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67後は頼んだ※

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★今回は、騎士団総帥のお話です。総帥代理はトリカブート宰相なのですが、一応ちゃんとした総帥もいるんです。ただ、事情で現在臥せっておいでなのですが……
詳しいことは以下本編をお読みください。






 結界魔術を使うという新人騎士の話は、病床にある私の耳にも届いていた。私が死の淵をたどたどしく歩いている間も、世の中には新たなことが生まれたり、消えたりを繰り返している。



 王都の一等地に位置するこの広く古めかしい屋敷は、一人、また一人と使用人が減り、もう数人が私の身の回りの世話のために通ってくるだけになっていた。皆、私が完全に落ち目であることや、その死期が近いことを知っての暇乞いだったのだろう。

 ほとんど管理がなされなくなった屋敷の中には埃が積もり、庭では草が好き放題に天を目指して伸び盛る。近所の子供には幽霊が出ると噂がされているとか。こんな場所に客を招き入れるなんて、できるわけがない。クレソンが何度も手紙や部下を寄越してくるのは分かっていたが、あの男を許す以前の問題としてこういった事情があったのだ。

 しかし、もう残り時間は僅かだ。それは、自分の身体だからこそ分かることである。

 初めは風邪だと思っていた。実際にそうだったのかもしれない。どこで間違えたのかというと、それは王家お抱えの魔術師団から薬を処方されたことだろう。

 もちろん、奴らはその存在だけでも怪しく憎たらしい。時折、式典で派手な魔法を見せびらかすだけで、軍人の我々からすれば、なぜその魔術を国の防御や治安維持に使わないのかと声高に叫びたいところだ。プライドばかりが高く、これといった実績も無い。城で出くわしても、犬も食わぬような胡散臭い話や、頭がトチ狂ったかと思うような残虐な実験のことしか語らない。後は、我々に対する嫌味か。

 我々騎士団は武力をもって各地の治安を守り、他国からの脅威に備えて日々訓練を続けている。しかし、頭まで筋肉でできているわけでもなく、何も考えずに剣や槍を振るっていると思われているのは甚だ心外だ。

 騎士団には、それ相応の教養や臨機応変な対応力、そして集団として動ける協調性に始まり、時には作戦発案のために学者顔負けの知識を要することだってある。

 要するに、私は魔術師団が嫌いであり、それはお互い様だろう。それ故、急に風邪薬なるものを手渡されても躊躇するというものだ。しかし当時かかっていた風邪は酷く、かかりつけの医者に処方された薬は殆ど効いていなかった。しかも、ちょうど間近に遠征が控えており、任務に差し支える恐れもあった。

 総帥は全騎士団のトップにあり、私が健康で意欲と気力に溢れていなければ、他の騎士もついて来ない。私はつまらぬことで焦っていたのだ。結局のところ、総帥としての体面を意地でも守ろうとした心の隙に付け入られたということだろう。

 私は、奴らの薬を飲んだ。直後は効いた。こんなに絶好調になることが、かつてあっただろうか?と思う程に良くなった。だが、そこまでだった。

 私は遠征から城への帰路、突然意識を失って落馬したのである。

 しばらく、私は意識が戻らなかった。戻っても、口をきいたり、思うように体が動かせる状態にはならなかった。あっという間に床ずれができて、筋肉がこそげ落ち、気力も萎んで老け込んでいった。

 そんなものだから、当時の私に自分の意識というものは、ほとんど存在していなかったのだと思う。定期的に見舞いと称してやってくるアルカネットを始めとする魔術師団の者達。促されるままに薬を飲まされ、これを飲んでいるのだから何とか命が長らえているのだと言い聞かされる日々。

 それが、人体実験であることに思い至ったのは半年以上経ってのこと。ある日、出された薬をたまたま飲み忘れた。すると、急に視界が明るくなり、か細いながらも声が出る。驚いた使用人が涙を流して喜ぶのを他人事の様に眺めながら、やっとのことで今の自分を見つめることができたのだ。

 そこからは、ほぼ薬は飲んでいない。しかし、見舞いと称して他の貴族から贈られてくる果物にまで、奴らの力は及んでいた。そのことにすぐに気づけなかった私は、またしても奴らの実験台を続けることになってしまう。

 アルカネットは問う。

「魔力の流れはどうですか?」
「アタクシの指は何本に見えますか?」
「今まで見えなかった物が見えるようになったりはしていませんか?」

 霞がかかったような頭で、短い言葉を返す私。それをアルカネット達は詳細にまで帳面へ書きつけて、満足げに帰っていく。

「ルバーブ様のために、我々は特効薬を研究しております。間もなく完成しますので、もう暫くの辛抱ですよ」

 労るような言葉だが、今思えばこれには半分嘘が入っている。私は体に明らかな異変を感じていたので、確証を持っていた。私は平の騎士から叩き上げで総帥まで上り詰めた身。数々の魔物と相対した経験が、この勘は正しいと告げている。

