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 翌日、拓海は、両親に行先を告げたうえで、藤本さんの家に向った。
 わざわざ学校まで出向いて自分たちのことを擁護してくれたことへのお礼を伝えるとともに、今までもらったお金についての相談もしたかったからだ。
 両親からも、もらったお金をどうするかということについては、藤本さんたちと相談して決めなさいと言われていた。
 昨日からの雨が止まずに降り続いており、拓海は、バスを使って藤本さんの家に向った。

 最寄りのバス停を降りた拓海は、バス停の近くにあるスーパーに入った。
 そこの和菓子売り場で、藤本さんが好きそうなお饅頭を買った。
 家を出るときに、親から千円を預かった。手土産を買っていきなさいと言われていた。
 今後お金のやり取りはしないにしても、食事をご馳走になったりするわけであり、親として手土産を持たせるのが礼儀であるということだった。
 スーパーで手土産を買った拓海は、住宅街の中を進んだ。藤本さんの家は、バス停から歩いて十分ほどのところにあった。

 「いらっしゃい」藤本さんは、いつもと同じように優しい笑顔で迎えてくれた。
 玄関を入った拓海は、手土産を差し出した。親から言われたのだということも伝える。
 「そんな。気を遣わなくてもよいのに」と藤本さんは恐縮したが、手土産は受け取ってくれた。
 手土産を手渡した拓海は、洗面所へ向かった。二度目に訪問したときから、洗面所には、拓海がうがいをするとき用のグラスが置かれていた。
 手洗いとうがいを済ませた拓海は、藤本さんの待つ居間へ向かった。

 今日、拓海が藤本さんの家を訪ねることは、昨日の夜に、拓海の方から藤本さんに電話をして決まったことだった。
 校長先生と新垣先生、親たち、そして藤本さんたちを交えた話し合いの場では、学校側が、ボランティアとしてやるのであれば孫代行を続けてもよいと認め、その後解散となった。
 本当は、話し合いを終えたあとに藤本さんたちと話をしたかったのだが、話をする間もなく家に帰ることになってしまった。
 電話では詳しいことは言わずに、話したいことがあるのだということだけを伝えていた。

 居間で藤本さんと向き合った拓海は、何から切り出せばよいのか、瞬間的に頭の中で整理した。話したいと思うことがいろいろとあったからだ。
 藤本さんが入れてくれた冷たい麦茶を一口飲んだ拓海は、口を開いた。
 「昨日は、いろいろとありがとうございました」
 藤本さんにお礼を言いたい理由が頭の中でははっきりとした言葉であったのだが、うまく言い表せなくて、『いろいろと』というあいまいな言い方になってしまった。
 「こちらこそ。急に押しかけてしまって、ごめんなさいね」
 「いえ。だけど、正直、びっくりしました。来てくれるとは思わなかったから」
 「電話で、あなたたちが学校に呼び出されていると聞いて、びっくりしてね。斎藤さんに話をしたら、私たちからも話をした方がいいんじゃないのかなってことになって、古川さんともお話しをして、三人で行くことにしたのよ」
 藤本さんと斎藤さんと古川さんとの間で、孫代行を通じた交流が生まれていた。
 拓海が一番お礼を言いたかったことは、藤本さんたちが懸命に訴えてくれたから、親たちも理解してくれて、学校側も折れてくれたということだった。もし、あの場で、自分たちだけで世の中のためになることをやっているのだと主張をしたとしても、それだけでは、親たちは理解を示さなかったかもしれない。
 拓海は、学校からの帰り道、父親から頭をなでられ、良いことをしたのだと誉められた。今日の事は、決して忘れるなよと言われた。人間として成長したなとも言われた。
 家に帰ってからは、母親にも誉められた。
 両親から認めてもらったことは、拓海にとって、何よりも嬉しいことだった。
 拓海は、その思いを口にした。
 「よかったわね……」藤本さんも、自分のことのように話を聞いてくれた。嬉しそうに、顔をほころばせている。
 「藤本さんからは、いろいろと教わったし……。学校では教わらないことで、自分たちにとって大事なことをいろいろと教わったなあと思うと、ちゃんとお礼を言わなければならないなと思っているんですけど、なんだか、うまく言えていない感じがします」
 「気持ちは、十分に伝わっていますよ。私なんかは、大したことは口にしていないけど、そんな風に思ってくれていたのなら、とても嬉しいわ」
 拓海の思いは、藤本さんにも伝わっていた。
 そのことを知った拓海は、もう一つの目的を口にすることにした。
 「実は、今日は、藤本さんに相談したいこともあって来たんですけど」
 「なぁに、相談って?」
 「お金のことです。今までいただいていたお金を、どうしたらいいんだろうなって考えていて……。やっぱり、返すべきなのかなとも思っているんですけど」
 「返す必要なんて、ないんじゃない?」
 藤本さんが、即座に言葉を返してきた。
 「昨日も言いましたけど、あれは、私たちからあなたたちに感謝の思いを伝えるために、お小遣いをあげていたのだから。だから、返されたりすると、私たちの方も困るのよ」
 「……」
 「あなたたちの好きなことに使ってもらいたいわ。だから、使い道は、自分たちで考えてみて」
 藤本さんからの答えは、ある程度予想していた内容でもあった。
 しかし、孫代行を利用した人は、藤本さんたちだけではない。全員で八人いた。後の人たちは、今回のことを知ったら、どのように思うだろうか。今まで払ったお金は、返してほしいと思うのだろうか。
 拓海は、藤本さんの考えを聞いてみた。
 「藤本さんと斎藤さんと古川さん以外にも、ボクたちにお金をくれた人が五人いるんですけど、その人たちは、どう思うでしょうか?」
 「その方々は、あなたたちが学校から呼ばれたことは、知らないのよね?」
 「知らないはずです」
 「知ったとしても、答えは、私たちと同じだと思うわ。私たち年寄りにとってね、あなたたちのような若い人と触れ合えることが、ものすごく貴重なことなのよ。何もしないとただ老いていくだけだけど、若い人と触れ合うことで、気持ちも体も若返っていくようで、これからの人生を前向きに生きていこうという気にもなれるのよ。そのような時間を作ってくれたあなたたちに、きっと感謝をしていると思うわ」
 藤本さんの言葉は、自信にもつながった。
 本当に、自分たちは、意味のあることをしてきたんだ。
 お金を返すことが自分たちと触れ合ってきた高齢者たちの気持ちを踏みにじることになるのであれば、もらったお金は、何か意味のあることに使おう。
 藤本さんと話をしたことで、拓海の気持ちは、すっきりとした。

 藤本さんの家を後にした拓海は、家までの帰り道、四月からのことを振り返ってみた。
 お金が欲しくて、孫代行を始めた。
 直接の動機はお金を稼ぐことだったが、寂しい老後生活を送っている高齢者の力になれることが有意義なことなのだという思いで始めたことも事実だった。この思いは、自分だけではなく、海斗も七海も美咲も感じていたことである。
 そして今、自分たちに向けられた感謝の言葉を直接耳にした。
 今後も孫代行を続けるのであればボランティアでという形になるが、自分たちにとって、お金以上に大切なものが得られているのは間違いないという気もする。
 拓海は、そのような気持ちで、孫代行を続けていきたかった。
 そんな拓海の頭の中で、意味のあるお金の使い道が思い浮かんできた。
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