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その三
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裕子は、待ち合わせ場所の東京駅八重洲口に向かっていた。駅前の書店で適当に本を見てるから、と雅也から言われている。
これから裕子が行くのは、さっき上条との話題にのぼった児島徳子のマンションであった。社用で行く体で出たので、上条はもちろん、会社の誰にもそのことは告げていない。
同行する田所雅也は裕子の交際相手である。
商社に勤める雅也とは、学生時代の合コンで知り合った。
合コンが大学一年の時だったから、そこそこ長い付き合いなのだが、交際に発展したのはつい最近。
出会った当初から雅也に好意を抱いていたが、彼は合コン参加メンバーで一番人気であり、参加した女子たちが牽制し合った結果、誰も彼とは交際に至らなかった。
しかし、裕子は雅也と連絡先を交換したので、互いの大学の学祭に行ったり、グループで遊びに行ったりと、付かず離れずの友人関係を続けていた。
お互い就職して四年目を迎えた今年、雅也の “厄介な面倒事” がきっかけで、二人は婚約した。正式なものではなく、雅也に頼まれて、 “今日だけ” のことである。
書店に着いた裕子は、店内をきょろきょろ見回す。
店の奥の資格取得本コーナーに雅也がいた。高身長の雅也はひときわ目を惹く。
そっと近づき、彼の背後から「お待たせ」と声をかけると、雅也がぱっと振り向き、裕子の顔を見て微笑んだ。
どことなく、母性をくすぐるような愛敬のある青年なのである。
「悪いね。仕事中に時間とらせて」
「ううん、全然。変な話だけど、そのおかげで雅也さんと本当に仲良くなれたんだし」
書店を出た瞬間、雅也にすまなそうに言われ、裕子は間髪入れずにそう答えた。
雅也が少し驚いたような顔をしたので、裕子は恥ずかしくなる。
(まずかったかなあ? でも、これくらい言ってもいいよね)
赤くなり早足になった裕子は、歩道にたくさん駐められている自転車に足を取られてよろけた。斜め後ろにいた雅也がサッと裕子の肘を捉え、後ろからすっぽりと包むように支えてくれる。
その行動は、自分の告白めいた発言に対する雅也の返事のような気がして、裕子は嬉しかった。
二人は再び東京駅に戻ると、国鉄と地下鉄を乗り継いで、東麻布に向かう。
西麻布に比べると、下町の雰囲気が残っている東麻布は、裕子の憧れの町だ。
埼玉の旧家で育ち、東京の有名大学に進学し、一流企業に就職した彼女は傍目には順調そのものだろうが、どうしても手に入れたいものがまだ残っている。
それは、いわゆる三高の男性と幸福な結婚をすること。
(雅也は大企業勤務のエリートで、性格は素直。見た目もいい。
彼と結婚できたら、私の半生は完璧って言っていいんじゃない?)
夕方の東麻布の商店街を雅也と歩きながら、その町で主婦となっている自分の姿を、裕子は頭の中で思い描いてみる。
東京タワー方面に商店街を抜けるとすぐ、四階建てのマンションが見えてきた。徳子の住むマンションだ。そこは、いかにもな高級マンションといった造りではなく、一見地味な建物だが、全ての住戸のベランダに茶色の目隠しフェンスが取り付けられていて、それが現代的でお洒落であった。
部屋を訪ねる前に、マンションの玄関口で時刻を確認した雅也が言う。
「さっさと話を済ませて、五時にはお暇したいんだ」
「そんな早く? マダムは納得してくれるかしら」
「彼女は本気じゃなくて、単なるつまみ食いって奴なんだから大丈夫。しかも婚約者を連れてこられたら、何も言えないと思う。だって、僕と二十歳も離れてるんだよ。まったく……」
雅也は言葉を濁すが、はっきり言って軽率極まりない行為だろう、と裕子はその点は厳しく見ていた。
(親子ほども年の違う二人が関係を持つなんて。気持ち悪いわ)
裕子は若い女特有の潔癖さで、徳子に対して嫌悪の情を抱いていた。
これから裕子が行くのは、さっき上条との話題にのぼった児島徳子のマンションであった。社用で行く体で出たので、上条はもちろん、会社の誰にもそのことは告げていない。
同行する田所雅也は裕子の交際相手である。
商社に勤める雅也とは、学生時代の合コンで知り合った。
合コンが大学一年の時だったから、そこそこ長い付き合いなのだが、交際に発展したのはつい最近。
出会った当初から雅也に好意を抱いていたが、彼は合コン参加メンバーで一番人気であり、参加した女子たちが牽制し合った結果、誰も彼とは交際に至らなかった。
しかし、裕子は雅也と連絡先を交換したので、互いの大学の学祭に行ったり、グループで遊びに行ったりと、付かず離れずの友人関係を続けていた。
お互い就職して四年目を迎えた今年、雅也の “厄介な面倒事” がきっかけで、二人は婚約した。正式なものではなく、雅也に頼まれて、 “今日だけ” のことである。
書店に着いた裕子は、店内をきょろきょろ見回す。
店の奥の資格取得本コーナーに雅也がいた。高身長の雅也はひときわ目を惹く。
そっと近づき、彼の背後から「お待たせ」と声をかけると、雅也がぱっと振り向き、裕子の顔を見て微笑んだ。
どことなく、母性をくすぐるような愛敬のある青年なのである。
「悪いね。仕事中に時間とらせて」
「ううん、全然。変な話だけど、そのおかげで雅也さんと本当に仲良くなれたんだし」
書店を出た瞬間、雅也にすまなそうに言われ、裕子は間髪入れずにそう答えた。
雅也が少し驚いたような顔をしたので、裕子は恥ずかしくなる。
(まずかったかなあ? でも、これくらい言ってもいいよね)
赤くなり早足になった裕子は、歩道にたくさん駐められている自転車に足を取られてよろけた。斜め後ろにいた雅也がサッと裕子の肘を捉え、後ろからすっぽりと包むように支えてくれる。
その行動は、自分の告白めいた発言に対する雅也の返事のような気がして、裕子は嬉しかった。
二人は再び東京駅に戻ると、国鉄と地下鉄を乗り継いで、東麻布に向かう。
西麻布に比べると、下町の雰囲気が残っている東麻布は、裕子の憧れの町だ。
埼玉の旧家で育ち、東京の有名大学に進学し、一流企業に就職した彼女は傍目には順調そのものだろうが、どうしても手に入れたいものがまだ残っている。
それは、いわゆる三高の男性と幸福な結婚をすること。
(雅也は大企業勤務のエリートで、性格は素直。見た目もいい。
彼と結婚できたら、私の半生は完璧って言っていいんじゃない?)
夕方の東麻布の商店街を雅也と歩きながら、その町で主婦となっている自分の姿を、裕子は頭の中で思い描いてみる。
東京タワー方面に商店街を抜けるとすぐ、四階建てのマンションが見えてきた。徳子の住むマンションだ。そこは、いかにもな高級マンションといった造りではなく、一見地味な建物だが、全ての住戸のベランダに茶色の目隠しフェンスが取り付けられていて、それが現代的でお洒落であった。
部屋を訪ねる前に、マンションの玄関口で時刻を確認した雅也が言う。
「さっさと話を済ませて、五時にはお暇したいんだ」
「そんな早く? マダムは納得してくれるかしら」
「彼女は本気じゃなくて、単なるつまみ食いって奴なんだから大丈夫。しかも婚約者を連れてこられたら、何も言えないと思う。だって、僕と二十歳も離れてるんだよ。まったく……」
雅也は言葉を濁すが、はっきり言って軽率極まりない行為だろう、と裕子はその点は厳しく見ていた。
(親子ほども年の違う二人が関係を持つなんて。気持ち悪いわ)
裕子は若い女特有の潔癖さで、徳子に対して嫌悪の情を抱いていた。
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