アストリッドと夏至祭の魔法使い

上津英

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Ⅴ Love―約束―

63 「ちょっと、でこんな事――わっ」

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「良いでしょ、欧米では挨拶じゃない。感極まった時にだってやる。私からは出来ないのよ、今」

 不貞腐れたように続けると、数秒躊躇した後「じゃあ……」とウィルがおずおずと腕を回してくる。背の高いウィルは、簡単に自分を包み込んでくれる。
 火の玉しか光源のない部屋。鼓動を大きくする愛しい温もりを感じ、近付いた青い瞳を映す。

「ねえ。一緒にベルリンに来てくれない?」

 海のような色を見ながら囁きかけると、「え」とばかりに瞳孔の揺れが止まったのが見えた。

「つ…………通訳ですか?」

 少しの間の後紡がれたのは、こちらの意図を確かめるような声。その問いに首を横に振り唇を動かす。

「確かに貴方はドイツ語も喋れるでしょうけど。違うよ」

 目を細め、すぐ近くにある青色を見つめる。緊張をごまかすように一度大きく息を吸った。

「私、貴方が好きなの。貴方と居ると優しい気持ちになれる。貴方の優しい目が好き。貴方ののんびりしたところが好き。私の傍に居ようと思ってくれるのが嬉しくて、貴方が隣に居てくれれば何でも出来る気になれる。だから一緒に来て欲しいの。駄目?」

 自分の真意をやっと理解したのか、金髪の青年の表情に驚きの色が滲んだ。見張られた瞳は、現実を受け止めきれていないようですぐに揺れ出した。

「あ、えっと、あーっ……お、俺姓ありませんよ?」

 だからこんな変な事も口走ってしまうのだろう。それがウィルらしく思えて、クスリと笑う。

「アイスランドと同じならあるような物でしょ。それに姓がそんなに気になるなら、貴方もグローヴェンを名乗れば?」

 さすがにそれを言う時はウィルの顔が見れなかった。驚いたようにウィルの腕に力が入ったのも居た堪れない。目を伏せ、少しだけ口ごもる。

「私はそうなったら嬉しいけど」

 もごもごと伝えた後、ウィルからは何の返事も無かった。窓の外から微かな鳥の鳴き声がする事以外、部屋の中は静かだ。
 気まずくて視線をどこに置いたら良いのか分からない。
 そう思った時、不意に金色の髪が揺れた。

「――」

 不思議に思う間もなく、唇に湿った感触が重なる。暖かなそれは、すぐに目の前の青年の物だと気付いた。

「っ」

 見開いた視界は至近距離にある顔の為に暗く、どうしても体が強張る。痛みなんて麻痺するくらいの感情の波が押し寄せて来る。
 少しして熱が離れても何も言えなかった。ウィルの顔が見えないから余計だ。それからもう少しして、突然頭が回り始めた。

「…………ちょ、いきなりななな何!?」

 時間が動き出すと急に気恥ずかしくなってきた。先程の熱が唇にまだ残っている。

「実はまだ夢を見てるのかな、って……ちょっと」

 返すウィルの口調もどこか夢見心地だ。

「ちょっと、でこんな事――わっ」

 突然ウィルに強く抱き締められた。金色の髪が頬に当たって擽ったい。

「俺も貴女が好きです。夏至祭で会った時から、貴女だけを愛していました。ずっと……ずっとこうしたかったんです……」

 耳元で囁かれる真剣な声。全身から伝わって来る温もりはこうも簡単に息を止めてくれるのか。

「是非、俺もベルリンに連れてって下さい。そこでも貴女を守りたいです」

 鼓膜を擽る声にそっと目を伏せる。ウィルの背中に腕を回せないのが辛いくらいだ。

「うん……。でも、ベルリンでそんな危険な事は無いと思うわよ? 私は寧ろ貴方が魔法使いだってバレないかの方が心配。貴方ってすぐに魔法を使うもの。あ、杖持って行かなければ良いんじゃない?」
「う……杖は持ってたいです、どうせ狼なんかが咥えて持って来たりしますし。俺、こんなでも人間の街に馴染めますかね……」

 途端に情けない物言いになった青年が面白くてクスッと笑う。
 船の倉庫で、カウトケイノの湖畔で、この部屋で。
 人目は避けているものの、息を吸うように魔法を使っているこの青年が、確かに人間の暮らしに溶け切る事は難しいだろう。
 でも、大丈夫だ。この青年の事をこんなにも好きな自分が傍に居る。

「馴染めるわよ。貴方も、私が隣に居れば何でも出来る、そう思ってくれるでしょう? 貴方が魔法を使っていたら、私が何度だって注意してあげる」
「それは、勿論。……アストリッドの注意は怖そうですね」
「そうね、覚悟しておいた方が良いかも」

 くすくす、と。どちらからともなく笑いが漏れた。

「ね、もう一回キスして」

 ちょっと、で片付けられた事が面白くなかった事もあり、もう一度提案し目を瞑る。1拍後頬に添えられた手は暖かく、その温もりが心地良くて顔の重みをウィルに預ける。鼻先が触れる感覚に息を止めた。
 ――が。

「……?」

 待てど暮らせど、ウィルの唇が自分の唇と重なる事は無かった。不思議に思い薄く目を開けてみると、すぐそこで動きを止めているウィルの影が見えた。

「……ロヴィーサが外に居るんだった」

 罰が悪そうに紡がれた言葉に笑ってしまった。きっと今この青年は、情けない顔をしている事だろう。
 ふふっと笑いが込み上げてくる。

「今更気にしないで。大好きよ、ウィル!」

 痛みを我慢して、ちょこっと顔を突き出して唇を重ねる。自分から重ねた唇は、先程とはまた違う味がした。
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