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噴火
しおりを挟むおばあさんにいただいたツルハシを持って、実浦くんは一心不乱に岩盤を掘り進みます。視界は蒸気でぼわぼわと煙って昏く、実浦くんは汗の流れるのを拭う余裕もありません。
汗は額を流れるままにして、楽器を弾くように決まったリズムで、実浦くんはツルハシを振り下ろします。そうしながら、実浦くんはここに至るまでの道のりを、ずっと思い出していました。
実浦くんのさまよう旅は、真っ暗闇から始まりました。火灯し妖精に出会って光を得て、さらにあの可変の生き物と出会って、旅はとても心強くなりました。
そして、舟に乗りました。すずらんの小道で、実浦くんと同様に、どこかへとさまよう少年たちに出会いました。それから、火山に登り、灯り捕りに出会いました。にぎやかなきょうだいたちにも出会いました。観測所で、おじいさんにホットミルクをごちそうになりました。あの美しい光の鳥が、遠く遠くへ飛んでいくのを見ました。
(そしてぼくは今、また暗闇の中にいる。地獄の窯のように熱く昏い闇の中を、へとへとになりながら、掘り進んでいる)
またひとさし、岩盤にツルハシを打ち込みます。砕けた石は飛び散る瞬間に、ぱっと一瞬だけの光を発します。それは本当にささやかな光でしたので、実浦くんを取り巻く闇を打ち消すには力が及びません。
ツルハシを振り下ろすたびに、ぱっぱっぱっと点滅する緑の光。機械たちの言葉のようだ、と実浦くんは考えます。
(ぼくが機械たちの言葉を理解できたなら、今この石たちが、ぼくに砕かれながらなにを話しているのか、分かるのだろうか。ああだけどぼく、この光をどこかで見たような気がする)
実浦くんは手を止めて、ふと頭上を見上げました。いつのまにか、ずいぶん掘ってきたようです。火口の底から、さらに下へと掘り進んだ小さな縦穴。その穴の底に、実浦くんはいるのです。モホロビチッチ地下博物館の扉も、はるか頭上に隠れてしまいました。もう、這い上がっていくことすらできません。
その事実に圧倒されかけ、実浦くんの呼吸が止まります。けれど、自分のなすべきことを思い出せば、呼吸はすぐに元の通りになり、実浦くんはまたツルハシを振るって、足元を彫り始めるのでした。
実浦くんはもう、早く岩盤を掘り抜いて、たくさんのマグマを地上へやることばかり考えていました。そしてそうしたあとで、地上に残してきたものたちや、嵐から逃げ回っていた光の鳥たちが、ああ良かった、助かったと、にっこり笑う姿ばかり考えていました。
それは恐れを打ち消すためではなく、ただ純粋に、実浦くんはそれだけを思い描いていたのです。
もう頭上を見上げても、縦穴の口すら見えなくなったとき、実浦くんはツルハシの手応えが変化するのに気がつきました。打っても打っても光は散らず、岩盤が砕けている気配がまるでありません。
足元からは、さっき聞いた鯨の歌声が聴こえてきます。もう、すぐそこにいるのです。それなのに、最後の岩盤はあまりに硬く、実浦くんの力では、とても打ち破れそうにないのでした。
実浦くんは途方にくれて、ツルハシを取り落しました。これのほかに道具は何も持っていませんし、もっと硬いツルハシを持ってこようにも、もう実浦くんは縦穴の上には登れません。大声で誰かを呼んで、ツルハシを持ってきてくださいと叫んでも、その声はただ縦穴に反響するばかりで、誰の耳にも届かないのです。
実浦くんを助けるものは、もうなにもありません。
実浦くんは膝を折って、やけどしそうに熱い岩の上に跪きました。そして胸の前で指を組み、深く頭を垂れました。
(いったい夜の国に、神さまというものがあるだろうか。もしおわしますならば、どうかぼくに、この一枚の岩を砕くちからをお与えください。ぼくはこれまで、はじめに犯したぼくの罪の上を、ずっとまっすぐ歩いてきました。その道の先にここがあり、夜の国に住まう愛すべきものたちの幸福に繋がるのならば、それはぼくの罪のために悲しんだ、多くのひとびとの、せめてもの救いになるでしょう)
膝が焦げ付くのも構わずに、実浦くんは深く深く祈りました。そして再び顔を上げたとき、実浦くんは、頭のずっと上から、ものすごい速さで降りてくる光を見ました。
あっと思ったときにはもう、光は実浦くんの目の前にあり、リボンのような羽をひらひらさせて、実浦くんに猛然と怒っていたのです。
「一体どういうことなの? 何も言わず一人で行ってしまうなんて! 私、目が覚めたとき、嵐は酷いわ、あなたはどこにもいないわで、本当に大変だったんだからね!」
火灯し妖精は、いつもよりかなり赤っぽい光をぎらぎらさせて、小さな手で実浦くんの鼻の頭を叩きました。叩かれたところから金剛石のような光の粒がきらきら舞って、真っ暗だった縦穴の中を照らします。
『ぼくも大変だったんだよ』
疲れたような声で言ったのは、青白く光るカワセミでした。
『実浦くんのところに連れて行けって、とんでもなく怒るんだもの。それでぼくこの格好になって、火灯し妖精を背中に乗っけて、火口の中に急降下したんだ』
「急降下したのよ。すっごく急いで来たの。もう一人で勝手に行っちゃだめよ」
