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前編
前編⑤
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アーデルハイド家でも頻繁にパーティーが開かれていたが、ヨランは部屋にこもり、ほとんど参加しなかった。叔父の息子と比べられ、自慢話を散々聞かされる。それも嫌だったが、ヨランは自分に注がれる好奇の目や、両親を亡くした可哀想な子という視線に耐えられず、部屋にいることを選んだ。
だから年月が経った今でも、人の集まる賑やかな場所は苦手だ。
「紹介したい人がいるんです」
サイラスが小声で話しかけてきたので、ヨランは目を開く。それはつまり、好きな相手ということだ。
サイラスの今後を左右する人物なら、会わないわけにいかない。
「ぜひ、参加させてもらおう」
「本当ですか! 良かった! 招待状を送りますね。あ、ちょっとうちの御者を呼んできます」
校内を歩き、馬車回しまで来たところで、サイラスは御者の待機所に声をかけに行った。
サイラスが本当に好きな相手が、彼を傷つけ、どん底に突き落とすような人物なら注意しなくてはいけない。
腕を組んだヨランは、静かに燃えていたが、その横にいるジェレミーは、ソワソワして落ち着かない様子だ。
「あ、あの……さ、アーデルハイド先輩……」
「え……?」
ずっとアンタ、お前呼びだったのに、急にかしこまって名前を呼ばれたので驚いた。ジェレミーを見ると気まずそうな顔で頭に手を当てていた。
「悪かったな……その、今まで……変態扱いして……失礼な態度で……」
「……おい、変態扱いしていたのか?」
「だっ、それは……! あいつの周り……そういうのが寄ってくるから」
「……私も犬扱いして悪かった」
言い返してみると、ジェレミーが目を開き驚いた顔になる。可愛いなと思ったヨランはプッと噴き出した。
「はははっ、すまない。あまりに面白い顔だから」
いつまでも笑っていると、怒ると思ったのに、ジェレミーは目を大きく開いたまま、じっとヨランのことを見ていた。
「なんだ? ぼけっとして……どうした?」
ネジでも外れたかと思い、顔を覗き込むと、今度は真っ赤になり、ジェレミーは後ろに飛び退いた。
「きゅ、急に……ビックリするだろ!」
「急にも何も、普通に話していたのに、変なやつだな」
「だって……アンタ……先輩が……」
口をモゴモゴしながら、何か言っているが、反応がいちいち可愛く見えてしまう。ダメだなと思って、ヨランは目を擦った。
「ヨラン」
不意打ちに名を呼ばれ、ヨランは息を吸い込む。足が震えてしまう。
「アーデルハイドって呼びにくいからさ、名前でいいだろう?」
「…………別にいいけど」
足が震えて背中に汗が流れてくる。何とか平静を装い答えると、ジェレミーはよかったと言い笑った。
「御者が戻ったよ。さぁ行こう。先輩も送ります」
サイラスが手を振り戻って来た。流れる空気を感じ取ったのか、不思議そうな顔で二人を見比べる。
「ああ、いいよ。私は歩いて帰る」
外は暗いが街灯もある。学校から所員の寮までは歩いて十分程度なので、送ってもらうほどではない。
「大丈夫なのか?」
「ああ、心配いらない」
ヨランは二人に手を振り歩き出した。ジェレミーが心配そうに見て来たので、急いで顔を下に向けた。
あんな風に見られたら、思い出してしまう。彼の愛に溢れた、優しい眼差しを……。
ヨランの帰りが遅いと、ジェレミーはいつも心配して、家の外まで出てきて待っていた。
お帰りと言ってくれた人はもういない。
クシャっと落ち葉を踏む音が耳に響いた。ハッとして辺りを見回したヨランだったが、通りを歩いているのは自分一人だけだ。
月明かりの綺麗な夜だが、今夜は寒くて恐ろしく感じる。
ブルっと震えたヨランは、前を向き帰る足を早めた。
