サイファ ~少年と舞い降りた天使~

冴條玲

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第四章 叶わない願いはないと信じてる

第87話 町人Sは後悔が先に立つ

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 『殴れるか、殴れないかがすべて』っていう考え方が、何を意味するのか、子供の頃にはわからなかった。
 でも、大人になってみたら、わかったんだ。
 僕達は、本能しか持って生まれてこない。
 優しさも、他のどんな才能も、育てなければ育たない。
 磨かなければ鈍くなる。
 喜びも哀しみも知らず、本能のまま、ケダモノのように悪事を働く大人になってしまう人達が、いなくなることはない――

 ジャイロはお父さんがゴリラだったから、子供の頃から知っていたんだ。
 殴れなければ、守れないことを。
 それがすべて、他人は誰も助けてくれない。
 他人にだって、ジャイロのお父さんを殴ることはできなかったから。
 デゼルがジャイロを助けてあげられたのは、デゼルになら、殴れたからなんだ。
 闇巫女としての地位はもちろん、デゼルの闇魔法をもってすれば、ジャイロのお父さんを魔法で眠らせてしまうことは難しくなかった。

 そのデゼルにも、殴れない人達こそが、デゼルの破滅を紡ぐ。

 光の聖女に惨殺されるデゼルの運命は、陛下の悪事の累が、配下である僕達にも及ぶためのもの。
 陛下にその行いを認めさせて、光の聖女に引き渡すことができれば、デゼルが断罪される理由はなくなるはずなのに。
 でも、そのための力が足りなくて、望む道を歩んでゆけない。
 それが、『殴れない』っていうことなんだ。


 ケイナというのは光の聖女のことだった。
 デゼルは、聖サファイアの光の聖女こそは、ユリア様の生まれ変わりだから、戦うべきじゃないって、ネプチューン様を思いとどまらせようとしてた。
 僕、ケイナ様には一度会っていたんだ。
 ケイナ様は確かに、ユリア様によく似ていた。
 闇の聖女であるデゼルが闇主たちに光の聖女を襲わせて、それをネプチューン様が助けるっていうお芝居の悪役を、陛下が僕達に命じたから。
 いやだったよ。
 お芝居のために、デゼルが悪役にされて、ゆくゆくは、破滅させられることになるなんて。
 でも、デゼルは引き受けたんだ。
 陛下に光の聖女こそはユリア様の生まれ変わりだと認めてもらわないと、ユリア様を復活させる儀式のために、陛下がたくさんの人を魔物に変えてしまうからって。
 陛下は結局、夜伽を断ったデゼルを信じてはくれなくて、人々を魔物に変えて支配する儀式を執り行ってしまったけど。
 それでも、まだ、魔物の軍勢に聖サファイアを襲わせることだけは、思いとどまって下さってる。
 デゼルの訴えにも少しは耳を傾けて下さったのか、旅の剣士ネルとして、光の聖女の仲間に参加されているらしいんだ。

 光の聖女の仲間って、『無辜の民を魔物に変えた、悪の帝王ネプチューン』を征伐するための旅をしてるんだけど、いいのかな。

 その人がネプチューン様ですよって、ケイナ様に教えてみたらいけない? って、デゼルに聞いてみたら。
 知ってるんだって、ケイナ様。
 ケイナ様はネプチューン様が大好きだから、知っていて、知らないフリをして一緒に旅をしてるんだって。

 ええと、それって。

 ケイナ様はすべて承知の上で、デゼルを破滅させるということ?
 まさか、たくさんの人達が魔物にされた罪をデゼルにかぶせて、処刑してしまって、陛下を許すためなんじゃ――

 そんなはず、ないよね?
 僕、きっと、考えすぎてるんだ。
 仮にも聖女様が、そんな卑劣で酷いこと、なさるはずないのに。
 きっと、僕が思いつかない、別の理由があるんだと思う。

 僕はデゼルなら、その理由を知ってるような気がしてた。
 それなのに、どうしてなのか――
 僕はいつも、取り返しのつかない事態を招いてから、確かめるんだ。

「サイファ様は間違いで他人ひとを憎みたくないから、決定的な事態になるまで信じてあげようとするんだよ」

 いつだって、デゼルは許してくれる。
 儚く優しく、僕に笑いかけてくれるけど。
 デゼルの破滅さえ、そんな僕の姿勢が招いてしまった時に、僕は後悔しないのかな――
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