 そう、私は魔物化し始めている。

 初めは髪が黒くなり始めた。一般的に黒くなるのは、魔力が高まった証拠。良きものとされている。しかし、肌が黒くなり始めたところで、身体の節々に異様な感覚を持つようになってきた。そして、寝ても冷めても血肉に飢えるようになり、骨と皮だけの体になったにも関わらず、毎日大量の肉を消費する。おそらくその姿は、スケルトンだったであろう。あぁ、これも使用人に逃げられた理由に違いない。

 その間も、世間は私を忘れたかのように日常を繰り返し、それは騎士団内も同じこと。普通であれば、とっくの昔に私は総帥を罷免されていてもおかしくない。しかし、まだその肩書は私の手元に残っていた。否、残されていた。

 騎士団総帥の任命は、全騎士団の団長が集まって行われる騎士団会議で決定される。全騎士団団長の承認があって、次の騎士団総帥が誕生するのだ。しかし現状、立候補はおろか、推薦すらない。それもそうか。総帥代理という名のけったいな役職にあの宰相がついているのだから。もはや総帥なんて外れ籤以外の何者でも無い。

 そもそも、文と武は重なり合ってはいけないものだ。これはハーヴィー王国建国からの掟で、歴史に残るどんな悪い宰相もそれだけは徹底していた。王以外の人物が全ての権力を握ると禄な事にならないと分かっていたからだろう。だが、トリカブートは禁忌を侵した。次期総帥は、トリカブートとやり合うことになるのは避けられないだろう。自ら国内に争乱の火種を作ってどうする? いや、それがトリカブートの狙いなのかもしれない。

 騎士は、王家に仕えている。宰相に忠誠を誓うものではない。誰も、トリカブートとできるだけ関わり合いになりたくないというのが本音なのだ。近頃は、地方の政治も騎士団管轄になりつつあると聞く。仕事量と気苦労は計り知れない。それらをまとめる総帥というポジション。そこに収まることのできる人物は、まるで思いつかなかった。

 そこへやってきたのが、クレソンだ。使用人からその名が告げられた時は、思わず「まだ生きていたのか」と呟いたものだ。

 クレソンと言えば、宰相に追い立てられて騎士になった元王子。奴に揚げ足を取られる時点で底が知れている。騎士になってからも、目立った功績は無く、女にうつつを抜かしてぬくぬくと生活していると耳にしていた。

 宰相が国を取り仕切るようになって、我々がどれだけ苦渋を噛みしめてきたか、知らぬはずはない。今更どの顔を引っさげてやってきたのか。その昔、剣の稽古をつけてやったことはある。筋は良かった。だが、それぐらいの印象しかもたない男と、わざわざ会ってやる謂れはない。

 状況が変わったのは、青薔薇祭からだ。クレソンの優勝は、誰もが予想だにしないものだった。この時を堺に、私の耳に入ってくる庶民の噂にも変化が生じ始める。

 元々我が国では、王子が失脚したため、残った王女が王家を継ぐと言われていた。ところが、王女は世界樹の次期管理人だと公表され、王家の跡継ぎが不明となり、巷では次に誰が王として立つことになるのだろうと期待と不安が渦巻いていたのだ。

 このタイミングで再び脚光を浴びることになったのがクレソンである。実は、目立つ功績は青薔薇祭だけではない。知らぬ間に第一と第二以外の騎士団に取り入り、彼自身が指揮を振るう諜報組織のようなものまで作っていたという。その組織は、表向き新たな文化や技術の伝道師であり、ほとんど子どもばかりだ。しかし、仕事はできる。クレソンからの指示の下、各地で行われていた不正や不祥事を次々に詳らかにし、民衆の支持を受けている。「小さな第二騎士団」とも呼ばれているそうだ。

 私は腹をくくることにした。

 この短期間で急成長したクレソン。もう平の騎士とは思えぬ程に、国中へ目を届かせて、彼の影響力を着実に伸ばしている。これは、もはや王の視点だ。さらには、その影に見え隠れする結界魔術使いの姿。従来騎士とは決定的に相性の悪かった冒険者ギルドとのパイプまであるらしい。

 条件は揃った。

 不満があると言えば嘘になる。だが、もはやこの男しかいないのは間違いない。後は、会って、直にその顔を見て決めようと思った。


   ◇


「と、ここまでの手筈は整っています。総帥、私にその座を譲っていただけませんか」

 クレソンがやってきた。もう何度目かも分からぬ程の手紙に、使用人を使って初めて返事を出させたのだ。

 それこそ、五年ぶりだろうか。あの自信がなさそうに俯きがちだった王子はどこにもいない。かの先代王を思わせるような威厳を携えて、私の目の前に立っている。

「第一騎士団団長への口利きはお祖母様がしてくださいました」
「マジョラムは、頷いたのか」
「はい。私が総帥になれば、騎士団の組織や行動は私の判断に委ねられます。これまで宰相の目を気にして行えなかった、王妃捜索隊の再結集もできるようになりますね」

 この青年が、今更母親恋しさに動いたとは思えない。おそらく、王に総帥になることを認めさせるダシにしたというところだろう。そうか、そこまでするようになったのか。私は笑みを浮かべようとしたが、頬がうまく動かなかった。

