火灯し妖精と夜の国

深見萩緒

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嵐にとらわれて

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 大きく山が震えました。そのとき、観測所に隠れていた灯り捕りやおじいさんが、もし山の方を見ていれば、灼熱のマグマと一緒に、一艘の青白い舟が噴き上げられるのを見たでしょう。実際には、観測所は窓という窓に板を打ち付けていましたから、二人はただ山の唸りと地響きとを全身で感じただけでした。
 煮えたぎった岩石は、紅く輝く柱となって、辺りを明るく照らします。そしてマグマのひと雫たりとも山体に落とすことなく、まっすぐに夜の嵐へ向かって昇っていきました。その先頭を行くのは、翼のような帆をぴんと張った、青白い帆掛け舟です。

 のぼれ、のおぼれ、帆掛け舟 風に逆らい嵐の中へ
 ぐんぐん進めや帆掛け舟 風に逆らい嵐の中へ!

 歌声に煽られて、帆は大きく膨らみます。一体誰が歌っているのか、実浦くんは辺りを見回しますが、もちろんどこにも誰もいません。ただ、歌声はマグマの中から聴こえてくるようです。眩しいのを我慢して、燃えるマグマをよく見てみますと、マグマの中で金色の粒が、互いにぶつかってしゃらしゃら音を立てながら、笑ったり歌ったりして、舟を押し上げてくれているのでした。
「のぼれ、のおぼれ、帆掛け舟!」
 火灯し妖精も、声を合わせて歌い始めました。
「風に逆らい嵐の中へ!」
 その声も手伝って、帆掛け舟はマグマに乗って、どんどん高く昇っていきます。
 やがて夜の嵐が、自分を目掛けて噴き上がったマグマの柱に、とうとう気がつきました。台風みたいに四方に伸ばしていた全ての腕を、今や周囲の何よりも明るく輝くマグマの柱へ、一斉に伸ばします。実浦くんは、こちらへ伸びてくる真っ暗な腕を、真正面から見据えました。


 そしてなんの音も衝撃もなく、実浦くんは夜の嵐の中に入り込んでいました。もしかしたら、するん。とか、すとん。とかいう音は、かすかにしたのかもしれません。いずれにせよ、マグマの噴き上がる轟音と比べれば、ほとんど完全な静寂と表現して良いくらい、とても静かな侵入でした。
 嵐のただ中だというのに、こんなに静かなのはおかしな話です。けれどもっとおかしなことに、実浦くんは、いつのまにかたった一人で、薄暗い部屋の中に立っていたのでした。

 見知らぬ部屋ではありません。実浦くんはこの部屋のことを、よく覚えています。木製の、座り心地の悪い椅子。黒板は使い込まれて白っぽく粉をまとっています。部屋の一方の壁には大きな世界地図が貼ってあり、もう一方の壁には星図が貼ってあるのです。実浦くんは、星図よりも世界地図を眺める方が好きでした。

(一体なんだって、嵐の中にこんなところがあるのだろう)
 実浦くんが考えますと、すぐ隣にいた友達が、「嵐って?」と訊きました。
「嵐なんか来やしないよ。今夜はよく晴れているよ」
 ああ、そうだったね。と実浦くんは返事をして、教室の窓から外を見ました。もうすぐ六時になるころです。日が落ちていきます。
(そうだ。日がすっかり沈んでしまえば、今夜はお祭りのあるんだった)
 実浦くんは、袖の端っこで目を拭いました。深呼吸をしますと、木の床板から立ちのぼる、つや出しのニスの匂いが、胸いっぱいに吸い込まれました。


 次に目を開けたとき、実浦くんは暗い夜道を一人で歩いていました。
 本当は、道のあちこちにお祭りの灯りがあるのです。それに、実浦くんの隣には、よく見知った友達が何人も、一緒に歩いているのです。けれどその光景はどこかよそよそしく、薄いけれど決して破けない布を一枚はさんでいるようなのです。ですから、実浦くんは真っ暗な道を歩いているのだし、どうしたって一人ぼっちなのでした。
 そうして歩いていますと、ふと、実浦くんは角のところで、路地に向かって誰かが走っていったのに気がつきました。それが誰だったかは分かりませんでしたが、子供の背丈でした。実浦くんは、どうしてもその子を追いかけなければならないような気がして、走り出しました。

 みなが歌っています。今夜はお祭りだからです。けれど、お祭りの夜に歌われる歌とは、少し違うような気がしました。(あかいひばなのレーヨンの……)
 息が切れるまで実浦くんは走って、胸が苦しくぜいぜいあえいでも、走って逃げる子供を追いかけました。どこへ向かっているのでしょう。ああ、きっと川の方です。実浦くんは、そちらへは行きたくなかったのですが、子供はどうしても川へ向かって走っていくのです。(まよいのさかなのあまがさの……)
 実浦くんの両足は、もう実浦くんの意思とは関係なく、自分勝手に走り続けていました。実浦くんは、二本の足の上にただ乗っかっているだけのような気持ちで、びゅんびゅん後ろへ流れていく町の灯りを眺めていました。(とおいさばくのつきかげの……)


