火灯し妖精と夜の国

深見萩緒

文字の大きさ
22 / 25

リボン

しおりを挟む

 一体いくつの夜を過ごしたでしょう。実浦くんは嵐のただ中にとらわれ続けています。
 お祭りの夜は、どうやら永遠に終わるつもりはないようでした。実浦くんは友達たちと一緒に、町の通りをぐるぐると、同じところを歩き続けているのです。
 どうにかして、この嵐の巡りから抜け出さなくてはなりません。そうは思うのですが、実浦くんの体は自由がきかず、焦る心を抱えたままに、ただ終わらない夜を巡るばかりです。

(ぼくこのままでは、嵐の一部になってしまう。どうしたらここから出られるだろう)
 はしゃぐ子供たちの声を聞きながら、実浦くんは一生懸命に考えます。そうしているうちにも、実浦くんの記憶はぽろぽろこぼれ落ちて、落ちたそばから嵐の中へ散っていきます。
 穏やかな夜の町のどこかで、ごうごう風が吹いているのは確かなのです。けれど、それに耳を澄ませようとすると、すぐにお祭りの喧騒が実浦くんを取り囲んで、楽しげな笑い声や熱い人いきれの中に、嵐の風音をかくまってしまいます。
 もう、自分が一体どこから来たのか、ここを出てどこへ行くべきなのか、誰の元へ帰るべきなのか、それすらも分からないのです。
 ただ、いつまでもここにいてはいけない。ここは嵐の中なのだ。そういった焦燥ばかりが、実浦くんの心を引っ掻くのでした。


 お祭りを何巡かしたとき、誰かが実浦くんの服の裾を引っ張りました。それは友達たちのうちの誰かでした。空にお祭りのランタンを飛ばすので、それにくっつける飾りをもらおうと言うのでした。
 実浦くんはそれに賛成して、町かどのひばの木の枝から、そこにぶらさがっている飾りを取りました。子供たちがこの日のために、鋏でもって丁寧に切り抜いた紙の飾りです。これをランタンの底にくっつけて飛ばすと、まるでランタンが尾羽を得たようにひらひら踊って美しいのです。

 紙は冷たい川の水で漉《す》いた特別の紙で、銀河を薄く伸ばしたような光沢を持ち、触れば柔らかく手に馴染むのに、紙同士が触れ合うとしゃらしゃら金属のような音がするのでした。
 実浦くんは、どの飾りを取ろうかと、ひばの木をじっと見上げます。鳥や魚、牛などの動物を模したものにしましょうか。それとも、あの奥の方へ掛かっている、苹果《りんご》を模したものにしましょうか。ああその苹果は、銀河の紙の中へ金や珊瑚の粉が練り入ってあるのかもしれません。本当に齧ったら甘いのではないかと思えるほどに、生き生きとした飾りなのです。

 実浦くんはいっぱいに背伸びをして、苹果の紙飾りを取ろうとしました。そしてひばの枝からそれをもぎってしまおうとしたとき、苹果の茎に、金色のリボンが結ばれていることに気がつきました。(あかいひばなの……)
 実浦くんの手は、苹果の前を素通りし、そのリボンの端を掴みました。引っ張ると、何の抵抗もなくするりとほどけて、リボンは実浦くんのものになります。
「あかいひばなのレーヨンの……」
 その歌声が、すぐ耳元で聴こえたような気がして、実浦くんは後ろを振り向きました。そして、「あ」と小さく短い声を上げました。そうしますと、あんなに硬く実浦くんの体を操っていた力が、不思議と溶解し、実浦くんはまるきり自由になって、夜のお祭りの中に放り出されたのです。


 長い夢から醒めたような、長く息を止めていたあとに深呼吸をしたような、不思議な気持ちよさと寂しさがありました。夜の嵐はもう、これ以上実浦くんを捕まえておけないのです。だって実浦くんは、ここに来た理由と、ここまで歩んできた道のりとを、もう全て思い出したのですから。

 実浦くんは、まず大きく深呼吸をしました。そして体が自由に動くことを確認したくて、その場でうさぎのように跳ねました。足は実浦くんの思いのままに動きます。
 それが分かりますと、実浦くんは、あたりをきょろきょろ見回しました。紅い火花を編んで作ったような、レーヨン製のリボンが、実浦くんの手のひらの中にあります。リボンの持ち主は、どこにも見当たりません。