最愛の人が死んだ。
出会いから二十二年、付き合って二十年。
王国法に則り同性婚をして、十年が過ぎていた。
死んだと聞かされた時、頭が真っ白になった。
次にドクドクと心臓が激しく鳴りだして、全身が震えだした。
嘘だと思った。
彼は殺されたと言われたからだ。
自宅で、しかも、剣で刺されて殺されたと。
そんなバカな話があるはずがない。
彼は王国一の剣豪で、王の剣と呼ばれる、近衛騎士団副団長を務める男だ。
ありえない。
息を吸うように剣を振るう男が、剣で殺されるなんてありえない。
室内には争った形跡があり、背中を刺されて絶命していた。
そんな話を聞かされて、ヨランは変な冗談はやめてくれと言って、家に入ろうとした。
しかし、周囲の人間に止められて、もがきながら退いてくれと叫んだ。
見ない方がいい。
そう言われて声にならない声を上げたヨランは、押さえてくる手を振り切り、自宅の玄関ドアを開けた。
見慣れたはずの二人の家が、別の家に見える。
付き合っている時は別々に暮らしていたが、結婚し、二人で暮らそうと決めて、すぐに家を買った。
初めてこの家の前に立った時、多く出したんだから先に入れよ促したヨランに、ジェレミーは二人で一緒に入ろうと言った。
手を繋いで、初めの一歩だと言って足を合わせたことを覚えている。
勢いよく踏み込んで転びそうになったヨランを、ジェレミーが笑いながら支えてくれた。
そんなやり取りが頭に浮かんできて、目の前の光景が霞んで見える。
一人で玄関の前に立ったヨランは、開け放ったドアの向こうに見える光景が信じられなくて、膝から崩れ落ちた。
血溜まりの中、背中に剣が刺さった状態で、うつ伏せで倒れているジェレミーが見える。
顔はこちらを向いているが目は閉じていた。唇は色を失い、肌は人形のように青白い。
「ジェレミー……」
名前を呼んだけれど、ジェレミーはピクリとも動かなかった。
残念だがもう……。
誰かがそう言った声が聞こえた。
嘘だ、嘘だと言ってくれ。
信じない! これは嘘だ!
同じ台詞を繰り返すヨランの上に、ポツポツと冷たい雨が落ちてきて、やがて激しく降り注いだ。
まともに息ができなかった。
雨に打たれながら、ヨランは唸るように恋人の名前を泣き呼び続けた。
声が枯れても名前を呼び続けるヨランの姿は痛々しく、周囲は遠巻きに悲痛な顔を並べ、やがて下を向いた。
同性同士が結婚すると、教会で祝福を受ければ子を成すことができる。
しかし、ヨランは子供を望まなかった。
ジェレミーは善良な両親の下、貧しいが温かい家庭で育った。
面倒見が良く、子供が好きで、よく近所の子と遊んでいた。口には出さなかったが、子を望んでいるのは分かった。
だが、ヨランの気持ちを尊重して、ジェレミーはそれでもいい、ヨランが一緒にいてくれるなら、それでいいと言ってくれた。
その時限りで終わった話。
だが、間違えた選択をしたのではないかと、ヨランの心にずっと引っ掛かっていた。
両親を亡くし、叔父夫婦の元で育ったが、家族に対していい思いがなく、変な意地やプライドが邪魔をした。
ジェレミーの望みを叶えてあげられなかった。
もっと違う幸せがあったのではないかと思ってから、心に潜んだ種は負い目となり芽を出して、徐々に大きくなっていた。
……そう、ジェレミーの心を疑ってしまうほどに。
病院で目覚めたヨランは、自分がショック状態で意識を失い、一週間寝ていたことを知る。
すでに騎士団が葬儀を執り行い、ジェレミーの遺体は墓に収められていた。
ジェレミーの部下から、逃走した犯人について聞かされた。物音に気付き外へ出た隣人によると、逃げた男は若くないが、身なりのいい格好だったそうだ。おそらく貴族だと思われている。
そこで、ジェレミーは少し前から身辺に不穏な気配を感じ取り、一人で調べていたこと教えてもらった。