 しばらく実浦くんは、まるで夢を見ているような心地で走っていたのですが、やがて突然「あっ!」と声を上げました。水です。足元に、水がきています。実浦くんはとうとう、川の中へ入っていってしまったのです。
 足の動くままに走っていたのを、実浦くんは必死の思いでブレーキをかけ、つんのめるようにして止まりました。水は実浦くんのくるぶし辺りを冷たく流れていて、それは不自然なほどにひやりと透き通っているのでした。
 実浦くんが止まりますと、実浦くんの前を走っていた子供も止まりました。子供は、お腹のへんまで水に浸かってしまっています。水が冷たいのか、ぶるぶる震えています。

「こちらへおいでよ。水ん中は冷たいよ」
 実浦くんが言いますと、子供はゆっくりと、実浦くんの方を向きました。その子供には、顔がありませんでした。本来は顔があるべき場所に、ぽっかりと暗い穴が空いていて、その空虚の中を、すさまじい暴風が吹き荒れているのです。
 その異様な風貌を見て、実浦くんは恐ろしいと思うよりも、その子をあわれに思いました。顔の中をあんなに風が吹いていては、さぞ寒いことでしょう。
「ちょうだい」
 顔のない子供が、実浦くんに向かって両手を差し出しました。荒れてひび割れた手のひらを上に向けて、実浦くんにぐいと突き出します。
「実浦くんが持ってる光、全部ちょうだい」
 実浦くんは、何を持っていただろうかと、ポケットを探りました。そうしますと、指になにか硬いものが触れました。つまみ出してみますと、それはいつかもらった、金色に光るブナの実でした。それを全部、子供の手のひらに乗せてやりますと、その子は引ったくるようにしてブナの実を取り、顔の穴の中に放り込んでしまいました。

「まだ持っているでしょ。ちょうだい」
 再び手のひらが差し出されましたので、実浦くんはさらにポケットを探ります。灯り捕りにもらった小瓶がありました。火灯し妖精の光を分けてもらった、橙色の灯りが詰まっています。
「良いなあ、それ。ちょうだい」
 実浦くんは小瓶の蓋を開けて、子供に差し出しました。子供はそれを受け取って、橙色の灯りを全て、顔の穴の中に流し込みました。そしてしばらく「綺麗だなあ」と感嘆していたのですが、やがて少しうつむくようにしますと、小さな声で「良いなあ、良いなあ」と繰り返し呟くのでした。

 実浦くんは、もっと何かないかと、ポケットをひっくり返しました。そうしますと、おそらくすずらんの小道を通ったとき、真っ白な光にまみれたためでしょう。ポケットの底に、月長石の粉がたまっていました。
 実浦くんはそれをつまんで、子供の頭にふりかけてやりました。子供はきゃっきゃと笑い声を上げましたが、それも束の間のことでした。子供はすぐにつまらなそうにして、川の水を乱暴に蹴り上げます。

 そのとき実浦くんは、さっきまであんなに、この子供のことをかわいそうに思っていたのに、今ではひどく苛々して、この子を痛めつけてやりたいと思っていることに気がつきました。
 お祭りの灯りを反射する川面に、実浦くんの姿が映っています。なんて意地悪な顔をしているんだろうと、実浦くんは他人事のように考えます。
「ほらね、やっぱりきみは、そういう人間なんだ」
 顔のない子供が、叫ぶように言いました。「善い人のふりをしたって、たかが知れている!」
 そして実浦くんが視線を上げたとき、もうそこに子供の姿はなく、実浦くんはお祭りににぎわう町の中を、友達と一緒に歩いているのでした。

 そのとき、実浦くんは悟ります。これこそが、夜の嵐なのです。嵐の中心で吹き荒れているのは、風や闇などではなく、苦痛や、後悔や、人間をさいなむもの全てなのでした。
(もしかしたらぼく、永遠にここをさまようのだろうか)
 お祭りの喧騒を聞きながら、実浦くんは考えます。夜の国にあっても、さまよっているのは同じでした。実浦くんはあてもなく、あちこち歩き回るだけだったのです。
 けれど今のように、世界から薄い布一枚で隔てられたような、どうしようもない孤独はありませんでした。それに、今の実浦くんは自分の意思で歩いているのではありません。まるで人形師の操るマリオネットです。それはなんだか、耐え難く惨めでした。

(ああ、ぼくどうして、泣くことすらできないのだろう。こんなに惨めでつらいというのに、ぼくは友達とお祭りを楽しんでいる。こんなことを、永遠に続けなければならないんだろうか)
 実浦くんのすぐ脇を、花火を持った子供がわあっと駆けていって、実浦くんはそれを見てわあわあ騒いで笑いました。友達たちも笑いました。
 お祭りの歌の中に、どこかで聴いたような歌が混じっているのですが、(わたりのとりのがいとうの……)もう実浦くんには、その歌がなんだったのかも、さっぱり思い出せないのでした。

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