16 / 42
謎② 雛の本能
2-9
しおりを挟む
連休明け初日の放課後、俺は相談室にいた。
「さて、文章はできたかね?」
俺はこくりとうなずき、リュックからクリアファイルを取り出して、渡した。
先生は机に原稿用紙3枚を広げ、赤ペンを手に取った。
端から端に、次々とレ点をを入れていく。
少しうつむいた顔からは何も読み取れないけど、紙の上が真っ赤っかになるのを見るにつれ、ダメと言われているような気がして仕方がなかった。
10枚目の最後の1行に長い波線を引いた先生は、案の定こう言った。
「全然ダメ」
目を伏せ、ペンのキャップを閉じる。
「……というほどでもないね。でもダメ」
「え?」
びっくりして目を見開くと、先生は下くちびるだけ突き出た微妙な表情で笑いを噛み殺したあと、ミニ冷蔵庫に向かってしゃがんだ。
「写生をするように、事実だけを淡々と書く。僕はそう言ったね?」
「はい」
「起きた事実についてはよくまとまっていました。でも、五感の描写はまるでダメだ」
ソファに戻り、ソフトクリームをペロリとなめた先生は、赤ペンの先でトントンと紙を叩いた。
「官能小説かね。君の主観が入りすぎていて、見ていて恥ずかくなるよ。そうかい、そんなに気持ちよかったかい。またしてあげるけど」
「……っ、あのですねえ」
連休の間、死にそうになりながら何度も記憶を呼び起こして必死に書いた、俺の身にもなって欲しい。
どうキスされたかを長々書く。
初めてだしあんまり覚えていないし、何かに例えるのも難しいからそのまま書こうとしたけど、言葉のレパートリーが少なくて、感触に頼るしかなかった。
「気持ちよくて思わず声が漏れた。うん、君にとっての出来事はそうだけど、それはキスの観察ではないよね。声が漏れた原因は何かな。たしか僕はこのとき、うんと奥まで舌を差し込んで、強制的に口を開けさせたと記憶してるんだけど。なので正解は、『舌を深く差し込まれると、口が半開きになり声が漏れる』でした」
聞いていられない。赤面しながら両手で顔を覆う。
「でも最後のこれ。これは素晴らしかった」
すっと、波線をなぞる。
――月光が斜めに入ると、くちびるを濡らす唾液がつやつやと光って、神秘的だ。
「僕もそう思っていたよ」
「神秘的って、主観じゃないですか?」
「そうだね。でも着眼点が良いし、キスが神秘というのは詩的すぎるけども、月光が神秘というのは写生としてうまくいったと思います」
ほめられて、素直にうれしかった。
先生は、急にソフトクリームをぱくぱく食べた始めた――頭が痛くならないのかと不思議になるくらいの速さで。
そして、プラスチックのカップを捨てに奥に戻りながら言った。
「無垢で、純情で、真っ白で。君ほど構いがいがある可愛いのは他にないね」
言い切った先生は、こちらに戻ってきたと思ったら、よっこらせと言いながらソファの上で俺の体をまたいで、顔の真正面に迫ってきた。
「まだ痕はついているかね」
しゅるりとネクタイを解き、ボタンに手をかける。
「ちょっと、何するんですかっ」
「だから痕は残っているのかと」
「誰かに見られちゃったらどうす……」
キスで口がふさがれていた。
舌がねじ込まれて、声が漏れる。
「ぁ……」
口をくっつけたままボタンを3つ外して、人差し指でつつと鎖骨をなぞった。
「舌を深く差し込まれると、口が半開きになって声が漏れる。復習だよ。分かったかね」
開いた襟元には、薄茶色になったキスマークが無数についている。
なぜだかほっとした表情の先生は、そのまま俺の頭を抱えるように抱きしめてきた。
「大河。僕が君にキスをして、それを書いてくるよう宿題を出した理由は分かるかい?」
「えっと……描写の練習のため、です」
