っていた。
裸で捨てられた時、ショックと虚しい気持ち、それと怒りがあった。
本当は俺が先に言うべきだったんだ。
大嫌い。
あの日言えなかった言葉をやっとぶつけることができた。
「いいねぇ、その目…。お前のそこ好きだったわ。俺にめちゃくちゃ命令されて、分かったって素直に従いながらも、その目だけは俺を蔑んだように睨みつけていた。それを見るたびにさぁ、ゾクゾクしたんだよ。めちゃくちゃにしたいって……」
圭吾はいきなり俺を突き飛ばした。壁にガツンと当たって背中に痛みが走った。反動で歯を食いしばったからか、口の中に血の味が広がった。
「ボコボコにして意識なくしてる間に犯してやろうか? 口の中も後ろの孔も俺のをぶち込んで出しまくってやるよ」
背中に寒気が走った。圭吾は格闘技をやっていて、全国でもそれなりのところまでいった男だ。
まともにやり合って勝てるはずがない。しかも、他人をどうこう思える感覚が欠如していて、今言ったことは容赦なく本気でやるだろう。
逃げるしかない。
俺は素早くドア目掛けて走り出した。
ドアノブに手がかかりすぐに開けることができた。人の多い場所まで逃れれば、そう思った俺の半身が廊下に飛び出したところで、ぐっとそれ以上進まなくなってしまった。
髪を鷲掴みにされて、背中を殴られた。
鈍い音がして、苦痛に声を漏らした。
そのまま引っ張り込まれて、唯一の出口だったドアが虚しく閉まっていくのが見える。
あれが閉まったら終わる。
次に目を開ける時はぼろぼろになっているか、もう目も開けられないか……。
「かな…、奏……奏…!!」
腹に力が入らなくて、ほとんど声が出せなかったけれど、俺はあいつの名前を呼んだ。
最後の希望を込めて、閉まりかけたドアに向かって叫んだ。
ドアが閉まる直前、ガッと長い指が入り込んで、ドアは最後まで閉まらなかった。
長い指からそのままぐわっと手が入ってドアをこじ開けた。
ガンっと派手な音を立ててドアが全開に開けられた。
そこに現れた人を見て俺は息を呑んだ。
幻でも見ているのかと思った。名前を呼んだ人が目の前に助けに来てくれたのだから。
「おい、貴様…。よくも俺の涼介に手を出してくれたな」
助けに来てくれたのは嬉しかったが、奏は完全にブチギレていた。
背後から真っ黒なオーラを放ち、目元は漆黒に染まり、今にも殺りそうな勢いしか感じられない。
助けてもらうはずの俺まで震え上がるほどだ。
「俺の? ああ、コイツが今の恋人か? いいスーツ着ちゃって金持ちそうなの捕まえたな」
圭吾も奏の気迫に押されて声が震えたのが分かった。だが、プライドが許さないのだろう。挑発するように話し始めた。
「黙れ…、貴様の話しなど聞きたくもない」
「おい、お坊ちゃん。言っておくが涼介は俺が捨てた玩具なんだよ。ぼろぼろになるまで遊んで裸で外に放り出して捨てたんだ。その時の顔、素っ裸で泣きじゃくっ……ゔゔっ!ぐほっ…!!」
奏の右ストレートが綺麗に入った。
偉そうに饒舌に語っていた圭吾は、ぶっ飛んでパイプ椅子に突っ込んで床に転がった。
「黙れと言っただろう、クズが……」
力の差は歴然だった。油断していたとはいえ、格闘技をやっていた圭吾がまったく反応できずにモロにくらってしまった。
「か……奏…」
すぐに走ってきた奏は俺を強く抱きしめた。涼介、涼介と名前を呼びながら無事を確かめるように身体中を触ってきた。
「悪かった……遅くなった」
いったん体を離したら、俺の乱れた髪と、口の端から血が出ていることに気がついたようで、奏の目は怒りで真っ赤に染まったようになった。
「殺してやる」
「いっ…いや、それはまずいって……」
さすがに罪を犯して欲しくはなかった。奏の本気でやりそうな勢いに慌てて腕を掴んで止めた。
「これは……、圭吾! どう言うことだ!? 説明しろ!」
「お…親父! 助けてくれ! あの男がいきなり襲ってきたんだ!」
ここで、開かれたままの入り口に新たな人物が現れた。
初老の男性で、話の感じから、圭吾の父親であると思われた。
