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3・悪いことは重なるものだ
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翌朝、壁掛け温度計が指すのは十三度。寒い。でも学習能力のある私、結恵(ゆえ)さんは不用意にエアコンをつけたりしないのです。手早く身支度すると通勤鞄を肩からかけて部屋を出た。
駅前の喫茶店に入って朝から珈琲を飲む。もちろんホットで砂糖もたっぷりだ。朝食代わりにチョイスしたのはピーナッツバターサンド。デスクワークが長くお腹の肉のつき具合が気になるこの頃だが、私は甘いものに飢えている。糖分は癒しの女神と思って崇めたい。そうでもしないと昨夜の羞恥と怒りは収まらないのだ。
昨夜は案の定寝つきが悪く、クリスマス(当然ぼっちの予定)に備えて取り置きしていたワインを飲んでから寝た。そうやって現実逃避しようと躍起になっていた私に絶え間なく話しかけてきたお化けさんのお話を要約すると、こんな感じになる。
まず、お化けさんには名前があった。その名も小百合(さゆり)。あまりに似合わないんじゃないかと突っ飲みを入れた私はきっと悪くないはず。内心、その見た目から目玉とかけて『メダマン』と呼んでやる気満々だったのだけれど。
メダマン(小百合なんて呼んでやらないぞ)は、この築四十年超の古アパートのエアコンに以前から棲みついていたらしい。でも、姿を見たり声を聞いたりできる住人は私が初めてとのこと。
他にも何やら自己紹介をしてくれたのだが、私はワインで酔ってしまってよく覚えていない。ともかく、明るい場所で数時間同じ空間を共にすると、例え相手がお化けでも慣れてくるものだ。眠りに落ちる瞬間には「メダマン、おやすみー。私もう寝るからエアコン切るよ」と声をかけるぐらいの余裕まで生まれていた。
勤め先は、最寄り駅から電車で三駅分揺られた先から徒歩十分のところにある。敷地だけは広く、グリーンキーパーさんが今朝も広い緑地の木々を剪定している。私の職場は本社ビルの二階にあって、経営企画部というところ。名前だけは立派なものだが、実際は様々な部署の架け橋を任務とした変人の巣窟だ。経営企画的なことは、誰一人やっていない。
「おはようございます」
鞄とコートをロッカーに片付けてから自分の席に座る。奴、竹村係長は既に席にいた。今日も生真面目な顔でパソコンに向かいながら、誰かと電話をしている。彼は国内外で開催する展示会の総締めをやっているので、来週からスペインで始まる国際機械展に向けて大忙しなのだろう。本人もあさってから現地へ発つので、私はしばらく平穏な生活が送れるかもしれない。いや、駄目だ。お化けがいる。
パソコンの起動を待ちながら周りを見渡す。うちの会社は広いフロアにいくつかの部署が雑居していて、隣の机の島は営業部。と、その時けたたましい電話着信音が鳴り響いた。営業部に外線である。あいにく営業はまだ誰も席にいないので、隣の部署の下っ端である私が出ることになる。
「おはようございます。梅蜜(うめみつ)機械、営業部でございます。」
電話の向こうからはくつくつと押し殺した笑い声が聞こえてきた。
「のりちゃん、おはよ。ほんと声だけは可愛いよな」
「新田くん、切っていいかな?」
相手は数少ない私の同期で新田茂(にった しげる)。元気な時でも風邪引いてるんじゃないかと思うぐらいのしゃがれ声が特徴だ。
「いや、あのね、昨日事務の女の子に見積もり出しといてって頼むの忘れちゃってさ。今日は昼から先方へ伺う予定だから何とか間に合わせてほしいんだよね。詳細はメールしとくから、急ぎだって言っといてくれない?」
「未だに同じ部署の女の子の名前すら覚えられないような人の頼みなんて聞きません!」
「拗ねるなよー。のりちゃんの名前はちゃんと覚えてるでしょ? あ、それより聞いた? 来年の春に周年行事やるらしいな。のりちゃん、運営事務局入りするみたいだし、頑張れよ!」
「……周年行事?」
「ほら、来年三月でうちの会社は創立三十周年じゃん! あれ、もしかしてのりちゃん、まだ聞かされてない?」
何て事だ。大きな仕事の存在を他部署の人から世間話のノリで聞かされなんて。これで怒りを覚えずにいられるかっての!?
