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第三章 死霊術師
3-4c. ルディアの海賊【冥門】
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パキィン――
何か、硝子が砕けるような、澄んだ音を聞いた気がした。
左眼を真紅に輝かせたヴァン・ガーディナが腕を一振りしただけで、砲弾が遥か上空で大破した。ゼルダの目には、そう見えたのだ。
「そら、次が来る。おまえやってみろ。闇曜じゃないが、指導してやろう?」
兄皇子が何をどうしたのかわからないゼルダが動けずにいると、ヴァン・ガーディナが手早く印を切り、棺の呪文を唱えた。
砲弾と棺を衝突させて、上空で爆発させているのだ。
砲撃を捉える精度と速さ、さらには、砲弾に衝撃を与えるほどの質量を備えた、棺の呪文――
あろうことか、この距離でか。
ゼルダには到底、真似の出来ない神業だった。
それでも、やらなければどうなるか、港町の残骸という地獄を目の当たりにして、無理だと、出来ないと諦めるわけにもいかなくて。
ゼルダの懸命な棺の呪文は、速さも距離も精度も足りず、一向に、砲撃を阻止するには至らなかった。ゼルダの代わりに、兄皇子が阻止してくれるから、いいようなものの――
五、六発も撃ってきただろうか。それらが無駄撃ちに終わると、砲撃がやんだ。
「砲弾も高価だからな、諦めたかな?」
「兄上は、棺使いなんだ――」
ヴァン・ガーディナが冷笑して、肯定した。
たとえば剣術でも、多様な技を修める剣士もいれば、一つの技を磨き抜く剣士もいる。魔術や死霊術においても、特定の術を極める術師は珍しくない。そういう術師を『○○使い』と呼ぶのだ。
とはいえ、死霊術師ならやはり死霊使いがふつうだし、ゼルダも死霊使いだ。棺使いなんて、ゼルダはこの兄皇子しか知らない。
カっと光が走り、轟音がルディア湾を揺るがした。
「また、撃ってきたな」
「弾を詰め替えていたんでしょう」
半端に知識のある術師がいるかもしれないぞと、兄皇子が砲撃を阻止しながら告げた。こちらの魔力が尽きるのを待っているんだろうと。
この距離、威力、精度。並の術師では、どれほどももたない。この距離で砲弾に衝撃を与えるほどの棺を出現させるためには、通常の棺の呪文の数十倍の魔力を要するのだ。ゆえに、その読みは正しい。
ゼルダは黙って術を死者の槍に切り換えた。兄皇子が棺の呪文で対抗するのは棺使いだからで、他の術で迎撃しても構わないはずだ。ゼルダはあまり、棺の呪文が得意ではない。
「当たった!」
初めて、とにかく当たって、ゼルダは思わず喜びの声を上げた。けれど、威力が足りず、あえなく砲弾に蹴散らされた。
これも、ヴァン・ガーディナが阻止した。
「ようやく、おまえなんかに私の真似は無理だとわかったか?」
「や、やかましいです!」
それでも、兄皇子はゼルダのやり方を肯定してくれた。ゼルダが自分で気付くのを、待っていたのか。
死者の槍でなら、ゼルダはなんとか、遥か上空の砲弾にも命中させることが出来た。けれど、威力を高めると術の制御の難度が上がる。発動まで時間がかかりすぎ、狙いも定まらなくなって、命中するのと撃ち落とせるのは違うことなのだと、思い知らされた。
「――っ……」
一発も撃ち落せないのに、魔力が底を尽いて、ゼルダは息を荒げて膝を突いた。駄目だ、もう、あるだけの魔力を絞り尽くしてしまった。
「降参か?」
ゼルダが唇を噛んで頷くと、ヴァン・ガーディナが立ち上がった。途中から、この兄皇子は座って術を行使していたのだ。
「兄上、逃げましょう。あなたの魔力だってもう尽きるでしょう、ライゼールの海軍はまだ動かないのですか!」