「アイツはチンピラだよ。俺の金を盗もうとして殴ってきたんだ」
「……それは、本当か?」
「ああ、間違いない。その男は強盗だ」
とんでもないことを言い出したので、俺は焦った。まさか、そんなことを真実だと思われたら大変なことになる。
慌てて訂正しようとしたら、奏の手が伸びてきて俺の頬をむにっと掴んだ。
「うちの息子が大変失礼しました」
圭吾の父親は奏に向かって深々と頭を下げた。
「なかなか困った息子さんですね、天野社長」
「あれはもう息子ではありません。散々庇ってきましたが、もう見捨てることにします。後継を考えていましたが、これでやっと弟に継がせる決意ができました」
「は? なっ…なんだよ! 親父! 何言ってんだよ」
「いい加減にしろ! お前が人の髪を掴んで部屋に引っ張り込んだところは数人に目撃されている。それにこの方はうちの取引先の社長だ。よくもまあ、強盗だと言えたな。さっさと荷物をまとめて家から出て行け!」
「なっ…!! 嘘だろ! 親父! おい! 親父!!」
圭吾は駆け駆けつけて来た会場の警備員達に捕まり、そのままズルズル床を引きずられながら連れて行かれてしまった。
圭吾の父親も奏と少し話して頭を下げながら去って行った。
「裸にして道に放り出せばよかったな。次にあの面を見たら問答無用でそうする」
奏がまだ怒りが収まらないと拳を震わせているところが見えた。
嬉しかったけれど、もう限界で俺は奏の方へ倒れ込んだ。
奏が慌てた様子で受け止めてくれて、すっかり体の力を全部預けた。
「り…涼介!? どうした!? 大丈夫か!?」
「せ…なかとか、殴られて…結構、痛い…かもて…」
安心した途端、ヅキヅキと痛みが走ってきて足元もおぼつかなくなってしまった。
「おい! 涼介! 涼介!」
体の痛みなのか心の痛みなのか、俺は奏に包まれた安心感でうとうととしてしまい、意識が遠のいていった。
完全に落ちる前に奏が俺の名前を連呼して、泣きそうな顔で叫んでいる顔がぼんやりと見えた。
ああ、泣かせるつもりはなかったのに、そんな顔もカッコいいななんて思いながら、頬に手を当ててやりたかったけどもう手は動かなかった。
結局倒れたのは精神的な方だったようで、体の痛みは捻挫程度ですんだ。
病院に連れて行かれたが、入院することもなくその日のうちに帰っていいですよということになったが、自宅に戻ることはできなかった。
「この百万ドルするかしないか分からない景色も、毎日これしか見れないとさすがに飽きるんだけど」
「だめだ。まだ体が治ってないだろう。ここと、ここにも傷がある。まったく、俺の涼介に傷をつけるなんて…。やっぱり殺しておくべきだったな、今からでも遅くないが……」
もういいからと言って、俺は全面ガラス張りの都会の景色をこれでもかと見下ろせる窓から離れて、カウンタースツールに座って新聞を読みながら優雅にコーヒーを飲んでいる男の横へ歩いて行った。
「傷って言ってももうほとんど残っていないかさぶただって。いつまで俺を閉じ込めておくつもり?まだ夏休みだからよかったけど……」
上質なフローリングをぺたぺたと裸足で歩くと汚してしまいそうで気まずいが、大きなシャツ一枚しか用意してくれないので、仕方なくこの格好で歩き回るしかない。
奏のすぐ横まで行くと、手が伸びてきて腰の辺りをぎゅっと抱きしめられた。
「そのかさぶたが取れても、帰って欲しくないって言ったら?」
「それは無理」
俺のズバッとした一言に、怯えた子供のような目で俺を抱きしめていた奏の力がガクッと抜けた。
まったくこんな甘い顔をする男だったなんて、知らなかった。
どれだけ色んな顔を見せれば気が済むのだろうか。
パーティー会場の一悶着あったあの日。意識が戻った俺が帰ってきたのは奏の自宅、セレブ高層マンションの最上階だった。
この階と下の階も持ち物らしく、桁違いの世界にもう頭が追いつかない。
都会の景色が一望できる大きな窓に囲まれた寝室。ここから出られるまで一週間、やっと家の中を自由に歩き回れるようになって一週間。大した怪我でもなかったのに、外出はまだ許してもらえない。
