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変身
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それからも毎日アイザックと二人きりの時間を過ごし、今では完全に習慣化してしまった。
特別なことは何もない。
砕けた口調のアイザックと他愛もない会話をし、手ずからお菓子を与えられる……ただ、それだけの時間。
だが、時折アイザックは僕の耳や首筋にさり気なく触れ、それに僕が反応すると、すぐにその手は離れてしまう。
(何なんだ一体……?)
問題なのは、アイザックに触られると僕が変な気分になってしまうこと。
(自分で触るとなんともないのに……)
試しに自分の手で耳や首筋に触れてみたが、少しくすぐったいくらいの感覚だった。
それなのにアイザックに触れられると、その部分が熱をもつような……。
そんなことを続けているうちに、いつアイザックが触れてくるのだろうかと、胸がドキドキするようになってしまったのだ。
(これじゃあまるで僕が期待してるみたいじゃないか……!)
焦らすようなアイザックの手つきに、僕だけが翻弄されているようで納得がいかない……。
そんな日々がしばらく続いた頃、ついにスキンケアグッズ一式の試作品が完成した。
ノアの努力によってコストを下げることに成功したそれらの試作品は、これから使用試験を行うことになる。
ちなみに、僕が以前開発したものは、あえてそのまま貴族向けに売り出すのはどうかとアイザックから提案があった。
平民が購入する価格設定だとコストが高いと言われてしまったが、貴族向けの価格設定であればその点をクリアすることができる。
つまり、平民用と貴族用の二種類を販売することになったのだ。
使用する材料だけでなくボトルのデザインにも差をつけ、香りの種類を増やしたりと、商品化に向けて一気に動き出す。
そのため、この事業に関わる人数もどんどん増えていき、一つの商品を販売するには多くの人たちの協力が必要なのだと初めて知った。
ただ、僕が会議や交渉に顔を出すのはややこしくなると言われ、そういった部分はアイザックやノアに任せて、僕は変わらず研究室で開発に専念している。
「ノア、肌の調子はどうだ?」
「はい! 殿下のおかげでずいぶんと隈も薄くなりました」
嬉しそうに口角を上げるノアだが、相変わらずその前髪が鬱陶しい。
ちなみに、クライドは今日も今日とてソファでお昼寝中である。
「よし、確認させてくれ」
「は、はい……」
僕はいつものようにノアの前髪を掴み上げ、眼鏡を外し、肌の状態を間近で観察する。
もう何度も同じことをしているのに、ノアは毎回緊張しているようだ。
「なあ、この邪魔な前髪を切らないか?」
「ええっ!?」
「これからスキンケアグッズを売ろうって奴が、そんなボサボサな姿じゃ説得力がないだろ?」
「で、でも、この目が見えてしまうのは……」
どうやら、ノアは自身の紅い瞳を隠したいらしい。
瘴気の森に生息する魔獣たちの多くが紅い眼をしており、ノアのような紅い瞳持ちを不吉な『魔獣の眼』だと蔑む者が一定数いるそうだ。
だが、それはこの地域特有の古い慣習のようなものらしく、王都でそんな話は聞いたこともなかった。
「殿下、無理強いはよくありませんよ」
ソファで寝ていたはずのクライドから制止の声が掛かる。
「無理強いをするつもりはない。だが、せっかく手入れした肌や瞳を隠すのが勿体無いと思っただけだ!」
「誰もが殿下みたいに容姿に自信があるわけじゃないんです」
「だから、少しでも自信を付けるために磨くんだろう? その手伝いをするためにこの商品を作ったのだろう? なのに、作った本人がずっと自信のないままでどうする!」
クライドにそう言い返すと、目の前のノアがハッとしたように息を呑む。
「あ、あの、僕はそこまで考えが及ばなくて……。でも、そうですよね。僕が変わらないと……」
ノアの紅い瞳が揺れている。
「僕は表に出れないのだから、開発者のノアがしっかりと商品の効果も広めるべきた。それに、髪を短くして毛先が当たらなくなれば肌荒れも減るんだぞ」
「肌荒れ………」
「どうだ? いいことずくめだろう?」
ノアは一瞬ポカンとしたあと、小さく「ふふっ」と笑う。
「……わかりました。殿下がそう仰るなら髪を切ります」
「そうか……!」
ノアの気が変わらないうちに、急遽三人で街へ向かうことに決める。
訪れたのは城砦から最も近い街。
初めての場所で興味を惹かれるものがたくさんあったが、今回はノアの身だしなみを整えることが最優先事項である。
まずは美容室へ向かい、伸び放題の癖がある髪をばっさりと短く切ってもらった。
それだけでノアの印象がガラリと変わるが、今度はデカい黒縁眼鏡が妙に野暮ったく感じる。
「この眼鏡も変えたほうがいいな……」