帰りが遅かったことや、何か考え込んでいる様子は、そのためだったのだと知った。
ジェレミーは、これは自分に関係のあることだから、ヨランを危険に巻き込みたくないと言っていたそうだ。
ジェレミーの想いは痛いほど分かったが、どうして何も言ってくれなかったのか、苦しくてたまらなかった。
自分に関係のあることとは何なのか、殺されるような恨みを誰かに持たれていたのか。ジェレミーは真面目で優しい男だ。そんなことはありえない。
部下達は口を揃え、副団長は誰よりも強くて優しくて、上下関係なく気遣いのできる人だったと言ってくれた。
考えても考えても、ジェレミーが殺されるなんて信じられなかった。
生きる希望を失い、ボロボロの状態で家に帰ったヨランは、震える手で玄関のドアを開ける。
部屋の中は、ジェレミーの部下達が綺麗にしてくれており、床に散らばったものも整えられていた。
キッチンのテーブルに、ジェレミーが置いた箱がそのままになっている。ヨランが好きな菓子店の箱だ。
虚しくて苦しい、吐き気がしてヨランは口を押さえる。
ジェレミーはなぜ殺されなければならなかったのか。
空っぽになったヨランは、ブツブツと繰り返し口にして、その答えを探すためだけに生きていた。
ジェレミーはうつ伏せで倒れていた。
剣を持った相手と対峙して、背中を見せるようなことはありえない。
ジェレミーが向かおうとしていた先を見たヨランは、クローゼットが目に入り、そこに足を向けた。
新婚を祝い、ジェレミーの両親がプレゼントしてくれたものだ。大人が一人入っても十分なほど大きい。
クローゼットの扉は閉められていたが、扉に挟まっていたものが見えて、ヨランは息を吸い込んだ。
それは去年の結婚記念日にジェレミーがくれたハンカチーフだった。ピンク色の個性的な柄で、落としてもすぐに分かると彼が笑っていたのを思い出す。
派手で恥ずかしいと思ったが、意外と気に入ったヨランは、その日以来、毎日のように胸のポケットに入れて持ち歩いていた。
そこで、あの日の記憶が鮮やかになる。
仕事に出るジェレミーを送り出した時、胸ポケットのハンカチーフを形よく彼が直してくれた。ヨランはその後仕事に行き、所内の自分の名前が書かれたロッカーに、上着をかけた。
帰り際、遅くなってしまい、急いで着替えて所を出た後、走って家まで向かっていた時、ハンカチーフが胸にないことに気づいた。
急いで上着を手に取ったから、ロッカーの中に落としたのだと、その時は思った。
しかし、なぜかそのハンカチーフがクローゼットのドアに挟まっている。
恐る恐るクローゼットのドアを開けると、中は前に見た通りで変わらなかった。ただ、虚しくハンカチーフだけが、ゆらりと揺れながら床に落ちた。
「どうして……これが……ここに……」
なぜ、どうして。
気が遠くなるくらい、同じ言葉ばかり繰り返している。フラフラとした足取りで、ヨランが次に向かったのは、ジェレミーの部屋である書斎だった。
ここもいつもと変わらず、本棚は綺麗に整頓され、机の上には仕事の資料が置かれている。
ヨランは資料の山の奥に、先日、ジェレミーが持って帰ってきた花束を見つけた。このせいで浮気を疑ったものだが、ジェレミーが何か調べていたとすれば、関わりのあるものかもしれない。
花は変色しすっかり枯れていた。こんな扱い、どう考えても大切な相手からもらったものではない。枯れた花の中に、二つ折りになったカードを見つける。
それを手に取り、中を確認した。
『二十二年前を忘れるな』
カードにはそう書かれていた。
「二十二年前……俺とジェレミーが出会った……」
二人の出会いの年、そして、そのキッカケとなった事件。
サイラスが死んだ年である。
「……もしかして、これは逆恨み」