とは言っても、監禁されているわけでもないので出ていこうとすれば出ていける。
それでも俺は奏の側にいるのが居心地が良くて、夏休みということもあり療養なのか軟禁なのか分からないこの状況を受け入れていた。
奏は本当に体を心配しているようで、驚くことに俺を抱くのは控えている。
俺の方はウズウズして仕方がないのだが、自分から誘うこともできなくて体に灯った熱を見ないようにしている。
「無理だ。家に勉強道具も趣味のメイク道具も洋服も全部置いてあるんだから、取りに行くにしても一回帰らないと」
俺の言葉に捨てられた子犬みたいな目になっていた大きな体の男がパッと顔を上げた。
その目がランランと輝き出したのを見て、また新しい顔はやめてくれと噴き出した。
「その前に、お互い言うことがあるんじゃないか? このままだとただのセフレの延長だ」
「セ…セフレ……。そ…そうだな、そんなつもりはなかったが……。確かに……言葉が足りなかった。まったく…涼介の前だと何も機能しなくなる」
数え切れない社員を束ねる企業のトップのくせに、そんな風格を部屋の前に落としてきたみたいに、奏は情けない顔をして俺の腰にしがみついてきた。
「初めて涼介に会った時、ヤバいと思ったんだ。俺はバイだし、確かに褒められたような付き合いをしてきたわけじゃない。それでも男の方がいいと思っていたから、一生結婚するつもりはなかった。それなのに……待ち合わせ場所に立っていた涼介は……ヤバかった。顔がエロすぎて……」
「…………ん?」
「女だと思っていたから、手を出すのはマズイと思っていたけど、エロすぎる顔のくせに慣れていない拙い誘い方だったり、必死に強い酒飲む姿に、何かあるのだろうと気づいていたけれど、エロすぎて我慢できなくなって乗ってしまった」
「ちょっ……エロすぎるって何だよ!」
「だって仕方がないだろう! どストライクで股間に突き抜けたんだよ! この手の話は丁寧に断って終わりなのに、別人が現れて誘ってきて、すごい好みで応じてみたら、それが男だったんだ! 惚れるに決まってんだろう」
俺の腰に顔を擦り付けながら、真っ赤になって話すこの男は誰だったか分からなくなってきた。
逃がさないようにしっかりホールドしているのに呆れてしまう。
「……じゃあ、体が気に入ったってのは、まあ、正直な告白だったわけだ」
「そうだ……。体も顔も気に入った。だから確かめるためにもう一度会いに行って、すっかりハマった。外見だけじゃない、気が強いくせに本当は臆病で、ぶっきらぼうに見えて優しかったり、涼介の内面もめちゃめちゃ好みだった」
今度は俺が真っ赤になる番だった。そんな風に直球で好みだなんて言われたら、嬉しさを通り越してどうにかなりそうだった。
「涼介が倒れた時、怖くて怖くて仕方がなかった。この手を離したら、もう二度と会えないんじゃないかって……、情けない、お前の前だと全然カッコつけることもできない」
「いや、あれはカッコよかった。ほら、あの右ストレート。なんかやってたの?」
「学生時代、ボクシングを少し……」
「カッコよかった。凄かった、奏」
「………もっと言ってくれ。いつでも褒めてくれるんだろう」
だんだん調子に乗ってきた奏は俺を見上げてニヤリと笑っていた。憎らしいくらい可愛く思えて、俺は噴き出して大笑いした。
「最高だよ。大好きだ」
「もう一回」
「フザけんな、奏も言えっ…てっ…うぁっ…!」
くすぐってきた奏に、右ストレートを食らわせようともがいたが、そのまま腰を持ち上げられて運ばれてしまった。
ベッドに転がされてからも、くすぐり合って二人でじゃれて笑い合った。
甘くて幸せな時間だった。
「好きだ」
さんざん俺をくすぐった後、奏は啄むようなキスを何度もしてきて、やっとその言葉を口にした。
その時俺は気づいてしまった。
「なんだ狐につままれたような顔をして…。せっかく、一世一代の告白をしたのに」
「何が一世一代だ! 今まで何度言ったか吐かせてやる! だいたい好きな気持ちは過去に置いてきたんじゃないのか? カッコつけた発言を訂正しろ!」
