兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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二十七 嗚呼、憧れの軍隊生活(前編)

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 ハナハナ山の麓で合流したロキとハンベエは、そのままタゴロロームに向かった。
 タゴロロームに向かう途中、タゴロローム守備隊の中隊百二十五名がハナハナ山へ急行するのとすれ違った。ハナハナ党が全滅したという知らせに、何故か部隊が派遣されたらしい。ハンベエとイザベラはハナハナ党の財宝をそのままにしてきたので、あの財宝はタゴロローム守備隊が接収する事となるのであろう。
 イザベラはあの後、再び尼僧の姿に化け直し、パーレルの手前は、恭しい尼を装って同伴したが、タゴロロームに到着する直前にハンベエ達と別れた。
 別れ際にイザベラはハンベエに気になる事を言った。
「バンケルクって将軍、あんまり信用しない方がいいよ。」
「何故だ。」
「何故かねえ。何故、ハナハナ党はあれほどの財宝を持っていたのかねえ。」
「・・・・・・気になる言い方だな。まあいい。それより、王女の命を狙うのは本当に止めたのか?」
「ああ止めたよ。彼女の不幸な過去を知ったからね。」
「一々、気になる事をいうなあ。」
「知りたい?・・・・・・ハンベエがあたしと異生同死の契りを結び、終生不変の誠を誓ってくれるなら。教えてあげないでもないよ。」
「・・・・・・。」
「ふふふふ、またどこかで会える事を望むわ。じゃあ。」
 イザベラはそう言って消えた。
 ともあれ、ロキにとっては商品が、パーレルにとっては軍馬が無事に目的地に届いた事となる。

 早朝、ロキとハンベエは、バンケルク将軍のところへ面会に出かけた。パーレルは軍馬を担当の馬係に引き渡しに行った。
 ロキはバンケルク将軍にエレナからの手紙を渡した。バンケルクは黙ってその書状を読んだ。ハンベエは、ロキの横に立ってバンケルクを子細に眺めた。
 バンケルクは歳の頃は四十半ば、中肉中背の筋肉質な体型に、黒々としたカイゼル髭を生やしている。肌浅黒く、目は平行四辺形で、いかにも精悍そうな雰囲気である。
「ご苦労であった。」
 バンケルクはロキに一言そう言った。
 そして、ハンベエを訝しげに見つめていたが、
「そちらの御仁は?」
「オイラの知り合いのハンベエと言います。武勇無双の勇者ですよお。」
「ふむ・・・・・・我が軍への入隊希望者か?」
「王女に勧められて来たんだが・・・・・・」
 ハンベエはそう言って、バンケルクにエレナからの紹介状を手渡した。
「エレナ王女の紹介状・・・・・・」
 バンケルクはハンベエの差し出した紹介状を黙って開くと黙読した。そして、ちょっと考えていたが、
「軍役に就きたいなら、部下に手配をして置こう。ただし、王女の紹介だからと言って、戦場経験の無い者を重要な地位に就けるわけにはいかん。まあ、下っぱ兵士が似合いのとこだろう。部屋の外で待っていろ。」
 バンケルクは横柄に顎をしゃくって、ハンベエに言った。
「ちょっとお、将軍。ハンベエは武勇無双の勇者だよ。下っぱ兵士っていうのはないんじゃない。」
 ロキが口を尖らせた。
「出世したければ、手柄を立てればいい。それと、ロキ、軍への口出しはせぬように。」
 バンケルクはにべもない調子で言った。
 ロキはムッとした面持ちで、さらに何か言おうとしたが、ハンベエが目で止めた。
「失礼します。」
 ロキはちょっと不満そうな様子で言ってバンケルクの部屋を出た。ハンベエもロキに続いて外に出た。
「なんだよ。バンケルク将軍も見る目が無いなあ。ハンベエに下っぱ兵士なんかさせてどうしようっていうんだよ。」
「まあ、いいさ。下っぱ兵士なら、あまり頑張らなくてもいいだろう。」
 憤慨気味のロキにハンベエは、とぼけた表情で言った。
