火灯し妖精と夜の国

深見萩緒

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夜の嵐

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 どれだけ眠っていたことでしょう。実浦くんは、慌ただしい足音で目を覚ましました。おじいさんがなにやら大声で怒鳴りながら、階段を降りてくるのです。
「大変だ。嵐だ、嵐が来た」
 実浦くんはびっくりして飛び起きました。灯り捕りも起き上がって、走り回るおじいさんを何事かといった顔で見つめています。おじいさんは、もう天がひび割れて降ってきたとでも言いたげな慌てぶりで、部屋から部屋へと駆け回っていました。
「窓を塞がな。雨戸も閉めな。灯りも落とさな嵐が来る」
 そう言いながら、窓という窓の雨戸を閉め、雨戸のない窓には釘をもって板を打ち付けていきます。実浦くんたちは、わけが分からないながらも、おじいさんの仕事を手伝いました。風がごんごん吹き付けて、建物をがたがた揺さぶっています。

「おじいさん。嵐ですか」
「嵐だ。とびきり大きい嵐だ。光を食い尽くす嵐だ」
 おじいさんは、暖炉の部屋にある一番大きな窓から、火口の方を指差しました。
「火口の光も食われてしまった。ここもやられるかも知れん。さあ灯りを消すんだ。隠れるんだ」
 確かに窓の外は、火口から照らされるあの真紅の光の気配すらなく、いやにどこまでも真っ暗なのです。実浦くんは、背筋がぞくっとするのを感じました。そして急いで暖炉の方へ近寄ります。カンラン石の灯りを消したいのですが、消し方が分からないのです。

「私に任せて」と灯り捕りが言って、大きすぎる鞄の中から、たくさんの小瓶が入ったケースを取り出しました。ケースが開かれますと、小瓶の中に詰められた灯りたちがそれぞれの色に光り出しましたので、おじいさんが「光を消せと言ったろう」と怒鳴ります。灯り捕りは慌ててひとつの瓶を取り、ケースの蓋を閉じました。
 灯り捕りの取り出した瓶は、一見して何の灯りも詰められていないようでした。しかし灯り捕りがカンラン石の上で瓶を傾けますと、瓶がからでなかったことはすぐに分かりました。瓶の中から滑らかな闇が垂れてきて、カンラン石の上にぽたぽた滴ったのです。
「これは、まだ熱や光というものが生まれる前の、真空の闇そのものです」
 瓶から垂らされた闇は、たった数滴だったにもかかわらず、たちまちカンラン石の光を覆いつくしました。
「これで、闇が蒸発するまでの少しの間は、光らずにいるでしょう」
 暖炉は無事に消灯され、部屋はたちまち暗くなりました。唯一光っているものといえば、青白い燐光を放つ毛皮のみです。
『ぼくそのぽたぽたはやだよう。冷たそうだもの』
 毛皮が情けなく鼻声で訴えましたので、実浦くんは毛皮の上に毛布を何枚もかけてやりました。これで少しは、光も遮られます。

 暗闇の中で、実浦くんたちは息を潜めます。建物の外は、強風が吹き荒れています。いえ、これは本当に風の音でしょうか。実浦くんには、なにか巨大で凶暴な生き物が、鼻息荒く建物の周りを徘徊しているように思えるのです。
 その大きな生き物は、毛むくじゃらの手で外壁を掴み、大きな体を折り曲げて、虚のような目で窓を覗き込みます。そしてわずかの光でも見つけようものなら、たちまち暴風の鼻息でもって建物を打ち壊し、見つけた光を食らってしまいます。どうしても、そんな想像をしてしまうのです。
「おじいさん、この嵐は、一体なんですか」
 恐ろしい想像を打ち消したくて、実浦くんはおじいさんに尋ねました。あれはただの嵐だ、と言ってほしかったのです。けれどおじいさんはさも恐ろしげな声で「あれは怪物だ」と言いました。実浦くんはやっぱり体をぞくっとさせて、閉じた窓を横目に見ました。
「夜の国には、ときどき嵐が吹き荒れる。闇から生まれ、光という光を食い尽くし、辺り一面を荒れ地にしてしまっては、また闇へと消えていく嵐だ」
「現象なのですか。それとも、生き物なのですか」
「そんなもの知らんよ。だが、とにかく厄介なものだ」
「どうすれば良いんですか」
「隠れるしかないよ。ひっそり隠れて、嵐が過ぎ去るのを待つんだ。だが、今度のはとびきり大きいからな。ここだけでなく、港の方もやられるかも知れないな……」
 おじいさんはもう、部屋の隅っこで小さくなって、かわいそうにがたがた震えるばかりでした。実浦くんは、この観測所がもし壊れてしまったら、おじいさんはどうするのだろうと、気がかりに思いました。それに渡り舟の舟守りも、嵐に気がついて、遠くへ漕ぎ出してくれるように願いました。


