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3. 4月28日 キャンベル伯爵家のお茶会

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 わたしアリー・ホームズは、結婚式をドタキャンされたかわいそうな令嬢として、不名誉なことに時の人となった。

 お茶会やパーティーの招待状がわたしのもとに、それはもうたくさん届いた。暖炉の薪を当分買わなくてもいいくらいに。
好奇の目に晒されるなんて想像しただけでぞっとしてしまう。わたしは社交の場が得意ではないのだ。
機知に富んだお喋りなんて、頭の回転が速くて口が回る同級生にこそできる芸当で、寄宿学校でぱっとしなかったわたしには無理だ。

 デビュタントをしたばかりのころに出たパーティーで、その洗礼を受けた。

誰だか知らないご婦人がしとやかな笑みを浮かべながら「まあ、そのドレスは最新のクチュールかしら?とってもお似合いだわ」と、声をかけてきた。
もちろんわたしが着ていたのは、流行遅れのいつものドレスだ。
「ダサいドレスでパーティーに来るな、とっとと帰れ」の意味である。
あまりに突然のことで、わたしはぶるぶるとすくみ上がるばかりだった。シャペロン目付け役を頼んだ叔母には呆れられた。

 それ以来、大勢の着飾った上流階級の集まりにはできるかぎり行かないという方法で、平和に過ごしてきた。


 マーガレットフィル記念女学院の同級生からお茶会の誘いが届いたのは、四月も終わりかけの日だった。
ライラックが美しい中庭が隣接するコンサバトリー温室で、昔を懐かしんで語り合おうという趣旨の手紙だった。ライラックの花言葉は、「友情」や「思い出」だ。きっと、素晴らしい午後のひとときを過ごせるだろう。
退屈していたわたしは、久しぶりに外に出てみようという気分になった。


 そのお茶会のメンバーは、元ルームメイトとわたしを入れた三人だった。
四区の貴族の屋敷街にあるキャンベル家のタウンハウスを訪れたわたしは、呼び鈴を鳴らして訪問カードを渡す。
執事がコンサバトリー温室まで案内してくれる。
ガラス張りのその部屋から、ライラックが咲き誇る紫色の中庭が見える。蝶々がライラックの花の合間を飛ぶ様は、まるで優雅な散歩だ。

 ホームズ家のコンサバトリー温室は、兄さんとわたしが学校から持って帰ってきた魔法植物であふれていて、まるで景観美というものがない。
同じ貴族でもこうも違うものか。経済的に余裕がある家はさすがだ。

「アリー、久しぶりね。ごきげんいかが?」
招待状をくれたカミラ・キャンベルが椅子から立ち上がった。カミラは記憶よりずっと洗練されていた。

「ご招待ありがとう。素晴らしい中庭ね、カミラ。結婚式のときはごめんなさい。せっかく参列してくれる予定だったのに」

「わたくしたち、アリーの登場を心待ちにしていたのよ。あんなことになったあなたのことを心配していたわ。そうよね、ルーシー?」

「アリー、元気そうね。あなたのご家族からお手紙をもらったときは驚いた。結婚式当日の早朝に、それも魔法電報なんだもの。
だから今日はこうしてヴァンメジスト州の実家から空飛ぶ馬車を飛ばして、あなたの顔を見に来たってわけ」

ルーシー・リッチフィールドの実家は王都から東へ二時間以上行った場所にある。
ルーシーは溌剌とした印象は変わらないが、ずっと大人っぽくなっていた。

「ルーシーのご実家は王都からだと遠いから、夜が明けてすぐ魔法電報を送ったの。
連絡が間に合わずにあなたが出かけてしまっては大変だと思ったのよ。やっとこうして会えたわね」

「さあ、お座りになって。わたくしが紅茶を淹れるわ」
カミラは上機嫌で言った。


 二人とも、それぞれの生活をうまくやっているようだ。
カミラは婚活中らしい。学生時代はとにかくガリ勉で、一番の成績を取ることに命をかけているといっても過言ではなかった。唯一の趣味は水泳で、夏の間は避暑地で社交もせずひたすら泳いでいる少女だった。
少女時代を知るわたしには、カミラが淑女のように着飾る姿がしっくりこない。