実浦くんは、なんと言っていいか分からず、ずっと口をぱくぱくさせていたのですが、やがて言葉を取り戻して、「どうして」と言いました。
「どうして来たんだ。ここはもうすぐ噴火するのに」
「知ってるわよ、そんなの。でも、だから来たのよ。私、あの夜の嵐に、光を分けてあげるのよ」
火灯し妖精は、小さな体に橙色の光をいっぱいたたえて、大きく腕を伸ばして言いました。
「私、あなたに光を分けてあげたわ。そうしたらあなたは動き出して、話し出した。ブナの木にも分けてあげたら、綺麗に光って素敵だったわ。だから、あの嵐にも分けてあげるの」
「夜の嵐は光を食べるんだ。きみが食べられてしまう」
「平気よ。私、消えてもまた光り始めるもの」
「嵐の腹の中に閉じ込められて、ずっと出られないかもしれない」
「そしたら、しばらくそこでのんびりするわ。出たくなったら、嵐のお腹を蹴ってやるの。そうしたら、きっと嵐は嫌がって、すぐに私を吐き出すわ」
「でも……」
「なんて言っても、もう来ちゃったんだもの」
火灯し妖精は、きっぱりと言いました。
「でも本当のことを言うと、私、もっと一緒に旅をしたいだけなのよ」
チィー、チィー、キッキッキ。カワセミが涼やかに鳴きました。そして美しい羽を広げたかと思うと、そのくちばしは大きく頼もしく弧を描き、尾羽は長く太くなって、たちまち青白いツルハシに変わったのです。
『さあ実浦くん』
カワセミだったツルハシが言いました。こうなってしまっては、もう実浦くんは、やるしかないのでした。
火灯し妖精が、実浦くんの肩に座ります。実浦くんは青白く光るツルハシを手に持って、頬に火灯し妖精の光と熱とを感じながら、大きくひと振り、岩盤を穿ちました。
するとどうでしょう。岩盤に大きなひびが入り、実浦くんの足元にどんどん広がっていきます。ツルハシは『おお危ない』と言って、素早く体を広げました。そして、一艘の舟になったのです。それと同時に岩盤は崩れ、その下に待っていた迷い鯨が、大きな口を大きく開けてにっこり笑いました。
「おお、おお、待っていたとも。それでは、いくよ!」
轟音と共に、海のしぶきが上がりました。鯨が潮を噴いたのです。白銀に輝く正六面体の結晶が、星を閉じ込めた水晶のかけらが、細かく砕かれたルチルのくずが、まるで銀河のように渦を巻きながら、とてつもない流れとなって噴き上がります。
『しっかりつかまって!』
ツルハシだった舟が言いましたので、実浦くんは片方の手で舟につかまり、もう片方の手で火灯し妖精が飛ばされないよう押さえました。舟はきらめく潮の流れに乗って、飛ぶようにして縦穴を昇っていきます。
その一瞬の上昇の中で、実浦くんは海と陸とが交じり合う瞬間を見ました。白銀の潮は岩と熱とを巻き込み、赤や金色に輝くマグマとなり、地下の灼熱を伴って、地上へ噴き出すのです。
実浦くんは舟の中で姿勢を低くして、胸の前に火灯し妖精を抱き込みました。さしもの火灯し妖精も、噴火に乗って地上を目指すのは少々恐ろしいようで、実浦くんの手の中でじっとしています。
その橙色の光を見つめながら、実浦くんは、ランプの魚たちのことを思い出していました。あの魚たちは、ちょうど火灯し妖精と同じような、橙色の光を宿していました。そうしますと、同じ光を持つ火灯し妖精もやはり、なにかの可能性だったものなのでしょうか。
「さっき、ランプの魚たちを見たんだ」
マグマの轟く音を聞きながら、実浦くんは、手の中の火灯し妖精にささやきます。
「魚たちは、きみと同じ橙色に光っていた。自分たちのことを、放棄された可能性なのだと言っていた。そしたらきみ、きみもそうなの?」
火灯し妖精は、なぜ今そんなことを訊くのかと不思議そうでしたが、「そうよ」とうなずきました。そして、実際はマグマの噴く轟音に負けないような大声だったのですが、まるで自分の一等大切な秘密を打ち明けるひそひそ声のような調子で、火灯し妖精は言いました。
「私、本当は人間になるはずだったのだけど、あの世界へ生まれ落ちる前に、放棄されてしまったの」
火灯し妖精の灯りが、橙よりも少し黄金に近いような光にまたたきます。それが幾重にも揺らめいて見えたのは、実浦くんの目に涙がいっぱい溜まっていたからでした。
つまり彼女は、命ごと放棄されたものだったのです。そして命とは、可能性そのものなのです。ですから彼女は人の姿をしていて、そしてその身に、蜜蝋を燃したような、温かな可能性の光を灯しているのです。
「悲しい?」
これもやはり訊くべきこととして、実浦くんは尋ねました。火灯し妖精は実浦くんの手の中でくすくす笑いました。
「そりゃあね。でも、私こんなに明るく光っているし、夜の国も楽しいことがたくさんあるし、案外悪くないと思うのよ」
それを聞いて実浦くんは、もうこの上ないほどに彼女が愛おしくなってしまって、小さな彼女を潰してしまわないように、そっとそっと抱きしめました。
彼女はくすぐったそうに笑って、そしてその小さな腕で、力いっぱい実浦くんを抱きしめかえしたのでした。
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