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リボン
しおりを挟む一体いくつの夜を過ごしたでしょう。実浦くんは嵐のただ中にとらわれ続けています。
お祭りの夜は、どうやら永遠に終わるつもりはないようでした。実浦くんは友達たちと一緒に、町の通りをぐるぐると、同じところを歩き続けているのです。
どうにかして、この嵐の巡りから抜け出さなくてはなりません。そうは思うのですが、実浦くんの体は自由がきかず、焦る心を抱えたままに、ただ終わらない夜を巡るばかりです。
(ぼくこのままでは、嵐の一部になってしまう。どうしたらここから出られるだろう)
はしゃぐ子供たちの声を聞きながら、実浦くんは一生懸命に考えます。そうしているうちにも、実浦くんの記憶はぽろぽろこぼれ落ちて、落ちたそばから嵐の中へ散っていきます。
穏やかな夜の町のどこかで、ごうごう風が吹いているのは確かなのです。けれど、それに耳を澄ませようとすると、すぐにお祭りの喧騒が実浦くんを取り囲んで、楽しげな笑い声や熱い人いきれの中に、嵐の風音をかくまってしまいます。
もう、自分が一体どこから来たのか、ここを出てどこへ行くべきなのか、誰の元へ帰るべきなのか、それすらも分からないのです。
ただ、いつまでもここにいてはいけない。ここは嵐の中なのだ。そういった焦燥ばかりが、実浦くんの心を引っ掻くのでした。
お祭りを何巡かしたとき、誰かが実浦くんの服の裾を引っ張りました。それは友達たちのうちの誰かでした。空にお祭りのランタンを飛ばすので、それにくっつける飾りをもらおうと言うのでした。
実浦くんはそれに賛成して、町かどのひばの木の枝から、そこにぶらさがっている飾りを取りました。子供たちがこの日のために、鋏でもって丁寧に切り抜いた紙の飾りです。これをランタンの底にくっつけて飛ばすと、まるでランタンが尾羽を得たようにひらひら踊って美しいのです。
紙は冷たい川の水で漉《す》いた特別の紙で、銀河を薄く伸ばしたような光沢を持ち、触れば柔らかく手に馴染むのに、紙同士が触れ合うとしゃらしゃら金属のような音がするのでした。
実浦くんは、どの飾りを取ろうかと、ひばの木をじっと見上げます。鳥や魚、牛などの動物を模したものにしましょうか。それとも、あの奥の方へ掛かっている、苹果《りんご》を模したものにしましょうか。ああその苹果は、銀河の紙の中へ金や珊瑚の粉が練り入ってあるのかもしれません。本当に齧ったら甘いのではないかと思えるほどに、生き生きとした飾りなのです。
実浦くんはいっぱいに背伸びをして、苹果の紙飾りを取ろうとしました。そしてひばの枝からそれをもぎってしまおうとしたとき、苹果の茎に、金色のリボンが結ばれていることに気がつきました。(あかいひばなの……)
実浦くんの手は、苹果の前を素通りし、そのリボンの端を掴みました。引っ張ると、何の抵抗もなくするりとほどけて、リボンは実浦くんのものになります。
「あかいひばなのレーヨンの……」
その歌声が、すぐ耳元で聴こえたような気がして、実浦くんは後ろを振り向きました。そして、「あ」と小さく短い声を上げました。そうしますと、あんなに硬く実浦くんの体を操っていた力が、不思議と溶解し、実浦くんはまるきり自由になって、夜のお祭りの中に放り出されたのです。
長い夢から醒めたような、長く息を止めていたあとに深呼吸をしたような、不思議な気持ちよさと寂しさがありました。夜の嵐はもう、これ以上実浦くんを捕まえておけないのです。だって実浦くんは、ここに来た理由と、ここまで歩んできた道のりとを、もう全て思い出したのですから。
実浦くんは、まず大きく深呼吸をしました。そして体が自由に動くことを確認したくて、その場でうさぎのように跳ねました。足は実浦くんの思いのままに動きます。
それが分かりますと、実浦くんは、あたりをきょろきょろ見回しました。紅い火花を編んで作ったような、レーヨン製のリボンが、実浦くんの手のひらの中にあります。リボンの持ち主は、どこにも見当たりません。
(ぼくは知っている。これは、あの子の羽だ。羽をこんなところに引っ掛けて、あの子は今どうしているだろう)
実浦くんは、町の明るい方へ走り出しました。その後ろを、実浦くんが楽しくて走っているのだと思って、友達たちが歓声を上げながら追いかけてきます。
(羽がなくちゃあ、あの子の小さな足では、きっと通りの半分も行けやしない。あの子、どこかで疲れて泣いていないだろうか)