「ハナハナ山の山賊退治だって、タゴロローム守備隊が手を拱いていたのを、ハンベエが一人でやってのけたって言うのに。」
「ハナハナ山の山賊退治はほとんどイザベラ一人でやってのけたってのが本当のところだよ。」
「ええ、そうだったのお。」
「パーレルがいたので、詳しい話をする機会が無かったな。そうとも、イザベラの独壇場だったのさ。その話はいずれ詳しく聞かせてやるよ。」
「そうなんだ。でも、ハナハナ山の山賊退治の手柄はバンケルク将軍に言ってないから、今からで申告すれば、扱いが変わるかも知れないよお・・・・・・」
「ハナハナ山の話は誰にもしないようにしとけ。」
「ええ、何でだよお。折角の手柄話じゃないか。」
「イザベラと仲良く、山賊退治してましたはマズイだろ。」
 ハンベエは小さく笑って言った。ロキは「あっ」と言うふうな顔をした。そうなのである。良く良く考えれば、イザベラは王女暗殺に失敗して、ゴロデリア王国に追われるお尋ね者なのだ。そのイザベラと仲良く旅行していた話などできるはずもないのである。いや、イザベラという名を口にする事自体まずいかも知れない。
「オイラとした事が・・・・・・それで、マリアはどうしたんだろうね?」
「さあ、俺もマリアがこの先どうするかは知らない。」
 ロキとハンベエは今更ながら、イザベラの呼び方を旅の最中に彼女が名乗っていたマリアに変えた。

 そもそも、イザベラの正体は『謎の殺し屋ドルフ』であり、イザベラという名も本当の名ではないのかもしれない。いやいや、さらに言えば、ドルフという名すら本当の名ではないのかもしれない。
 ハンベエは幾度となくイザベラと言葉を交わしたが、イザベラがどこの何者かという事は教えられもしなかったし、聞きもしなかった。結局、イザベラについて重要な事は何一つ知る事無くハンベエとロキは彼女と別れたのであった。
「ところで、ロキ、俺の心配もいいが、商売の方はどうなっているんだ。」
「そうだ、バンケルク将軍に手紙を届けたら、すぐにでも商売に取り掛かるつもりでいたんだ。ハンベエ、ごめんよ。また後でね。」
 ロキは慌てて駆け出して行った。
 とぼけた表情はいつもの癖で、表面的には穏やかな感じのハンベエであったが、『下っぱ兵士』相当の評価にはかなりムッとしていた。エレナの紹介状には何と書かれていたのか?、まさか、下っぱ兵士の待遇にしろと書かれていたはずはない。とすれば、バンケルクという将軍のハンベエへの評価がそういう事であり、エレナの推薦状にもカカワラズ、『下っぱ兵士妥当』と殊更に低い評価が下されたわけである。
 実際、ハンベエは人の手紙を盗み見するような、小狡い習慣が無いので(これについてはロキも同様である。その点だけみれば、ハンベエもロキも『氏素性もない身分イヤシキ輩』に関わらず、育ちが良いと言えるだろう。)、紹介状の中身は知らなかったが、エレナはハンベエが命の恩人であり、武勇優れた人物として、最低でも中隊長以上の待遇を与えてくれるよう紹介状に書いていた。
 元々、欣喜雀躍してタゴロローム守備隊に志願したハンベエではない。ロキの供のついでに、かつて師のフデンも長く従事したという軍隊生活というのも送ってみようかとタゴロローム守備隊に加わる事を考えたハンベエである。地位に執着があるわけでなく、下っぱ兵士という事にさほど嫌悪感を持ったわけでもないが、バンケルクの『不当(?)』に低い評価はハンベエの自尊心をいたく傷つけた。
 人間関係は最初の出会いによってほとんど決まると言われている。ハンベエにとってバンケルクは、イザベラから聞かされた『あんまり信用しない方がいい』という言葉も相まって、『いつの日か殺すかも知れない人間』のリストの隅っこに入ってしまった。
 ほどなく、バンケルクの使いの兵隊らしき男がやって来て、
「ついて来いっ。」
 と言って、先に立って歩き出した。ハンベエは無言で、その男の後ろを歩いた。
 その男は歩きながらハンベエに幾つか質問した。
「名前は?」
「ハンベエ」
「歳は」
「二十歳。」
「軍隊経験は?」
「ない。」
「我が国において、軍人又は役人の家族親族は?」