サイラスの死は、自死とみられていたが、遺書がなく、躊躇い傷がなかったことから、他殺の可能性もあると言われていた。ジェレミーは第一発見者であり、サイラスの恋人として名前が上がっていたので、痴情のもつれから彼を疑惑の人、犯人であると報じる新聞もあった。
サイラスの死もジェレミーと同じ。
争った後はなかったが、剣で胸を一突きで絶命していた。
ジェレミーは否認を貫いた。
だから年月が経った今でも、人の集まる賑やかな場所は苦手だ。
「紹介したい人がいるんです」
サイラスが小声で話しかけてきたので、ヨランは目を開く。それはつまり、好きな相手ということだ。
サイラスの今後を左右する人物なら、会わないわけにいかない。
「ぜひ、参加させてもらおう」
「本当ですか! 良かった! 招待状を送りますね。あ、ちょっとうちの御者を呼んできます」
校内を歩き、馬車回しまで来たところで、サイラスは御者の待機所に声をかけに行った。
サイラスが本当に好きな相手が、彼を傷つけ、どん底に突き落とすような人物なら注意しなくてはいけない。
腕を組んだヨランは、静かに燃えていたが、その横にいるジェレミーは、ソワソワして落ち着かない様子だ。
「あ、あの……さ、アーデルハイド先輩……」
「え……?」
ずっとアンタ、お前呼びだったのに、急にかしこまって名前を呼ばれたので驚いた。ジェレミーを見ると気まずそうな顔で頭に手を当てていた。
「悪かったな……その、今まで……変態扱いして……失礼な態度で……」
「……おい、変態扱いしていたのか?」
「だっ、それは……! あいつの周り……そういうのが寄ってくるから」
「……私も犬扱いして悪かった」
言い返してみると、ジェレミーが目を開き驚いた顔になる。可愛いなと思ったヨランはプッと噴き出した。
「はははっ、すまない。あまりに面白い顔だから」
いつまでも笑っていると、怒ると思ったのに、ジェレミーは目を大きく開いたまま、じっとヨランのことを見ていた。
「なんだ? ぼけっとして……どうした?」
ネジでも外れたかと思い、顔を覗き込むと、今度は真っ赤になり、ジェレミーは後ろに飛び退いた。
「きゅ、急に……ビックリするだろ!」
「急にも何も、普通に話していたのに、変なやつだな」
「だって……アンタ……先輩が……」
口をモゴモゴしながら、何か言っているが、反応がいちいち可愛く見えてしまう。ダメだなと思って、ヨランは目を擦った。
「ヨラン」
不意打ちに名を呼ばれ、ヨランは息を吸い込む。足が震えてしまう。
「アーデルハイドって呼びにくいからさ、名前でいいだろう?」
「…………別にいいけど」
足が震えて背中に汗が流れてくる。何とか平静を装い答えると、ジェレミーはよかったと言い笑った。
「御者が戻ったよ。さぁ行こう。先輩も送ります」
サイラスが手を振り戻って来た。流れる空気を感じ取ったのか、不思議そうな顔で二人を見比べる。
「ああ、いいよ。私は歩いて帰る」
外は暗いが街灯もある。学校から所員の寮までは歩いて十分程度なので、送ってもらうほどではない。
「大丈夫なのか?」
「ああ、心配いらない」
ヨランは二人に手を振り歩き出した。ジェレミーが心配そうに見て来たので、急いで顔を下に向けた。
あんな風に見られたら、思い出してしまう。彼の愛に溢れた、優しい眼差しを……。
ヨランの帰りが遅いと、ジェレミーはいつも心配して、家の外まで出てきて待っていた。
お帰りと言ってくれた人はもういない。
クシャっと落ち葉を踏む音が耳に響いた。ハッとして辺りを見回したヨランだったが、通りを歩いているのは自分一人だけだ。
月明かりの綺麗な夜だが、今夜は寒くて恐ろしく感じる。
ブルっと震えたヨランは、前を向き帰る足を早めた。
最愛の人が死んだ。
出会いから二十二年、付き合って二十年。
王国法に則り同性婚をして、十年が過ぎていた。
死んだと聞かされた時、頭が真っ白になった。
次にドクドクと心臓が激しく鳴りだして、全身が震えだした。
嘘だと思った。
