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第1章 おおぞらは空の下
第2話 「ん~~こげん美味かもん他になかねぇ」
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福岡県福岡市博多区大井町。
福岡空港から一番近い公園である大井中央公園を有するこの町に、「障害者支援施設おおぞら」がある。宇美川近くにある蔵造りのバリアフリーリノベーションされた建物は、一見お土産屋か道の駅だ。
おおぞらの主な業務は障害を持った利用者の日中活動支援。利用者は二十四人、こういった福祉施設では少なめだ。
利用者の送迎を終えた夕方、まだまだ明るい初夏の空の下。
おおぞらのホールには自分と、厨房の奥でボランティアスタッフと雑談に花を咲かせている奥津という博多マダムの三人しか居なかった。
歩は味噌ディップのきゅうりを噛っていた。先程、農家の利用者家族から「いつも有り難う、これ食べて」と差し入れで貰った物だ。
「ん~~こげん美味かもん他になかねぇ」
採れたての瑞々しさは格別だと頬をほころばせる。わざわざ味噌ディップまで用意してくれた心遣いも嬉しい。これだけで一日の疲れも、あの瞳の尚也に無視されたショックも吹き飛んでいくようだ。
その時。
「そこの河童は佐古川君と? 鴻野君の事で落ち込んどるって聞いたけん、傷はもう癒えたと?」
コウノクン。
きゅうりのおかげで少しは忘れられていた少年の顔を、事務室から出てきた女性の涼しげな声で思い出す。
ショートカットと銀縁眼鏡が似合う四十代のこの女性、藤沢小百合《ふじさわさゆり》はおおぞらの所長だ。おおぞらに制服は無いので、英字ロゴが入った茶色のTシャツを着ている。
小百合はクールな性格で、十年前の春に入った歩よりも長くおおぞらに勤めている。あまり笑顔を見せない合理的な女性で「親しみにくい」なんて一部の利用者からは言われているが、この上司は話は聞いてくれる人だ。
「藤沢さん、部下のHPば削りに来んで欲しかですばい、キツかぁ……」
「あら、これでも心配してるんよ。鴻野君の事は気にするな……とは言えんばってん佐古川君が落ち込む事なかよ」
そう言って小百合は歩が座っている椅子の前に座る。事務室に居る事の多い小百合にしては珍しい行動だ。
きっと自分に話があるのだろう。急いできゅうりを飲み込み、小百合の顔を視界に映す。
「鴻野君ね、去年まで普通に東京で明るい高校生やっとったげな。それが怪我で下半身不随になっちゃって」
「え」
目を見張って小百合の話を聞く。
先入観を持ってしまう危険性を防ぐ為、現場の人間は障害の詳細を知らされにくい。中途障害だとはざっくり聞いていたが、尚也の事情を知っていくに連れ、視線がテーブルの上に落ちる。
小百合の話はこうだ。
尚也はどうも高校卒業前に、怪我で下半身不随になってしまったらしい。
暫く東京の病院に入院していたが症状が安定した為退院。何かから逃げるように父親の実家がある博多に先日母親と移住し、今日からおおぞらを利用するようになったという。
「やけん凄く塞ぎ込んどるとよ……お母さん言っとった、人が変わったように家から出んくなっちゃったって。彼は今、究極に塞ぎ込んどって、心を閉ざしとるってわけばい」
「ああ……」
尚也に無視された理由が分かった。高校生がある日いきなり障害者になってしまったら、誰だってああなってしまうだろう。
心に傷を負った人が、引きこもったり塞ぎ込む事は多い。尚也もその一人のようだ。
人と目を合わせたくないからずっと俯いていて、おおぞらに来たはいいもののキャパオーバーを起こし辛くて早退してしまった――と言う事だろう。
心を閉ざす。その気持ちは歩にも少しだけ理解出来た。
地元で早く働きたくておおぞらに来たが、最初は慣れない事ばかりでドジばかりしていた。
