火灯し妖精と夜の国

深見萩緒

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それぞれの火山

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 山頂からは、ぼうぼうと噴煙が上がっています。時おり巨人のいびきのような音が響いたかと思うと、山頂のある一点が、恐ろしく紅い光を吐き出します。火口はおどろおどろしく光っているというのに、足元は真っ暗です。火山の噴出物で埋まってしまったのか、道らしき道はありません。暗く冷たく、山は実浦くんを歓迎しないようでした。
「火山って私、初めて見たわ」
 火灯し妖精が言いました。口をぽかんと開けたまま、カンテラの片方のふちに顔を押し付けて、一生懸命に火山を見上げています。『ぼくは何度か見たことがある』とカンテラが言いました。『でも、ぼくが見た火山は、こんなに炎を燃やさなかった』
 火灯し妖精とカンテラは、火山がどういうものなのか知らないようでした。山頂で一体なにが燃えているのかと、二人であれこれ話し合っています。

「あれは、地中のマグマが噴き出しているんだよ」
 実浦くんは、自分の知っていることを二人に話します。
「ぼくたちが立っている地面の下には、マグマという途方もない熱があって、それがああして地上に噴き出しているのが、つまり火山なんだ」
「本当かしら」
 と、火灯し妖精がからかうように言います。
「地面の下に熱があるのなら、どうして私たち、フライパンの上の卵みたいに焼けてしまわないの?」
「地面がとても分厚いからだよ。火山のもっと上の方に行くと、いまに熱くなる」
「本当に、本当?」
 火灯し妖精は、実浦くんの言うことを心底疑っているというよりは、いま聞いたことがとても想像に及ばず信じがたいといったふうでした。

 地熱を通さない分厚い地面の上を、実浦くんは歩きます。手に持ったカンテラがぶらぶら揺れて、そのたびに火灯し妖精の橙色が瞬きます。
 火灯し妖精は、まだ火山から目を離せないようで、山頂が噴くたびに「きゃあ」とか「わあ」とか騒ぐのでした。


 やがてどれほど歩いたでしょう。闇の中を振り向けば、もう船着き場は眼下に認められませんでした。山の中腹程度まで来たでしょうか。それとも、まだまだこれからでしょうか。
『疲れたなら、少し休んだら』
 カンテラが言いましたので、実浦くんはそうすることにしました。
 都合よく、前方に小さな建造物があります。それは石でできたあずまやのようなもので、三方向を壁に囲まれていました。中にはやはり都合よく、無骨なベンチがあります。実浦くんはそこに腰掛けて、隣にカンテラを置きました。
『ずいぶん歩いたねえ』
 カンテラは、背伸びのつもりなのでしょうか、ぶるりと全体を震わせました。金属の取っ手が傾いて、カランと硬い音を立てます。
「私、ちっとも疲れてないわ。運んでもらうって、とっても楽ちんね」
 火灯し妖精はカンテラから飛び出すと、あずまやの中を飛んで見て回ります。彼女のリボンのような羽が空気を押し返すたびに、橙色の光がぼんやり煙のようになって、彼女のあとをついていきます。実浦くんは、ぼうっとそれを眺めていました。

 あずまやの中は、完全な静寂ではないのにもかかわらず、不思議に静かな空間でした。山頂が噴煙を吐き出すとどろきすらも、窓の外に誰かの言い争う声を聞いているような、どこか自分とは関係のない出来事のように感じます。きっとここは、そういった平静をもたらすための場所なのでした。
 実浦くんはようやく安心して、カンテラを抱きかかえるようにして、ベンチに横になりました。こうしていると、空がよく見えます。相変わらず、星ひとつない真っ暗が広がっているだけです。
(だけど、ブナの林でだって、渡しの舟は空からやってきたじゃないか。そうして空へ漕ぎ出していった。だったらぼくが見上げているこの空も、もしかしたら空ではないのかもしれない。それならば、星がなくたっておかしくはない……)
 時おり、闇より黒くもうもうと流れていくのは、火口から吐き出された噴煙でしょう。ベンチに接した右耳が、くぐもった山の声を拾います。どどどう、どどどう。それは、呼吸の音でした。

「息をしている」
 実浦くんが呟くと、その声は石のベンチを伝わって、いつもとは少し違ったふうに、実浦くんの耳に届きました。
『山が、息をしているの?』
 実浦くんに抱きしめられたままのカンテラが尋ねます。「ううん」と、実浦くんはそれを否定します。
「山だけでなく、もっと大きなものだ。どこか遠い別の場所から吸い込んで、そしてここから吐き出している」
『じゃあ、息をしているのは、地面?』
「たぶん、もっと大きなもの」
 実浦くんは、カンテラをいっそう強く抱きしめました。そうして猫のように丸くなりますと、実浦くんの吐息がカンテラのガラスを曇らせました。『あ、あったかい』とカンテラがくすくす笑いました。
(そうだ、ぼくの中にも熱がある。そしてぼくも、呼吸をしている)
 そのとき実浦くんは、火山というものが本当はどういうものなのか、ようやく理解したような気がしました。そして、とどろく山を恐ろしく感じると同時に、同じくらいの愛おしさを感じたのでした。


「ねえ、まだ寝ているつもりなの。先へ進みましょうよ」
 あずまやの探索に飽いたのか、火灯し妖精が実浦くんの頭をつつきました。舟の上でもそうでしたが、彼女は少々飽きっぽいところがあるようです。実浦くんがまだ起き上がらないうちに、さっさとカンテラの中へ入り込みます。
 実浦くんは、程よく疲れも癒えていましたので、彼女の言う通りにします。カンテラを持って、静かなあずまやをあとにしました。

 するとどうでしょう。あずまやを一歩外へ出た途端、全く予想だにしない光景が、目の前に広がっていたのです。
 かまどの灰を塗り固めたような、どこまでも暗い黒灰色だったはずの火山が、蛍の群れのように脈打ちながら光っています。それはよく見ますと、火口から噴き出した石のひとつひとつが、黄水晶の輝きを放っているのでした。
 あんなに無機質に冷酷なふうだった火山が、今やどうでしょう、親密な友のように、実浦くんに微笑みかけています。実浦くんはたいへん驚いて、驚きをあらわす言葉も忘れてしまいました。
『どうしたの』と、立ち尽くしたままの実浦くんを不思議に思ったカンテラが、みっつの目で実浦くんを見上げます。実浦くんはしばらく黙っていましたが、やがて黄水晶の山道を登り始めました。

 少し登って、そして振り返ります。真っ暗闇だったはずの来た道も、金色の光がまばゆく彩っています。
「さっきとは、まるで違って見える」と実浦くんが呟きますと、何か分かったように、カンテラが大きく揺れました。
『理解するということは、そういうことだよ』
「でも、ぼくはもう、あの寂しい山道を再び見ることは出来ないんだね」
『理解するということは、やっぱり、そういうことなんだよ』
 カンテラの言葉に、実浦くんはしみじみうなずきました。

 さっきの実浦くんが見ていた火山と、今の実浦くんが見ている火山とは、まるで全く違うもののようです。きっとカンテラや火灯し妖精にも、それぞれの火山が見えているのでしょう。
 それを分かち合えないことは、とても寂しいことのように思えました。そして同時に、この黄水晶の美しい火山が、実浦くんたったひとりだけに許された光景なのだと思うと、何にも代え難く喜ばしいことのようにも思えるのでした。
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