「本当はそうじゃないよ」
「キスの口実?」
「それはそうだね。でも他にもある」
先生は、キスの痕ひとつひとつに点々と触れながら、慈しむように言った。
「君が僕のうちに来たのだということが、夢や幻ではなかったのだと……何かの形に残っていて欲しかった」
思いがけない言葉に、びっくりしてしまった。
いつもどこか余裕そうで、人を食ったような態度しかとらない人物だと思っていたけど、そうじゃないんだ。
そう思っていたら、先生は、俺の頭の中を見透かしたように言った。
「こんな風に思うのは君にだけだよ。君の前だと調子が狂う。こんな幼稚な、独り占めしたい気持ちにかき乱されるなんてね」
少し目を伏せて困ったように笑う先生を見たら、ちょっと『好き』というのがどういうことか分かった気がした。
「先生、俺、好きですよ。小説教えてくれるからでもないし、有名な作家らしいからってわけでもないし、……そういうことしてくれたからとかでもなくて。先生といると楽しいから好きです。恋愛初心者すぎてよちよちの雛ですけど」
なるべく正直に伝えてみたら、先生は、あひる口をぐーっと横に伸ばしたまんまこちらを見ていた。
「笑ってる? 照れてる?」
「何でもありません。さて時間だ、誰かに鉢合わせる前に帰りなされ。毎回ど頭に必ず30分も埋まっていると他の生徒が相談しにくいんだよ。とは言え、君が相談室に熱心に通っていること自体は何の不自然もないがね。何と言ったって君は暗いしクラスになじめていなくて、いかにも悩みを抱えていそうだもの」
早口にまくし立てられて、笑ってしまった。
「また来ます」
ネクタイを結び直し、赤だらけの原稿用紙をバッグにしまって……自分からキスをして、相談室を出た。
先生の、雛に豆鉄砲を食らわされた親鳥みたいな顔は、ちょっと可愛かった気がする。
<謎② 雛の本能 終>
「さて、文章はできたかね?」
俺はこくりとうなずき、リュックからクリアファイルを取り出して、渡した。
先生は机に原稿用紙3枚を広げ、赤ペンを手に取った。
端から端に、次々とレ点をを入れていく。
少しうつむいた顔からは何も読み取れないけど、紙の上が真っ赤っかになるのを見るにつれ、ダメと言われているような気がして仕方がなかった。
10枚目の最後の1行に長い波線を引いた先生は、案の定こう言った。
「全然ダメ」
目を伏せ、ペンのキャップを閉じる。
「……というほどでもないね。でもダメ」
「え?」
びっくりして目を見開くと、先生は下くちびるだけ突き出た微妙な表情で笑いを噛み殺したあと、ミニ冷蔵庫に向かってしゃがんだ。
「写生をするように、事実だけを淡々と書く。僕はそう言ったね?」
「はい」
「起きた事実についてはよくまとまっていました。でも、五感の描写はまるでダメだ」
ソファに戻り、ソフトクリームをペロリとなめた先生は、赤ペンの先でトントンと紙を叩いた。
「官能小説かね。君の主観が入りすぎていて、見ていて恥ずかくなるよ。そうかい、そんなに気持ちよかったかい。またしてあげるけど」
「……っ、あのですねえ」
連休の間、死にそうになりながら何度も記憶を呼び起こして必死に書いた、俺の身にもなって欲しい。
どうキスされたかを長々書く。
初めてだしあんまり覚えていないし、何かに例えるのも難しいからそのまま書こうとしたけど、言葉のレパートリーが少なくて、感触に頼るしかなかった。
「気持ちよくて思わず声が漏れた。うん、君にとっての出来事はそうだけど、それはキスの観察ではないよね。声が漏れた原因は何かな。たしか僕はこのとき、うんと奥まで舌を差し込んで、強制的に口を開けさせたと記憶してるんだけど。なので正解は、『舌を深く差し込まれると、口が半開きになり声が漏れる』でした」