美容室を出ると、次はノアを眼鏡屋へ連れていく。
「うん! 似合うじゃないか!」
研究の発表や交渉をするのならば理知的な雰囲気のほうがいいだろうと、銀縁の細フレームを僕が選んだ。
「たしかに、ずいぶんと印象が変わりましたね。これならば商品を勧めても説得力があります」
クライドの言葉に、ノアが頬を赤く染めている。
髪を短く整え、眼鏡を変えただけなのに、清潔感のある爽やかな美青年へとノアは変身した。
「ノア、自信を持て。僕ほどではないが十分美しくなったぞ」
「は、はい! ありがとうございます」
「ああ。僕ほどではないがな!」
そこへクライドが口を挟む。
「殿下は謙遜を覚えたほうがいいですよ」
「お前は余計な一言をやめたほうがいい」
僕とクライドのやり取りを聞いたノアが、珍しく声を上げて笑っていた。
◇
街から戻り、ノアと別れて騎士団の宿舎に向かってクライドと二人歩いていく。
「ノア様、嬉しそうでしたね」
「ああ。僕のプロデュースは完璧だったな」
「たしかに、今回ばかりは殿下のお言葉が正しかったです」
そんなクライドの言葉に内心驚いてしまう。
「お前が僕を褒めるなんて……珍しいな」
「そうですか? 僕は以前から殿下のことを褒めていましたよ?」
「嘘をつけ!」
王城で暮らしていた頃も、クライドが僕の容姿を褒めるなんてことはなかったはずだ。
「いいえ。殿下が、容姿に関する褒め言葉以外を受け取らなかっただけです」
クライドの瞳がじっと僕を見つめる。
(容姿以外……?)
言われてみれば、スキンケアグッズを自作した時や、学園の試験結果が前回より良かった時など、クライドから声を掛けられていたような……。
「まあ、容姿以外に褒めるところがあまり見つからなかったのも事実ですが」
「おいっ!」
「それでも、ようやく僕の言葉が届くようになって安心いたしました」
「…………」
クライドの言う通り、今までの僕は容姿以外の褒め言葉を聞き逃していたのかもしれない。
「たしかに、この辺境の地へ送られてからは、僕の持つ知識だったり努力だったりを認めてもらえたからな……」
「ここへくる以前にも、殿下の能力を認めている方がいらっしゃいましたよ」
「え?」
「わかりませんか?」
クライドの言葉に胸の奥がざわつく。
「なぜこの地に来ることになったのか……その原因について殿下は考えられましたか?」
「それは………」
「殿下の育った環境には僕も同情いたします。ですが、そろそろご自身の愚かさにも向き合う時間ですよ」
それが、いつもの軽口ではない、クライドの本音であることがわかった。
特別なことは何もない。
砕けた口調のアイザックと他愛もない会話をし、手ずからお菓子を与えられる……ただ、それだけの時間。
だが、時折アイザックは僕の耳や首筋にさり気なく触れ、それに僕が反応すると、すぐにその手は離れてしまう。
(何なんだ一体……?)
問題なのは、アイザックに触られると僕が変な気分になってしまうこと。
(自分で触るとなんともないのに……)
試しに自分の手で耳や首筋に触れてみたが、少しくすぐったいくらいの感覚だった。
それなのにアイザックに触れられると、その部分が熱をもつような……。
そんなことを続けているうちに、いつアイザックが触れてくるのだろうかと、胸がドキドキするようになってしまったのだ。
(これじゃあまるで僕が期待してるみたいじゃないか……!)
焦らすようなアイザックの手つきに、僕だけが翻弄されているようで納得がいかない……。
そんな日々がしばらく続いた頃、ついにスキンケアグッズ一式の試作品が完成した。
ノアの努力によってコストを下げることに成功したそれらの試作品は、これから使用試験を行うことになる。
ちなみに、僕が以前開発したものは、あえてそのまま貴族向けに売り出すのはどうかとアイザックから提案があった。
平民が購入する価格設定だとコストが高いと言われてしまったが、貴族向けの価格設定であればその点をクリアすることができる。
つまり、平民用と貴族用の二種類を販売することになったのだ。
使用する材料だけでなくボトルのデザインにも差をつけ、香りの種類を増やしたりと、商品化に向けて一気に動き出す。
そのため、この事業に関わる人数もどんどん増えていき、一つの商品を販売するには多くの人たちの協力が必要なのだと初めて知った。
ただ、僕が会議や交渉に顔を出すのはややこしくなると言われ、そういった部分はアイザックやノアに任せて、僕は変わらず研究室で開発に専念している。
「ノア、肌の調子はどうだ?」
「はい! 殿下のおかげでずいぶんと隈も薄くなりました」
嬉しそうに口角を上げるノアだが、相変わらずその前髪が鬱陶しい。
ちなみに、クライドは今日も今日とてソファでお昼寝中である。
「よし、確認させてくれ」
「は、はい……」
僕はいつものようにノアの前髪を掴み上げ、眼鏡を外し、肌の状態を間近で観察する。
もう何度も同じことをしているのに、ノアは毎回緊張しているようだ。
「なあ、この邪魔な前髪を切らないか?」
「ええっ!?」
「これからスキンケアグッズを売ろうって奴が、そんなボサボサな姿じゃ説得力がないだろ?」
「で、でも、この目が見えてしまうのは……」
どうやら、ノアは自身の紅い瞳を隠したいらしい。
瘴気の森に生息する魔獣たちの多くが紅い眼をしており、ノアのような紅い瞳持ちを不吉な『魔獣の眼』だと蔑む者が一定数いるそうだ。
だが、それはこの地域特有の古い慣習のようなものらしく、王都でそんな話は聞いたこともなかった。
「殿下、無理強いはよくありませんよ」
ソファで寝ていたはずのクライドから制止の声が掛かる。
「無理強いをするつもりはない。だが、せっかく手入れした肌や瞳を隠すのが勿体無いと思っただけだ!」
「誰もが殿下みたいに容姿に自信があるわけじゃないんです」
「だから、少しでも自信を付けるために磨くんだろう? その手伝いをするためにこの商品を作ったのだろう? なのに、作った本人がずっと自信のないままでどうする!」
クライドにそう言い返すと、目の前のノアがハッとしたように息を呑む。
「あ、あの、僕はそこまで考えが及ばなくて……。でも、そうですよね。僕が変わらないと……」
ノアの紅い瞳が揺れている。
「僕は表に出れないのだから、開発者のノアがしっかりと商品の効果も広めるべきた。それに、髪を短くして毛先が当たらなくなれば肌荒れも減るんだぞ」
「肌荒れ………」
「どうだ? いいことずくめだろう?」
ノアは一瞬ポカンとしたあと、小さく「ふふっ」と笑う。
「……わかりました。殿下がそう仰るなら髪を切ります」
「そうか……!」
ノアの気が変わらないうちに、急遽三人で街へ向かうことに決める。
訪れたのは城砦から最も近い街。
初めての場所で興味を惹かれるものがたくさんあったが、今回はノアの身だしなみを整えることが最優先事項である。
まずは美容室へ向かい、伸び放題の癖がある髪をばっさりと短く切ってもらった。
それだけでノアの印象がガラリと変わるが、今度はデカい黒縁眼鏡が妙に野暮ったく感じる。
「この眼鏡も変えたほうがいいな……」
美容室を出ると、次はノアを眼鏡屋へ連れていく。
「うん! 似合うじゃないか!」
研究の発表や交渉をするのならば理知的な雰囲気のほうがいいだろうと、銀縁の細フレームを僕が選んだ。
「たしかに、ずいぶんと印象が変わりましたね。これならば商品を勧めても説得力があります」
クライドの言葉に、ノアが頬を赤く染めている。
髪を短く整え、眼鏡を変えただけなのに、清潔感のある爽やかな美青年へとノアは変身した。
「ノア、自信を持て。僕ほどではないが十分美しくなったぞ」
「は、はい! ありがとうございます」
「ああ。僕ほどではないがな!」
そこへクライドが口を挟む。
「殿下は謙遜を覚えたほうがいいですよ」
「お前は余計な一言をやめたほうがいい」
僕とクライドのやり取りを聞いたノアが、珍しく声を上げて笑っていた。
◇
街から戻り、ノアと別れて騎士団の宿舎に向かってクライドと二人歩いていく。
「ノア様、嬉しそうでしたね」
「ああ。僕のプロデュースは完璧だったな」
「たしかに、今回ばかりは殿下のお言葉が正しかったです」
そんなクライドの言葉に内心驚いてしまう。
「お前が僕を褒めるなんて……珍しいな」
「そうですか? 僕は以前から殿下のことを褒めていましたよ?」
「嘘をつけ!」
王城で暮らしていた頃も、クライドが僕の容姿を褒めるなんてことはなかったはずだ。
「いいえ。殿下が、容姿に関する褒め言葉以外を受け取らなかっただけです」
クライドの瞳がじっと僕を見つめる。
(容姿以外……?)
言われてみれば、スキンケアグッズを自作した時や、学園の試験結果が前回より良かった時など、クライドから声を掛けられていたような……。
「まあ、容姿以外に褒めるところがあまり見つからなかったのも事実ですが」
「おいっ!」
「それでも、ようやく僕の言葉が届くようになって安心いたしました」
「…………」
クライドの言う通り、今までの僕は容姿以外の褒め言葉を聞き逃していたのかもしれない。
「たしかに、この辺境の地へ送られてからは、僕の持つ知識だったり努力だったりを認めてもらえたからな……」
「ここへくる以前にも、殿下の能力を認めている方がいらっしゃいましたよ」
「え?」
「わかりませんか?」
クライドの言葉に胸の奥がざわつく。
「なぜこの地に来ることになったのか……その原因について殿下は考えられましたか?」
「それは………」
「殿下の育った環境には僕も同情いたします。ですが、そろそろご自身の愚かさにも向き合う時間ですよ」
それが、いつもの軽口ではない、クライドの本音であることがわかった。
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