「ということは、王も既に」
「はい。マジョラム団長がすぐに話を通してくださいました」

 なるほど。マジョラムは私の古くからの友だ。今となっては、彼一人が第一騎士団全てを担っているようなもの。第一の副団長以下は、ほとんど宰相に寝返ってしまったと聞く。確かに、クレソンが上に立つことになれば、マジョラムも少しはやりやすくなるのではなかろうか。だが――。

「クレソン、総帥の名は重いぞ」
「存じております。元より、王子の名も重いはずでした。しかし、それを放り出してきたこの五年間。ずっとルバーブ総帥を始めとする方々が肩代わりしてきてくださったこと、今この場で御礼を申し上げると共に、心からの謝罪をさせていただきます」

 クレソンがその場で跪き、頭を垂れる。もはや、こんなことをさせては不敬になるのではと思ってしまうような風格になってしまった。

「クレソン」

 ほとんど骨と太さの変わらぬ細い老人の腕を彼に伸ばす。クレソンは、その分厚く瑞々しい手で私の手を力強く包んだ。

「お前を、総帥にする」
「はい。しかと、承りました」

 私の役目は、終わった。今や、ほつれた糸のように途切れんばかりの微弱さしかないこの命の灯火も、これでいつ消えても良いことになる。

 この男がいて良かった。

 どうして。なぜ、こんなに変わることができたのか。そんな疑問が頭をもたげることは確かだが、それを知る猶予はきっともう残されていない。

 クレソンは、騎士服から何かを取り出して私の手に握らせた。

「これは、白の魔術の結晶石です。ルバーブ様は、黒の魔術に侵されているのではありませんか?」

 掌からは、温かなぬくもりが伝わってくる。彼の手ではなく、その石からだ。どこか懐かしい気持ちにさせられる。そう、幼い頃に乳母から手渡された褒美の砂糖菓子のような甘さ。口の中で一瞬で溶けてなくなる、ほんのりとした幸せの余韻。あれと同じ穏やかな魔力が薄っすらと私の手を再生させる。ような気がした。

「クレソン、もはや手遅れなのだ」

 ようやく、次代を任せられる者が現れた。なのに、近くで支えてやることも、見守ってやることもできない。悔しさだけが体中を駆け巡り、動悸が激しくなる。クレソンは、何とか身を起こした私の背中に手を当てた。

「そこの籠を取ってくれ」

 クレソンは近くのテーブルにあったものをこちらへ寄越す。いよいよ、私は旅立ちの支度をせねばならない。

「記録鼠ですか」

 私は微かに頷いた。これは魔物の一種ではあるが、人が手懐けることができる。ある特別な餌をやると、そこから一定時間は聞いたものをそのまま再現することのできる録音のような才を持っているのだ。重要な会議などでも使われ、高級魔道具の一種のように扱われている。

 私は籠の柵ごしに、金色の粒を中へ押しやった。鼠はすぐに齧りつく。

「次期騎士団総帥にクレソンを任ずる。そして、この屋敷、私の全財産をクレソンに託す。ハーヴィー王国の発展を願い、ここに最期の記録を残す。ルバーブ」

 籠にこれ以上音が入らないよう、私は覆いを被せた。隣では、クレソンが驚愕の表情をしている。私はそれに気づかぬフリをして、籠をクレソンに押しやった。

「これを上手く使え」
「まるで遺言でした」
「その通りだ。クレソン、私はお前が王子だから託すのではない。お前だから託すのだ。もう二度と己の道を見誤ることなく、突き進んでくれ」

 ここまで人と多く会話するのは久方ぶりだ。既にこの時点で、私の意識は朦朧としていた。しかし、最後にどうしても叶えたいことがある。気力を振り絞ってクレソンに告げた。

「クレソン、私は休む。そろそろ出ていってくれ」
「はい」
「それから、そこの扉を出てすぐに、金の魔術を使ってみてくれないか」
「そんなことをしては、扉越しでもお体に障ります」

 それが狙いなのだよ、クレソン。次の代を見ることができない私に、次の王の器をもつお前の力を最期に見せて安心させてくれないか。そのまま逝けるならば、本望だ。



 しばらく後、扉が閉まった。
 
 私の人生を振り返る。
 妻帯はしなかった。若い頃はひたすら剣を振り回し続け、団長になってからは人間関係や事務仕事にも苦労した。総帥になってからは、上に立つ者として部下を育て、何かあっても必ず現場任せにせずに駆けつけて、指揮を取り続けた。骨折や火傷なんで日常茶飯事だった。頼もしい朗らかな仲間もいた。半分以上は先に死んだが、奴らにまた会えると思えば心も軽くなる。

 クレソン、後は頼んだぞ。

 

 扉の方から一気に何かが拡散する。

 これが、クレソンの金の魔術か。


 心が、痺れる。
 やっと、笑えた気がした。




 
 次期ハーヴィー国王に、栄光あれ。











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『ハヴィリータイムス号外』より引用


 今朝、騎士団総帥ルバーブ氏の死亡が確認された。発見したのは、通いの家政婦。氏は自室で扉に向かって跪いた格好をし、硬直していた。葬儀は明日の……




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