私は新田くんとの電話をそのまま切り上げて、真っ直ぐに課長の席へと向かった。
「高山課長、周年行事があるって本当ですか?」
「あぁ、悪い悪い。今日の職場会議で話すつもりだったんだ。紀川(のりかわ)にも戦力になってもらう。今回も総務じゃなくてうちが主体でやるらしいからな。頑張ろう!」
周年行事。それはうちの会社が五年置きにやっている大イベントで、毎回運営事務局の人々は炊飯ジャーを会社に持ち込み、ほぼ住み込み状態で準備に明け暮れると言われている地獄の行事。
目の前が真っ暗になったが、そのまま倒れることもできないまま私は自分の席へ戻った。その瞬間、業務開始の予鈴が鳴る。やれやれ、一難去ってまた一難。
駅前の喫茶店に入って朝から珈琲を飲む。もちろんホットで砂糖もたっぷりだ。朝食代わりにチョイスしたのはピーナッツバターサンド。デスクワークが長くお腹の肉のつき具合が気になるこの頃だが、私は甘いものに飢えている。糖分は癒しの女神と思って崇めたい。そうでもしないと昨夜の羞恥と怒りは収まらないのだ。
昨夜は案の定寝つきが悪く、クリスマス(当然ぼっちの予定)に備えて取り置きしていたワインを飲んでから寝た。そうやって現実逃避しようと躍起になっていた私に絶え間なく話しかけてきたお化けさんのお話を要約すると、こんな感じになる。
まず、お化けさんには名前があった。その名も小百合(さゆり)。あまりに似合わないんじゃないかと突っ飲みを入れた私はきっと悪くないはず。内心、その見た目から目玉とかけて『メダマン』と呼んでやる気満々だったのだけれど。
メダマン(小百合なんて呼んでやらないぞ)は、この築四十年超の古アパートのエアコンに以前から棲みついていたらしい。でも、姿を見たり声を聞いたりできる住人は私が初めてとのこと。
他にも何やら自己紹介をしてくれたのだが、私はワインで酔ってしまってよく覚えていない。ともかく、明るい場所で数時間同じ空間を共にすると、例え相手がお化けでも慣れてくるものだ。眠りに落ちる瞬間には「メダマン、おやすみー。私もう寝るからエアコン切るよ」と声をかけるぐらいの余裕まで生まれていた。
勤め先は、最寄り駅から電車で三駅分揺られた先から徒歩十分のところにある。敷地だけは広く、グリーンキーパーさんが今朝も広い緑地の木々を剪定している。私の職場は本社ビルの二階にあって、経営企画部というところ。名前だけは立派なものだが、実際は様々な部署の架け橋を任務とした変人の巣窟だ。経営企画的なことは、誰一人やっていない。
「おはようございます」
鞄とコートをロッカーに片付けてから自分の席に座る。奴、竹村係長は既に席にいた。今日も生真面目な顔でパソコンに向かいながら、誰かと電話をしている。彼は国内外で開催する展示会の総締めをやっているので、来週からスペインで始まる国際機械展に向けて大忙しなのだろう。本人もあさってから現地へ発つので、私はしばらく平穏な生活が送れるかもしれない。いや、駄目だ。お化けがいる。
パソコンの起動を待ちながら周りを見渡す。うちの会社は広いフロアにいくつかの部署が雑居していて、隣の机の島は営業部。と、その時けたたましい電話着信音が鳴り響いた。営業部に外線である。あいにく営業はまだ誰も席にいないので、隣の部署の下っ端である私が出ることになる。
「おはようございます。梅蜜(うめみつ)機械、営業部でございます。」
電話の向こうからはくつくつと押し殺した笑い声が聞こえてきた。
「のりちゃん、おはよ。ほんと声だけは可愛いよな」
「新田くん、切っていいかな?」
相手は数少ない私の同期で新田茂(にった しげる)。元気な時でも風邪引いてるんじゃないかと思うぐらいのしゃがれ声が特徴だ。
「いや、あのね、昨日事務の女の子に見積もり出しといてって頼むの忘れちゃってさ。今日は昼から先方へ伺う予定だから何とか間に合わせてほしいんだよね。詳細はメールしとくから、急ぎだって言っといてくれない?」
「未だに同じ部署の女の子の名前すら覚えられないような人の頼みなんて聞きません!」
「拗ねるなよー。のりちゃんの名前はちゃんと覚えてるでしょ? あ、それより聞いた? 来年の春に周年行事やるらしいな。のりちゃん、運営事務局入りするみたいだし、頑張れよ!」
「……周年行事?」
「ほら、来年三月でうちの会社は創立三十周年じゃん! あれ、もしかしてのりちゃん、まだ聞かされてない?」
何て事だ。大きな仕事の存在を他部署の人から世間話のノリで聞かされなんて。これで怒りを覚えずにいられるかっての!?
私は新田くんとの電話をそのまま切り上げて、真っ直ぐに課長の席へと向かった。
「高山課長、周年行事があるって本当ですか?」
「あぁ、悪い悪い。今日の職場会議で話すつもりだったんだ。紀川(のりかわ)にも戦力になってもらう。今回も総務じゃなくてうちが主体でやるらしいからな。頑張ろう!」
周年行事。それはうちの会社が五年置きにやっている大イベントで、毎回運営事務局の人々は炊飯ジャーを会社に持ち込み、ほぼ住み込み状態で準備に明け暮れると言われている地獄の行事。
目の前が真っ暗になったが、そのまま倒れることもできないまま私は自分の席へ戻った。その瞬間、業務開始の予鈴が鳴る。やれやれ、一難去ってまた一難。
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