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第ニ楽章・猫のアルゴリズム
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少女と猫の群れは電車に乗って三ツ沢上町駅へ引き返し、空いた車内の席を猫が占領し、寝そべったり転がったりするのを眺めて少女もリラックスした。
『こうしてると悲しいことなんて吹き飛びそうだ』
そして駅に着くと何事もなかったように一緒にホームに降り、入った時と同じく少女は赤いキャップと白いマスクをしてヘッドホンを首に掛け、猫たちは順番を守って一列になって改札へ歩いて行く。
しかし最後尾の三毛猫が通り過ぎようとした時、駅員が少女の後ろ姿を見て呼び止めた。
「ちょっと、君」
少女は表情を曇らせて立ち止まり、マスクを外して強ばった笑顔で振り向き、バレてがっかりしたが平静を装う。
「野島さんのお孫さんだよね?」
「ええ……」
少女に合わせて猫たちも足を止めて振り返っているが、駅員には見えてないので咎められる事なくお喋りは続く。
「猫好きのおばあちゃんが懐かしいよ。毎朝この辺を散歩して、駅に来て話しかけられた」
「そうですか?私も猫を見ると思い出します」
「夜も遅いから、気をつけて帰るんだぞ」
「はい」と頷き、キャップを取って頭を下げて猫たちと歩き出すと、大通りからターミナルに入って来たタクシーがタイヤを軋らせて止まり、堂安友太が慌てて後部席から降りた。
少女と猫たちはチラッとそれを見たが、列の並びも歩くスピードも変える事なく進み、マスクをポケットに入れた少女は駅員にはバレるし、猫は見られるし、『最悪だ……』と呟く。
友太は気になって、次の駅で電車を降りてタクシーで追いかけて来たのである。見えない猫と何を録音していたのか?興味本位ではあるが、好奇心で心臓がドキドキして、どうしても会って聞いてみたかった。
しかし少女はタクシーを降りて走って来た友太を目の前にして、「秘密だからね。誰にも言うんじゃねーぞ」と小声で恫喝し、顔をそむけて通過した。
猫たちも『ぷいっ』と友太を無視して歩いて行く。
「ちょっと……」と友太は勇気を振り絞って声をかけたが、少女も猫も振り返る事なく遠ざかって行く。
「なんで?」
友太は愕然としてその場に立ち尽くし、『久しぶりに頑張ったのに、結局これか?』と頭を抱えた。
しかし、その呆然とする友太にさっきの駅員が近寄って声を掛け、友太を少女の彼氏と勘違いして過去の悲しい出来事を打ち明ける。
「仲直りして、優しくしてあげてよ。あれからずっと落ち込んでるのさ」
「えっ、どういうことすか?」
「なんだ。知らないのか?」
「はい。最近知り合ったばかりで」
『というか、ついさっき出会ったのだが……』
「母代わりのおばあちゃんが電車事故で亡くなったんだ。認知症で夜中に地下鉄の線路内に迷い込んではねられた」
「分かりました。今度会ったら、絶対に仲直りします」
友太はそうお礼を言って、急いで改札を通ってホームへ駆け下り、グッドタイミングで到着した電車に飛び乗り、少女が録音していたあの区間へ再び向かう。
『そこでおばあちゃんが亡くなったのか?』
その死と猫が関連していると友太は想像し、少女は猫の亡霊と亡くなった者を弔っていると推理した。
少女が録音を始めた付近に電車が迫ると、車両の最後尾に立って車窓を眺めながら暗闇に耳を澄ます。しかし特別な音が聴こえてくる事もなく、ガタゴトという騒音だけが心に響く。
『猫のいるタイミングで何かが聴こえるのか?でも、なんで猫が見えたんだ?』
