兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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二十六 真・魔性の女

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「おかしな真似するんじゃないよ。親分が死んでもいいのかいっ」
 凄まじい顔つきになってイザベラが怒鳴った。夜叉の表情になっている。遠巻きにしている山賊達に怒鳴った後、その怒りに燃え上がった眼差しをドン・バターに向けた。
 ドン・バターは震え上がり、
「お前等、頼むから、馬鹿な真似するんじゃねえっ。」
 と子分達に向かって悲鳴のように叫んだ。
 ハンベエは弓で狙い撃たれた事に驚いた様子もなく、
「いや、その、肌も露わの格好になってただろ。それが、恥ずかしかったのかな。・・・・・・と、イザベラにしては意外な感じがしてな。」
 と質問の続きをした。
「はあ?・・・・・・それじゃあ何かい、あたしゃ、人前で裸晒して喜んでるイカれた露出狂の馬鹿女かい?、別に恥ずかしかないけど、スケベ野郎共にこれ以上サービスしてやる義理はないよ。十分目の保養はさせてやったんだしね。それにしても、ハンベエ、お前も緊張感の無い男だね。」
 イザベラはふんっと憎々しげに付け加えた。ハンベエ苦笑。
「さて、親分さん、この後、どうしようかねえ。」
 イザベラは、ゾッとするほど酷薄そうな笑みを浮かべてドン・バターの方をねめ回した。
 ついさっきまでは、今夜はこの女の上に乗って、あんな事やこんな事をと、あらぬ事を考えていたドン・バターは、今や形勢逆転してみれば、とんでもない悪魔に捕まってしまったと感じずにはいられなかった。イザベラに眼を向けられ、メデューサに睨まれた人間が石に変わるように、体が硬直して仕方がない。それでも、ドン・バターは気力を振り絞って言った。
「わしを盾にして、子分共を下がらせているが、それもいつまでも続かんぞ。下にいる子分共も駆け付けて来て、周りを取り囲む人数はどんどん増える。たった二人でどうするつもりだ。逃げられはせんぞ。」
「ふん、増えるって言ったって、全部で精々百人くらいだろう。」
 イザベラは鼻でせせら笑い、ハンベエに流し目を送って、
「ハンベエ、百人だってさ。斬ってみるかえ。」
 と言った。見事なまでの冷酷な悪女の姿になっている。
「いいぜ。元々、俺はそのつもりだったんだから。」
 ハンベエは事も無げに答えた。
「ふん、自信満々だね。・・・・・・まあ、ここはもうちょっとあたしに任せておきな。」
 イザベラもまた自信たっぷりに嘯いた。
「お前等が、あたしの言う事をいい子で聞いたら、お前等の親分は殺さないよ。」
 イザベラは遠巻きに取り囲んでいるドン・バターの子分共に言った。
「先ず、今までの山賊働きで蓄め込んだ金銀財宝がたっぷりあるはずだ。全部ここへ持って来な。」
 イザベラは続けて言った。山賊達はお互いに顔を見合せたが、ドン・バターを救い出す手立ても思いつかないので、取り敢えず、イザベラの言うところに従って財宝を持って来る事とした。
 ハンベエはドン・バターの首筋に『ヨシミツ』のヤイバを当てたまま、黙ってイザベラと山賊達の動きを見ていた。
 やがて、ハンベエ達の目の前に金貨や銀貨、それに宝石や、装飾の施された刀剣類の類が積み上げられた。
「随分と蓄め込んだものだねえ。ちょっと見、金貨は一千枚、銀貨は一万枚は有りそうだよ。それに、数々の宝石の類、たかだか山賊の分際で随分な金持ちじゃないか。よっぽど悪どい事をしたんだねえ。」
 イザベラは目の前に積まれた財宝にちょっと目を輝かしたが、それほど、驚いた様子も無く言った。
 驚いたのはハンベエであった。イザベラのセリフではないが、たかが山賊の分際で、とはっきり思った。これだけの財宝があれば、かなり大きな領主にもなれるだろう。
 イザベラは財宝と山賊達を交互に見比べていたが、やがて、演説するようにしゃべり始めた。