「そんな者はいない。」
「出身は?」
「出身・・・・・・最近までゲッソリナ近郊の山で暮らしていたが・・・・・・。」
「なんだそれは?・・・・・・家族とかはいないのか?」
「そう言えばいないな。」
「浮浪者か。まあいいだろう。最後に、我が軍に入隊する動機は?」
「王女に勧められて。」
「王女?、エレナ王女様の事か。今後は気やすく王女様の名を出すな。貴様のような何処の馬の骨とも分からん男が話に出して良い御方ではない。それに、貴様は言葉遣いがなっておらん。今後は命令には『はい』、質問には『何々です。』又は『何々であります。』と答えろ。」
 男は高飛車にこう言った。
「・・・・・・。」
「返事は?」
「はい、了解です。」
 ハンベエはかろうじて答えた。努めて、温和そうな表情を作っているが、刀の柄に手が伸びそうになるのをグッと堪えた。
 男は立ち止まり、改めてハンベエを注意深く観察した。
「兵隊風情には分不相応な剣だな。」
 男はハンベエの腰の剣を指差して言った。
「どうだ。いっそのこと、その剣、ワシに献上せんか。地位の事をもう少し斟酌するように将軍に進言してやらんでもないぞ。」
 男は小狡そうな笑みを浮かべて言った。
 空気が凍るというのは、この時のハンベエの雰囲気をいうのでは、ないだろうか。
「これは、我が生涯最大の恩人から戴いた物ですので、誰にもお渡しできません。」
 それでも、ハンベエは穏やかに、微笑みすら浮かべて言った。だが、殺気のほとばしりを押さえ切れないらしく、その男は言いようのない恐怖に駆られて二歩後退あとずさりした。
「まあ、いいだろう。お前の所属するところの班長を呼んで来るので、ここで待て。」
 男は足速に去って行った。一刻も早く、この場から立ち去りたい様子であった。
(やれやれ、詰まらん事になったな。軍隊に入るのはやめてしまうかな。)
 ハンベエはうかうかとエレナの言葉に乗ってタゴロローム守備隊に志願した事を早々と後悔し始めていた。が、ここで止めるのもどうかというものである。もう少し様子を見てみるとしよう。胸を撫でさするようにして、逆流する血の沸騰を押さえながらハンベエは思った。その先に戦場で、あの男ガストランタを斬り捨てる己の姿を思い浮かべていた。
 待つほどもなく、バンケルク将軍が寄越したハンベエの案内人である男は、四十歳ほどの男を連れて来た。
「待たせたな。おまえはタゴロローム守備軍第五連隊第五大隊第五中隊第五小隊第五班に所属する事になる。班長のルーズだ。挨拶しろ。」
「ハンベエです。ヨロシクしくお願いします。」
 ハンベエは大人になって、ちゃんとした挨拶をした。やればできるじゃないか。
 ちなみに、ゴロデリア王国の軍制は五人組システムになっていた。最低の単位が班長一名兵士五名の班、班が五つで小隊となり、その上に小隊長が置かれている。そして、五小隊で中隊、五中隊で大隊、五大隊で連隊、五連隊で師団となり、それぞれに隊長が置かれていた。タゴロローム守備軍は丁度一個師団一万五千六百二十五人の兵士が配備されていた。つまり、ハンベエはタゴロローム守備軍の端の端の端っこに配備された事になる。
 ハンベエはとぼけた表情を装っているが、こういう扱いには意外と敏感な男だ。俺ほどの男をここまでコケにするとはな。いいだろう。いつも月夜とは限らねえぞ。このフザケた待遇についてはそのうち代価を取り立ててやろうじゃないかと、極めて不逞な腹をきつく結んで、奥歯を噛み締めた。
 一カケラの忠誠心もなく、心躍らせる事もなく、満腔の不平不満をいだいて、ハンベエはタゴロローム軍に身を投ずる事となった。

「宿営に案内するから、ついて来い。」
 班長のルーズが荒々しく言って歩き出した。案内人の男が離れて行くハンベエを見ながら、幾分安堵しているように見えるのは気のせいか。それとも、この男、ハンベエの雰囲気に何か予感するものでもあるのだろうか。
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