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12月14日【灰色のお城】
しおりを挟むこの朝、なっちゃんは、いつもより早く目が覚めました。昨日はあんなに疲れていて、すとんと眠りについてしまったというのに、こんなにすっきりと起きることが出来たのは、不思議です。
まだ眠っているミトラたちを起こさないように、配送センターの仮眠室のベッドを、そうっと抜け出しました。そして身支度を整えて、仕分け部屋の窓際に小さな椅子を持ってきて、ひとりで朝食をいただきます。
ひときれのシュトーレンと、熱い紅茶。いつもと同じ、朝食です。
シュトーレンを半分ほど食べ終わったとき、仕分け部屋のドアがノックされました。ミトラたちが起きてきたのかな。と思ったのですが、ミトラたちならきっと、ノックなんかせずに『なっちゃん、おはよう!』と、部屋に飛び込んでくるでしょう。
では、こんな朝早くに、誰がやってきたのでしょうか。なっちゃんは「どうぞ」と声をかけました。
入ってきたのは、配送員長でした。「おはようございます」と挨拶をした配送員長の、その眉間には谷のようにふかいシワが刻まれています。
なっちゃんは、食べかけのシュトーレンを脇によけて、「おはようございます。どうしたんですか」と言って、立ち上がりました。
配送員長は、難しい顔のまま「なっちゃんさんに、ご相談があるのです」と言いました。
「実は、こんなお手紙が、届いたのです」
差し出されたのは、重苦しい灰色の封筒です。なっちゃんはそれを受け取って、配送員長に「どうぞ、中を御覧ください」と促されてから、封筒の中身を確認しました。
封筒と同じ、灰色の一筆箋に、まるで印刷したかのような綺麗な文字で、こう書かれてあります。
『準備が進んでいないので、今年のクリスマスは、中止とする』
なんということでしょう。なっちゃんは慌てて、封筒の裏面を確認します。差出人の名前は、書いてありません。
それにしても、いったい、なんということなんでしょう。配送員長の難しい顔の理由は、このお手紙なのでした。
「灰色の女王からのご命令です。女王陛下は、冬の国を統べる、たいへん偉いお方です。陛下の命令は絶対ですが、しかし、クリスマスを中止にするだなんて……」
「そんなの、駄目だよ」
なっちゃんは思わず大きな声を出してしまって、はっとして息を呑みました。今の声で、ミトラたちが起きてきやしないかと思ったのですが、幸い、ミトラたちには聞こえなかったようです。
声をひそめて、なっちゃんは続けます。
「クリスマスが中止になるだなんて、そんなの駄目。だって、確かに昨日までは、クリスマスの準備は遅れていたけど、もう私もミトラたちもいるし、間に合うでしょう?」
なっちゃんがそう言ったのを聞いて、配送員長は、もうほとんど泣き出してしまいそうに、切実に顔を歪ませました。
「ええ、もちろんそうです。ですからなっちゃんさんに、お願いがあるのです。どうか私と一緒に、灰色のお城へ行っていただけませんでしょうか。そして、女王陛下に訴えるのです。どうか、クリスマスを……」
なっちゃんは、レンガの橋を渡ったときに見た、遠くのお城を思い出しました。あんまり遠くにあるので、景色の向こうに白くかすんで見えた、あのお城です。遠くから見ても充分に大きく見えるくらい、大きな大きなお城でした。
灰色の女王は、本当に、とても偉い人なのでしょう。あんなに立派なお城に住んでいるのです。そんな人に、直接会いに行って、命令を取り下げてくれるようお願いするなんて、そんなことが出来るのでしょうか。
なっちゃんが迷っていますと、窓の外から、クリスマスキャロルが聴こえてきました。家々の屋根にとまった、ガラスの小鳥たちが、クリスマスに向けて、歌の練習をしているのです。
もう少しすれば、配送員たちも出勤してきて、それぞれクリスマスに向けたお仕事を始めるでしょう。ミトラたちも起き出してきて、ミトラたちに与えられたお仕事を始めるでしょう。
もうすぐクリスマスだね。楽しみだね。なんて話しながら。ジングルベルを口ずさみながら。プレゼントに書かれた宛先に、楽しいクリスマスを届けるために、一生懸命働き始めるでしょう。