「さてさて、これほどの財宝。大方、親分が子分への褒美をさぞかしケチって作ったんだろうね。」
 ちらりとドン・バターに目をやり、次に山賊達全員を見渡すように、首を二百七十度巡らせて言った。
「これほど多くの財宝、とてもじゃないが、あたしと相棒だけじゃあ持ちきれない。」
 イザベラはこう言って、言葉を区切り、山賊達を見回してから続けて言った。
「そこで、あたしから提案がある。」
 そして再び、言葉を止めて一同を見回した。何かのタイミングを図るように。
 山賊達はいつの間にか、イザベラの次の言葉を、ある種の期待を持って待っているかのように見えた。
「いっそのこと、このお宝を皆で山分けしようじゃない。」
 イザベラは、衣服を整えた時に装備したものか、腰に吊した短めの剣を抜き、右手高く掲げて、煽るように叫んだ。
 山賊達がざわざわと隣の者と私語を交わし始めた。
「おっ、おめえ達、馬鹿な事を考えるんじゃあねえっ。」
 ドン・バターが絶叫した。しかし、その口をイザベラは直ぐに塞いだ。剣の切っ先をドン・バターの口に縦に突っ込んで。勿論、ドン・バターを殺しはしない。喋れない程度に剣の先を突っ込んだだけである。
「てめえはしばらく黙ってろ!喋るのはこのあたしに任せときな。」
 イザベラは冷ややかに言って、薄く笑った。
 ハンベエはかぶり付きの観客のように、イザベラの一挙一動を見ていたが、無表情を装っている。ただ、名優を見るようなイザベラの振る舞いに驚くばかりである。そう言えばこの女、『あたしにかかれば、人を操るなんぞ雑作もない事なんだ。』、などとうそぶいた事もあったな、それほど法螺というわけでもなさそうだ。ハンベエはそう思っていた。
「まあ、慌てる事はないよ。あたしの提案は皆で協議してみておくれ。」
 ドン・バターを乱暴に黙らせたイザベラは、そう言って地べたに足を投げ出すようにして座った。

 山賊達は、ざわざわしながら、協議を始めた。いつの間にか、山賊達は三十人ほどの固まりと七十人ほどの固まりに別れていた。イザベラはその様子をみると、ニンマリとした。
 やがて、それぞれの固まりから一人づつ代表らしき男が出てきて言った。
「あんたの提案に乗るぜ。よくよく考えれば、悪くない話だ。」
 二人はイザベラにそう言った。
「そう、良かったわ。話せるじゃない、あなた達。名前は?」
 イザベラは二人を交互に見ながら言った。
「カイン」
「アベル」
 人数の多いほうから出てきた男はカイン、少ない方から出てきた男はアベルと名乗った。
 イザベラはアベルのところに歩みよると、男の顎に手をやり、
「あんた、あたしの好みよ。」
 と、艶然と笑った。イザベラから、体臭なのか香水なのか、強烈なフェロモンの漂う匂いが放たれ、アベルの鼻腔を侵した。目も眩みそうな性的興奮が、アベルを襲い、アベルはイザベラに抱きかかりたい衝動を覚えたが、かろうじてこらえた。
「ちょうど、二組に別れてるから、あたし達は金貨と銀貨をいただいて、アベル達と分けたいんだけど、どうかしら。」
 イザベラは宣言するように言った。
「ちょっと待った。なんで、アベル達は金で俺達は他の物なんだ。」
 カインがありありと不満な様子で言った。
「それは、あたし達がお金の方が都合がいいからよ。あたし達はアベル達の組と金貨、銀貨をもらって先に山を降り、麓で山分けする事としたいと思うわ。値打ちから言えば、他の宝の方がずっと高価で、人数割しても、そちらの方が得になるはずよ。アベル、あなたはどう思うの。」
 イザベラは木で鼻をくくったような口調でカインに言い、それから、アベルに尋ねた。
「こっちは別に異存はねえ。なあ、みんな。」
 アベルは大声で彼を代表として、送り出した連中に言った。そいつらは皆肯いた。
「じゃあ、決まりね。連中に金貨と銀貨の袋を持たせてあたし達について来な。」