今度はお返しだと俺がマウントを取って、奏をくすぐりだした。
賑やかな笑い声はやがて、甘い声に変わっていくだろう。
やっとお互いの気持ちを伝え合った俺達に怖いものなどなかった。
「で、それはやめないわけだ」
完璧に仕上げて最終チェックで鏡の前で回っていると、横でネクタイを締めながら奏がこぼしてきた。
今日のテーマは白でまとめたスイートエンジェル。俺は得意げな顔でにっこりと笑った。
俺は結局、奏の高層マンションで一緒に暮らすことになった。
好きだし一緒にいたいのが一番だが、溢れかった洋服や小物を、すっきり整理できるような広い部屋は俺にとって天国だった。
そして今日はユーキとしてイベントの仕事があって支度に追われていた。
同じく出勤前の奏と鏡を取り合って、というか俺が独占して朝からひとりで大騒ぎしていた。
「だって、これは俺のライフワークだし。あいつに教わったのとはもう全然違う。はるか先のものなんだ。似合っているんだし、いいだろう」
圭吾のことが絡むと奏はやや不満な様子を見せる。だが、これに関してはもう趣味というか仕事になりつつあるので、俺も譲れない。
「まあ…、女装はいい。好きなら、自由にすればいい。だが、スーツに関しては譲れない」
「は…!? スーツが何だよ?」
急に話が飛んだので、ポカンと口を開けて、真面目な顔で話す奏を眺めてしまった。
「あの日、アイツに絡まれる前から大変だっただろう。涼介のスーツ姿はヤバいんだ。特に正装なんて絶対だめだ。ただでさえ色気があり過ぎるのに、だだ漏れで垂れ流しで…」
「気持ちの悪い言い方するなよ!」
そういえば結菜もヤバいとかなんとか言っていた気がする。こんなに頑張っている女装より色気がどうとか言われるのがよく分からなかった。
「とにかくあまり心配かけさせないでくれ。ただでさえ、最近の俺がおかしいと部下の間で噂が飛び交ってうるさいんだ。あっ、メッセージはなるべく早く返信してくれ、じゃないと会議で暴れるから」
「…………」
毎日色んな方向から愛されて、どこが正解なのか全然分からない。
いい大人のくせして子供みたいな人が愛おしくてたまらなくて困ってしまう。
「俺さ、めちゃくちゃ沈んでいた時さ、唇にルージュを乗せたら生きているって感じがしたんだ。まるで魔法みたいだった。でもさ、俺、本当の魔法を見つけちゃったんだ」
「魔法?」
「そっ、魔法。とっても幸せで生きているって思える特別な…」
俺は何のことかと目を丸くしている奏のすぐ隣に立った。背伸びしてネクタイを引っ張って、近づいてきた奏の唇に自分の唇を合わせた。
「これが俺の、唇にかける魔法」
抜け出せない過去にもがいていた俺。
いつまでもしがみ付く黒い影に飲み込まれそうで怯えていた。
そんな俺を救い出してくれた奏。
そして、奏とキスをする度に、幸せで特別な自分になったような気持ちになれる。
これが本当の幸せな魔法だ。
「………そうか。なら、今日はこのまま、ベッドで全身に魔法をかけてやろう」
奏は俺を軽々と持ち上げて、二人のベッドに運んでしまう。
「ちょっと! 仕事だろう! 俺イベント! 奏は会議!」
「少しくらい平気だろう。客を待たせておけ、男とヤってましたって。俺の方は問題ない」
「俺は主催者、奏は部下に殺されるわ!」
「可愛いことを言うな。俺のテクで殺させたいのか?」
「言ってない! 全然そんなこと言ってないーーーー!」
足をバタつかせて叫ぶ俺を運びながら、奏は愛おしそうに笑っていた。
その顔を見たらほとんど許してしまう気持ちは悟られてはいけない。
「愛してる、涼介」
その言葉を言われたらもう完敗。
だって俺が伸ばした手を掴んで抱きしめてくれた人だから。
後にも先にも奏だけ。
「俺も」
俺は愛しい人にしがみついてキスをした。
全身にとっておきの魔法をかけて欲しい。
願わくばルージュみたいな、真っ赤な痕を期待して。
□完□
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