友達はエアコンお化け〈社内デザイナー奮闘記〉

山下真響

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28・昔話

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 女の子は、梅蜜機械がある場所から遠く離れた温暖な土地で生まれ育った。公務員の父親にパートタイム従業員の母親、そして女の子。市営住宅の手狭なアパートで暮らしていて、小学校中学年までは普通に友達もいた。厳格な父親に、快活で行動的な母親。まさかそんな平凡な家庭に『不登校』という問題が発生するなんて、女の子の両親も近所のおばさん達でさえも想像だにしなかったであろう。毎日近所の人にも挨拶をしっかりとして、元気に遊び、時に木登りなんてお転婆をする明るい女の子が、ある日を境に人形のように口を開かなくなってしまったのだ。常に無表情で、近くで大きな音がしてもビクリともしない。

 すべては、ちょっとした友達との諍いさかいだった。女の子は昨日まで友達だった人々から『不細工』『汚い』『きちがい』などと罵声を浴びせられ、暴力は言葉だけにとどまらなかった。受けた被害は身体にも残り、身体の傷が癒えても心の傷はずっと深くえぐられまま、女の子は大人になってしまったのだ。

「先生にも、親にも相談はしたんです。専用の電話っていうのもあって、そこにも電話をしたけれど、私みたいな人が世の中には多いのか、繋がらず仕舞いでした」
「まだあるんだろ?」
「……はい。私、デザインの仕事がしたくて。大学はそちらの方面に進んだんですけど、案の定人間関係には悩みっぱなしでしたし。それに、デザインの腕も悪かったんです。周りはみんな『デザイナー』っていう職種に就く中、私だけ『事務員』でした。私、実はそういう会社の面接とか受けなかったんですね。どうせ落ちると思って。でも、いざ逃げてみたら、逃げきれていないことに気づきました。私は、ちゃんとした『デザイナー』になりたかったんです」

 竹村係長は、全く視線を逸らそうとしない。まっすぐ見据えたまま、その視線がこちらに突き刺さって血が滲みそうな気がした。

「そんなに見ないでください。視線も当たりすぎると痛いんですよ。私、知ってます。これぐらいちっぽけなことで、くよくよするなんて馬鹿です。哀れな悲劇の主人公なんて柄じゃありませんし、そういうのは本当に可愛い子に譲ってあげればいいんです。だから私は……」
「ちゃんと泣けばいいのに」

 上司の許可が下りたからというわけではないけれど。次の瞬間、堰を切ったように涙が流れ出した。鼻水も出るし、大洪水で、家の外でこんなことになるなんて恥ずかしすぎた。でも、止められない。

 だって、ずっと……

 竹村係長が、カウンターの下で私の手を握った。それは、さりげない動作。今日は二回目だ。大きくて暖かくて、私の手がどれほどに小さいのかを分からせてくれる。

「我慢しなくていい。ずっと付き合うから。な?」

 竹村係長はそう言うと、慌てたようにビールのジョッキをこちらに突き出してきた。ちょっと顔が赤い。怒っているわけでも照れているわけでもなく、変な顔。

「こら、こっち見るな」
「自分は穴が開くほど私のこと見てた癖に」

 一口飲むと、涙がすっと引いて、火照った身体にキリリと冷えたビールがしみ込んでいく。竹村係長もビールに口をつけていた。

「可愛いんだから、別にいいじゃん。減るわけでもなし」
「えぇ?! 今、何て言いました?!」
「可愛いし、よくできるデザイナーだって言った!」
「絶対、その後半は言ってません! 今初めて聞きました!」

 竹村係長はくすくす笑いながら、私にこんにゃくを一つ寄越した。

「紀川、お前はそう言うけどな、もう立派にデザイナーだと思うぞ? そりゃ新人一年目は今の紀川の仕事を白岡さんがやっていて、ただの事務員だったかもしれない。でも今は、白岡さんを超えたモノを作り、生み出している。俺が思うに、広告代理店とかデザイン事務所のデザイナーはお前が思い描く仕事してるかもしれないけれど、所詮自分の会社のためのデザインはしてないんだ。でも、紀川は自分の会社のために、自分の会社をより本気でアピールするためのデザインをやっている。これってすごく大きな違いだと思う。技は人から盗めるし、努力をすれば磨くこともできる。でも、『自社のために』っていうところは、第三者の会社では埋められない熱意なんだから、代えが効かない。紀川は社内デザイナーであることに、もっと自信もってよ」

 どうしよう。また泣きそうだ。
 私、誰かに認められたかったのかもしれない。ただ「可哀想」って慰められるのではなく、これぐらいに褒めちぎってもらって、背中を押してもらいたかったんだ。自分でも、本当に面倒くさい奴。だけど、こうして気持ちに寄り添ってくれる上司がいる。私って、恵まれているかもしれない。
 そして、涙をしみ込ませたハンカチをバッグに片付けた。それがまたもや『隙』に繋がった。

「ほら、もっと胸張って!」
「え、嘘?! 何、また触ってるんですか!」
「どうせコートの上なんだから、細かいこと言うなよ。感触なんてわかんないし」
「あーもう! セクハラで訴えますよ!」
「やっぱ、俺の異動の日も近いかな?」

 私の上司は意地悪です。実は、僕っ子ではなく、俺っ子が素のようです。そして、たぶん、とってもエッチです。だけど、すごく頼りになります。カッコ良くないけれど、顔もとても愛嬌があるように思えてきました。もしかすると私、竹村係長のこと……


 と、危うく禁断の道へ歩みだしそうになっていたその時だ。

「のりちゃん先輩!!」
「森さん?! え、長瀬課長も?!」
「先輩、ここのおでん美味しいですよね。実はお正月にも連れてきてもらったんです」

 突如現れた後輩さん。もしかして、もしかしなくても、長瀬課長と付き合ってるんですか?! 若い子って、切り替えが早いんだな。あぁ、だから年末、橋本部長と竹村係長の喧嘩仲裁にあたり、急な呼び出しにも応じたのは長瀬課長だったのか。腕組んで仲良く現れたあたり、これはもう確定だろう。そして、森さんの『オジサン好き』も確定だ。

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