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第四話 嘗て愛されたいと歌ったパンクバンド
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いわゆる元カレである双見裕から一ノ瀬綾子宛てに、一本のカセットテープが届いた。自作曲を収録しているとの事だが、しかし如何せん、綾子が生活するアパートの部屋にはそれを再生する機器がなかった。
仕方なしに、いやさそのカセットテープに託けて綾子は、中学時代の先輩で友人でもある瀧八千代との約束を取り付けた。目下の同居人である六歳の甥、三塚松理と連れ立ち彼女に会いに出掛けた。
果たして八千代の運転で、郊外のファミレスへ向かうその車内で、双見が綾子に宛てた自作曲がお披露目された。
曲名は。
「それじゃ演ります、スシ食いねェ!」
その日、一緒に寿司を食べる約束をしていた男女が片や散歩中に交通事故に巻き込まれ、片やしてはいけない組み合わせの医薬品の併用で、共に死亡、しかし楽しみだと言っていた相手を落胆させる訳にはいかないとの思いから互いに死にながらも待ち合わせ場所へとたどり着き、自分が死亡している事実を相手にはひた隠しにしたまま寿司を食い、そうして無事に約束が果たされた後にそれぞれが満足して息を引き取るまでを描いた、それはラブロマンス。
およそ半年間の友人関係を経た後、高校三年生の夏休み前にようやく綾子との交際に漕ぎつけた。しかし卒業式の日、共通の友人でもあった別の女性と交接している現場を目撃される大失態を演じた。その一件以来、好く晴れた日に溜まっていた洗濯物を一気に片付けても、山登りをして澄んだ空気を吸い込んでも、まるで心が弾まない日々が続いた。その内に双見は、自らの感情を整理、或いは確認しようとその渦中に飛び込んでは、あで始まる五文字に換わる言葉を見付けるべくの楽曲作りを以て気を紛らわせるようになった。
そうして生み出された楽曲は。
今回、郵送されたものに限って言えば。
聴けばお寿司を食べたくなる、それ以上でも以下でもなかった。
ロマンス要素はまるでその役割を果たしていなかった。
綾子と八千代と、そして松理は、異口同音に双見をこう評した。
「あいつやっぱ馬鹿だな」
====================
「ところで松理、来週の14日はなにか予定があるのか」
と、八千代が訊いた。
「ちなみにあたしは普段通りの時間でバイト」
と、綾子が補足情報を挟んだ。
「そしたらおれも普段通り、引き篭もってゲームっすね」
と、綾子が残したエビフライの尻尾をひょいと自分の口に放り込みながら、松理はそう回答した。
====================
第四話 嘗て愛されたいと歌ったパンクバンド
====================
頭の両脇、耳より高い位置で結わいたラビットスタイルのツインテールと、合皮製の黒いリュックを背負った茶色のくまのぬいぐるみ型のリュック、その特徴は事前に教えられていた情報と一致した。
父親と思しきに送り出され路線バスに乗り込んできた彼女は、二か月後に小学校の入学式を迎える六歳児。これから一人で、叔母に厄介になっている双子の兄を訪ねようという場面。
勤め人の帰宅時間に合わせ駅前でギターを奏で歌う、そうして充分な実入りのあった日は漫画喫茶で、そうでない日は公園のベンチで眠る。そんな暮らしを続けていると捻じれた袖振り合いや因果的と思えるような人との出会いがある。その範疇ではないと思うが、今日の依頼人もいずれ駅前で歌っている時に知り合った一人。
二年弱、出版社でアルバイトを経験した後に地域情報を扱うフリーペーパーを発行する会社を興したという彼女は、しかしそのバイタリティーを感じさせないすらりとした細身の美女、駅前テナントの入退去情報を訊かれた事を切っ掛けに雑談もするようになった。
とまれ三塚るるなる女児が無事に兄に会うまでを見届ける、或いはそれが危ぶまれるような事態になれば軌道修正、もしくは原因を排除する、これが報酬発生条件。但し飽く迄も見守られていると覚られぬよう陰に隠れたまま、ま、言わば傍観者として。
====================
前から二列目、二人掛けの横向き席に座っていた年配の女性が、空いている隣にるるを座らせた。どこまで乗るの、終点までです、では一緒に降りましょう、そんな遣り取りの後に女性は、るると同じ年頃の男の子の孫について話し始め、それは終点まで続いた。