 イザベラはそう言うと、山を降りるべく、先頭に立って歩き始めた。アベル達は慌てて、金貨、銀貨の袋を持って、その後を追った。そのシンガリをハンベエは縛り上げたドン・バターを押し立てて歩いて行った。登りの時は縛り上げたイザベラを、降りる時は縛り上げたドン・バターを・・・・・・ハンベエの仕事に変わり映えなし。
 カイン達は納得のいかない様子で、それを見ていたが、集まって再びざわざわと話し始めた。
 カイン達の視界から、消える少し前で、ハンベエは縄は解かないまま、ドン・バターを解放した。
 一方、イザベラはカイン達の視界から外れたところで、アベル達を停止させて言った。
「みんな、袋を置いて、迎え撃つ用意をしな。奴ら襲って来るよ。」
 アベル達は、半信半疑の様子だったが、イザベラに魅入られたように、戦闘配置に就いた。

 しばらくすると、
「逃がすな。」
「金を取り戻せ。」
 と口々に叫びながら、カイン達が殺到してきた。すかさず、ハンベエが飛び出して、カイン達の集団の先頭を三人ほど斬り伏せた。
「続けえっ、やっちまえっ。」
 イザベラの空気を裂くような叫び声が上がった。
 アベル達は、ハンベエに続いてカイン達に突撃して行った。ついさっきまで、仲間だった連中を殺すために。
 この後の事は詳しく記さず、簡潔に書く。
 書き疲れたし、第一、悲惨過ぎて記するに忍びない。
 山賊達は全滅した。ハンベエは途中まではカイン側の山賊を何人か斬ったが、途中から、さりげなく殺し合いの渦から逃れ、山賊達の同士討ちを見ていた。途中、ドン・バターを見かけたので一刀の下に切り捨てた。
 それから、元々味方同士だった山賊達が同士討ちの結果弱り切るのを見澄まして、残った人数を片付けた。気が付けば、累々と横たわる屍を横目に、イザベラとハンベエだけが残っていた。イザベラは山賊達が運んでいた金貨、銀貨の中から、金貨百枚ほどだけを自分の取り分として懐に入れ、残りの財宝はうっちゃって山を降り始めた、イザベラに並んでハンベエも歩いて行く。
 ハンベエはイザベラが財宝山分けの演説を始めた時から無言であったが、相変わらず憮然としていた。
「あたしの事。悪魔のような女だと思っている?」
 一言も喋らないハンベエの表情を窺うようにイザベラが言った。
「ドン・バターを人質に取ってから以降の事は、何か悪い夢を見てたような気がするな。今もって信じられないような敵の自滅だ。」
「こんなのは集団制御の初歩だよ。ナンバーワンは自分の権力を維持するためにナンバーツーとナンバースリーを反目させて、その均衡の上に乗っかって支配を行う。ナンバーワンの権力が消滅した時、ナンバーツーとナンバースリーは牙を剥いて争い始める。ただそれだけ事さ。」
「・・・・・・」
「あたしが怖くなった?」
「うん、ちょっと怖くなったよ。イザベラは俺の事を少しも恐がらないんだな。」
「あたし?、あたし、ハンベエ全然怖くないよ。だってハンベエがあたしを殺す事はないもの。」
「?・・・・・・何故そう思う?」
「前回、あたしの命を手の中に握っていた時、ハンベエはあたしを殺さなかったじゃない。」
「あの時、たまたま殺さなかっただけだろうが。」
「いいえ、ハンベエはあの時あたしを殺さなかった。だから今後も、ハンベエがあたしを殺す事はないわ。ハンベエもあたしを怖がる事は無いのよ。あたしもハンベエを殺さないから。・・・・・・そうね。仮にハンベエを必ず殺せるチャンスがあったとしても、最低でも一度は見逃すわ。」
「それは、ありがたい話だ。」
「それはそれとして、ハンベエの相棒達と落ち合うまでには時間があるけど・・・・・・最初会った時にした『気持ちいい事教えてあげる』って約束、どうするの?」
「それは、もっと先の事に取っておく事とするよ。安っぽく抱いていい女じゃないようだ、イザベラは・・・・・・なんだか気が引ける。」
 ハンベエはイザベラの瞳を改まったように見つめて言った。
「あらあら、光栄な事ね。」
 山賊達を退治したハンベエとイザベラは、最初の予定どおり、ハナハナ山の麓でロキの一行を待つ事となった。
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