 そうなのだ。カミラはおしゃれに気を使う同級生に向かって「鏡を見たところでニキビは治らないわよ。そんなことしている時間があるなら、スペルの暗唱でもしたら」と、高らかに告げていたのだ。

 ちなみに、わたしも被害にあった一人である。
あれは新入生のときだった。一年目は寮の大部屋を使っていたので、個人スペースにお気に入りの恋愛小説を置いていた。
それがカミラに見つかって、みんなの前で思いきり恥をかかされたのだ。

「こんな小説を読む時間、アリーにはないでしょ?こんなもの読んでるから、いつだって頭の中がお花畑なのよ。その頭の中をどうにかしないと、今に落第するわよ」

もちろん言い返せず、ただ恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になってしまったのだった。
ああ、思い出したくない過去の汚点だ。


 わたしはビスケットをつまみ、いくらか落ち着きを取り戻したところで、失礼のない言葉を探してカミラに言った。
「ねえ、カミラ。あなたはとても雰囲気が変わったのね。あのころより、ずっときれいになったわ」

「ええ、そうでしょう。最新の流行を取り入れているのよ。殿方に見初められるには、まずは服装が大事なことなの」

カミラはわたしたち二人にドレスがよく見えるように、わざわざ座りなおした。涼しげな生地を使い、紫という初夏には少々重たい色でも軽やかに見せることに成功している。

「これは《ムッシュ・ゲラーニ》の新作よ。二人はご存知ないかもしれないけど、ファッション界の帝王と言われていて、常に注目の的なの。
彼の生み出すファッションは、革新的でありながら淑女らしさを体現していると評判よ。ほら、ここなんてカッティングがきれいでしょう?」

 《ムッシュ・ゲラーニ》は、わたしでも知っているくらい、世界に名をとどろかせる一流デザイナーだ。
雑誌から抜け出したように洗練された格好でパーティーに行けば、わたしのつまらない人生は変わるのだろうかと、これまでに何度考えたものか。
だけどわたしは社交が苦手で、どんくさいアリー・ホームズ。ファッション界の帝王の力を借りても、それは難しいだろう。

「ええ、首周りが特に洗練されているかんじがするわよ」
ルーシーがほめると、カミラは当然とばかりにほほ笑む。

「私もドレスは最新作しか着ないことにしたの。今日は《EP》の最新作よ。
カミラのドレスとは違って国産のデザイナーブランドだけど、生産数が少ないから他の令嬢とかぶりにくくて使いやすいの」
ルーシーは暗にカミラの量産されたドレスとは違うと告げている。
ルーシーのドレスはシンプルでありながらも個性的なオレンジ色のドレスで、彼女の黒髪を一層輝かせている。

 二人とも笑っているが、目が怖い。そうだ、この二人は学生時代から成績やスポーツで常に張り合い、最後にはいつも出来の悪いわたしに辛らつな言葉を投げかけるのだった。
どちらともなく二人はほほ笑むと、紅茶を飲みながら静観していたわたしを一瞥した。

 すごく嫌な予感。

「アリーのドレスは、とてもクラシカルね」

「あなたをみていると、昔を思い出して懐かしくなるわ」


 カミラは紅茶を一口飲んで、カップをそっと置いた。それまでの自慢げな顔が一転し、苦々しい顔に変わったのを、わたしは見逃さなかった。

「わたくしから言わせると、どの殿方もだめね。いくらわたくしが高嶺の花だからって、果敢にダンスに申し込んでくださらないと」

「先日パーティーに参加したけど、若い男の人たちは恥ずかしがって、踊っているのは若いとは言えない年齢の男性ばかりだった」
ルーシーがカミラに同意した。

「本当に若い方はだめよね。ただ見た目が魅力的なだけで、中身は空っぽなんだもの。
わたくしは先週のパーティーで、ある殿方と会話をしたの。わたくしは有意義な話をしようと、最近の経済対策について意見を交わそうとしたのよ。それなのに、その方ったらなにひとつ答えられなかったの。
ねえ、信じられる?
《魔法及び産業技術における経済的発展推進政策》について、何も知らないのよ。
あなたのおつむには一体何がはいっているのかしらって言ってやったわ」