灯りのあるところをひとつひとつ、ここにいないかと見て回ります。色つきろうそくの売り場だとか、出店のたくさん並ぶ大通りだとか、子供たちが集まって花火を楽しんでいる広場だとかです。けれどどこにも、あの子の姿はありません。
実浦くんは、レーヨンのリボンをぎゅっと握りしめて、あちこち走りました。本当ならば、足がしくしく痛んできそうなほどたくさん走ったのですが、不思議と痛みも疲れもなく、実浦くんは風のようになって、町の隅々まで走ったのです。
そうして最後にたどり着いたのは、大小の石がひしめく河川敷でした。お祭りが一等にぎわった頃合いに、ここからたくさんのランタンを空へ飛ばすのです。すでに河川敷は、色々なランタンがところ狭しと並べられていて、まるで光の原でした。
「あおいこずえのかたびらの、わたりのとりのがいとうの……」
その声を聴いて、実浦くんははっと顔を上げました。河川敷に、人の姿はありません。けれど、誰かが歌っています。光あふれる河川敷のどこかで、誰かが歌っているのです。
「ふかいしじまのさざなみの、まよいのさかなのあまがさの……」
泣いているようなか細い声です。少しでもお祭りの喧騒に耳を傾けてしまえば、たちまち見失ってしまいそうな、本当に小さな小さな歌声です。
実浦くんは、河川敷に並ぶランタンのひとつひとつを、覗いてまわりました。中で光っているのは、ろうそくであったり、または半分に割られた小さな南瓜であったりしました。いずれにせよ、実浦くんが探しているものではありません。
友達たちは退屈がって、口々に文句を言いました。それを実浦くんは、好きに言わせておくことにしました。何を言われても気にせずに、今は一刻も早く、このリボンの持ち主を見つけ出さなくてはならないのです。
そうしているうちにも、声は段々と小さくなり、とうとう歌声はとぎれとぎれになってしまいます。けれど、覗かなければならないランタンは、まだ数え切れないほどあるのです。
実浦くんは途方に暮れて、光の河川敷を見渡しました。そしてその瞬間、自分が大きな見落としをしていたことに気がつきました。
そうです。目当てのものはただのランタンではなく、青白いカンテラの中に横たわっているに違いないのでした。
実浦くんはぐっと目をこらして、昼間のように明るい光のひしめく中に、たったひとつ、淡く滲むような青白い燐光を探します。闇の中にひとつの光を見出すより、それはずっと困難で、実浦くんの目の奥がじりじりと痛みました。
けれど、見つけました。とうとう見付けたのです。青白いカンテラは、まわりの光たちに存在を塗りつぶされながらも、身を縮めるようにしてありました。
「見つけた!」
実浦くんが叫んで駆け寄ると、カンテラもそれに気がついたようで、『実浦くん!』と言って、河川敷の砂利の上を、カラコロ飛び跳ねて寄ってきました。
実浦くんはカンテラを胸の前に受け止めて、こわごわ中を覗き込みます。そしてそこに、探していたあの子を見つけて、実浦くんはほっと微笑んだのです。
「来ないかと思ったわ」
火灯し妖精が頬を膨らませます。実浦くんは何も言わず、ひばの枝に引っかかっていたリボンを、火灯し妖精に差し出しました。彼女がそれを受け取るまでもなく、リボンはひとりでに蝶々のような形をつくり、妖精の背中にふんわりと着地しました。
「ああ良かった。嵐に羽を千切られて、どうしてもここから抜け出せないでいたの」
『実浦くん、よくここが分かったねえ』
「そりゃあ、私が歌っていたからよ。きっとそれで、ここが分かったのよ」
『あれはしるべの歌だものね。覚えておいて良かったねえ』
口々に話す二人を見て、実浦くんは鼻の辺りがつんと痛く、熱くなるような感じがしました。二人は嬉しげに話しているのに、自分ひとりだけ泣いてはおかしいかと思って、涙が流れるのは我慢したのですが、それでも実浦くんは、唇を噛み締める必要すらありました。
そんなに泣きたくなったのは、長い長い夜を越えて、二人に会えたからでしょうか。
(それもあるだろう。けれど、それだけじゃない。ぼくきっと、ぼく自身の後悔や悲しみよりも大切だと思えるものを、ようやく見つけられた。それが嬉しいのだ)
羽を取り戻した火灯し妖精が、カンテラの中より飛び立って、実浦くんの頭の上を飛び回ります。そうしますと、実浦くんの頭の上に、実浦くんを祝福するように、紅い火花が舞い落ちました。
実浦くんが珍しく声を立てて笑ったので、火灯し妖精は嬉しくなってしまって、羽を大きくはためかせて、赤や橙や金の火花を、たくさんたくさん散らせたのでした。
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