「動いているよ、海賊が外海に逃げないよう、背後に回り込めと指示した。奴ら、逃げようともしなかったけどな。仕上げにかかるぞ」
「仕上げ……?」
ヴァン・ガーディナが海賊船に向け、すっと腕を差し伸ばす。
どこからか、悲しげな子猫の声がした。
兄皇子が膝に乗せて撫でていた子猫だ。何か、汚れた敷物にくるんで膝に乗せていて、その敷物は汚すぎて、兄皇子の白の礼装が汚れてしまうだろうにと、ゼルダはちらと思っていた程度だった。それが何か、よく見てはいなかった。
「え……兄上、それ、にゃぎーじゃないんですか!」
よく見れば、デブ猫の屍骸にしか見えなかった。すごく憎たらしい猫だったのに、どうしてショックを受けたのか、ゼルダには、わからなかった。
「ふてぶてしい猫で、縁起がよくて気に入ったからと、商家の主人にもらわれて行ったんだ。砲撃されたくらいで死ぬタマじゃなかったはずだけどな。子猫の首根っこをくわえて死んでたよ。にゃぎーのくせに、子猫を逃がそうとして、あげくに庇って死んだんだろう。こんなもの、血と煤に汚れた醜い毛皮だ、にゃぎーじゃない」
兄皇子が投げ捨てた猫の屍骸を、ゼルダはとっさに抱き取った。
どうしてこんな、胸が潰れるような気持ちがするのだろう。厚かましい、子猫のエサまで横取りするようなデブ猫だったのに。
「あ……」
ヴァン・ガーディナの足元から風が巻き起こり、氷のように澄んだその双眸が、真紅の輝きを放った。
海賊船の上空に、呪われた巨大な十字架が現れて、船上からも丘の上からも人声が上がった。
「死の逆十字!」
魔力を持たない人々には、巨大な黒い十字架だけが見えていた。
死霊術師であるゼルダには、その全貌が、恐るべき冥界の門が視えていた。
ヴァン・ガーディナの白の礼装が風に舞う。
「死よ! 呪われし魂を地獄に迎え、我が霊魂を慕いし人々の御許へ導け! ――冥門!!」
――ドン!
轟音がルディア湾を揺るがした。冥界の門、暗黒の死柱が瞬時に立ち上がり、海賊船を包み込んだ。
何か、硝子が砕けるような、澄んだ音を聞いた気がした。
左眼を真紅に輝かせたヴァン・ガーディナが腕を一振りしただけで、砲弾が遥か上空で大破した。ゼルダの目には、そう見えたのだ。
「そら、次が来る。おまえやってみろ。闇曜じゃないが、指導してやろう?」
兄皇子が何をどうしたのかわからないゼルダが動けずにいると、ヴァン・ガーディナが手早く印を切り、棺の呪文を唱えた。
砲弾と棺を衝突させて、上空で爆発させているのだ。
砲撃を捉える精度と速さ、さらには、砲弾に衝撃を与えるほどの質量を備えた、棺の呪文――
あろうことか、この距離でか。
ゼルダには到底、真似の出来ない神業だった。
それでも、やらなければどうなるか、港町の残骸という地獄を目の当たりにして、無理だと、出来ないと諦めるわけにもいかなくて。
ゼルダの懸命な棺の呪文は、速さも距離も精度も足りず、一向に、砲撃を阻止するには至らなかった。ゼルダの代わりに、兄皇子が阻止してくれるから、いいようなものの――
五、六発も撃ってきただろうか。それらが無駄撃ちに終わると、砲撃がやんだ。
「砲弾も高価だからな、諦めたかな?」
「兄上は、棺使いなんだ――」
ヴァン・ガーディナが冷笑して、肯定した。
たとえば剣術でも、多様な技を修める剣士もいれば、一つの技を磨き抜く剣士もいる。魔術や死霊術においても、特定の術を極める術師は珍しくない。そういう術師を『○○使い』と呼ぶのだ。
とはいえ、死霊術師ならやはり死霊使いがふつうだし、ゼルダも死霊使いだ。棺使いなんて、ゼルダはこの兄皇子しか知らない。
カっと光が走り、轟音がルディア湾を揺るがした。
「また、撃ってきたな」
「弾を詰め替えていたんでしょう」