運賃支払いの際、幾らですか、170万円です、そんなに持ってません、じゃあおまけで170円、という遣り取りがるると運転手の間で発生した。
果たして難なく、滅法無事に、るるは一先ずの目的地、路線バスの終点にたどり着いた。
平日の昼過ぎという事もあり利用者もそう多くはない鉄道駅構内を突っ切り、反対側へ出る。脇に寄り、くまのぬいぐるみが背負ったリュックから取り出した手書きの地図を広げる。駅がこっち、交番がこっち、パン屋さんがこっちだから地図の向きはこう、などと口に出しながらるるがくるくると身体を回転させていると、募金箱を首から下げた女子高生が歩み寄り、お手伝いしようかと声を掛けた。
「可愛いリュックだね」
「くましゃんなのです」
「くまさん好きなの」
「くましゃんすきなのです」
その地図はるるの母親による手書き、非常に分かり易い目印などを記してある上に目的地の叔母の住むアパートまではほぼ一本道、故に最初に進む方角さえ間違えなければまず迷う事はない筈。女子高生が地図から読み取った情報を簡潔且つ明快な道案内に換えて伝えると、るるが大きく首を縦に振り礼を言った。
「おれいにさしあげるのです」
「キーホルダー。これもくまさんなのかな」
「はい。るるがじぶんでつくったのです」
「ほんと、凄いね」
「がんばったのです。くましゃんがすきなので」
「そっか。好きなものがあるっていい事だね」
「いいことですか」
「日常に色が着いて見えるからね」
単に、幼い女児が一人で街中に居る状況があればそれを心に余裕のある人間は気に掛ける、そうした当たり前の事象。愛にくまで応えたならくまが愛を拡散する理想的循環、そんな胡乱な標語みたいな状況判断もまた客観的事実として成り立ち得る事態。
或いは投げ銭で生き長らえている俺もそれの体現者であるのかもしれない。
詰まり、ま。
世界がるるを愛してる。
と。
依頼人に持たされていた携帯電話が尻ポケットで震えた。
「首尾はどうだ」
「難なく駅に着きましたよ」
「なら最難関の通過はまだだな」
「彼女が無事に兄に会えたらトレイシー薔薇さんに会わせてくれるって話、忘れてませんよね」
活動期間は二年足らず、二枚のミニアルバムと三曲入りシングル一枚を残し解散宣言などもないままに表舞台から消えたパンクバンド、うしろから姦られ帯、そのギターボーカルと、依頼人は個人的な繋がりがあるらしい。
「こんな楽な仕事の報酬が宝くじの一等よりも価値があるなんて、ま、他人から聞かされたとして俺も与太と切って捨てるでしょうけど」
「神格化しているのは君ら側、ご本人は至って普通の、とても家族思いの主婦だよ、国見」
「八千代さんは朝焼けを追い掛けた人間、俺は夜明けを恐れる人間。その違いという、ま、事ですよ」
====================
懐中時計を持った白うさぎではなく茶白の猫、目の前を横切ったそれを追って入った公園がさながらふれあい動物園、但し猫のみという塩梅。
腹の下に四肢を畳んだ同じ姿で日向で丸まっている黒と三毛と白、人前での大開脚も辞さず入念に毛繕いをしている白黒、驚き飛び退いたりしながらもかなへびと格闘しているキジ白の仔。
点々と姿の見える猫の間を星座を描くみたいにあっちこっちへるるが往く、その様子を俺は木陰にベンチの置かれてある小高い丘の上に登って俯瞰する。
同じ年頃の、自分の手から直接餌をやっている女の子にるるが近づいていく。
「あげてみる」
「うん」
「こわくない」
「まつりしゃんとやったことある」
「じゃわけてあげるね」
「ありがとう」
「あ、たべたね」
「くすぐったいね。ねこしゃんかわいいね」
ブラウンのダウンコート姿の髪を束ねた女性が女の子に声を掛ける。
「明日美ちゃん、帰るよ」
「あ、おかあさんだ。きょうた、かえるって」
傍で小枝を振り回していたどうやら弟が、女の子の呼ぶ声に応える。
「あらお友達。家族の人は近くにいるの」
「ひとりです。まつりしゃんにあいにいくとちゅうなのです」
「そうなの。ご兄弟かな」
「まつりしゃんはおにいちゃんです」
「道は大丈夫、分かってる」
「ちずです」
「どれ、ちょっと見せてもらっていい」
髪を束ねた女性、姉弟の母親がるるの隣に立ちお辞儀をするように地図を覗き込む。
「そしたら、ここの公園の出口からなら一人で行けそうかな」
「はい。がんばります」
親切な家族連れの助けもあって、そうして、依頼人の言う最難関もすこぶる順調に、クリアした。
更にその公園から目的地までについても報告書に記せるような出来事は欠片も、微塵も、小火ほども起こらず俺の役目は終了した。