「お城に、行きましょう」
なっちゃんは、配送員長の両手をしっかり握って、言いました。
「大丈夫。ちゃんと話せば、きっと分かってもらえます」
配送員長は、まだ不安な様子でしたが、それでも少し嬉しそうに、うなずきました。
そしてなっちゃんは、食べかけのシュトーレンを紅茶で流し込んで、厚手のコートを羽織って、お出かけの準備をしました。お城は遠く、片道だけでたっぷり一日はかかりそうなので、大きなリュックサックも背負っていきます。
ミトラたちが心配しないように、書き置きも残していくことにしました。クリスマスが中止になるかもしれないなんて知ったら、みんな不安で仕方なくなるでしょうから、お城に行くとは書かずに「配送センターのお外でお仕事をしてきます」と書きました。
お城へ向かう道で、配送員長は、灰色の女王のことをたくさん話しました。
灰色の女王は、何年か前に代替わりをした、新しい女王なのだそうです。先代の女王は、白銀の女王といって、たいへん穏やかで寛容な女性でした。
しかし今の女王は、まるで冷えた鉛のように厳しく、気難しいのだと言います。一番の家臣にも、決して自分のそばに近寄らせず、カーテンごしにしか会話をしないというのですから、驚きです。
灰色の女王のお話を聞いていますと、なっちゃんはどんどん不安になってきましたので、もうその話はこのへんで。と配送員長のお話を遮って、思いつく限りのクリスマスの歌を歌いました。配送員長も一緒に、歌いました。
途中でお昼の休憩を挟んで、二人は歌いながら、灰色のお城へ向かいます。ときどき歌うのをやめて、配送センターの皆は、元気に仕事をしているかな。と話しました。
文字勉強中の配送員は、住所録とにらめっこをしながら、なっちゃんなしで苦労していることでしょう。ミトラたちも、忙しくお仕事をしながら、なっちゃんはどうしているかな、と考えているでしょう。
まっててね。クリスマスを中止にするなんて、そんなこと絶対にやめさせて、すぐに戻るからね。なっちゃんは心の中でそう言って、勇気を奮い起こしました。
そして歩いて歩いて、日も落ちたころ、ようやく灰色のお城に到着したのです。なっちゃんと配送員長が、三度目の「もろびとこぞりて」を歌い終わったころでした。
「こんばんは。配送センターのものです」
配送員長が、固く閉ざされた門に向かって、叫びました。
「偉大なる灰色の女王陛下にお目にかかりたく、参りました。こんばんは」
すると門の向こうから、尖った声が返事をしました。
「いれないいれない、いれないよ。クリスマスの歌を歌いながら来るようなやつなんて、いれるわけないよ。クリスマスは、中止なんだから」
なっちゃんと配送員長は、顔を見合わせました。
「その、クリスマスのことについてお話がしたくて、参りました。門を入りましたら、もうクリスマスの歌は歌いませんから、どうか入れてください」
なっちゃんも叫びました。門の向こうは、少しの間、沈黙していましたが、やがてまた尖った声で「いれないよ」と返事がありました。
「誰になんて言われたって、クリスマスは中止なんだから。もう、灰色の女王は、決めたんだから」
「でも、準備なら、間に合いそうなんです」
なっちゃんは、めげずに叫びます。「みんなが手伝ってくれていますから、きっと間に合います」
けれど、門の向こうの声も、かたくなです。
「間に合うわけないよ。帰れ帰れ。クリスマスは、中止!」
その意地悪な言い方に、なっちゃんは、お腹の奥がかっかと熱くなるのを感じました。これはつまり、なっちゃんは、怒っているのです。なっちゃんの体の奥から生まれた怒りが、熱となって、お腹を昇ってきて、なっちゃんの鼻の穴から「フンッ」と噴き出しました。
「良いから、ここを開けなさい。私たちは、灰色の女王に会いに来たの。寒い中、ずっと歩いて来たんだからね。そもそも、あなたはいったい誰なの」
雪崩のような勢いの、なっちゃんの言葉に驚いたのか、門の向こうから「ひゃっ」と弱気な声が聞こえました。しかしすぐに強気を取り戻して、「なにおう、偉そうに」と応酬します。
「私が一体誰かって。そりゃあ、私は……」
