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序章 皇太子争奪
P-1. 皇帝ハーケンベルク
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『ゼルダ皇子! ザルマーク皇太子が――!!』
全身に冷たい汗をかいて、跳ね起きた。
夜明け前――
凱旋前夜、皇太子は暗殺された。
不可思議な少女の幻影が、直前、皇妃の陰謀を警告した。
けれど、ゼルダ一人が見た幻影では、証拠にならない。
皇太子暗殺は、皇妃ではなく、方術師の所業と断ざれた。
**――*――**
モス・グリーンの礼装に、金糸で精緻な刺繍の施された純白の上位を羽織り、髪も正式に結い上げたゼルダは、傾国の貴公子そのものだった。
魔物めいた美貌、優雅で気品溢れる物腰、立ち居振る舞いの全てが見る者を魅了してやまない。
独りになると、ゼルダは厳しい目をして、皇宮を見やった。
父皇帝に今日、訴える。母皇妃と兄皇太子を殺させたのが、ゼルシアであること。
父が何と答えるか――
父に愛されていると感じたことは、あまりなかった。
信じてもらえるのか。
正直なところわからなかった。
そもそも、父皇帝は本当に、皇妃ゼルシアの所業を知らないのか。そんなことがあるのだろうか。
知っていて黙認しているのだとしたら――
考えれば考えるだけ、分の悪い、綱渡りも同然の賭けに思えた。
けれど――
透き通る湖面に姿を映し、ゼルダはふっと微笑んだ。
年々、亡き母の面影が強くなる。
父はどんな思いでこの姿を見るだろう。
こうして髪を結い上げれば、ますます、肖像画のアーシャ皇妃に酷似する。生き写しだ。
知っていて、この姿で父皇帝に目通る。それが残酷なのか、愚かなのか、ゼルダは知らない。
父皇帝と真正面から相対すれば、もう、後戻りはできない。
“ 父上は昔、民を愛して下さっていたが、愛すればこそ、無理もしていらしたようだ ”
“ 願いという形の人の欲に、応えれば応えるほど、父上への期待は増して―― ”
兄皇太子アルディナンが語った言葉の幾つかを、ゼルダは思い起こした。
人々はいつか、同じ人間であるのに、ハーケンベルクになら何でもできて当然だと、皇太子であり、能力も高いのだから、何でもできるはずだと、思うようになっていたのだと。
その隙に、当時の第二皇子シャークスがつけ込む。
民と摩擦し始めていた皇太子を、弟皇子が追い落としにかかるのだ。
小さな失望をきっかけに、民はシャークスの、皇太子を貶める言葉に耳を貸した。それまで、民のためになど指一本動かしてこなかった第二皇子の言葉に。
当時、民を思えばこそ力を尽くしてきた皇太子の誠意さえ貶められ、愛されたはずの民が、皇太子を裏切った。
皇太子ハーケンベルクの失望は、深かった。
それを境に、皇太子は周囲に心を期待しなくなった。その脆さを目の当たりにして、価値を見失ったのだ。
そして、そんな皇太子が即位する頃に側室に上がったゼルシアが、いつしか、その懐に滑り込む。どんなことがあっても、皇帝を裏切らない女として――
強欲なようで、ゼルシアほど、欲がなく信用できる妃はいない。
不作の年、皇帝が力を尽くしたあげくに何万の民が死のうとも、ゼルシアの食事さえ不足しなければ、ゼルシアは意に介さなかった。
ゼルシアはまた、知略と人の心の機微を見抜く目とも備え、皇帝を陥れんとする誹謗中傷に、ただの一度として惑わされなかった。惑わされるどころか、人心が惑う度、人心を惑わす手管を学び取る女だった。それを駆使してゼルシアはのし上がる。
ゼルシアは、手を汚さず他人を陥れる人間を見て、泥はねの一つもなく邪魔な相手を始末する、その手管を悠々、学び続けたのだ――
**――*――**
ゼルダは重い気持ちで嘆息した。
父皇帝に、母皇妃ならまだしも、自分の言葉に耳を貸せと言うのは、無謀に思えた。
この姿は悪あがきだなと、自嘲めいた微笑を浮かべる。
それでも、父が母を愛していたのか、確かめたくもあった。確かめなければ、前に進めない。
父を愛した母の言葉を、振り切れないから――