====================
角部屋、207号室。綾子が住む部屋の玄関の壁にへばり付くように、必死に背伸びをしたるるがなんとか指先を呼び鈴まで届かせた。
「どちらさまですか」
機械を通してくぐもった、けれども確かに松理の声が聞こえると、それに飛び付くように全力でインターホンを見上げたるるが答える。
「ふたこたたがまなのです。しろありがくじょなのです」
直ぐに玄関の扉が開き、部屋着姿、即ち猫の着ぐるみに身を包んだ松理が顔を突き出した。
「あ、ねこ。まつりしゃんがねこ」
先般、ファミレスで八千代に今日の予定を訊かれた理由はこれだったかと、るるの顔を見て松理は納得する。
「一人で来たのか」
「そうなのです。まつりしゃんとおかしをいっぱいたべてきていいって、おかあしゃんがいったのです」
「あっそ。でも帰りはどうすんだ、なんか言ってたか」
「あやこしゃんにいっしょにきてって、おねがいするのです」
「まぁそうなるか。じゃあ安心だな」
くまと、るの字がつくものと、兄の松理に目がないるるが一月振りに顔を見た喜びを全身に滾らせる。
「おかし。おかし。まつりしゃんおかし」
「とりあえず落ち着け。そして靴を脱いでから部屋にあがれ」
るるの初めての冒険はこうして。
世界の全部は優しさで出来ているのだと証すみたいに。
無事、終了した。
====================
遵い難い趨勢、生き辛い世の中への怨嗟、或いはまた自分が大人になってしまう事への焦燥を激しく、哀しく、湧き出るがままに彼女は歌っていた。その姿は、選択肢が塗り潰されてゆく中で行き着いた路上生活に耐える上での心の支えだった。
「うちの娘の初めてのおつかいを見届けてくれるようにって、八千代が頼んでくれた相手が君ね」
神代国見は。
「自分の過去、隠してはないけど触れ回ってもいないから、そこんところは覚えといて」
強くなりたいと切実に願っていた少女が。
「で、あたしが元トレイシー薔薇だけど、なんか訊きたい事ある」
きっと様々な経験を得て逞しくなった姿を、目の当たりにしていた。
('20.4.12)
仕方なしに、いやさそのカセットテープに託けて綾子は、中学時代の先輩で友人でもある瀧八千代との約束を取り付けた。目下の同居人である六歳の甥、三塚松理と連れ立ち彼女に会いに出掛けた。
果たして八千代の運転で、郊外のファミレスへ向かうその車内で、双見が綾子に宛てた自作曲がお披露目された。
曲名は。
「それじゃ演ります、スシ食いねェ!」
その日、一緒に寿司を食べる約束をしていた男女が片や散歩中に交通事故に巻き込まれ、片やしてはいけない組み合わせの医薬品の併用で、共に死亡、しかし楽しみだと言っていた相手を落胆させる訳にはいかないとの思いから互いに死にながらも待ち合わせ場所へとたどり着き、自分が死亡している事実を相手にはひた隠しにしたまま寿司を食い、そうして無事に約束が果たされた後にそれぞれが満足して息を引き取るまでを描いた、それはラブロマンス。
およそ半年間の友人関係を経た後、高校三年生の夏休み前にようやく綾子との交際に漕ぎつけた。しかし卒業式の日、共通の友人でもあった別の女性と交接している現場を目撃される大失態を演じた。その一件以来、好く晴れた日に溜まっていた洗濯物を一気に片付けても、山登りをして澄んだ空気を吸い込んでも、まるで心が弾まない日々が続いた。その内に双見は、自らの感情を整理、或いは確認しようとその渦中に飛び込んでは、あで始まる五文字に換わる言葉を見付けるべくの楽曲作りを以て気を紛らわせるようになった。
そうして生み出された楽曲は。
今回、郵送されたものに限って言えば。
聴けばお寿司を食べたくなる、それ以上でも以下でもなかった。
ロマンス要素はまるでその役割を果たしていなかった。
綾子と八千代と、そして松理は、異口同音に双見をこう評した。
「あいつやっぱ馬鹿だな」
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「ところで松理、来週の14日はなにか予定があるのか」
と、八千代が訊いた。
「ちなみにあたしは普段通りの時間でバイト」
と、綾子が補足情報を挟んだ。
「そしたらおれも普段通り、引き篭もってゲームっすね」
と、綾子が残したエビフライの尻尾をひょいと自分の口に放り込みながら、松理はそう回答した。
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第四話 嘗て愛されたいと歌ったパンクバンド