その先の言葉は、いくら待っても、続きませんでした。門の向こうはすっかりしんとしてしまって、もう声をかけても、ノックをしても、なんの返事もありません。
「なっちゃんさん、どうしましょう」
配送員長は、すっかり小さくなってしまって、恐る恐るといったふうに、なっちゃんを横目に見ました。なっちゃんは、まだ怒っています。
「こうなったら、招かれなくたって、入ります」
そしてなっちゃんは、ベルトに下げたキーリングから、金の鍵を取り出しました。この鍵なら、この門を開けられるような気がしたのです。
鍵穴に挿し込んでみると、カチリ、と気持ちの良い音を立てて、鍵は鍵穴にぴったりはまります。
「こんばんは。お邪魔します。入りますよ!」
一応の礼儀として、なっちゃんは、そう叫びました。配送員長も、可能な限り小さく身を縮こまらせながら「ごめんなさい、入ります」とぼそぼそ呟きました。
門の内側には、恐らく立派だったであろう、庭園が広がっていました。もう長いこと、手入れがされていないようです。
さっきの声の主の姿は、どこにも見当たりません。それどころか、人っ子一人いないようです。
いくら夜だからといって、こんなに広いお城の敷地に、門番の姿も、庭師の姿も、衛兵の姿もないなんて。なんだか寂しいお城だな。と、なっちゃんは思います。けれど、許可なく侵入した身としては、追い返される心配がないぶん、安心です。
さあ、それでは、女王に会いに行きましょう。灰色の女王は、きっとお城の一番奥か、一番上か、一番豪華な部屋か、とにかく一番なところに居るに違いありません。
なっちゃんと配送員長は、手分けして、灰色の女王を探すことにしました。日付の変わる鐘が鳴ったら、門の前に集合。そう決めて、配送員長はお城の西側を、なっちゃんはお城の東側を探すことにしました。
「それにしても、本当に、寂しいお城」
東の塔の階段を登りながら、なっちゃんは呟きます。街はあんなに賑やかで、クリスマスの飾りやらイルミネーションの灯りやらでいっぱいなのに、このお城はまるで薄墨を垂らしたように、どこもかしこも、灰色なのです。
このお城に、クリスマスの飾りがひとつも見当たらないのは、灰色の女王が、クリスマスを中止にすると決めたからでしょうか。あの庭園の荒れようを見ていますと、どうもそうではないような気が、なっちゃんにはするのでした。
あんまり寂しいので、女王を探しながら、クリスマスの歌でも歌いたかったのですが、「門を入りましたら、もうクリスマスの歌は歌いませんから」と言った自分の言葉を、守ろうと思いました。
ですからなっちゃんは、子供のときに好きだった、星座の歌を、自分にだけ聴こえるような声で歌いました。そうしていれば、灰色の寂しさも、なっちゃんの体にだけは、染み込んでこられないのです。
小さな、小さな声で歌を歌いながら、やがてなっちゃんは、塔の一番てっぺんまで登りました。そこには、立派な灰色の扉があり、なっちゃんを待ち構えていました。
拒絶されている気持ちがしないのは、灰色の扉が、ほんの少しだけ開いているからでしょうか。わずかに開かれた隙間から、ぼんやりとした橙色の光が、なっちゃんの足元に細い光を投げかけています。
扉の向こうには、確かに、人の気配がありました。ぱちぱちと、炎の爆ぜている音もします。
「こんばんは」
なっちゃんが声をかけますと、はっと息を呑む音が聞こえました。そしてしばらく間があって、「よい。入ってよい」と、谷の底から響くような、重々しい声がしました。
「失礼します」
なっちゃんは、灰色の扉を、ゆっくりと押し開きました。部屋に入ってすぐ、扉の目の前には、純白のカーテンがたなびいています。そしてそのカーテンに、大きな灰色の影が、映し出されていました。
このカーテンの向こうに、灰色の女王がいるんだ。なっちゃんの胸が、緊張できゅっと締め付けられました。
だけれども、言わなければなりません。準備なら間に合いますから、どうかクリスマスを中止にしないでくださいと、言わなければならないのです。
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