半端に知識のある術師がいるかもしれないぞと、兄皇子が砲撃を阻止しながら告げた。こちらの魔力が尽きるのを待っているんだろうと。
この距離、威力、精度。並の術師では、どれほどももたない。この距離で砲弾に衝撃を与えるほどの棺を出現させるためには、通常の棺の呪文の数十倍の魔力を要するのだ。ゆえに、その読みは正しい。
ゼルダは黙って術を死者の槍に切り換えた。兄皇子が棺の呪文で対抗するのは棺使いだからで、他の術で迎撃しても構わないはずだ。ゼルダはあまり、棺の呪文が得意ではない。
「当たった!」
初めて、とにかく当たって、ゼルダは思わず喜びの声を上げた。けれど、威力が足りず、あえなく砲弾に蹴散らされた。
これも、ヴァン・ガーディナが阻止した。
「ようやく、おまえなんかに私の真似は無理だとわかったか?」
「や、やかましいです!」
それでも、兄皇子はゼルダのやり方を肯定してくれた。ゼルダが自分で気付くのを、待っていたのか。
死者の槍でなら、ゼルダはなんとか、遥か上空の砲弾にも命中させることが出来た。けれど、威力を高めると術の制御の難度が上がる。発動まで時間がかかりすぎ、狙いも定まらなくなって、命中するのと撃ち落とせるのは違うことなのだと、思い知らされた。
「――っ……」
一発も撃ち落せないのに、魔力が底を尽いて、ゼルダは息を荒げて膝を突いた。駄目だ、もう、あるだけの魔力を絞り尽くしてしまった。
「降参か?」
ゼルダが唇を噛んで頷くと、ヴァン・ガーディナが立ち上がった。途中から、この兄皇子は座って術を行使していたのだ。
「兄上、逃げましょう。あなたの魔力だってもう尽きるでしょう、ライゼールの海軍はまだ動かないのですか!」
「動いているよ、海賊が外海に逃げないよう、背後に回り込めと指示した。奴ら、逃げようともしなかったけどな。仕上げにかかるぞ」
「仕上げ……?」
ヴァン・ガーディナが海賊船に向け、すっと腕を差し伸ばす。
どこからか、悲しげな子猫の声がした。
兄皇子が膝に乗せて撫でていた子猫だ。何か、汚れた敷物にくるんで膝に乗せていて、その敷物は汚すぎて、兄皇子の白の礼装が汚れてしまうだろうにと、ゼルダはちらと思っていた程度だった。それが何か、よく見てはいなかった。
「え……兄上、それ、にゃぎーじゃないんですか!」
よく見れば、デブ猫の屍骸にしか見えなかった。すごく憎たらしい猫だったのに、どうしてショックを受けたのか、ゼルダには、わからなかった。
「ふてぶてしい猫で、縁起がよくて気に入ったからと、商家の主人にもらわれて行ったんだ。砲撃されたくらいで死ぬタマじゃなかったはずだけどな。子猫の首根っこをくわえて死んでたよ。にゃぎーのくせに、子猫を逃がそうとして、あげくに庇って死んだんだろう。こんなもの、血と煤に汚れた醜い毛皮だ、にゃぎーじゃない」
兄皇子が投げ捨てた猫の屍骸を、ゼルダはとっさに抱き取った。
どうしてこんな、胸が潰れるような気持ちがするのだろう。厚かましい、子猫のエサまで横取りするようなデブ猫だったのに。
「あ……」
ヴァン・ガーディナの足元から風が巻き起こり、氷のように澄んだその双眸が、真紅の輝きを放った。
海賊船の上空に、呪われた巨大な十字架が現れて、船上からも丘の上からも人声が上がった。
「死の逆十字!」
魔力を持たない人々には、巨大な黒い十字架だけが見えていた。
死霊術師であるゼルダには、その全貌が、恐るべき冥界の門が視えていた。
ヴァン・ガーディナの白の礼装が風に舞う。
「死よ! 呪われし魂を地獄に迎え、我が霊魂を慕いし人々の御許へ導け! ――冥門!!」
――ドン!
轟音がルディア湾を揺るがした。冥界の門、暗黒の死柱が瞬時に立ち上がり、海賊船を包み込んだ。
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