友太は座席や床、網棚にまで乗って自由に戯れていた猫を思い返し、床に座り込んでイヤホンをして70年代にヒットしたポップスに耳を傾けた。
すると過去から未来へ、自分には無縁だった希望の光が見えた気がする。
『きっとまたあの子に逢える。少女と猫たちはまた此処に来て何かを聴くはずだ』
そして友太は家に帰ると部屋にこもってパソコンで地下鉄ブルーラインでの電車事故を調べ、亡くなった祖母を悲しむ少女の名前を知った。
地下鉄のホームで泣いている少女の写真がSNSに拡散し、『可愛い』とか『可哀想』とか無神経なコメントがあり、少女がキャップとマスクをして周囲を警戒していたのを理解した。
野島涼子は猫の群れと通りを十分程歩いて家に帰ると、部屋着に着替えて奥の和室の仏壇に線香を上げに行く。
広くはないが二階建ての木造の一軒家に今は涼子一人で住んでいる。大好きなおばあちゃんが死んで、もうひと月が過ぎようとしていた。
遺影を拝んで手を合わせてチーンと鐘を鳴らし、振り返ると猫たちは消えている。不思議だが、おばあちゃんの葬式が終わった翌日からオカルト現象が起きて、最初は二~三匹だったが、みるみる増えて今では数十匹の猫が集まった。
『幽霊猫屋敷になったきっかけは、葬式の夜の出来事からだ……』
追悼の意味でおばあちゃんが亡くなった区間を一人で電車に乗って、泣きながら手を合わせて目を開けると電車内に黒猫が一匹現れた。
『その猫は私が家に帰るまでついて来て、今みたいに仏壇で拝んでいると消えた』
涼子は台所に行って冷蔵庫から牛乳を出して飲むと、お皿にも入れて床に置く。するとコソコソと三毛猫が三匹、窓の外から台所の床に降り立ち、お皿の牛乳を飲み始めた。
「こっちは本物の猫なんだよねー」と微笑む。
きっと生きた猫には幽霊猫が視えて、居る時には寄り付かない。以前はもっと沢山の野良猫が集まっていたので別の意味で猫屋敷と言われていた。
『同類でも幽霊は怖いか?』
そして涼子はリュックを持ってレコーディング室へ入った。三畳の空き部屋にフィールドレコーディングの仕事をしていた父の機材を並べてある。
旧式マイクに大型スピーカー。マルチレコーダーにアナログミキサー。Mac Classicにローランドの音源。
シンセサイザーは自分の趣味で、ネットオークションで買ったハンディレコーダーと父のパラボラ集音マイクを持って地下鉄に乗るのが夕暮れの日課になっている。
今回録音した音源データをパソコンにコピーし、ヘッドホンをして聴き直す。最初は電車のガタゴトとした騒音で聴き取り辛かったが、猫の鳴き声に共鳴して、微かな声音が遠くから流れてくる。
涼子はそれを聴いて今日のレコーディングはいい感じだと喜んだ。
『猫は気まぐれな生き物だけど、長く付き合うと分かり合える。猫には猫のリズムがあるんだよ』
これはおばあちゃんが口癖みたいに言ってたセリフである。
『気分で行動しているように見えても、ちゃんとした法則があるんだ。こっちが感じてあげれば、猫はちゃんと返してくれるからね』
涼子は最初に現れた黒猫からも教わった。おばあちゃんが猫と散歩していた公園を一人で歩いていると、黒猫が現れて後ろからついて来て、振り返って消えたと思ったら、駅の付近で電車を眺めていたりする。
『猫の亡霊は死んだおばあちゃんと繋がっている。ある時間帯に電車に乗ってあの区間に来ると、決まって猫は鳴き声を上げた』
そして猫はどんどん増えてコーラス隊のハーモニーみたいに声を合わせ、改札を通る順番は決まっているし、戯れる時も気ままな規則性がある。
『フィーリングとリズム。音楽と同じだ』
涼子は電車のガタゴトした騒音をリズム音に加工し、猫の鳴き声を鮮明なコーラスとして取り出した。
