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第一部:オフィス侵攻編
第ニ話 : 回覧板の澱(おり)と、犬飼の洗礼
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オフィスの中枢へは、平社員の足ではたどり着けない。
社長室のドアノブを回す権利など、南野綺羅々にはもちろん、子分の犬飼健にも与えられていなかった。彼女たちの世界は、常に「課長」や「部長」という名のフィルターを通してしか、上の景色を覗き見ることはできない。
今日の任務は、社長から降りてきたという「全社通達」の回覧だ。
「南野先輩……この回覧、部長のデスクで三日間止まってたみたいです。締め切り、今日の午前中ですよ」
犬飼が、汚物でも見るような目で一枚の書類を差し出してきた。そこには佐藤部長の飲みかけのコーヒーがこぼれた跡があり、紙面は無惨に波打っている。
「パッション部長が止めていたのね。……犬飼くん、よく聞いて。組織の澱(おり)は、常にこういう『中継地点』に溜まるのよ」
綺羅々は、汚れた書類をピンセットで扱うかのような手つきで受け取った。
本来なら社長室から全社員へダイレクトに届くはずのメッセージ。それが「部長」という名のバグによって、締め切り直前の「緊急事態」へと姿を変える。
「先輩、どうするんですか? 今から全課に回してたら間に合いません」
「……犬飼くん、あなたはまだ『紙』で戦おうとしているのね。事務職を何だと思っているの?」
綺羅々は、汚れた回覧板をスキャナに叩き込んだ。
「画像補正でコーヒーのシミを消去(デリート)。OCRで文字を読み取り、全社員共通の共有サーバーの『最優先通知設定』へ強制アップロード。……ついでに、この書類が誰のデスクで何時間、何分滞留していたかのログを解析して、表(グラフ)にして添付しておきましょう」
キーボードを叩く指が、神速で最適解を導き出していく。
「部長には内緒ですか?」と震える声で尋ねる犬飼に、綺羅々はコンシーラーで固めた完璧な微笑みを向けた。
「いいえ。部長には『事務的な報告』として、社長から直接お礼のメールが行くように仕掛けておいたわ。……中身は、彼がどれだけ『熟成』させていたかの証拠付きでね」
平社員は社長と口を聞くことはできない。
だが、「システム」という名の血流を操作すれば、平社員の指先一つで、雲の上の存在に毒を届けることは可能だ。
社長室のドアノブを回す権利など、南野綺羅々にはもちろん、子分の犬飼健にも与えられていなかった。彼女たちの世界は、常に「課長」や「部長」という名のフィルターを通してしか、上の景色を覗き見ることはできない。
今日の任務は、社長から降りてきたという「全社通達」の回覧だ。
「南野先輩……この回覧、部長のデスクで三日間止まってたみたいです。締め切り、今日の午前中ですよ」
犬飼が、汚物でも見るような目で一枚の書類を差し出してきた。そこには佐藤部長の飲みかけのコーヒーがこぼれた跡があり、紙面は無惨に波打っている。
「パッション部長が止めていたのね。……犬飼くん、よく聞いて。組織の澱(おり)は、常にこういう『中継地点』に溜まるのよ」
綺羅々は、汚れた書類をピンセットで扱うかのような手つきで受け取った。
本来なら社長室から全社員へダイレクトに届くはずのメッセージ。それが「部長」という名のバグによって、締め切り直前の「緊急事態」へと姿を変える。
「先輩、どうするんですか? 今から全課に回してたら間に合いません」
「……犬飼くん、あなたはまだ『紙』で戦おうとしているのね。事務職を何だと思っているの?」
綺羅々は、汚れた回覧板をスキャナに叩き込んだ。
「画像補正でコーヒーのシミを消去(デリート)。OCRで文字を読み取り、全社員共通の共有サーバーの『最優先通知設定』へ強制アップロード。……ついでに、この書類が誰のデスクで何時間、何分滞留していたかのログを解析して、表(グラフ)にして添付しておきましょう」
キーボードを叩く指が、神速で最適解を導き出していく。
「部長には内緒ですか?」と震える声で尋ねる犬飼に、綺羅々はコンシーラーで固めた完璧な微笑みを向けた。
「いいえ。部長には『事務的な報告』として、社長から直接お礼のメールが行くように仕掛けておいたわ。……中身は、彼がどれだけ『熟成』させていたかの証拠付きでね」
平社員は社長と口を聞くことはできない。
だが、「システム」という名の血流を操作すれば、平社員の指先一つで、雲の上の存在に毒を届けることは可能だ。
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