彼は殺されたと言われたからだ。
自宅で、しかも、剣で刺されて殺されたと。
そんなバカな話があるはずがない。
彼は王国一の剣豪で、王の剣と呼ばれる、近衛騎士団副団長を務める男だ。
ありえない。
息を吸うように剣を振るう男が、剣で殺されるなんてありえない。
室内には争った形跡があり、背中を刺されて絶命していた。
そんな話を聞かされて、ヨランは変な冗談はやめてくれと言って、家に入ろうとした。
しかし、周囲の人間に止められて、もがきながら退いてくれと叫んだ。
見ない方がいい。
そう言われて声にならない声を上げたヨランは、押さえてくる手を振り切り、自宅の玄関ドアを開けた。
見慣れたはずの二人の家が、別の家に見える。
付き合っている時は別々に暮らしていたが、結婚し、二人で暮らそうと決めて、すぐに家を買った。
初めてこの家の前に立った時、多く出したんだから先に入れよ促したヨランに、ジェレミーは二人で一緒に入ろうと言った。
手を繋いで、初めの一歩だと言って足を合わせたことを覚えている。
勢いよく踏み込んで転びそうになったヨランを、ジェレミーが笑いながら支えてくれた。
そんなやり取りが頭に浮かんできて、目の前の光景が霞んで見える。
一人で玄関の前に立ったヨランは、開け放ったドアの向こうに見える光景が信じられなくて、膝から崩れ落ちた。
血溜まりの中、背中に剣が刺さった状態で、うつ伏せで倒れているジェレミーが見える。
顔はこちらを向いているが目は閉じていた。唇は色を失い、肌は人形のように青白い。
「ジェレミー……」
名前を呼んだけれど、ジェレミーはピクリとも動かなかった。
残念だがもう……。
誰かがそう言った声が聞こえた。
嘘だ、嘘だと言ってくれ。
信じない! これは嘘だ!
同じ台詞を繰り返すヨランの上に、ポツポツと冷たい雨が落ちてきて、やがて激しく降り注いだ。
まともに息ができなかった。
雨に打たれながら、ヨランは唸るように恋人の名前を泣き呼び続けた。
声が枯れても名前を呼び続けるヨランの姿は痛々しく、周囲は遠巻きに悲痛な顔を並べ、やがて下を向いた。
同性同士が結婚すると、教会で祝福を受ければ子を成すことができる。
しかし、ヨランは子供を望まなかった。
ジェレミーは善良な両親の下、貧しいが温かい家庭で育った。
面倒見が良く、子供が好きで、よく近所の子と遊んでいた。口には出さなかったが、子を望んでいるのは分かった。
だが、ヨランの気持ちを尊重して、ジェレミーはそれでもいい、ヨランが一緒にいてくれるなら、それでいいと言ってくれた。
その時限りで終わった話。
だが、間違えた選択をしたのではないかと、ヨランの心にずっと引っ掛かっていた。
両親を亡くし、叔父夫婦の元で育ったが、家族に対していい思いがなく、変な意地やプライドが邪魔をした。
ジェレミーの望みを叶えてあげられなかった。
もっと違う幸せがあったのではないかと思ってから、心に潜んだ種は負い目となり芽を出して、徐々に大きくなっていた。
……そう、ジェレミーの心を疑ってしまうほどに。
病院で目覚めたヨランは、自分がショック状態で意識を失い、一週間寝ていたことを知る。
すでに騎士団が葬儀を執り行い、ジェレミーの遺体は墓に収められていた。
ジェレミーの部下から、逃走した犯人について聞かされた。物音に気付き外へ出た隣人によると、逃げた男は若くないが、身なりのいい格好だったそうだ。おそらく貴族だと思われている。
そこで、ジェレミーは少し前から身辺に不穏な気配を感じ取り、一人で調べていたこと教えてもらった。
帰りが遅かったことや、何か考え込んでいる様子は、そのためだったのだと知った。
ジェレミーは、これは自分に関係のあることだから、ヨランを危険に巻き込みたくないと言っていたそうだ。
ジェレミーの想いは痛いほど分かったが、どうして何も言ってくれなかったのか、苦しくてたまらなかった。