人の笑顔や面倒を見るのが好きで始めた仕事だが、ドジばかりしていた入りたては利用者や同僚にひそひそ笑われていそうでおおぞらに行くのが怖かった。骨折でもしたら休めるかな……と思うと誰とも話したくなかった。
「やけん、家でもずっと引きこもっとーみたい。今も通院以外で外に出んみたいやね、やっと外に出る気になったうちですら週一でしか来んやと。こればっかはねぇ……他の職員もみんな、彼の事は無理に構わず時間に任せるそうたい。時間が経てば鴻野君も明るくなっていくでしょ」
尚也の事情を知れば知るほど眉間のシワが深くなる。
研修で、中途障害者が必ず通る道である「障害受容」という心理を習った事がある。
「ショック」「否認」「混乱」のプロセスを経て、「適応への努力」から「適応」へと気持ちが変わっていくという物だ。尚也は今、「否認」「混乱」の時期から抜け出せずにいるのだ。
しかし、人の気持ちなんてそう簡単に熟語で表せられる物ではない。
ある日いきなり足が動かなくなったのだ。
十八の少年にそれがどれほど残酷だっただろう。どれだけ泣いただろう。理不尽な運命だと言うのに、どれだけ自分を責めただろうか。
けれども、とも思った。
ずっとあんな態度で居て欲しくなかった。尚也は自分より十歳も若くてまだまだ楽しい事がいっぱいあるのだ。
時間が解決してくれるのは、確かにそうかもしれない。
けれど人生の夏休みと言われるような素晴らしい時期は今だけだ。家で塞ぎ込むだけで終わらせて欲しくなかった。元が明るかったならまた笑って欲しい。
それにあの塞ぎ込みよう。時間が解決してくれるような物には見えなかった。尚也には今、人とのシンプルな触れ合いが大切なように思えた。
その為には、まず。
「藤沢さん……やけん鴻野君が空気を吸っとる以上、どうしたって人と関わるんよ? 今のままじゃ鴻野君は辛いままばい。うん、決めたっ!」
なにを? と眼鏡の奥の瞳に視線だけで問われる。歩はぐっと拳を握り所長の前で決意を固めた。
福岡空港から一番近い公園である大井中央公園を有するこの町に、「障害者支援施設おおぞら」がある。宇美川近くにある蔵造りのバリアフリーリノベーションされた建物は、一見お土産屋か道の駅だ。
おおぞらの主な業務は障害を持った利用者の日中活動支援。利用者は二十四人、こういった福祉施設では少なめだ。
利用者の送迎を終えた夕方、まだまだ明るい初夏の空の下。
おおぞらのホールには自分と、厨房の奥でボランティアスタッフと雑談に花を咲かせている奥津という博多マダムの三人しか居なかった。
歩は味噌ディップのきゅうりを噛っていた。先程、農家の利用者家族から「いつも有り難う、これ食べて」と差し入れで貰った物だ。
「ん~~こげん美味かもん他になかねぇ」
採れたての瑞々しさは格別だと頬をほころばせる。わざわざ味噌ディップまで用意してくれた心遣いも嬉しい。これだけで一日の疲れも、あの瞳の尚也に無視されたショックも吹き飛んでいくようだ。
その時。
「そこの河童は佐古川君と? 鴻野君の事で落ち込んどるって聞いたけん、傷はもう癒えたと?」
コウノクン。
きゅうりのおかげで少しは忘れられていた少年の顔を、事務室から出てきた女性の涼しげな声で思い出す。
ショートカットと銀縁眼鏡が似合う四十代のこの女性、藤沢小百合《ふじさわさゆり》はおおぞらの所長だ。おおぞらに制服は無いので、英字ロゴが入った茶色のTシャツを着ている。
小百合はクールな性格で、十年前の春に入った歩よりも長くおおぞらに勤めている。あまり笑顔を見せない合理的な女性で「親しみにくい」なんて一部の利用者からは言われているが、この上司は話は聞いてくれる人だ。
「藤沢さん、部下のHPば削りに来んで欲しかですばい、キツかぁ……」