“ アルディナン、ゼルダ、あなた達だけは、お父様を信じていてあげて――
どうか、お父様を、孤独の中に置かないで―― ”
全身に冷たい汗をかいて、跳ね起きた。
夜明け前――
凱旋前夜、皇太子は暗殺された。
不可思議な少女の幻影が、直前、皇妃の陰謀を警告した。
けれど、ゼルダ一人が見た幻影では、証拠にならない。
皇太子暗殺は、皇妃ではなく、方術師の所業と断ざれた。
**――*――**
モス・グリーンの礼装に、金糸で精緻な刺繍の施された純白の上位を羽織り、髪も正式に結い上げたゼルダは、傾国の貴公子そのものだった。
魔物めいた美貌、優雅で気品溢れる物腰、立ち居振る舞いの全てが見る者を魅了してやまない。
独りになると、ゼルダは厳しい目をして、皇宮を見やった。
父皇帝に今日、訴える。母皇妃と兄皇太子を殺させたのが、ゼルシアであること。
父が何と答えるか――
父に愛されていると感じたことは、あまりなかった。
信じてもらえるのか。
正直なところわからなかった。
そもそも、父皇帝は本当に、皇妃ゼルシアの所業を知らないのか。そんなことがあるのだろうか。
知っていて黙認しているのだとしたら――
考えれば考えるだけ、分の悪い、綱渡りも同然の賭けに思えた。
けれど――
透き通る湖面に姿を映し、ゼルダはふっと微笑んだ。
年々、亡き母の面影が強くなる。
父はどんな思いでこの姿を見るだろう。
こうして髪を結い上げれば、ますます、肖像画のアーシャ皇妃に酷似する。生き写しだ。
知っていて、この姿で父皇帝に目通る。それが残酷なのか、愚かなのか、ゼルダは知らない。
父皇帝と真正面から相対すれば、もう、後戻りはできない。
“ 父上は昔、民を愛して下さっていたが、愛すればこそ、無理もしていらしたようだ ”
“ 願いという形の人の欲に、応えれば応えるほど、父上への期待は増して―― ”
兄皇太子アルディナンが語った言葉の幾つかを、ゼルダは思い起こした。
人々はいつか、同じ人間であるのに、ハーケンベルクになら何でもできて当然だと、皇太子であり、能力も高いのだから、何でもできるはずだと、思うようになっていたのだと。
その隙に、当時の第二皇子シャークスがつけ込む。
民と摩擦し始めていた皇太子を、弟皇子が追い落としにかかるのだ。
小さな失望をきっかけに、民はシャークスの、皇太子を貶める言葉に耳を貸した。それまで、民のためになど指一本動かしてこなかった第二皇子の言葉に。
当時、民を思えばこそ力を尽くしてきた皇太子の誠意さえ貶められ、愛されたはずの民が、皇太子を裏切った。
皇太子ハーケンベルクの失望は、深かった。
それを境に、皇太子は周囲に心を期待しなくなった。その脆さを目の当たりにして、価値を見失ったのだ。
そして、そんな皇太子が即位する頃に側室に上がったゼルシアが、いつしか、その懐に滑り込む。どんなことがあっても、皇帝を裏切らない女として――
強欲なようで、ゼルシアほど、欲がなく信用できる妃はいない。
不作の年、皇帝が力を尽くしたあげくに何万の民が死のうとも、ゼルシアの食事さえ不足しなければ、ゼルシアは意に介さなかった。
ゼルシアはまた、知略と人の心の機微を見抜く目とも備え、皇帝を陥れんとする誹謗中傷に、ただの一度として惑わされなかった。惑わされるどころか、人心が惑う度、人心を惑わす手管を学び取る女だった。それを駆使してゼルシアはのし上がる。
ゼルシアは、手を汚さず他人を陥れる人間を見て、泥はねの一つもなく邪魔な相手を始末する、その手管を悠々、学び続けたのだ――
**――*――**
ゼルダは重い気持ちで嘆息した。
父皇帝に、母皇妃ならまだしも、自分の言葉に耳を貸せと言うのは、無謀に思えた。
この姿は悪あがきだなと、自嘲めいた微笑を浮かべる。
それでも、父が母を愛していたのか、確かめたくもあった。確かめなければ、前に進めない。
父を愛した母の言葉を、振り切れないから――
“ アルディナン、ゼルダ、あなた達だけは、お父様を信じていてあげて――
どうか、お父様を、孤独の中に置かないで―― ”
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