自分に関係のあることとは何なのか、殺されるような恨みを誰かに持たれていたのか。ジェレミーは真面目で優しい男だ。そんなことはありえない。
部下達は口を揃え、副団長は誰よりも強くて優しくて、上下関係なく気遣いのできる人だったと言ってくれた。
考えても考えても、ジェレミーが殺されるなんて信じられなかった。
生きる希望を失い、ボロボロの状態で家に帰ったヨランは、震える手で玄関のドアを開ける。
部屋の中は、ジェレミーの部下達が綺麗にしてくれており、床に散らばったものも整えられていた。
キッチンのテーブルに、ジェレミーが置いた箱がそのままになっている。ヨランが好きな菓子店の箱だ。
虚しくて苦しい、吐き気がしてヨランは口を押さえる。
ジェレミーはなぜ殺されなければならなかったのか。
空っぽになったヨランは、ブツブツと繰り返し口にして、その答えを探すためだけに生きていた。
ジェレミーはうつ伏せで倒れていた。
剣を持った相手と対峙して、背中を見せるようなことはありえない。
ジェレミーが向かおうとしていた先を見たヨランは、クローゼットが目に入り、そこに足を向けた。
新婚を祝い、ジェレミーの両親がプレゼントしてくれたものだ。大人が一人入っても十分なほど大きい。
クローゼットの扉は閉められていたが、扉に挟まっていたものが見えて、ヨランは息を吸い込んだ。
それは去年の結婚記念日にジェレミーがくれたハンカチーフだった。ピンク色の個性的な柄で、落としてもすぐに分かると彼が笑っていたのを思い出す。
派手で恥ずかしいと思ったが、意外と気に入ったヨランは、その日以来、毎日のように胸のポケットに入れて持ち歩いていた。
そこで、あの日の記憶が鮮やかになる。
仕事に出るジェレミーを送り出した時、胸ポケットのハンカチーフを形よく彼が直してくれた。ヨランはその後仕事に行き、所内の自分の名前が書かれたロッカーに、上着をかけた。
帰り際、遅くなってしまい、急いで着替えて所を出た後、走って家まで向かっていた時、ハンカチーフが胸にないことに気づいた。
急いで上着を手に取ったから、ロッカーの中に落としたのだと、その時は思った。
しかし、なぜかそのハンカチーフがクローゼットのドアに挟まっている。
恐る恐るクローゼットのドアを開けると、中は前に見た通りで変わらなかった。ただ、虚しくハンカチーフだけが、ゆらりと揺れながら床に落ちた。
「どうして……これが……ここに……」
なぜ、どうして。
気が遠くなるくらい、同じ言葉ばかり繰り返している。フラフラとした足取りで、ヨランが次に向かったのは、ジェレミーの部屋である書斎だった。
ここもいつもと変わらず、本棚は綺麗に整頓され、机の上には仕事の資料が置かれている。
ヨランは資料の山の奥に、先日、ジェレミーが持って帰ってきた花束を見つけた。このせいで浮気を疑ったものだが、ジェレミーが何か調べていたとすれば、関わりのあるものかもしれない。
花は変色しすっかり枯れていた。こんな扱い、どう考えても大切な相手からもらったものではない。枯れた花の中に、二つ折りになったカードを見つける。
それを手に取り、中を確認した。
『二十二年前を忘れるな』
カードにはそう書かれていた。
「二十二年前……俺とジェレミーが出会った……」
二人の出会いの年、そして、そのキッカケとなった事件。
サイラスが死んだ年である。
「……もしかして、これは逆恨み」
サイラスの死は、自死とみられていたが、遺書がなく、躊躇い傷がなかったことから、他殺の可能性もあると言われていた。ジェレミーは第一発見者であり、サイラスの恋人として名前が上がっていたので、痴情のもつれから彼を疑惑の人、犯人であると報じる新聞もあった。
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