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頭の両脇、耳より高い位置で結わいたラビットスタイルのツインテールと、合皮製の黒いリュックを背負った茶色のくまのぬいぐるみ型のリュック、その特徴は事前に教えられていた情報と一致した。
父親と思しきに送り出され路線バスに乗り込んできた彼女は、二か月後に小学校の入学式を迎える六歳児。これから一人で、叔母に厄介になっている双子の兄を訪ねようという場面。
勤め人の帰宅時間に合わせ駅前でギターを奏で歌う、そうして充分な実入りのあった日は漫画喫茶で、そうでない日は公園のベンチで眠る。そんな暮らしを続けていると捻じれた袖振り合いや因果的と思えるような人との出会いがある。その範疇ではないと思うが、今日の依頼人もいずれ駅前で歌っている時に知り合った一人。
二年弱、出版社でアルバイトを経験した後に地域情報を扱うフリーペーパーを発行する会社を興したという彼女は、しかしそのバイタリティーを感じさせないすらりとした細身の美女、駅前テナントの入退去情報を訊かれた事を切っ掛けに雑談もするようになった。
とまれ三塚るるなる女児が無事に兄に会うまでを見届ける、或いはそれが危ぶまれるような事態になれば軌道修正、もしくは原因を排除する、これが報酬発生条件。但し飽く迄も見守られていると覚られぬよう陰に隠れたまま、ま、言わば傍観者として。
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前から二列目、二人掛けの横向き席に座っていた年配の女性が、空いている隣にるるを座らせた。どこまで乗るの、終点までです、では一緒に降りましょう、そんな遣り取りの後に女性は、るると同じ年頃の男の子の孫について話し始め、それは終点まで続いた。
運賃支払いの際、幾らですか、170万円です、そんなに持ってません、じゃあおまけで170円、という遣り取りがるると運転手の間で発生した。
果たして難なく、滅法無事に、るるは一先ずの目的地、路線バスの終点にたどり着いた。
平日の昼過ぎという事もあり利用者もそう多くはない鉄道駅構内を突っ切り、反対側へ出る。脇に寄り、くまのぬいぐるみが背負ったリュックから取り出した手書きの地図を広げる。駅がこっち、交番がこっち、パン屋さんがこっちだから地図の向きはこう、などと口に出しながらるるがくるくると身体を回転させていると、募金箱を首から下げた女子高生が歩み寄り、お手伝いしようかと声を掛けた。
「可愛いリュックだね」
「くましゃんなのです」
「くまさん好きなの」
「くましゃんすきなのです」
その地図はるるの母親による手書き、非常に分かり易い目印などを記してある上に目的地の叔母の住むアパートまではほぼ一本道、故に最初に進む方角さえ間違えなければまず迷う事はない筈。女子高生が地図から読み取った情報を簡潔且つ明快な道案内に換えて伝えると、るるが大きく首を縦に振り礼を言った。
「おれいにさしあげるのです」
「キーホルダー。これもくまさんなのかな」
「はい。るるがじぶんでつくったのです」
「ほんと、凄いね」
「がんばったのです。くましゃんがすきなので」
「そっか。好きなものがあるっていい事だね」
「いいことですか」
「日常に色が着いて見えるからね」
単に、幼い女児が一人で街中に居る状況があればそれを心に余裕のある人間は気に掛ける、そうした当たり前の事象。愛にくまで応えたならくまが愛を拡散する理想的循環、そんな胡乱な標語みたいな状況判断もまた客観的事実として成り立ち得る事態。
或いは投げ銭で生き長らえている俺もそれの体現者であるのかもしれない。
詰まり、ま。
世界がるるを愛してる。
と。
依頼人に持たされていた携帯電話が尻ポケットで震えた。
「首尾はどうだ」
「難なく駅に着きましたよ」
「なら最難関の通過はまだだな」
「彼女が無事に兄に会えたらトレイシー薔薇さんに会わせてくれるって話、忘れてませんよね」
活動期間は二年足らず、二枚のミニアルバムと三曲入りシングル一枚を残し解散宣言などもないままに表舞台から消えたパンクバンド、うしろから姦られ帯、そのギターボーカルと、依頼人は個人的な繋がりがあるらしい。
「こんな楽な仕事の報酬が宝くじの一等よりも価値があるなんて、ま、他人から聞かされたとして俺も与太と切って捨てるでしょうけど」
「神格化しているのは君ら側、ご本人は至って普通の、とても家族思いの主婦だよ、国見」
「八千代さんは朝焼けを追い掛けた人間、俺は夜明けを恐れる人間。その違いという、ま、事ですよ」