一回の録音が五秒~八秒。もう二十回はレコーディングに行ったので、つなぎ合わせると120秒くらいの長さになっている。
『こうしてると悲しいことなんて吹き飛びそうだ』
そして駅に着くと何事もなかったように一緒にホームに降り、入った時と同じく少女は赤いキャップと白いマスクをしてヘッドホンを首に掛け、猫たちは順番を守って一列になって改札へ歩いて行く。
しかし最後尾の三毛猫が通り過ぎようとした時、駅員が少女の後ろ姿を見て呼び止めた。
「ちょっと、君」
少女は表情を曇らせて立ち止まり、マスクを外して強ばった笑顔で振り向き、バレてがっかりしたが平静を装う。
「野島さんのお孫さんだよね?」
「ええ……」
少女に合わせて猫たちも足を止めて振り返っているが、駅員には見えてないので咎められる事なくお喋りは続く。
「猫好きのおばあちゃんが懐かしいよ。毎朝この辺を散歩して、駅に来て話しかけられた」
「そうですか?私も猫を見ると思い出します」
「夜も遅いから、気をつけて帰るんだぞ」
「はい」と頷き、キャップを取って頭を下げて猫たちと歩き出すと、大通りからターミナルに入って来たタクシーがタイヤを軋らせて止まり、堂安友太が慌てて後部席から降りた。
少女と猫たちはチラッとそれを見たが、列の並びも歩くスピードも変える事なく進み、マスクをポケットに入れた少女は駅員にはバレるし、猫は見られるし、『最悪だ……』と呟く。
友太は気になって、次の駅で電車を降りてタクシーで追いかけて来たのである。見えない猫と何を録音していたのか?興味本位ではあるが、好奇心で心臓がドキドキして、どうしても会って聞いてみたかった。
しかし少女はタクシーを降りて走って来た友太を目の前にして、「秘密だからね。誰にも言うんじゃねーぞ」と小声で恫喝し、顔をそむけて通過した。
猫たちも『ぷいっ』と友太を無視して歩いて行く。
「ちょっと……」と友太は勇気を振り絞って声をかけたが、少女も猫も振り返る事なく遠ざかって行く。
「なんで?」
友太は愕然としてその場に立ち尽くし、『久しぶりに頑張ったのに、結局これか?』と頭を抱えた。
しかし、その呆然とする友太にさっきの駅員が近寄って声を掛け、友太を少女の彼氏と勘違いして過去の悲しい出来事を打ち明ける。
「仲直りして、優しくしてあげてよ。あれからずっと落ち込んでるのさ」
「えっ、どういうことすか?」
「なんだ。知らないのか?」
「はい。最近知り合ったばかりで」
『というか、ついさっき出会ったのだが……』
「母代わりのおばあちゃんが電車事故で亡くなったんだ。認知症で夜中に地下鉄の線路内に迷い込んではねられた」
「分かりました。今度会ったら、絶対に仲直りします」
友太はそうお礼を言って、急いで改札を通ってホームへ駆け下り、グッドタイミングで到着した電車に飛び乗り、少女が録音していたあの区間へ再び向かう。
『そこでおばあちゃんが亡くなったのか?』
その死と猫が関連していると友太は想像し、少女は猫の亡霊と亡くなった者を弔っていると推理した。
少女が録音を始めた付近に電車が迫ると、車両の最後尾に立って車窓を眺めながら暗闇に耳を澄ます。しかし特別な音が聴こえてくる事もなく、ガタゴトという騒音だけが心に響く。
『猫のいるタイミングで何かが聴こえるのか?でも、なんで猫が見えたんだ?』
友太は座席や床、網棚にまで乗って自由に戯れていた猫を思い返し、床に座り込んでイヤホンをして70年代にヒットしたポップスに耳を傾けた。
すると過去から未来へ、自分には無縁だった希望の光が見えた気がする。
『きっとまたあの子に逢える。少女と猫たちはまた此処に来て何かを聴くはずだ』