『あのハヤブサは無事かなあ』
 毛皮が呟いたとき、みながはっとして顔を上げました。毛皮は丸くなって火灯し妖精を抱きしめながら、『あんなに美しく光っていたんだもの。遠く遠くを飛んでいても、嵐に見つかってしまうかもしれない』と、しくしく泣き出しました。
「おじいさん、そんなことがありますか」
 実浦くんが尋ねますと、おじいさんは苦しげな声で「あるかもしれない」と言いました。「嵐は遠くまで手を伸ばして、光るもの全てを捕まえて食べてしまうから。あの子たち、上手く逃げてくれているといいがなあ」
 それを聞きますと、実浦くんの胸はにわかにどかどかと暴れだしました。顔が熱くなって、息がはやくなって、汗が染み出してきます。まるで急な坂道を、力いっぱい走り上ったあとのようです。

 それは、実浦くんの体が「走れ」と言っているのでした。「この体は今すぐ走れるようにしておいたから、さあ、走るのだ」と、実浦くんを急かしているのでした。
「おじいさん、あの嵐を止めるにはどうすれば良いですか」
 実浦くんは、もう頭ではなにも考えないままに言いました。
「ぼく、あの嵐を止めに行きます。子供たちが捕まってしまう前に」
「嵐を止めるだって! なんて馬鹿なことを」
 おじいさんが、痛ましい声で叫びます。
「そんなこと出来るわけがない。あれは光をたらふく食わねば消えやしない。そういうものなんだ」
「光をたくさん食べれば、消えるんですね」
 実浦くんが言いますと、おじいさんはぎらぎらとしたレンズのような目で実浦くんをじっと見つめ、それから唇を引き締めたまま黙っていました。実浦くんはそれでしっかりうなずきますと、「ではぼく、行こう」と立ち上がりました。

「嵐が火口の光を食べてしまったなら、火口はすっかり冷えているはずです。火口の先にはマグマの溜まりがあって、まだまだたくさんのマグマがありますから、ぼく火口から下へ降りていって、マグマを噴かせます」
 実浦くんは知っています。実浦くんたちの足元にあるマグマというものは、その熱や光といったら途方もないのです。マグマを噴かせて嵐に食わせてやれば、きっと嵐は観測所や光の鳥なんか見向きもせずに、無限とも思われるマグマの光を食べ始めるでしょう。そして食べても食べてもマグマは尽きやしないので、やがて満足して、消えていくでしょう。

「ぼくひとりで行きますから、みなさんここで待っていてください」
 灯り捕りが、ついて来たそうな顔をしていましたので、実浦くんは灯り捕りに「火灯し妖精をお願いします」と言いました。そうしますと灯り捕りは、無理について行くとはもう言えなかったのです。
『実浦くん、行っちゃうの』
 寂しそうに、毛皮が言いました。実浦くんはうなずいて、柔らかな毛皮にキスをしました。そして、いまだ暗く冷えたまま、すやすやと眠っている火灯し妖精の、その小さなおでこにもキスをしました。
「おじいさん、いろいろとありがとうございました。ぼくが出たら、出入り口の扉はすぐに閉じてしまってください」
 おじいさんは、痩せてしわだらけの顔をさらにしわくちゃにして、実浦くんに何か言いたそうにしていましたが、何も言わず実浦くんの肩を二三度叩きました。実浦くんの胸は、まだどかどか鳴っています。おじいさんに肩を叩かれて、それはいっそう力強く打ち始めたようでした。

「実浦くん、これを」
 いよいよ外へ向かおうという実浦くんに、灯り捕りが小さな小瓶を手渡しました。そこには、見慣れた橙色の灯りが波打っています。
「火灯し妖精にお願いして、彼女の灯りを少し分けてもらっていたのです。あなたにさしあげます。どうか道中、足元に気をつけて」
 実浦くんは「ありがとう」と言って、それを受け取りました。袖の中に隠すように持つと、橙色の光が実浦くんを温めつつ、実浦くんの足元だけを程よく照らしてくれるのでした。
「では、気をつけて」
『気をつけてね』
 背後にみなの言葉を聞きながら、実浦くんはとうとう「行ってきます」も言わずに観測所を飛び出しました。

 風がごうごう吹いています。空を見上げると、まさに夜の嵐とも形容すべきものが、無数の腕を四方へ伸ばし、光を求めて暴れています。
 実浦くんは上空のものを恐ろしく感じてしまう前に、胸のどかどかがしぼんで消えてしまう前に、急いで火口の淵を目指しました。

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