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懐中時計を持った白うさぎではなく茶白の猫、目の前を横切ったそれを追って入った公園がさながらふれあい動物園、但し猫のみという塩梅。
腹の下に四肢を畳んだ同じ姿で日向で丸まっている黒と三毛と白、人前での大開脚も辞さず入念に毛繕いをしている白黒、驚き飛び退いたりしながらもかなへびと格闘しているキジ白の仔。
点々と姿の見える猫の間を星座を描くみたいにあっちこっちへるるが往く、その様子を俺は木陰にベンチの置かれてある小高い丘の上に登って俯瞰する。
同じ年頃の、自分の手から直接餌をやっている女の子にるるが近づいていく。
「あげてみる」
「うん」
「こわくない」
「まつりしゃんとやったことある」
「じゃわけてあげるね」
「ありがとう」
「あ、たべたね」
「くすぐったいね。ねこしゃんかわいいね」
ブラウンのダウンコート姿の髪を束ねた女性が女の子に声を掛ける。
「明日美ちゃん、帰るよ」
「あ、おかあさんだ。きょうた、かえるって」
傍で小枝を振り回していたどうやら弟が、女の子の呼ぶ声に応える。
「あらお友達。家族の人は近くにいるの」
「ひとりです。まつりしゃんにあいにいくとちゅうなのです」
「そうなの。ご兄弟かな」
「まつりしゃんはおにいちゃんです」
「道は大丈夫、分かってる」
「ちずです」
「どれ、ちょっと見せてもらっていい」
髪を束ねた女性、姉弟の母親がるるの隣に立ちお辞儀をするように地図を覗き込む。
「そしたら、ここの公園の出口からなら一人で行けそうかな」
「はい。がんばります」
親切な家族連れの助けもあって、そうして、依頼人の言う最難関もすこぶる順調に、クリアした。
更にその公園から目的地までについても報告書に記せるような出来事は欠片も、微塵も、小火ほども起こらず俺の役目は終了した。
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角部屋、207号室。綾子が住む部屋の玄関の壁にへばり付くように、必死に背伸びをしたるるがなんとか指先を呼び鈴まで届かせた。
「どちらさまですか」
機械を通してくぐもった、けれども確かに松理の声が聞こえると、それに飛び付くように全力でインターホンを見上げたるるが答える。
「ふたこたたがまなのです。しろありがくじょなのです」
直ぐに玄関の扉が開き、部屋着姿、即ち猫の着ぐるみに身を包んだ松理が顔を突き出した。
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先般、ファミレスで八千代に今日の予定を訊かれた理由はこれだったかと、るるの顔を見て松理は納得する。
「一人で来たのか」
「そうなのです。まつりしゃんとおかしをいっぱいたべてきていいって、おかあしゃんがいったのです」
「あっそ。でも帰りはどうすんだ、なんか言ってたか」
「あやこしゃんにいっしょにきてって、おねがいするのです」
「まぁそうなるか。じゃあ安心だな」
くまと、るの字がつくものと、兄の松理に目がないるるが一月振りに顔を見た喜びを全身に滾らせる。
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「とりあえず落ち着け。そして靴を脱いでから部屋にあがれ」
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世界の全部は優しさで出来ているのだと証すみたいに。
無事、終了した。
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遵い難い趨勢、生き辛い世の中への怨嗟、或いはまた自分が大人になってしまう事への焦燥を激しく、哀しく、湧き出るがままに彼女は歌っていた。その姿は、選択肢が塗り潰されてゆく中で行き着いた路上生活に耐える上での心の支えだった。
「うちの娘の初めてのおつかいを見届けてくれるようにって、八千代が頼んでくれた相手が君ね」
神代国見は。
「自分の過去、隠してはないけど触れ回ってもいないから、そこんところは覚えといて」
強くなりたいと切実に願っていた少女が。
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('20.4.12)
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