(ぼくは知っている。これは、あの子の羽だ。羽をこんなところに引っ掛けて、あの子は今どうしているだろう)
 実浦くんは、町の明るい方へ走り出しました。その後ろを、実浦くんが楽しくて走っているのだと思って、友達たちが歓声を上げながら追いかけてきます。
(羽がなくちゃあ、あの子の小さな足では、きっと通りの半分も行けやしない。あの子、どこかで疲れて泣いていないだろうか)
 灯りのあるところをひとつひとつ、ここにいないかと見て回ります。色つきろうそくの売り場だとか、出店のたくさん並ぶ大通りだとか、子供たちが集まって花火を楽しんでいる広場だとかです。けれどどこにも、あの子の姿はありません。

 実浦くんは、レーヨンのリボンをぎゅっと握りしめて、あちこち走りました。本当ならば、足がしくしく痛んできそうなほどたくさん走ったのですが、不思議と痛みも疲れもなく、実浦くんは風のようになって、町の隅々まで走ったのです。


 そうして最後にたどり着いたのは、大小の石がひしめく河川敷でした。お祭りが一等にぎわった頃合いに、ここからたくさんのランタンを空へ飛ばすのです。すでに河川敷は、色々なランタンがところ狭しと並べられていて、まるで光の原でした。

「あおいこずえのかたびらの、わたりのとりのがいとうの……」
 その声を聴いて、実浦くんははっと顔を上げました。河川敷に、人の姿はありません。けれど、誰かが歌っています。光あふれる河川敷のどこかで、誰かが歌っているのです。
「ふかいしじまのさざなみの、まよいのさかなのあまがさの……」
 泣いているようなか細い声です。少しでもお祭りの喧騒に耳を傾けてしまえば、たちまち見失ってしまいそうな、本当に小さな小さな歌声です。

 実浦くんは、河川敷に並ぶランタンのひとつひとつを、覗いてまわりました。中で光っているのは、ろうそくであったり、または半分に割られた小さな南瓜であったりしました。いずれにせよ、実浦くんが探しているものではありません。
 友達たちは退屈がって、口々に文句を言いました。それを実浦くんは、好きに言わせておくことにしました。何を言われても気にせずに、今は一刻も早く、このリボンの持ち主を見つけ出さなくてはならないのです。

 そうしているうちにも、声は段々と小さくなり、とうとう歌声はとぎれとぎれになってしまいます。けれど、覗かなければならないランタンは、まだ数え切れないほどあるのです。
 実浦くんは途方に暮れて、光の河川敷を見渡しました。そしてその瞬間、自分が大きな見落としをしていたことに気がつきました。
 そうです。目当てのものはただのランタンではなく、青白いカンテラの中に横たわっているに違いないのでした。

 実浦くんはぐっと目をこらして、昼間のように明るい光のひしめく中に、たったひとつ、淡く滲むような青白い燐光を探します。闇の中にひとつの光を見出すより、それはずっと困難で、実浦くんの目の奥がじりじりと痛みました。
 けれど、見つけました。とうとう見付けたのです。青白いカンテラは、まわりの光たちに存在を塗りつぶされながらも、身を縮めるようにしてありました。
「見つけた!」
 実浦くんが叫んで駆け寄ると、カンテラもそれに気がついたようで、『実浦くん!』と言って、河川敷の砂利の上を、カラコロ飛び跳ねて寄ってきました。
 実浦くんはカンテラを胸の前に受け止めて、こわごわ中を覗き込みます。そしてそこに、探していたあの子を見つけて、実浦くんはほっと微笑んだのです。

「来ないかと思ったわ」
 火灯し妖精が頬を膨らませます。実浦くんは何も言わず、ひばの枝に引っかかっていたリボンを、火灯し妖精に差し出しました。彼女がそれを受け取るまでもなく、リボンはひとりでに蝶々のような形をつくり、妖精の背中にふんわりと着地しました。
「ああ良かった。嵐に羽を千切られて、どうしてもここから抜け出せないでいたの」
『実浦くん、よくここが分かったねえ』
「そりゃあ、私が歌っていたからよ。きっとそれで、ここが分かったのよ」
『あれはしるべの歌だものね。覚えておいて良かったねえ』

 口々に話す二人を見て、実浦くんは鼻の辺りがつんと痛く、熱くなるような感じがしました。二人は嬉しげに話しているのに、自分ひとりだけ泣いてはおかしいかと思って、涙が流れるのは我慢したのですが、それでも実浦くんは、唇を噛み締める必要すらありました。
 そんなに泣きたくなったのは、長い長い夜を越えて、二人に会えたからでしょうか。
(それもあるだろう。けれど、それだけじゃない。ぼくきっと、ぼく自身の後悔や悲しみよりも大切だと思えるものを、ようやく見つけられた。それが嬉しいのだ)
 羽を取り戻した火灯し妖精が、カンテラの中より飛び立って、実浦くんの頭の上を飛び回ります。そうしますと、実浦くんの頭の上に、実浦くんを祝福するように、紅い火花が舞い落ちました。
 実浦くんが珍しく声を立てて笑ったので、火灯し妖精は嬉しくなってしまって、羽を大きくはためかせて、赤や橙や金の火花を、たくさんたくさん散らせたのでした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。