聞いていられない。赤面しながら両手で顔を覆う。
「でも最後のこれ。これは素晴らしかった」
すっと、波線をなぞる。
――月光が斜めに入ると、くちびるを濡らす唾液がつやつやと光って、神秘的だ。
「僕もそう思っていたよ」
「神秘的って、主観じゃないですか?」
「そうだね。でも着眼点が良いし、キスが神秘というのは詩的すぎるけども、月光が神秘というのは写生としてうまくいったと思います」
ほめられて、素直にうれしかった。
先生は、急にソフトクリームをぱくぱく食べた始めた――頭が痛くならないのかと不思議になるくらいの速さで。
そして、プラスチックのカップを捨てに奥に戻りながら言った。
「無垢で、純情で、真っ白で。君ほど構いがいがある可愛いのは他にないね」
言い切った先生は、こちらに戻ってきたと思ったら、よっこらせと言いながらソファの上で俺の体をまたいで、顔の真正面に迫ってきた。
「まだ痕はついているかね」
しゅるりとネクタイを解き、ボタンに手をかける。
「ちょっと、何するんですかっ」
「だから痕は残っているのかと」
「誰かに見られちゃったらどうす……」
キスで口がふさがれていた。
舌がねじ込まれて、声が漏れる。
「ぁ……」
口をくっつけたままボタンを3つ外して、人差し指でつつと鎖骨をなぞった。
「舌を深く差し込まれると、口が半開きになって声が漏れる。復習だよ。分かったかね」
開いた襟元には、薄茶色になったキスマークが無数についている。
なぜだかほっとした表情の先生は、そのまま俺の頭を抱えるように抱きしめてきた。
「大河。僕が君にキスをして、それを書いてくるよう宿題を出した理由は分かるかい?」
「えっと……描写の練習のため、です」
「本当はそうじゃないよ」
「キスの口実?」
「それはそうだね。でも他にもある」
先生は、キスの痕ひとつひとつに点々と触れながら、慈しむように言った。
「君が僕のうちに来たのだということが、夢や幻ではなかったのだと……何かの形に残っていて欲しかった」
思いがけない言葉に、びっくりしてしまった。
いつもどこか余裕そうで、人を食ったような態度しかとらない人物だと思っていたけど、そうじゃないんだ。
そう思っていたら、先生は、俺の頭の中を見透かしたように言った。
「こんな風に思うのは君にだけだよ。君の前だと調子が狂う。こんな幼稚な、独り占めしたい気持ちにかき乱されるなんてね」
少し目を伏せて困ったように笑う先生を見たら、ちょっと『好き』というのがどういうことか分かった気がした。
「先生、俺、好きですよ。小説教えてくれるからでもないし、有名な作家らしいからってわけでもないし、……そういうことしてくれたからとかでもなくて。先生といると楽しいから好きです。恋愛初心者すぎてよちよちの雛ですけど」
なるべく正直に伝えてみたら、先生は、あひる口をぐーっと横に伸ばしたまんまこちらを見ていた。
「笑ってる? 照れてる?」
「何でもありません。さて時間だ、誰かに鉢合わせる前に帰りなされ。毎回ど頭に必ず30分も埋まっていると他の生徒が相談しにくいんだよ。とは言え、君が相談室に熱心に通っていること自体は何の不自然もないがね。何と言ったって君は暗いしクラスになじめていなくて、いかにも悩みを抱えていそうだもの」
早口にまくし立てられて、笑ってしまった。
「また来ます」
ネクタイを結び直し、赤だらけの原稿用紙をバッグにしまって……自分からキスをして、相談室を出た。
先生の、雛に豆鉄砲を食らわされた親鳥みたいな顔は、ちょっと可愛かった気がする。
<謎② 雛の本能 終>
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる