苦い果実

花野未季

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 父は仕事の都合で、ひとり大阪で暮らし、私は母と二人、父の実家で暮らすようになりました。その家で、私は名前のたけしをもじって、“たけぼん” と呼ばれて、大人達から可愛がられて育ちました。

 父の一族は、昔は庄屋と呼ばれた地主。土地を持たない小作農と呼ばれる人達に土地を貸し、自分達も手広く農業をやっていました。
 果物、野菜、米。何でも作っていたし、ちょっと山のほうに行くと、酪農をやっている親戚もいました。

 戦前の日本は、家父長制度といって、家長と呼ばれる男性が、一族郎党を従えて暮らすシステムでした。トップである家長の言うことは絶対です。誰も逆らってはいけません。
 父の実家では、そのトップは私の祖父にあたる人でした。

 祖父は、その頃六十過ぎでしたでしょうか、真面目で立派な人でした。孫の私が褒めるのも変な話ですが。

 同じ家に住む家族は、祖父祖母、伯父夫婦、そして従兄弟にあたる姉弟。 “ねえちゃん” こと、女学校に通う典子のりこ、その弟で私と同い年の修平しゅうへい

 そして、もうひとり。
 今日の話の主人公ともいえるあんちゃん、そう呼ばれている若い男性。彼は辰雄たつおという立派な名前がありましたが、家族、親族、何故か集落の人みんなから、兄ちゃんと呼ばれていました。

 彼は厳密には家族の一員ではありませんでした。兄ちゃんは、至って健康そうでありましたが、戦争に行くことはなく、毎日朝から晩まで泥まみれになって、農家の仕事に精を出していました。

 とても無口で、私は最初少し怖かったものです。しかし、兄ちゃんは穏やかで優しい人だったので、いつしか私は彼のことが大好きになりました。兄ちゃんは、修平を始め、近隣に住む子達みんなに慕われていました。

 兄ちゃんの休憩時間になると、どこからともなく子供達が現れて、彼を取り囲んで相撲を取ったりして、遊んでもらっていたのです。

 今でも目を閉じると、その和やかな光景がありありと甦ってきます。背の高い、陽灼けひやけした精悍な兄ちゃんの笑顔と共に。
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