要するに、学生時代カミラはスポーツと勉強に打ち込んできたので、男性の前での振る舞い方がわからないようだ。

「わたくしは本音を言うと、連日のパーティーに少し飽きてしまったわ。くだらない殿方ばかりなんだもの。
だから家業の助言をするようになったの。これがすごく楽しいのよ。
父には、こんなに優秀なのだから男に産まれていれば次期当主だったろうに、と言われたわ」

「私たちマーガレットフィルの卒業生の宿命ね。なぜ男に生まれなかったんだろうって言われるのよ」
ルーシーがしんみりと口にした。カミラは深く頷いている。

そんな言葉、わたしは一度もかけられたことがないけど。まあ、彼女たちはそれほど優秀だということだろう。


 ルーシーが口を開いた。ルーカス・リッチフィールドという、ルーシーの名前を男名にしたようなペンネームで小説を発表したそうだ。
ついに新進気鋭の小説家の仲間入りを果たしたそうで、流行の雑誌で連載が決まったらしい。

「寮の部屋でずっと書いていたものね。雑誌社から手紙が来ていないか、何度も郵便受けを一緒に確認したわね。あの日々の努力が、ついに実ったのね」
わたしはしみじみと言った。

「ルーシー、わたくしたちはあなたを誇りに思うわ」
カミラもルーシーを祝福する。

「ありがとう、二人とも。いずれ時代が私たちに追いつくころには、本名で作品を発表してみたいわ。でもまずは一歩前進できた。いい気分よ」

いずれは書斎として小さなフラットを借りて、小説家としてひとり立ちしたいそうだ。

「七区にかんじのいい部屋を見つけたの。アリーのご実家も七区よね?」

「そうよ。ここ四区とはかなり雰囲気が違うわ。大きな商会や銀行、病院が近くにあって利便性は高いわね」

「いいわね。そうだ。雑誌が発売されたら、毎月あなたたちに贈るわね。
あーあ、私が書いたって公言できないなんて悔しい」


 「それで、アリーは婚約破棄した気分はどう?」
カミラが唐突に話題をふってきた。ルーシーの近況報告という名の自慢話に飽きたのだろう。

「結婚前夜に花婿に逃げられたって本当なの?」
二人とも獲物を見るような目つきで、わたしの様子を窺っている。

「隠さなくていいのよ。私と同じように自立するって手段もあるのよ」
ルーシーが笑って追い討ちをかけてくる。

さっきまでの感動的な雰囲気はどこにいってしまったのだ。ゴシップを振りまかれたり、小説のネタにされたりするのは、なんとしても避けたい。

 だけど、わたしには気の効いた返しが思いつかないのだ。
そうだった。のんびりしているわたしには社交の場が得意ではなかったし、頭の回転の早い同級生には苦手意識があったのだ。

 「待ってよ、二人とも。落ち着きましょう。婚約破棄はしていないし、されてもいないわ」
結婚式には出られないと言われただけだ。
二人とも疑わしいという目をしている。

「結婚前夜に花婿に逃げられてもいないわ。婚約者は、騎士団の招集に応じただけよ。それがちょうど結婚式の日だったというだけで」
まあ、それが問題なのだが。
わたしだって婚約破棄されたのかどうかもよくわからない。
待って、わたしフラれたの?

「騎士団が帰ってきたらまた結婚式をするってわけ?」

「式の前夜に婚約破棄されたご令嬢がいるという噂が流れててあなたのことだと思ってたけど、もう一人いるのかしら」

そういえば、ヘンリーも家族の誰も帰ってきたらどうするのか話していなかった。なんで気がつかなかったの。わたしはフラれたんだ。
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