そして友太は家に帰ると部屋にこもってパソコンで地下鉄ブルーラインでの電車事故を調べ、亡くなった祖母を悲しむ少女の名前を知った。
地下鉄のホームで泣いている少女の写真がSNSに拡散し、『可愛い』とか『可哀想』とか無神経なコメントがあり、少女がキャップとマスクをして周囲を警戒していたのを理解した。
野島涼子は猫の群れと通りを十分程歩いて家に帰ると、部屋着に着替えて奥の和室の仏壇に線香を上げに行く。
広くはないが二階建ての木造の一軒家に今は涼子一人で住んでいる。大好きなおばあちゃんが死んで、もうひと月が過ぎようとしていた。
遺影を拝んで手を合わせてチーンと鐘を鳴らし、振り返ると猫たちは消えている。不思議だが、おばあちゃんの葬式が終わった翌日からオカルト現象が起きて、最初は二~三匹だったが、みるみる増えて今では数十匹の猫が集まった。
『幽霊猫屋敷になったきっかけは、葬式の夜の出来事からだ……』
追悼の意味でおばあちゃんが亡くなった区間を一人で電車に乗って、泣きながら手を合わせて目を開けると電車内に黒猫が一匹現れた。
『その猫は私が家に帰るまでついて来て、今みたいに仏壇で拝んでいると消えた』
涼子は台所に行って冷蔵庫から牛乳を出して飲むと、お皿にも入れて床に置く。するとコソコソと三毛猫が三匹、窓の外から台所の床に降り立ち、お皿の牛乳を飲み始めた。
「こっちは本物の猫なんだよねー」と微笑む。
きっと生きた猫には幽霊猫が視えて、居る時には寄り付かない。以前はもっと沢山の野良猫が集まっていたので別の意味で猫屋敷と言われていた。
『同類でも幽霊は怖いか?』
そして涼子はリュックを持ってレコーディング室へ入った。三畳の空き部屋にフィールドレコーディングの仕事をしていた父の機材を並べてある。
旧式マイクに大型スピーカー。マルチレコーダーにアナログミキサー。Mac Classicにローランドの音源。
シンセサイザーは自分の趣味で、ネットオークションで買ったハンディレコーダーと父のパラボラ集音マイクを持って地下鉄に乗るのが夕暮れの日課になっている。
今回録音した音源データをパソコンにコピーし、ヘッドホンをして聴き直す。最初は電車のガタゴトとした騒音で聴き取り辛かったが、猫の鳴き声に共鳴して、微かな声音が遠くから流れてくる。
涼子はそれを聴いて今日のレコーディングはいい感じだと喜んだ。
『猫は気まぐれな生き物だけど、長く付き合うと分かり合える。猫には猫のリズムがあるんだよ』
これはおばあちゃんが口癖みたいに言ってたセリフである。
『気分で行動しているように見えても、ちゃんとした法則があるんだ。こっちが感じてあげれば、猫はちゃんと返してくれるからね』
涼子は最初に現れた黒猫からも教わった。おばあちゃんが猫と散歩していた公園を一人で歩いていると、黒猫が現れて後ろからついて来て、振り返って消えたと思ったら、駅の付近で電車を眺めていたりする。
『猫の亡霊は死んだおばあちゃんと繋がっている。ある時間帯に電車に乗ってあの区間に来ると、決まって猫は鳴き声を上げた』
そして猫はどんどん増えてコーラス隊のハーモニーみたいに声を合わせ、改札を通る順番は決まっているし、戯れる時も気ままな規則性がある。
『フィーリングとリズム。音楽と同じだ』
涼子は電車のガタゴトした騒音をリズム音に加工し、猫の鳴き声を鮮明なコーラスとして取り出した。
一回の録音が五秒~八秒。もう二十回はレコーディングに行ったので、つなぎ合わせると120秒くらいの長さになっている。
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