「あら、これでも心配してるんよ。鴻野君の事は気にするな……とは言えんばってん佐古川君が落ち込む事なかよ」
そう言って小百合は歩が座っている椅子の前に座る。事務室に居る事の多い小百合にしては珍しい行動だ。
きっと自分に話があるのだろう。急いできゅうりを飲み込み、小百合の顔を視界に映す。
「鴻野君ね、去年まで普通に東京で明るい高校生やっとったげな。それが怪我で下半身不随になっちゃって」
「え」
目を見張って小百合の話を聞く。
先入観を持ってしまう危険性を防ぐ為、現場の人間は障害の詳細を知らされにくい。中途障害だとはざっくり聞いていたが、尚也の事情を知っていくに連れ、視線がテーブルの上に落ちる。
小百合の話はこうだ。
尚也はどうも高校卒業前に、怪我で下半身不随になってしまったらしい。
暫く東京の病院に入院していたが症状が安定した為退院。何かから逃げるように父親の実家がある博多に先日母親と移住し、今日からおおぞらを利用するようになったという。
「やけん凄く塞ぎ込んどるとよ……お母さん言っとった、人が変わったように家から出んくなっちゃったって。彼は今、究極に塞ぎ込んどって、心を閉ざしとるってわけばい」
「ああ……」
尚也に無視された理由が分かった。高校生がある日いきなり障害者になってしまったら、誰だってああなってしまうだろう。
心に傷を負った人が、引きこもったり塞ぎ込む事は多い。尚也もその一人のようだ。
人と目を合わせたくないからずっと俯いていて、おおぞらに来たはいいもののキャパオーバーを起こし辛くて早退してしまった――と言う事だろう。
心を閉ざす。その気持ちは歩にも少しだけ理解出来た。
地元で早く働きたくておおぞらに来たが、最初は慣れない事ばかりでドジばかりしていた。
人の笑顔や面倒を見るのが好きで始めた仕事だが、ドジばかりしていた入りたては利用者や同僚にひそひそ笑われていそうでおおぞらに行くのが怖かった。骨折でもしたら休めるかな……と思うと誰とも話したくなかった。
「やけん、家でもずっと引きこもっとーみたい。今も通院以外で外に出んみたいやね、やっと外に出る気になったうちですら週一でしか来んやと。こればっかはねぇ……他の職員もみんな、彼の事は無理に構わず時間に任せるそうたい。時間が経てば鴻野君も明るくなっていくでしょ」
尚也の事情を知れば知るほど眉間のシワが深くなる。
研修で、中途障害者が必ず通る道である「障害受容」という心理を習った事がある。
「ショック」「否認」「混乱」のプロセスを経て、「適応への努力」から「適応」へと気持ちが変わっていくという物だ。尚也は今、「否認」「混乱」の時期から抜け出せずにいるのだ。
しかし、人の気持ちなんてそう簡単に熟語で表せられる物ではない。
ある日いきなり足が動かなくなったのだ。
十八の少年にそれがどれほど残酷だっただろう。どれだけ泣いただろう。理不尽な運命だと言うのに、どれだけ自分を責めただろうか。
けれども、とも思った。
ずっとあんな態度で居て欲しくなかった。尚也は自分より十歳も若くてまだまだ楽しい事がいっぱいあるのだ。
時間が解決してくれるのは、確かにそうかもしれない。
けれど人生の夏休みと言われるような素晴らしい時期は今だけだ。家で塞ぎ込むだけで終わらせて欲しくなかった。元が明るかったならまた笑って欲しい。
それにあの塞ぎ込みよう。時間が解決してくれるような物には見えなかった。尚也には今、人とのシンプルな触れ合いが大切なように思えた。
その為には、まず。
「藤沢さん……やけん鴻野君が空気を吸っとる以上、どうしたって人と関わるんよ? 今のままじゃ鴻野君は辛いままばい。うん、決めたっ!」
なにを? と眼鏡の奥の瞳に視線だけで問われる。歩はぐっと拳を握り所長の前で決意を固めた。
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