社畜のお仕事!本日も晴天なり✨

Lapin

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​第一部:オフィス侵攻編

第十九話:ロジックの死角と、死神の足音

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一条が構築した『完全無欠の業務システム』は、確かに美しかった。

 無駄な会議は削減され、全てのタスクはプライオリティ順に整列され、フロアの生産性は数字の上ではかつてない高みに達していた。だが、その美しさは、極限まで引き絞られた弓の弦のような危うさを孕んでいる。一度でも想定外の「不純物」が混入すれば、システム全体が物理的に破綻(クラッシュ)する。

​ 綺羅々は、二日酔いの鈍い痛みと、福に噛まれた指先の疼きを、冷徹な集中力へと変換していた。

 彼女は、一条が「最適化」したはずの過去三ヶ月分の全データ、数万セルに及ぶ海の中を、深夜のストロング缶で養った執念の「手作業」で潜行していた。

​(……あるはずよ。どんなに美しい数式にも、たった一つの『前提条件の誤り』が……)

​ そして、彼女の指が止まった。

 一条が誇らしげに提示していた「物流コスト30%削減」の根拠となる数式。その最下層に埋め込まれた、ある運送会社との契約単価。

​「……見つけた。……これ、ロジックじゃない。ただの『願望』だわ」

​ 綺羅々は、コンシーラーで鉄壁に守られた唇を、歪んだ三日月のように吊り上げた。

​ 午後。

 一条がいつものように、フロアを監視するスキャナーのような視線を走らせていた時、綺羅々は音もなく彼の背後に立った。

​「一条様。……お忙しいところ恐縮ですが、この『Q3コスト最適化レポート』の、第124行目についてご教示いただけますか?」

​「……南野くん。その程度の末端データ、私の構築したマクロが自動計算している。君が確認するまでもない」

​「いいえ。……この自動計算の『前提』となっている契約合意書、有効期限が先週で切れています。……そして、新しい見積もりでは、燃料費の高騰を理由に単価が15%引き上げられている。……あなたのシステムは、この『外部環境の変化(ノイズ)』を無視して、古いデータのまま計算(ループ)を続けているわ」

​ フロアの空気が、一条の冷気とは異なる、真の「恐怖」で凍りついた。

 一条のタイピングが、初めて不協和音を奏でて止まる。

​「……馬鹿な。……その契約更新は、来月のはずだ」

​「事務職を舐めないで、と言ったはずよ。……私たちは、あなたが『些末な事務処理』として切り捨てた書類の一枚一枚に、企業の生命線が通っていることを知っている。……一条様。あなたのロジックは、現実という名の『泥濘(ぬかるみ)』に足を取られて、空転しているのよ」

​ 綺羅々は、一条のモニターの横に、本物の『見積合意書』のコピーを静かに置いた。

 一条の完璧な仮面が、初めて物理的に崩落した。瞳の奥で、数式がエラーを起こし、真っ赤な警告灯が点滅しているのが見えるようだった。

​「……これは、……致命的な不備(エラー)だ。……私の計算値が、一気に……」

​「ええ。……明日には、全社的な損失として表面化するわ。……さて、一条様。……このバグを、どうデリートされるおつもり?」

​ その時だった。

 自動ドアが、これまでとは比較にならない重厚な音を立てて開いた。

​ 入ってきたのは、仕立ての良すぎる黒いスーツを着た三人の男女。

 胸元には、この会社で最も恐れられる「聖域」のバッジが光っていた。
 
「……本社監査役、執行官です。……一条マネージャー。……および、事務の南野綺羅々さん。……社長室まで、ご同行願います」

​ 綺羅々は、驚きを隠すように、コンシーラーの厚みを確かめるフリをした。

 だが、その指先は歓喜で震えていた。
 
 本日も、晴天なり。

 ついに、この泥臭いフロアを抜け出し、本丸(社長室)へ侵攻する時が来たのだ。
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