火灯し妖精と夜の国

深見萩緒

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船旅

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 舟の行く間、実浦くんはすずらんの小道での出来事を話して聞かせました。
 火灯し妖精や船尾灯だけでなく、船守りまでも耳を傾けて、実浦くんの話に聞き入っています。

「ほんじゃ、その子供たちは、光の向こうへ行ったんかいね」
 話し終えたあと、真っ先に口を開いたのは船守りでした。実浦くんはそれを意外に思いました。船守りはきっと歌を歌いたいのに、火灯し妖精が実浦くんの話をせがむものだから、いやいや黙っているのとばかり思っていたからです。
 船守りは「どうかいね」と急き立てるような声で繰り返します。

 実浦くんは、そうは言ってもあの少年たちの行く末など知りませんから、「どうでしょう」と答えました。船守りは「どうかいね」と、今度は自分に尋ねるように呟きました。
「そうだと良いが。何たって言葉を持たんものが、ここへ来るのが何よりつらい」
「なぜですか」
「そりゃあ言葉を持っていりゃ、自分のことを憐れむことも出来るでしょう。そうすりゃいくらか楽になるってもんです」
 船守りは、櫂を持ったまま、両の手を擦り合わせました。
「だからここに来たものは、元々がどんなものであっても、みな等しく言葉を得るんですわ。先ず己れを憐れむために」

 実浦くんは、そっと自分の喉に手を当てます。この喉から発せられる言葉は、いつだって不可思議で、実浦くんの手に負えないものばかりです。実浦くんにとって言葉とは、慈悲というよりも凶器なのでした。
 そんな実浦くんの様子を見て、船守りは何か分かったように「ああ、そうですねえ」と深く息をついた。
「言葉があるから、いつまで経ってもここにおらねばならんものもありますよ。神さまはどっして、人に言葉をお与えになったんでしょうねえ」
「そういうものたちは、言葉を喪えば、幸福になれるでしょうか」
 思わず実浦くんが言いますと、船守りは相変わらずの調子で「どうですかねえ」と返します。
「言葉を知っていたものが、永遠に言葉を喪うというのは、それはそれでつらいもんじゃありませんか」

 言葉を喪うとどうなるのだろう。実浦くんは考えます。話すことも出来ないし、誰かの話を聞いても理解が出来ない。文字を書くことも、読むことも出来ない。
 喜びをあらわすためには、大きく飛び跳ねて笑うしかない。悲しみをいだくためには、涙を流して肩を抱くしかない。誰かと通じ合うためには、目を合わせ、頷き合って、抱きしめ合うしかない。
 それは、大いなる幸福のような気がしました。しかし同時に、それだけでは伝えきれないものを抱え込んだとき、きっと心が捩じ切られるほどつらいのだろうと思われました。

「ねえ、そんなのどうだって良いわ。私、それより舟守りさんのお歌が聴きたいわ」
 火灯し妖精がそうやって駄々をこねましたので、舟守りはすっかり良い気持ちになって、また歌を歌い始めました。実浦くんにとっても、その方が気持ちが楽でした。
 あれこれ深く悩んでいるよりも、今は美しい言葉と音楽を聴いていたいのです。

 舟守りは、同じ歌を何度も繰り返します。時々、クリーム色のミズクラゲたちが寄ってきて、ゆらゆら舟を追いかけました。
 火灯し妖精が面白がって、ミズクラゲの笠に手をつきますと、明るい手形を得たミズクラゲは、いっそう濃いクリーム色に輝きました。そして、マグネシヤのリボンより明るく輝いたものたちは、気球のように膨らんで、空へ昇ってゆくのでした。
「星になるのかしら」と火灯し妖精が言いますと、『月の一部になるのかも知れない』と船尾灯が言いました。
『月の裏側は、隕石がぶつかってあちこち欠けてしまっているから、きっとそれを直しにいくんだよ』
「そうしたら、私はお月さまに手形をつけたことになるのね」
『裏側だから、地球からは見えないけれど、でもそっちの方が密やかで素敵だ』
 実浦くんも、空を見上げました。ミズクラゲたちが光り揺れながら昇っていくさまは、水面越しに見上げた星空のようでした。


 やがて、舟守りが同じ歌を七度も繰り返したころ、ようやく岸が見えてきました。正直なところ、岸というよりもかまどの灰の寄せ集めのようでしたが、しかし船着き場が見えましたので、やはりそこが目的の岸で間違いないのです。
「さあ、着きましたよ」
 音もなく舟を接岸させて、舟守りは誇らしげに言いました。この真っ暗な闇の中を、大揺れも事故もなしに渡ってみせたのです。確かに、称賛に値する仕事でした。
「ありがとうございます。ええと、お代は」
「お代は、そのポケットの中身を少しで良いよ」
 舟守りは、実浦くんのズボンを指差しました。実浦くんはポケットから、さっきもらったブナの実を取り出しました。相変わらず金色にぴかぴか光って、とても綺麗です。舟守りの偉業にふさわしい報酬です。
 実浦くんは、ブナの実を何粒か、舟守りに手渡しました。舟守りはちょっと前にかがむようにして、それを服の中に、大切そうにしまいこみました。

 さて、ここからは舟はなく、また歩きながら先へ進まなければなりません。船尾灯はカンテラの姿になり、火灯し妖精はカンテラの中に収まりました。
「そいで、あんたがたは、あの山へ行きなさるのかね」
 舟の状態を確認しながら、舟守りが言いました。実浦くんはそのとき初めて、岸辺からそう遠くない場所に、大きな山がそびえていることに気が付きました。山は優雅な円錐のかたちをしていて、頂上に紅い光と煙とが見えました。火山です。
「あの山は、登れる山なんですか」
「登れない山なんかあるもんかい。登りゃあ登れるよ。登らないから登れないんだよ」
 舟守りは、もうすっかり、もやいを結ぶのに気を取られているようでした。実浦くんは、登っても安全な山なのかを訊きたかったのですが、そういうふうに尋ね直しても、たぶん同じような答えが返ってくるだろうと分かりました。
「では、ありがとう」
 ですので、もう出発することにしました。歩き出してみれば、舟守りの言うことにも一理あるように思えます。

「気をつけていきなさいよお」と、背後で舟守りが叫びました。実浦くんは振り返って、大きく手を振りました。火灯し妖精も、カンテラの中から手を振りました。カンテラは振るための手がないので、『さようならあ』と言いました。

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