猫菜こん
児童書・童話
 小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。  中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!  そう意気込んでいたのに……。 「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」  私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。  巻き込まれ体質の不憫な中学生  ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主  咲城和凜(さきしろかりん)  ×  圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良  和凜以外に容赦がない  天狼絆那(てんろうきずな)  些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。  彼曰く、私に一目惚れしたらしく……? 「おい、俺の和凜に何しやがる。」 「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」 「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」  王道で溺愛、甘すぎる恋物語。  最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。

ノースキャンプの見張り台

こいちろう
児童書・童話
 時代劇で見かけるような、古めかしい木づくりの橋。それを渡ると、向こう岸にノースキャンプがある。アーミーグリーンの北門と、その傍の監視塔。まるで映画村のセットだ。 進駐軍のキャンプ跡。周りを鉄さびた有刺鉄線に囲まれた、まるで要塞みたいな町だった。進駐軍が去ってからは住宅地になって、たくさんの子どもが暮らしていた。  赤茶色にさび付いた監視塔。その下に広がる広っぱは、子どもたちの最高の遊び場だ。見張っているのか、見守っているのか、鉄塔の、あのてっぺんから、いつも誰かに見られているんじゃないか?ユーイチはいつもそんな風に感じていた。

大人にナイショの秘密基地

湖ノ上茶屋
児童書・童話
ある日届いた不思議な封筒。それは、子ども専用ホテルの招待状だった。このことを大人にナイショにして、十時までに眠れば、そのホテルへ行けるという。ぼくは言われたとおりに寝てみた。すると、どういうわけか、本当にホテルについた!ぼくはチェックインしたときに渡された鍵――ピィピィや友だちと夜な夜な遊んでいるうちに、とんでもないことに巻き込まれたことに気づいて――!

影隠しの森へ ~あの夏の七日間~

橘 弥久莉
児童書・童話
 小学六年の相羽八尋は自己肯定感ゼロ男子。 幼いころに母親を亡くした心の傷を抱えつつ、 大きな夢を抱いていたが劣等生という引け目 があって前を向けずにいた。 そんなある日、八尋はふとしたきっかけで 入ってはいけないと言われている『影隠しの 森』に足を踏み入れてしまう。そこは夏の間、 奥山から山神様が降りてくるという禁断の森 で、神様のお役目を邪魔すると『影』を取ら れてしまうという恐ろしい言い伝えがあった。  神様も幽霊も信じていない八尋は、軽い気 持ちで禁忌を犯して大事な影を取られてしま う。影、カゲ、かげ――。なくても生きてい けるけど、ないとすごく困るもの。自分の存 在価値すらあやうくなってしまうもの。再び 影隠しの森に向かった八尋は、影を取り戻す ため仲間と奮闘することになって……。  初恋、友情、そしてひと夏の冒険。忘れら れない奇跡の七日間が始まる。※第3回きずな児童書大賞奨励賞受賞作品 ※この物語はフィクションです。作中に登場 する人物、及び団体は実在しません。 ※表紙画像はたろたろ様のフリー画像から お借りしています。

瑠璃の姫君と鉄黒の騎士

石河 翠
児童書・童話
可愛いフェリシアはひとりぼっち。部屋の中に閉じ込められ、放置されています。彼女の楽しみは、窓の隙間から空を眺めながら歌うことだけ。 そんなある日フェリシアは、貧しい身なりの男の子にさらわれてしまいました。彼は本来自分が受け取るべきだった幸せを、フェリシアが台無しにしたのだと責め立てます。 突然のことに困惑しつつも、男の子のためにできることはないかと悩んだあげく、彼女は一本の羽を渡すことに決めました。 大好きな友達に似た男の子に笑ってほしい、ただその一心で。けれどそれは、彼女の命を削る行為で……。 記憶を失くしたヒロインと、幸せになりたいヒーローの物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:249286)をお借りしています。

少年騎士

克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞参加作」ポーウィス王国という辺境の小国には、12歳になるとダンジョンか魔境で一定の強さになるまで自分を鍛えなければいけないと言う全国民に対する法律があった。周囲の小国群の中で生き残るため、小国を狙う大国から自国を守るために作られた法律、義務だった。領地持ち騎士家の嫡男ハリー・グリフィスも、その義務に従い1人王都にあるダンジョンに向かって村をでた。だが、両親祖父母の計らいで平民の幼馴染2人も一緒に12歳の義務に同行する事になった。将来救国の英雄となるハリーの物語が始まった。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

処理中です...